1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /
2004年11月30日 10時19分59秒

南伸坊の歴史上の本人

テーマ:本でも読んでみっか
「本人に聴け。歴史には様々なナゾがある。解明したけりゃ本人に訊くしかない。南伸坊はそう思い、そのようにした。」どうよ、こんな本!

歴史上の本人 」南伸坊 1997年1月1日発行 日本交通公社出版事業局

この本はオモシロイ。というか、こんなことをやってしまう南伸坊さんがオモシロイ。そんなことをやらせているのが、秘書兼カメラマン兼スタイリストの奥さん、南文子さんはエライ人なのですよ。なにしろ、オモシロイ。よくもここまでやるもんだ、と、一般人は思います。前に紹介した「笑う茶碗 」を見れば、というか、読めば、奥さんがどんな人かが、二人の関係が「赤裸々」に綴られているのでよくわかります。

シンボーさんが各地を旅してなりきった人物は、以下の通り。二宮尊徳、金太郎、仙台四郎、松尾芭蕉、シーサー、キジムナー、徐福、聖徳太子、大村益次郎、大国主命、左甚五郎、清水次郎長、樋口一葉、西郷隆盛、小野道風、天狗、織田信長、運慶の18人!

なかには本当にいたかどうか分からない人、というか動物までもいるから、まあ、そこはいろいろあるでしょうけど、沖縄まで行ってシーサーにもキジムナーにも、ん?左甚五郎ってどんな人?なにしろシンボーさん、この18人になりきってしまったのだ。つまり「歴史上の本人」にですよ。この本は歴史上類例を見ない本人による歴史ルポ、名作ですよ、名作!

南伸坊は1947年東京生まれ、私塾「美学校」赤瀬川原平教場を卒業、月刊漫画誌「ガロ」の編集長を経て、80年よりフリーになる。イラストレーターという肩書きである。がしかし、読めば分かるけど、名文家、でもあります。そうです、赤瀬川原平、藤森照信らとの「路上観察学会」の活動は、つとに有名です。

で、次、こんな本もあるよ。というか、もうここまでくれば、シリーズ本ですね!
「金正日からアニータまで、養老孟司から森喜朗まで、ボブサップからタマちゃんまで、叶美香から田中真紀子まで、近年の有名人を網羅して、顔面の真理に迫る問題の書」と、帯には書いてある。写真と併せて載せてある文章が、これまた本人が書いたようで、オモシロイ。

本人の人々 」南伸坊 2003年11月20日発行 マガジンハウス

この本もオモシロイ。なにしろ顔だけですよ、顔だけ。顔だけで本人になりきる、んじゃなくて、本人になりすます。「顔マネ」と言えばわかりやすいんだけど、シンボーさんはそうは言いません。「本人術」と称しています。なりすます、といっても、まったくのところ、シンボーサンには悪気はありません。この本も、秘書兼カメラマン兼スタイリストは当然奥さんの南文子さんですよ。内助の功、というか、夫唱婦随、というか、もう一心同体ですね。ホント、うらやましい!

おお、そうそう、「南伸坊とお母さん展」をやった「昭和のくらし博物館 」で、シンボーさんとツーショットの写真を撮らせてもらったという知人がいるけど、あれって、シンボーさんになりきった、なりすましたシンボーさんだったんじゃないの?
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月29日 11時48分07秒

二度結婚し、二度離婚した。

テーマ:本でも読んでみっか
電車男」新潮社 364ページ 著者:中野独人(なかのひとり)『インターネットの掲示板に集う独身の人たち』という意味の架空の名前。

電車男」という本は、日本最大のインターネット匿名掲示板として名高い「2ちゃんねる」の「書き込み」を本にしたものだということぐらいは、ブログでも取り上げて書いている人もいますし、まあ、それをここででどうこういうつもりもありません。おおよその人は「電車男」という本がどういう本かということぐらいはご存じの方が多いでしょうが、そうはいっても2ちゃんねる時代から同時参加していた人はもちろんほとんどいないでしょう。この本を買って読む人は、つまりはベストセラーですから、旬の話題を人より先に知っておきたい、そしてオレ読んだよと言いたい人か、まあ、大勢に流されやすい人なんでしょう。(あれっ、大勢ってこういう字でいいのかな?)かくいう僕はたぶん、いや絶対にこの本を買って読んだりはしないと思うけど・・・

と、まあ、そんなことを言いたいのではなくて、この本「電車男」を書評として取り上げて書ける人は、たぶんこの人しかいないだろうと思っていたのですが、僕の勘は当たりましたよ。そうです「高橋源一郎」です。朝日新聞、昨日の朝刊、書評欄で「電車男」を取り上げて、源サン、書いていました。「5月17日」を消し去ることで、この作品は、見事に「純愛」の顔つきをすることに成功している、と。この書評が的確、とはいえ僕は読んでいないので的確と言えるかどうか分かりませんが、要を得てるということで、しかも、面白い。やっぱり「書評」はぐいぐい読ませなくちゃ!

