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2005年05月31日 11時35分20秒

世田谷「豪徳寺」招き猫伝説

テーマ:道々寄り道だよん
たくさんの招き猫

先日、車で世田谷線宮の阪駅の前の踏切を渡り、豪徳寺の前を通りすぎようとしたところ、誰かに招き入れられるように参道に入り車を止めて、豪徳寺を参観してきました。これ、ホントの話です。豪徳寺の前の道路も後ろの道路も、よく車で通っている道です。でも、豪徳寺の境内には前に2、3度行ったきりで、もう何年も行ったことがありません。いつも通っている道なのに、なぜその日だけ車を止めて、参観してみようと思ったのか、自分でも分かりません。まあ、そんなことはどうでも、「豪徳寺」に行ってきました。


総門・碧雲関

参道

小田急線に新宿から9駅目、「梅ヶ丘」と「経堂」の間に「豪徳寺」という駅があります。世田谷線では「山下」という駅です。この辺一体は「豪徳寺」というお寺の地所がほとんどだったのでそういう駅名になったのでしょう。「豪徳寺」へ行くのには世田谷線の「宮の坂」駅が一番近いです。世田谷線とは「三軒茶茶屋」から「下高井戸」までを結ぶ「東急世田谷線」のことです。世田谷を縦に結ぶローカルな「チンチン電車」です。都内で残っている「チンチン電車」は「都電荒川線」と「東急世田谷線」だけになってしまいました。


香炉(?)

本堂

豪徳寺」は「招き猫の寺」として有名です。「招き猫伝説」は各地にたくさんあるようですが、ここでは「豪徳寺伝説」の一端を紹介します。豪徳寺に伝説もいくつもありますが、おおむね彦根藩主井伊直孝が猫に手招かれるままに寺を訪れ、それがきっかけで菩提寺になり、没落していた寺が復興した、という話です。


梵鐘

この寺はもとは弘徳院といい、吉良氏の菩提寺だったのですが、吉良氏の没落と共に寺運も傾き、貧乏寺になってしまいました。江戸初期の頃、この破れ寺の和尚は大変な猫好きで、タマと名付けて自分の食をも分け与えて可愛がっていました。ある日、和尚はタマに向かって、「この貧乏寺をなんとか出来ないものか」と、言い聞かせました。ある時、寺の前を遠乗りの井伊直孝一行が通りかかった時に、激しい雷雨に見舞われました。山門に出てきたタマは手招きして一行を寺に招き入れました。和尚は渋茶でもてなし、心静かに「三世因果」の説法をしたり、四方山話に花を咲かせたりしました。


井伊直弼の墓

それが直孝のお気に召して、時折訪ねては和尚の話を聞いたそうです。これがきっかけで弘徳院は井伊家の菩提寺になり、藩主直孝の法号により「豪徳寺」と名前を改めました。井伊家から田畑を多く寄進されて一大伽藍になりましたが、和尚は天寿を全うしたタマを「猫塚」に祀り猫の恩に報いました。「豪徳寺」は、福を招き入れるので「猫寺」と呼ばれるに至ったそうです。現在でも「家内安全」「営業繁昌」「心願成就」を願って、お参りする人が絶えません。境内には、直孝を始め、井伊家代々の墓所があり、桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓は都史跡に指定されています。境内は落ち着いた静かさで、樹木に覆われ、四季折々の花を咲かせます。


返納された招き猫

上の画像は、「招猫堂」の左手奥にある小さな祠、願い事が成就した場合に招き猫を返納するところですが、ここに返納すると更にご利益があるとされています。。豪徳寺の山門の横にある小さな花屋にも「招き猫」を売ってますが、僕は毎年年末年始の行われる「世田谷ボロ市」で小学校のPTAが売っている「招き猫」を買うことにしています。たくさんたまっているので、変色したものから、時折、近所の神社にお正月に返納しています。


*「世田谷ボロ市」に関する過去の記事はこちら

*招き猫について詳しくは「招き猫倶楽部 」を参照のこと

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2005年05月30日 10時44分55秒

「ピアノマン」続報!

テーマ:日々のあれこれ

いや、知人のWさんが言うようにピアノマンが立って歩いたわけではありませんが、情報の途絶えていた「ピアノマン」、出てきましたよ、新しい情報が!出所は同じ「大衆日曜紙メール・オン・サンデー」のようですが、共同通信讀賣新聞の記事を載せておきます。テレビではバンド時代の写真と現在のものを並べて比較していましたが、果たしてどうなることやら?


チェコのバンド出身か 「ピアノマン」に有力情報
【ロンドン29日共同】英国東部の海岸で先月保護された“謎のピアニスト”は、かつてチェコのロックバンドでキーボードを担当していたトマス・ストルナドさんではないかという有力情報が寄せられ、保護している病院が本格調査に乗り出すことが29日分かった。
大衆日曜紙メール・オン・サンデーなどが伝えた。提供された演奏中の写真がこの男性に極めて似ていることや、バンドに加わる前にクラシック音楽の修業を積んでいたことなど、条件が合致する具体的な証言が得られた。
病院当局はこのバンドやバンド仲間に関する情報を基に、男性に記憶を取り戻させる治療を進める方針だ。
共同通信) - 5月29日14時1分更新