高橋の評論は本のタイトルだけでも面白く、そして読みたくなる。1989年「文学がこんなにわかっていいかしら」、1992年「文学じゃないかもしれない症候群」、1993年「文学王」、1997年「いざとなりゃ本ぐらい読むわよ」、1998年「文学なんかこわくない」、1999年「退屈な読書」と、手元にある単行本だけでもこれだけある。

「電車男」に捕まりたくないと思いながら、結局捕まっちゃったよ。まあ、次の話題、高橋源一郎の『私生活』って本、集英社刊ですけど。

表の帯には、作家の狂おしき5年間 これを書いている間、二度結婚し、二度離婚した。死ぬかと思った。そして裏の帯には、1999年から2003年までの5年間、高橋源一郎は、離婚、結婚、破局、再び結婚など、世間を大いに騒がせていた。「本当のことは書かない」という作家が、当時月刊「PLAYBOY」に綴ったエッセイには「私生活」を暗示するヒントが散りばめられている。文学、音楽、度、ワイン、競馬、家族、そして女性・・・。日常の中に、作家の真実の姿がある。とあります。

この本は、「原宿の私生活」「沼袋の私生活」「鎌倉の私生活」と時間軸に沿って書かれています。どれもとても面白いし刺激的なのです。そして最愛の母が亡くなり、その遺影でこの「私生活」は終わっています。

4年とちょっとのこの期間、私生活でいろんなことが起きた高橋は、信じられないことに、2001年「日本文学盛衰記」、2002年「君が代は千代に八千代に」、「官能小説家」等々、本業の方も文学的な成果をしっかりと上げているのだから驚きです。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月28日 15時05分18秒

新興数寄屋の教祖・吉田五十八

テーマ:なぜかケンチクでも
吉田五十八のことは五島美術館の設計者としてちょっと書きましたが、戦後日本を代表する建築家です。芸大教授で、芸術院会員で、文化勲章受章者です。そうはいってもご存じの方は極々少ないかもしれません。じゃあ、これなら知ってるでしょう、「太田胃酸、い~い薬です!」のCMでおなじみの薬。吉田五十八は、太田胃酸を経営する家に日本橋で生まれました。「五十八」と書いて「いそや」と読みます。父親が58歳の時の子供だったので「考えるのも面倒だから、俺の歳を名前にしちまえ」と、言ったとか、言わなかったとか?15歳の時に母方の実家を継ぎ吉田姓になります。

19歳で東京美術学校に入学、病気を理由になかなか卒業しないで、そこでたくさんの将来のクライアントに出会うんですね。また姉の影響で、このお姉さんが五十八を甘やかせて育てた張本人、その影響で五十八も趣味人で、長唄やおの関係でも交友が広い。設計した作品は、住宅では「小林古径邸」、「杵屋六左衛衛門別邸」、「吉屋信子邸」、「山口蓬春邸」、岩波茂雄の「岩波別邸」、「吉住小三郎邸」など、そうそうたる名前が並んでいます。また料亭では一流どころが目白押し、「ぼたん」や「つる家」、「金田中」や芥川賞の選考会をやるので有名な「新喜楽」。その他に「歌舞伎座」、「大和文華館」、「五島美術館」、「外務省飯倉公館」や、「中宮寺本堂」、「成田山新勝寺本堂」も、まあ、イヤというほどありますね、挙げればキリがない。これだけクライアントに恵まれた人もそうはいません。新興数寄屋の教祖、しかし、建築界からの評価は意外に低い?そこが不思議なところなんですが、まあ、それはそれとして・・・

で、画像にアップしてある「吉田邸」の話。吉田は1944年に二宮町に居を構え、自邸を設計しました。当時は床面積が30坪に制限されていましたが、その後増築を重ねて50坪ほどの床面積になっています。建築家の自邸は、よくその考え方が表れると言われています。しかし吉田も1974年に亡くなり、夫人も亡くなり、持ち主が変わったことで、1998年5月に日本建築学会は保存要望書を出します。そこに吉田邸の特徴が余すところなく書いてあります。
「この自邸は彼のデザインの本質である簡素な造形のなかに日本的な美しさを求めようとする建築思想をきわめてよく表現したものであり、日本の近代住宅建築史の中でも貴重な建築であります。また表門から玄関前庭と座敷から続く南の主庭の巧みな大和絵のような空間は、芝庭に日本庭園の構成を込めた和洋折衷的な試みを示したもので、吉田の自邸と一体をなす庭園として貴重なものです。」とあります。要は、現在の持ち主に対して、個人住宅といえども貴重な文化遺産なので、将来共なんらかの形で保存を考慮して欲しいという、勝手に壊さないで欲しいという要望ですが。