「ピアノマン」はチェコのロックバンドメンバー?
【ロンドン=飯塚恵子】4月初め、英南東部ケント州の海岸で保護された身元不明の「謎のピアノマン」は、チェコのロックバンドでキーボード奏者だったトマス・ストルナドさんではないか、との有力情報が寄せられた。29日付の英日曜大衆紙メール・オン・サンデーが伝えた。
共にバンド活動をしていたクラウディアス・クリスピンさん(38)が同紙に通報してきたもので、1983年にプラハで撮影した演奏中の写真は、現在の「ピアノマン」の面影がある。クリスピンさんは「彼はバンド参加前はショパンやリストを毎日よく練習する天才的なピアニストだった。ただ、あまりにも普通と違ったため、人付き合いがうまくなかった」と証言した。
また、「ピンク・フロイドなど英国のロックバンドに心酔しており、英国に行くのが夢だった」と話した。同紙によると、他の元バンドメンバーらも「彼に違いない」と話しているという。
男性を保護している精神病院は、週明けからチェコ語の通訳を呼び、心理療法に反映させる予定だという。
読売新聞) - 5月29日21時24分更新


謎の男が「奏」乗効果 「ピアノマン」CD注文殺到 ビリー・ジョエル32年前の名曲
米人気歌手ビリー・ジョエル(56)が“謎のピアノマン”の恩恵を受けている。英国の海岸で保護されたピアノを弾く身元不明の白人男性が世界で注目を集めると同時に、ビリーのCDが売れ出した。代表曲「ピアノマン」が連日の報道のBGMなどに使用されている効果で、レコード会社に注文が殺到している。元日発売のベスト盤「ピアノ・マン:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ビリー・ジョエル」などが報道前から出荷枚数が倍増。ビリーにとっては価値ある“ストレンジャー”の登場となった。

スポーツ報知) - 5月28日8時1分更新


以下は追加記事です。

「私はピアノマンではない」チェコの男性がTV出演
【ロンドン=飯塚恵子】4月初めに英南東部の海岸で保護された「謎のピアノマン」の身元をめぐり、英日曜大衆紙にピアノマンではないかと報じられたチェコのロックバンドの元メンバーが5月31日夜、チェコのテレビ局のニュース番組に出演し、「自分はピアノマンではない」と証言した。このため身元探しは再び振り出しに戻った形だ。この男性はバンドでキーボード奏者をしていたトマス・ストルナドさん。29日付の同紙は、バンドの仲間からの通報でピアノマンの可能性が高いと報じた。ピアノマンは英国の病院に保護されて以来、見事なピアノ演奏を披露したものの、一言も話していない。英警察はこれまでに約250人の行方不明者と照合したが、該当者がいないという。
(読売新聞) - 6月1日22時51分更新

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2005年05月30日 09時44分18秒

「尺八・こと・三味線での演奏会」へ行ってきました!

テーマ:道々寄り道だよん

「尺八丈清会」の定期演奏会に家人が誘われて行くというので、社会見聞を兼ねて行ってきました。この会は32年もの長い間続いていて、2年に一度の「尺八演奏会」ということで、今回が16回目ということでした。2年前は「トラディション」というテーマで開催し、今回は「チャレンジ」というテーマを設定した演奏会でした。カタカナ文字で、とても尺八の演奏会とは思えないような目標の設定であり、案内のチラシもなかなかモダンなものでした。尺八の会ですから、2年間の成果を発表すると同時に、会の昇格者の披露も兼ねているようでした。そうはいっても、尺八だけでは演奏会にならないらしく、箏(こと)や三味線が入っての演奏会でした。12時半から5時まで、本曲、古曲、新曲、現代曲を織り交ぜて18曲、「日本音楽管弦の調べ」なるものを堪能してきました。


菊岡検校作曲「御山獅子」

場所は中野南口から徒歩8分、「なかのZERO小ホール」でした。「なかのZERO小ホール」は、昔は「中野公会堂」といい、モダンデザインのお手本のような公会堂でした。家人は「成人式」をそこでやったといいます。ここ最近、友人のフラメンコの発表会で毎年来ています。こちらは大ホールの方で、尺八の方はさすがに地味で、中年、お年寄りが多く、集客や派手さで熱気ムンムンのフラメンコには到底かないません。


尺八の語源は、皆さんご存じのように「一尺八寸」という長さから来ています。メートル法では約54cmです。とはいえ、長いのもあれば、短いのもあります。すぐに思い浮かべるのは「虚無僧」ですね。昔の人はNHKの「新諸国物語」、その頃はラジオしかありませんでしたが、音楽はたぶん福田蘭堂だったと思いますが、「紅孔雀」とか「オテナの塔」、あまり古い話なので思い出せません。「♪ヒャラ~リヒャラリコ ヒャリ~コヒャラレロ」、そんなメロディが思い出されます。尺八は「首振り3年、コロ8年」と言います。けっこう難しい楽器です。ただ吹いたのではなかなか音は出ません。今回、尺八は全員男性でしたが、箏や三味線の方はほとんど女性で、歌も歌わなくてはならないので大変です。なんて、僕はこれら「和楽器」には詳しいわけではなく、まったく縁がありません。誘われるままに、いろいろと聞く機会が多いというだけです。いただいたプログラムには詳細な解説が載ってましたが、猫に小判でした。


宮城道雄作曲「道灌」

2002年度から中学校の学習指導要領が変わりました。音楽では「日本古来の音楽を積極的に取り上げること」となり、和楽器指導の項では「和楽器については、三学年を通じて一種類以上の楽器を用いること」が決まりました。これについては、僕はまったく知りませんでした。ほとんどの音楽の先生方は、和楽器については精通していません。子どもが大きくなってしまった現在、実際教育の現場で和楽器について、どういう教育をしているのか分かりません。


そうそう、思い出しました。半年ぐらい前でした。石川憲弘、利光という兄弟の「演奏会」を聞きに行ったことがありました。新宿西口の角筈区民会館というところでした。お兄さんの憲弘さんは箏(こと)、そして弟の利光さんは尺八でした。二人だけで演奏することが多いので、「石川ブラザーズ」と冗談で名乗ったりしていましたが。演奏の合間にこのタイプがまったく異なる二人の掛け合いが、なかなか面白い。そして、和楽器に接することを大事にしていこうというコンサートの組み立てなので、勉強になりました。また行きたいと思っているのですが、関西の人なので、東京での演奏会が少ないのが残念です。石川憲弘さんの編著で「初めての和楽器」という本を以下に紹介しておきます。


初めての和楽器」岩波ジュニア新書 429
石川憲弘編著 定価 987円(本体 940円 + 税5%)
2003年3月20日第1刷発行
中学校の音楽授業に和楽器が登場。リコーダーやピアノに比べると、まだまだなじみはないけれど、とにかくさわって音を楽しんでみよう! 第一線で活躍中の、箏・尺八・三味線・打楽器の演奏家たちが、その魅力と奏法をわかりやすく解説します。和楽器によるクラシックの名曲などをおさめた8cmCD付。

石川憲弘のHPはここ  

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2005年05月29日 09時22分06秒

「ザ・インタープリター」を見ましたよ!

テーマ:映画もいいかも

ただただ「ニコール・キッドマンが出ている映画」というだけで、場所を調べて30分ぐらい余裕を持って渋谷の「シネフロント」へ向かいました。そうだ、ここは来たことがあるよ、思い返してみると、確かジョニー・デップの「ネバーランド」も、この映画館で見たんじゃないかな。なにしろ「全席予約席」だから、チケットさえ買えれば、絶対に座ってみられる。銀座の「シネスイッチ」で見たニコール・キッドマンの「めぐりあう時間たち」、あの時は大入り満、ギュウギュウ詰めで通路に座らせられて観ました。あれって、安全上、いけないんじゃないのかな?なぜか販売促進の高級アイスクリームが全員に配られましたけど?通路に座って高級アイスクリームを食べるのも、しかも銀座ですから、ホント情けない感じがしました。



めぐりあう時間たち」をこのブログで書いたかと思い探してみたら、どうもこのブログで映画に関して書いているのは、シャーリーズ・セロンの「モンスター」からでした。いずれにせよ、ニコール・キッドマンの映画で、僕が最初に観た映画は「めぐりあう時間たち」でした。それで味を占めたか?思えば遠くへ来たもんだ。その後、このブログにもたびたび書いている通り、ニコール・キッドマンの映画はけっこう観てますね。まあ、前置きが長いのが僕の欠点、そろそろ本題に。とはいえ、ただ「ニコール・キッドマンの映画」というだけで、「ザ・インタープリター 」の映画の内容はまったく分からないままで観に行きました。だいたい「インタープリター」の日本語訳も分からなかったのですから、内容が分かるわけがない、これも情けない話です。ただ一箇所分かったところは、コーヒーを飲むときにブラックかどうかとと聞くところ、白人か黒人かというのを聞き間違えたところです。


事件は、アフリカのマトボ共和国で生まれた国連通訳シルヴィアが、同国の大統領ズワーニの暗殺計画を聞いたと通報したことから始まる。それ以来、彼女の生活は一変。殺し屋たちのターゲットとなり、同時にシークレット・サービスの疑惑の対象になってしまう。そしてシルヴィアを"保護"する捜査官ケラーは、彼女の過去を探るうちに彼女自身が陰謀に関わっているのではないかとの疑いを深めていく…。シルヴィアの抱える"秘密"は、ケラーにとっては"嘘"でしかない。彼女は犠牲者か? 容疑者か? それとも───? 数週間前に妻を亡くしたばかりのケラーは、かつてマトボでシルヴィアが体験した悲痛なできごとを知るにつれ、彼女を守り通すことで自分のアイデンティティと愛を取り戻そうとするが……



国連通訳、つまりはインタープリターですけど、シルヴィア役がニコール・キッドマン、そしてその相手役シークレット・サービスのケラー役がショーン・ペン、この2人の意外な組み合わせ?なにしろ僕はショーン・ペンも初めて、最初はイヤミでショボイおっさんだったショーン・ペンが、次第にいい男に見えてくるのだから不思議なものです。インタープリターのコールキッドマンは、バリバリのキャリアウーマン。サッソウと黒目のスーツを着こなし、大股で国連の中を闊歩する。顔は小さいし、細身のスタイルはいい、なにしろカッコいいですね。



そうそう、この映画、初めて国連内部の撮影を許可されたことでも話題になったそうです。国連の前の広場も映像が出ましたし、隣接する公園も出ました。国連の全景も空撮で出ていました。最後のシーンは対岸の国連が遠景として見える場所でした。この「国連ビル」、元々はフランスの建築家、ル・コルビジュエが計画案を持ち込んだのですか、アメリカ人の建築家にその案のいいところだけをかすめ取られて実現されてしまったという、曰く因縁のある建物なのです。国連ビルのすぐ前に「フォード財団ビル」という有名な建物があり、若い頃見に行きましたが、その時に国連ビルは横目で見ました。当時は、建物の近くへは行けなかったんじゃないのかな?やはり、なんとなく薄っぺらな建物だなという印象でした。またまた脱線。