僕が吉田の作品で知ってるのは、住宅や私的な建物が多いこともありますが、意外に少ない。先日見た「五島美術館」、これは簡素な作品です。それから清水谷公園の前、ニューオータニの新館のところにあった「紀尾井町の家」、これは水谷八重子の家ですね。もちろん壊されてしまいましたが。それから昭和43年の「中宮寺本堂」、これは法隆寺夢殿の隣、というか、奥にある尼寺です。池と堂とが組み合わされて浮き御堂の形になっていて、「山吹寺」の名にかなうよう、池の周りには山吹が咲き乱れるというものです。夢殿まで行っても、その奥まで行く人は少ないのですが。

それから、赤坂一ツ木通りにある(というか、今もあるかどうか確認していませんが)美術工芸品店の「貴多川」、これは昭和45年の作品ですね。瓦屋根の木造2階建て、床面積はたった46坪しかなく、1階の前半分が店舗でうしろと2階が住まいという「ミニチュア作品」です。水沢工務店だったと思うんですが、工事中から随分丁寧な仕事をしているので、気になってずっと見ていましたが、それが吉田五十八の最晩年の作品だったとは、あとで知ったことでした。なにしろ正面右側にアルミパイプを組んだ下地窓風のショーウィンドウがひとつあるだけ、左側には入り口、貴多川という切り文字が京壁風仕上げに取り付けていて、お客は右に向きを変えて自動ドアでお店へ入るという小さなお店なんです。しばらく赤坂へは行ってないので、どうなったか?

世田谷の等々力には成田山の大衆性とは反対の静粛のお寺「満願寺」や、世田谷区に寄贈し世田谷トラスト協会が運営、自由に見学できる成城5丁目「猪俣邸庭園」があるそうです。近いうちに是非とも行きたいものです。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月27日 10時23分31秒

新明解国語辞典(第六版)

テーマ:本でも読んでみっか
ふつうの「世の中」で満足ですか?

ふつうの語釈 よのなか[世の中]
人々が集まり生活の場としているこの世。世間。社会。

新明解の語釈 よのなか[世の中]
社会人として生きる個個の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命をおわされているこの世。
一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望を抱かせる面とが混在するととらえられる。

シャープな語釈、実感あふれる用例 発刊以来累計1950万冊
日本で一番売れてる国語辞典の全面改訂版

今日の朝刊に掲載された「新明解国語辞典 (第六版)」三省堂 の文字だけの広告です。


新明解と言えば、やっぱり、赤瀬川原平の「新解さんの謎 」ですね。最初は文芸春秋、平成4年7月号に載った「フシギなフシギな辞書の世界」というエッセイです。「新解さんは、女に厳しい、カネがない。魚が好きで、苦労人。辞書の中にひそむ男の気配。」さすが、尾辻克彦のペンネームで芥川賞を受賞した人だけのことはある。さすが、千円札を模写して裁判になって戦った人だけのことはある。ぐいぐい読ませる。これは、ホント、面白い。平成8年7月10日発行、爆発的な売れ行きを示した本ですね。って、知ってる人は知ってる、知らない人は知らない。

もう一冊、夏石鈴子の「新解さんの読み方 」、1998年4月、リトル・モアより単行本を刊行、その後、角川文庫より平成15年11月25日初版発行。ん、夏石鈴子、誰?文芸春秋社の社員、最初は受付嬢、その後編集部に転属、赤瀬川原平を起用して「フシギなフシギな辞書の世界」を書かせた裏方。がしかし、「新解さんの謎」、あまりにも面白いので、続編がいつ出るのかとの問い合わせが続出。結局文春のHPに鈴木マキコつまりSMさんのペンネームで連載していたエッセイを、「新解さんの読み方」として出版しちゃった人物です。さすが、女性の感性、書き手が変わると、こうも違うのか?これも、面白い。

そうなんですよ、新解さん、映画に出てたんですよ、第4版ですけど。あの荒戸源次郎監督の「赤目四十八瀧心中未遂 」で、スクリーン・デビュー。主演の大西滝次郎君が冷蔵庫から出して朗読してるんです。映画を見てお確かめ下さい。
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月26日 10時04分17秒