なにしろこの映画、よくできています。ごく控え目ですが、ジーンとくる大人の恋愛があります。なんと言っても社会派映画で、しかもサスペンス映画でもあります。アフリカでの虐殺事件や無差別テロ、そして国連ビル内での大統領暗殺計画など、深刻なテーマも真っ正面から真剣に描いています。アフリカで育ったシルヴィアは「国連の理念」を信じて疑いません。「革命の理念」はどこへ行ったのか。我が国も常任理事国入りを画策していますが、大国のごり押しで国連の存在理由を疑われている現在、はっきり言って「国連擁護」の映画といってもいいでしょう。映画は中盤からラストまで、息をもつかせぬ展開で手に汗を握ります。殺し屋とシークレットサービスのやりとりは、丁々発止、克明に描かれています。多くは言いませんが、バスの中でのシーンは見事なまでの緊迫感です。



やや難を言えば、シルヴィアが故郷アフリカで体験した悲惨な出来事に比して、数週間前に妻を交通事故で亡くしたばかりのケラーの悲しみの描き方、伝わり方がやや薄い感じがしました。この二人のそれぞれの悲しみが補完的に相まって映画になっているんですけど。ニコール・キッドマン、こんな役もやるんだ、新境地、といったところでしょう。ショーン・ペン、けっこうジワーッとくるいい男じゃないですか。監督はシドニー・ポラック、製作者・監督・俳優としても存在感のある人物だそうで、名前だけは憶えましたので、注目しましょう。久しぶりに見応えのある作品でした。

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2005年05月28日 01時06分21秒

ナナちゃん人形と名古屋気質

テーマ:道々寄り道だよん

愛知万博(愛・地球博) へ行くときに、といっても、最初の日は「明治村 」へ直行したので、名古屋へ帰ってからの話なんですが、JRのコンコース辺りで、愛知万博のチケットを持っていないので、どこで売っているのかを調べるためにいろいろなところで聞きました。まず万博案内所のようなところで聞いたら、JTBへ行けと言われたので、駅前広場の向こうまで行ったところ、閉まっていたのでまた戻ってきたら、聞いたところはもう閉まっていたり、JRの人に聞いたらキヨスクへ行けと言われたけど、キヨスクも閉まっていて買えませんでした。結局は次の日に、名鉄の地下でシャトルバスのチケットと一緒に買うことになるんですが。実はこの他にも、味噌カツを食べたいけど、どこで食べればいいかということを道行く人に聞いたときも、名古屋の人は冷たかったんですよ



「まずは直行しようと決めて、JRの案内の人に聞くと、名鉄だから一旦外へ出て『ナナちゃん人形』の横をなんたらかんたらと言われて、結局よく分からないけど、とりあえず言われる通りに行ってみました。名鉄の地下で切符を買って、今度はグルグル廻されて、やっと4階のシャトルバスまでたどり着きました。シャトルバスに乗るまでの名古屋の人の冷たいこと、まあここでは多くは言いませんが。」という話をこのブログに書いた ところ、celebbeauty さんという方から、ていねいなコメントをいただきました。「名鉄バスセンターのシャトルバスの乗り場が分かりにくいのは、利用している人は郊外の通勤・通学手段にしている人で、名古屋人でもあまり知らない人もいるので、きちんと案内ができなかったと思うので、代わりにお詫びします。」というものです。これには感動しました。このコメントで、名古屋の人に対する不快な気持ちが、全部吹っ飛びましたよ。って、単純なんですが。



さて、話の中に出てくる「ナナちゃん人形」ですが、その時はカッカして先を急いでいたので、しっかりとは見ませんでした。ただ単に、おっとピンクの水着だよ、それにしても でっかい人形だよね、名古屋の人はこんなものが好きなんだと思っただけでした。「ナナちゃん人形」、名古屋の人は当然知っているので、どこにあるのかを聞く人はほとんどいないのでしょう。よそから来た僕らは、それがどこにあるのか、どんな人形なのか、まったく分からないので、「ナナちゃん人形」を探すのに苦労しました。調べてみると「ナナちゃん人形」には「名古屋人気質」が出ていて、なかなか面白いと思いました。そんなわけで、「ピアノマンが、立って歩いた」というほどのインパクトはないにしろ、画像を集めてみましたのでここに掲載しておきます。



ナナちゃん人形」は、昭和48(1973)年4月28日生まれ、というから、もう30年以上も同じ場所にあるんですね。これについては疑問もありますが。名前は公募で決定とされていますが、ただ単純に、「ナナ」は名鉄百貨店セブン館、つまり「名鉄セブン」の「」からきているようです。身長は6m20cm、体重は600kg、B270 W180 H215とあります。なにしろでかい、そして、ひょろ長い。「名鉄セブン」の前の歩道にそびえ立つ巨大なマネキン人形です。出身はなぜかスイスで、身体は FRP硬質塩ビ樹脂で出来ています。大きいものや変わったものが好きな「名古屋人気質」がここにはっきりと表れています。



夏は水着、冬はサンタクロース、バーゲン時には はっぴ姿などの衣装に身を包み、行き交う人々の目を楽しませています。僕は当然、毎回毎回、ナナちゃんの衣装は着替えるものとばかり思っていました。ところが、調べてみると、なんと、衣装を着ていないときの方が多いことが分かりました。普通じゃ考えられません。つまり、人通りの多い歩道の真ん中で、ナナちゃんは一糸纏わぬ素っ裸だというのです。襷だけをつけた画像もありましたが、素っ裸の画像も見つけました。スッポンポンですよ、本当でした、いやぁ、驚きました!でも、名古屋の人は平気ですね。あれっ、髪の毛もないよ。後ろ見回って腰の辺りを見ると、長年立ち続けた結果か、お疲れなんでしょう、サロンパストクホンの張った後がはっきりと見えます。



そういえば、名鉄セブンの中の売店では、ナナちゃんグッズ、お弁当箱や傘、キーホルダーも販売されていました。名鉄のクレジットカードはNANAカードと言うらしい。ナナちゃんは名鉄のマスコットでした。そうそう、思い出しました、明治村の経営も名鉄でしたね。「名古屋気質」を知りたいと思っていたところ、井上章一の「名古屋と金シャチ 」という本がタイミングよく発売されたらしい。是非とも買って読まなくちゃ!


名古屋名物きょうのななちゃん

過去のナナちゃん2001年

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2005年05月27日 00時03分00秒

明治村の「帝国ホテル中央玄関」は素晴らしい!

テーマ:なぜかケンチクでも

明治村の報告でなにか抜けてたんじゃないかと言われれば、やはり分かっちゃいましたか。そうです、明治村の一番の目玉「帝国ホテル」が抜けていました。抜けていたと言うより、最後にとっておいたというのが正しい言い方です。今回一番見たかったのは、当然ですが、「帝国ホテル中央玄関」です。15年前と20年前の2回見ましたが、それからだいぶ時間が経っています。最近では篠田正浩監督 の作品、映画「スパイゾルゲ 」で、この建物を使って撮影し、ロビー周辺の映像がたくさん出てきました。





帝国ホテル中央玄関」は、日比谷に建っていた「帝国ホテル」の一部で、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの設計したものです。1967年に解体されたものを、中央玄関部分のみ明治村に一部移築されたものです。1923年に落成した建物ですので、その建っていた期間は僅か44年でしかありませんでした。落成式の日が関東大震災の当日だったことも歴史の奇遇です。1923年9月8日付、シカゴにいたライトよりサリヴァンに宛てた手紙には、彼の気持ちが表れています。「東京からの電報が手に入りました。帝国ホテルは無事です。全く損害は無いそうです。さあ、元気を出して、我々の未来は開けました。」





この移築に関しては、「帝国ホテルを守る会」の保存運動が起こり、時の首相であった佐藤栄作から直接、谷口吉郎へ依頼があったそうです。ライトの設計図も残っていない、「建築基準法」では許可されない建物で、移築工事は困難を極めたようです。しかし、新材料を考案したり、構造の補強をしたりで、明治村開村後11年目にして、なんとか外形が整えられました。僕は帝国ホテルが日比谷にあった頃、何度か見に行きました。宿泊棟の廊下をくまなく廻ったり、宴会場のロビーをうろついたり、玄関ロビーではお茶を飲んだこともありました。





今回、明治村の帝国ホテル、前に見たときよりも敷地に馴染んで、ますます素晴らしさを発揮していました。やはり大谷石の風化は免れないので、かえってそれがいい感じを醸し出しています。ロビー周りの吹き抜けは、大谷石とスクラッチタイルで出来ています。高さも何段階かに変化があり、見え隠れする空間です。自然光と人口照明のバランスが素晴らしい。コーヒーを飲みながら、しばらくその空間に浸っていました。





日本で見たライトの作品
帝国ホテル 1923年竣工 1968年解体 一部明治村に移築
帝国ホテル別館 1920年竣工 1968年解体
山邑太左右衛門邸 芦屋 1924年竣工 現淀川製鋼所迎賓館
*日本での作品で見ていないもの
林愛作邸 東京 1917年竣工 現電通八星苑
福原有信邸 箱根 1920年竣工1923年関東大震災により倒壊
自由学園明日館  東京 1922年竣工


アメリカで見たライト作品
ユニティ教会 1904年 イリノイ州オークパーク
ジョンソンワックスビル 1936/1944年 ウイスコンシン洲ラアシン
V・C・モリス商会 1948年 サンフランシスコ
ベス・ショロム・シナゴーク 1954年 ペンシルヴァニア州エルキンス・パーク
グッケンハイム美術館 1956年 ニューヨーク
マリン郡庁舎 1957年 カリフォルニア州サンラファエル
アメリカで見た住宅作品
ロビー邸 1906年 イリノイ州シカゴ
カウフマン邸(落水荘) 1935年 ペンシルベニア州ベアラン
ジョンソン邸(フォーウイングス) 1937年 ウィスコンシン州ウィンド・ポイント
オークパークの住宅多数(外観のみ)


改訂版カラー明治村への招待
木村毅、野田宇太郎、谷口吉郎
昭和55年7月23日改訂初版
定価1500円(発売時)
発行者:納屋嘉治
発行所:株式会社淡交社

(絶版かも?)




過去の関連記事:
グッゲンハイム美術館展
いまはなき美術館

メイキング・オブ・ブレードランナー


6月8日はライトの誕生日
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2005年05月26日 09時39分04秒

茅葺きの棟にアイリスがびっしり!