その秋、私は静かに父の最後を看取った。

テーマ:本でも読んでみっか
普段はほとんど見ることのない、テレビの2時間ドラマを見ました。TBS水曜プレミア、文化庁芸術祭参加作品と銘打つ「無名 」です。番組表には「沢木耕太郎の感動ベストセラー実話ついにドラマ化!死を迎える父に息子が送る珠玉の親子愛・・・誰もが直面する家族の原点」とありました。松本幸四郎が沢木本人となり押さえた演技で好感が持てましたが、年齢がちょっと上過ぎるかな?父親役の大滝秀治がオーバーな演技でやや興ざめ。他に、母親に加藤治子、長姉に長山藍子、次姉に高畑淳子、妻に風吹ジュン、小出版社の社長に小野武彦。そうそう若い頃の父親役に杉本哲太、これは控えめな演技でよかったですね。テレビドラマということで、部分的に小説とは違ったところも数多くあり、まあその辺をどうのこうとといっても始まりませんが。

一日一合の酒と一冊の本があれば、それが最高の贅沢。そんな父が、夏の終わりに脳の出血により入院した。混濁していく意識、肺炎の併発、その後在宅看護に切り替えたのはもう秋も深まる頃だった。秋の静けさの中に消えてゆこうとする父。無数の記憶によって甦らせようとする私。父と過ごした最後の日々・・・。自らの父の死を正面から見据えた、沢木文学の到達点。
と、沢木耕太郎の作品「無名 」という本の帯に書いてあり、もうこれだけで「無名」の内容を余すところなく伝えています。

沢木耕太郎をスポーツライター、ルポライター、ノンフィクション作家と僕は勝手に理解していて、今まで一冊も読んだことはありませんでした。でもなぜか、この「無名」だけは発売と同時に気になっていて、比較的早いうちに読みました。いつ読んだかが正確には覚えていないんですが、本の奥付を見ると2003年9月15日第1刷発行となっているので、去年の11月頃までには読んだのだと思います。読み始める前は、老人問題、在宅看護、家で死ぬことなど、流行のテーマなのかなと、ちょっと誤解もしていました。しかしこの作品は、息子と父親との、子供の頃のやりとりが細かいところまでよく描かれていて、でもさらりと読めるのですが、久しぶりに読み応えのある作品でした。

たまたま去年の11月末に福島県の須賀川へ行く機会があり、そこに「円谷幸吉記念館 」があるというので訪ねました。記念館といってもお兄さんが自邸の一部を解放して、幸吉に関する大量のトロフィーや写真、その他の資料を散逸しないように保存、展示してあるものです。円谷幸吉は、いうまでもなく東京オリンピックのマラソンで活躍しながら、その4年後に自殺した人です。そこで「父上様、母上様、三日とろろ 美味しゅうございました。干し柿、モチも美味しゅうございました。」で始まる、あの有名な遺書 を見せていただきました。それがあったので、その後、古本屋で探して手に入れたのが「長距離ランナーの遺書」の入った文庫本「敗れざる者たち 」でした。「長距離ランナーの遺書」は、雑誌「展望」の昭和51年4月号に掲載されたものです。

ですから僕が読んだ沢木耕太郎の作品は、最新作、自伝的な沢木文学の到達点「無名 」と、スポーツライターとして沢木を確立した出世作「敗れざる者たち 」の二冊ということになります。
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月25日 10時24分06秒

京都冷泉家「国宝明月記」リターンマッチ

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記
国宝「明月記」は京都の冷泉家に伝わる藤原定家(1162―1241)の日記です。その全巻を展示してあるということなので、ちょいと出かけてみるかと、上野毛の「五島美術館」へ行った。ところが、いやはやビックリ、案に相違して長蛇の列。あまい、国宝がそんなに簡単に見られるわけがない。とりあえず今日は、すごすごと引き下がってきました。

と、まあ、20日の日にはこのブログにこう書いたのですが、このまま引き下がるのは悔しいので、昨日、行って来ましたよ、リターンマッチに成功、「国宝」を見て来ました。ホント「いわし雲」がすばらしい日でしたが、さてさて画像に五島美術館から見た「いわし雲」が上手く映っているかどうか?お天気もさわやかでしたが、なぜか先日よりは人が少なくて、とはいえ、熱心なファンが多いのか、そこそこの人が来てはいました。

国宝「明月記」は、京都の冷泉家に伝わる藤原定家(1162-1241)の日記である。偉大な歌人であり歌学者・古典学者の定家は、平安から鎌倉へと移る動乱の時代を生きた王朝貴族であった。80年の生涯を、克明に記録した国宝「明月記」全58巻を一挙公開。

定家は、19歳の治承4年(1180)から80歳で没する仁治2年(1241)まで日記を書いていました。そのうち国宝「明月記」(58巻、補写本1巻他)は、建久3年(1192)31歳から天福元年(1233)72歳までのものです。上流貴族の毎日を記録した膨大な日記の内容は、源平の争乱、京都の公家と後の鎌倉幕府となる武家との関係、宮廷の様子、故実・和歌文学等の様々な見聞があり、当時の政治・文化・社会情勢を知る上で第一級の史料であることは誰もが認めるところです。

と、まあ、ここまでチラシを引き写すだけでも大変!