テーマ:なぜかケンチクでも

朝日新聞日曜版「奇想遺産」という紙面に、「マレ・ベルニエ村の芝棟 」というタイトルで、屋根にびっしりと花が咲いている茅葺き屋根が紹介されていました。マレ・ベルニエ村とは、フランスのオート・ノルマンディー地方ウール県の、セーヌ川が海に出るあたりに位置しています。家が246軒、人口は461人という小さな村です。この花はアヤメ科のアイリスで、アイリスの根元の土盛りは多肉植物のセダムが固めています。約40軒ほどの屋根に咲いているそうです。紹介しているのはご存じ建築史家で建築家の藤森照信 。藤森は自邸の屋根にはタンポポを植え、赤瀬川原平の家にはニラを植えたことで有名です。藤森については過去に「柱は魂の発射台だった!  」という記事を書きました。 藤森の活動はよく知っていたんですが、この「マレ・ベルニエ村の芝棟 」は、僕はまったく知りませんでした。茅葺き屋根はフランスにもあるんですね。しかも屋根の一番高いところに一列に花を植えるなんて、これは美観的にも素晴らしい。


マレ・ベルニエ村の芝棟

茅葺きの棟にアイリス

だか待てよ、茅葺き屋根なら日本にもたくさんありますね。ここで記事にも書きました が、茨城県の常陸太田郊外にある水戸黄門が晩年を過ごしたという「西山荘 」、あれも確か屋根に花が咲いていたな。と思って以前撮影した画像を調べてみたら、なんとしっかり写っているではないですか。実際に見たときは、ああそんなもんかと気にも留めませんでしたが、思わぬところに飛び火しましたよ。そうか、これが「芝棟」というのかと初めて知りました。この花は、同じアヤメ科のイチハツというものだそうで、日本では他にヤマユリカンゾウニラが植えられているようです。


常陸太田の西山荘

茅葺きの棟にイチハツ

これは面白いと、少し調べてみると、いろいろと出てきましたが、いつ始まって、どうしてこんなことをしたのか、詳しいことは分かりません。この「芝棟」、かつては日本全国に分布していたようですが、近代化や過疎化による茅葺き屋根の衰退とともに減少してしまいました。江戸時代の儒学者、貝原益軒の著書にイチハツを植えた芝棟の記録があるそうです。浮世絵にも描かれているようで、安藤広重の東海道五十三次に芝棟が見られるそうです。近年残っているのはほとんど関東以北、主に東北地方が多いようです。


いろいろ調べていると、「芝棟・新郷プロジェクト 」なるものを見つけました。芝棟は、現在は岩手県北部青森県南部のみに存在すると言われています。青森県には、集落単位では、新郷村の西越集落(茅葺き6棟、トタン4棟の計10棟)が、かろうじて残っているという状況です。高度経済成長以降、茅葺き民家を維持していた助け合いの仕組みは失われ、茅葺き民家を取り巻く環境は厳しい現状ですが、この全国的に希少な芝棟集落を、未来のこどもたちに引き継ぐ宝物として保存・活用の道を切り拓くためにと、活動を行っているようです。この「芝棟・新郷プロジェクト 」、美しい日本の農村風景を後世に伝えて行くという大切な活動だと思います。


芝棟・新郷プロジェクト

そうそう思い出しました。ここでも「ムーミン屋敷」のことを記事にしました が、よく見てみると屋根に草がたくさん生えていました。芝屋根と有機的なフォルムが一体となったデザインですね。環境先進国ドイツでR.シュタイナーの思想を学んだ建築家村山雄一の作品です。


ムーミン屋敷

2001年4月に東京都は「屋上緑化」を条例で義務づけました。都内の各区では、屋上緑化を行う場合、1㎡当たり1万円の補助金がもらえるようになりました。はたして「緑の屋根」は、私たちが直面する環境問題を解決する手段になりうるのでしょうか。日本の芝棟については、亘理俊次著「芝棟 屋根の花園を訪ねて 」(八坂書房)が詳しいようなので、本屋で探してみようと思います。

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2005年05月25日 00時03分00秒

「ピアノマン」を書けと言われても・・・

テーマ:日々のあれこれ

音楽家のW氏からと久しぶりにメールは入り、「ピアノマン」について記事として書けとのお達しがありました。W氏はこのブログの一番の読者でもあります。そうは言っても、音楽と語学は僕の一番苦手とするところですし、情報が海外からのものだけですし、つまりメディアを通してしか情報がないので、ただただ困惑しています。「ピアノマン」については記事にするのは、出遅れた感がありますが、もしかしてまだご存じない方もおられるかも?しつこい、飽きた、ほかに話題はないのかいといわれるのを覚悟で、とりあえず、新聞の記事と手に入った画像で取りまとめてみましたが、果たして真意を伝えているでしょうか?また、Wさんのお気に召しましたでしょうか?



謎のピアノマン…英で保護の男性、無言で見事な演奏
先月7日、英国南東部海岸のシアネスで、ブランドの黒いスーツを着てずぶぬれになっている金髪男性が保護された。20代か30代とみられる男性はおびえた様子で一言もしゃべらず、病院に収容された。しかし、紙を渡されるとグランドピアノの詳細な絵を描き、ピアノの前に連れていくと、チャイコフスキーの「白鳥の湖」からビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」まで、長時間にわたって見事に弾きこなしたという。この話が「ナゾのピアノマン」として英国で報道されると、欧州各地から500件を超える身元照会の問い合わせがあった。英BBC放送は、ハリウッドが、この男性をモデルにした映画製作に関心を示していると報じている。
(2005年5月19日読売新聞)



ピアノマンに音楽療法…依然、身元は不明
先月初め、英国南東部ケント州の海岸で保護された「謎のピアノマン」に、ピアノを使って意思疎通を図る試みが始まった。この男性は、保護されて以来、見事なピアノ演奏を披露したものの、一言もしゃべらず、依然、身元不明のまま。男性の収容先である精神病院は、部屋にピアノを持ち込み、音楽療法を試みていることを明らかにした。病院によると、まだこのピアノは弾いていないが、これまでに作曲をしたこともあるという。各国メディアで大きく報じられたため、世界中から1000件以上の身元に関する情報が寄せられているが、まだ身元は特定されていない。外見から東欧出身ではないかとの見方もあり、これまでポーランドやバルト出身者が話しかけたが、まったく反応はなかった。
(2005年05月21日読売新聞)



ピアノマンはドイツ人?地元の人は「写真そっくり」
「謎の『ピアノマン』はドイツ人」。イタリアで得た新たな証言を手がかりに、「故郷」の可能性が浮かび上がったドイツを訪ねました。謎の「ピアノマン」は2001年の11月、20日間ほどイタリアのホテルに滞在し、ピアノを何度か弾いたということです。ホテルオーナー・ピンチェッリさん:「身分証で身元を確認してから、このホテルに泊まり始めた」、「置いてあった妻のピアノを見て『弾いて良いか』と尋ね、弾き始めた」この「ピアノマン」と思われる人物は、ミヒャエル・バルトリンクと名乗り、住所は南ドイツのケンプトン、出身は北ドイツのヴォルフスブルクという町になっていました。ミヒャエル・バルトリンクさんは、ドイツの実家で両親とともに暮らしていたということです。「『ピアノマン』の写真はミヒャエルさんそっくりだ」と近所の人は皆口をそろえます。しかし、真相はイギリスにいる「ピアノマン」本人の口から語られる以外、明らかになりそうもありません。
(2005年05月24日テレビ朝日)

この説は結局空振り、バルトリンク氏によって否定されました。(25日)


「ピアノマン」は映画の宣伝か?

また、この「謎のピアノマン」、映画のストーリーに似通ってるというものです。ひとつは、「シャイン」という、実在のピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いたという作品です。オーストラリアからイギリスの音楽大学に留学し、演奏中の倒れます。精神を止み、長い病院暮らしが続きます。周りのものは彼がピアノの天才であることを知りません。ある日、ふとしたキッカケでピアノを弾き、周囲の人を驚かせてしまいます。

もうひとつは、「ラヴェンダーの咲く庭で」というものです。1936年、イギリス、コーンウォール地方。ジャネットとアーシュラの姉妹静かな日々を過ごしていた。そんなある日、1人の青年が嵐の去った浜辺に打ち上げられる。アンドレアと名乗る異国の若者を、2人は我先にと競って看病する。徐々に英語を覚える彼との楽しい会話、その指が奏でるヴァイオリンの音色への驚きを味わいながら、というものです。こちらはピアノではなく、ヴァイオリンの演奏者ですが。


狂言説売名行為、等々、様々な説が飛び交っていますが、これだけ情報が発達し、マスメディアで取り上げれれっているのに、ほとんど手がかりがないというのもおかしな話です。そう思うと、ますます陰謀説が前面に出てくるのかも?


「シャイン」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000244RLM/250-9495720-3948263
「ラヴェンダーの咲く庭で」
http://www.herald.co.jp/official/lavender/index.shtml

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2005年05月24日 09時04分56秒

「旧古河庭園」を見学して

テーマ:道々寄り道だよん

時間が空いたので急に思い立って、「旧古河庭園 」へ行ってきました。その日の新聞に、ちょうど薔薇が見頃だと紹介してあり、地下鉄南北線の「西ヶ原」駅下車徒歩7分というのも、気楽にいってみようと思ったきっかけでした。半蔵門線の「永田町」で乗り換えて「西ヶ原」までですから、僕のところからそれほど時間もかかりません。JR京浜東北線「上中里」駅からも徒歩7分、JR山手線「駒込」駅からでも徒歩12分、「交通の要」みたいなところにあるので、どこからでも行き易い感じです。


というのは、行こうと思ってから調べてみて、こんなに簡単に行けるんだと分かったからで、実は、北区方面、東京で言えば東よりはまったく不案内な場所で、ほとんど行ったことがありません。以前から「旧古河庭園 」の名前も、コンドルが設計した洋館があることも聞いてはいたんですが、なんとなく足が向きませんでした。その日の新聞の記事によって重い腰を上げたという感じでした。出たのが1時過ぎだったので、気持ちだけは焦っていました。行ってみれば思った以上に近い感じでした。


北側外観・玄関部分

東側外観

武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。この土地はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、宗光の次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました(当時の建物は現存していません)。

現在の洋館と洋風庭園の設計者は、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に多大な貢献をした英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852~1920年)です。日本庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860~1933年)で、洋風庭園に勝るとも劣らない魅力的な名園を造りあげています。旧古河庭園 は、大正初期の庭園の原形をとどめる貴重な存在であり、昭和57年8月4日に東京都の名勝に指定されました。
以上、(財)東京都公園協会 の配付資料による。


東南側外観

西南側外観

ジョサイア・コンドルに関しては、このブログでも何回か記事にしました。「川鍋暁斎 」、「旧岩崎庭園 」、等々、他にも書いているかも知れませんが。なにしろ明治政府の「お雇い外国人」であり、日本が初めて西欧風の建築を作り出す「」になった人です。東京駅 を設計した辰野金吾や、赤坂離宮 を設計した片山東熊は、工部大学校造家学科でのコンドルの教え子です。


アンネ・フランク

まあ、それはそれとして、この「旧古河庭園 」なんですが、洋館を見るのには事前に往復葉書による申し込みが必要なんですね。それは当然知ってはいましたが、今回は突然思い立ったので、まあ、敷地の中に入れて庭園を見ることと、洋館の写真が撮れればいいかと思ったわけです。行ってみたら洋館へはいる人が並んでいたので後で調べてみると、好評なので、葉書による申し込み以外にも、1日に2回、午前と午後、その時間に並べば入ることが出来たようでした。それも、後の祭り、ということで。外壁は伊豆真鶴産の赤みをおびた新小松石(安山岩)ですが、住宅建築としてはやはり暗い感じがします。


マリア・カラス

ダイアナ

洋館の室内は後日見学させていただくとして、「西洋と日本が調和する、歴史的な名園」、聞きしにまさる素晴らしい庭園でした。春夏秋冬、それぞれの季節にこの庭園を散策して、初めて良さが分かるというものです。西洋庭園は、イギリス人のコンドルが、フランス式の幾何学模様の刈り込みの庭園を造りました。はサクラ、ツツジ、ボタン、バラ、はハナショウブ、はヒガンバナ、バラ、サザンカ、モミジ、はウメ、ツバキ、等々。洋館と茶室は、(財)大谷美術館が管理しています。ここでは洋館の外観と、名前が面白かった薔薇のみをここに載せておきます。

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2005年05月23日 09時22分33秒

博物館明治村へ行って来た!

テーマ:なぜかケンチクでも

博物館とはいえ「明治村 」と言うからには、当然のことながら「村長」がいます。現在の村長さんは小沢昭一ですね。初代は徳川夢声、二代目は森繁久彌です。そして三代目小沢昭一へと続きます。村長室はというと「東山梨郡役所」内にあります。そこに小沢村長ががいつもいます。と言っても、等身大の写真ですが、並んで写真を撮ることが出来ます。


聖ヨハネ教会堂

西郷従道邸

明治村の始まりは、というと、なんと同窓会なんですね。1960年(昭和35年)頃、東京工業大学教授で建築家の谷口吉郎と、当時名古屋鉄道の副社長を務めていた土川元夫は、同窓会で「明治時代の素晴らしい建築物がみすみす破壊されてしまうことは実に惜しいことだ」と明治村の構想を話し合ったそうです。明治村2丁目に「第四高等学校物理化学教室」があります。ちょっと地味な建物ですが、玄関を入って左側の壁に二人のレリーフが並んで飾ってあります。同窓会とは、二人が卒業した金沢にあった旧制第四高等学校のことです。谷口吉郎は初代明治村の館長に就任しました。


三重県庁舎

東山梨郡役所

早くも次の年の1961年10月に、明治村設立準備打合会が開かれます。初代村長には徳川夢声が就任します。1963年4月、地鎮祭がとり行われます。そして、1965年(昭和40年)3月18日、「博物館明治村 」が開村します。わずか5年ですよ、二人が同窓会で語り合ってから、開村まで。われわれ凡人は同窓会というと、飲んで食べて大騒ぎをして、はいお終い、ですけど、エライ人はちょっと違うんですね。この辺は見習わないとね。


札幌電話交換局

工部省品川硝子製造所

明治村は開村から40周年を迎えたそうで、様々なイベントが行われました。現在、愛知万博開催記念ということで、「百年前*体験博」を行っています。百年前の「のりもの」、百年前の「グルメ」等々、百年前にちなんだイベントが行われています。「乗物一日券付入村券」を買って、蒸気機関車にも京都市電にもバスにも乗りました。愛知県出身の小説家村井弦斎が「食道楽」の中で紹介している材料と調理法を基に再現した、百年前のカレーパンもコロッケも食べました。お昼は「大井牛肉店」で牛鍋でもと思いましたが、予約制だったので、ぐ~っと質素に「京都七条お休み処」で鰊蕎麦をいただきました。なんだ、食べることばっかりとお思いでしょうが。


聖ザビエル天主堂

金沢監獄正門

朝、新幹線で東京を発って、名古屋から名鉄犬山駅まで、そこからバスで約20分、明治村に着いたのはちょうどお昼前でした。それから閉村の5時まで、わずか半日ですから、かなりの急ピッチで見て回りました。村内は5つのブロックに分かれています。ネットで「おすすめ見学ルート」が幾つか設定されているんですが、一番長いコースが歩行約7キロ、時間は約4.5時間とありました。同じ時間を廻ったつもりでしたが、それでも3分の1も見られませんでした。が、しかし、いい天気に恵まれ、久しぶりに楽しい一日でした。「森鴎外・夏目漱石住宅 」は前に紹介しましたが、その時に撮った画像をここに掲載します。


「博物館明治村ガイドブック」
博物館明治村 編集
平成16年3月12日発行
株式会社名鉄インプレス

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