さて、展示室に入ると薄暗く照明が落としてあり、ガラス張りの中に国宝「明月記」の巻物が展示してありました。なにしろ数が多いのには驚きます。虫食いなどは、国宝になるときに補修し直したと聞きました。そうそう、冷泉家から「発見」されたのは、確か昭和55年頃だったとか?達筆かどうかは分かりませんが、なにしろ書き慣れている「」がすばらしい。としか言いようがない。どうも「漢文」らしい?まあ、いくら見ていてもほとんど読めない、内容ももちろん分からない。「明月記」の一部は冷泉家から外部へ散逸しているらしい?他に、西行筆や源家長筆、慈円層状消息など、国宝・重要文化財のオンパレードでしたが。

「明月記」はそんなことで、ただ見たというだけに終わったので、後日、勉強しようと決心した次第。でも、五島美術館の庭園が、聞いてはいましたが、実際歩いてみてすばらしいということを発見。庭園の中の要所要所にある石灯籠六地蔵が、なんともはやすばらしい。ちょっと高低差がきついのが、お年寄りにはどうかなということはありますが。入園料100円ですから、四季折々にまた来て散策したいと思いました。

五島美術館」は、東急王国の総師五島慶太が、建築家吉田五十八に依頼して建てたもの。五島慶太は明治15年に長野県に生まれた。東京帝大法科を出て鉄道院に入り、その後東急の母体である目黒蒲田電鉄を設立。次々に私鉄を買収、合併してその規模を拡大していった。鉄道と不動産だけでなく、バス、デパート、映画と手を広げ東急王国を築いた。その後、文化事業にも力を注ぎ、五島育英会をつくり、学校経営なども熱心に進めた。昭和34年8月、美術館の工事半ばにその完成を見ることなく、五島は77歳の生涯を終えたという。
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月24日 10時31分43秒

旧公園資料館・篤志家、いでよ!

テーマ:なぜかケンチクでも
東京都は日比谷公園内にある「旧公園資料館」を貸し出す。明治時代の建築でバンガロー風木造2階建て。立地は抜群で、結婚式場やカフェなどにも使えそうだ。条件は有形文化財としての修復と耐震補強工事を借り主が自前で行うこと。6年前の見積もりではざっと8500万円かかるという。都はいったん自ら工事しようとしたが緊縮財政で予算が付かず、建物を閉鎖して5年がすぎた。民間活力を生かすと言いつつも、担当者の胸中は「篤志家、いでよ」といったところ。

朝日新聞の今朝の朝刊「青鉛筆」にこのような小さな記事が載ってました。それで思い出しました、「旧小笠原伯爵邸」のことを。ちょうど今から1年前、若い友人の結婚式に招待されたことで、いつかは見学したいと思っていた「旧小笠原伯爵邸」の内部を見る貴重な機会を得ました。案内状には「私たちは小笠原伯爵邸の料理と空間が気に入り、結婚式場として決めました」と、若い二人らしく書いてありました。

小笠原伯爵邸は1927年(昭和2年)に小笠原家30代当主小笠原長幹(ながよし)伯爵の邸宅として建てられました。江戸時代の九州小倉藩主、そしてあの小笠原流礼法の小笠原家です。敷地は下屋敷跡、現在は約1,000坪ですが、かつては20,000坪あまりあったようです。鉄筋コンクリート造、地下1階地上2階建て、建坪は約330坪、スパニッシュ様式の洋館は、当時の建築事務所を代表する「曾禰中條建築事務所」の設計によるものです。

戦後米軍に接収され、その後東京都の所有になり中央児童相談所として使われてきましたが、建物の老朽化に伴い昭和50年に閉鎖、以後20年に渡って放置され廃墟寸前まで朽ちていました。昭和55年に日本建築学会から強い保存要望が出され、東京都は取り壊しを断念、「事業者が費用を負担して建物を修復し、都民が広く利用できる事業を実施すること」を条件に借り主を公募した結果、インターナショナル青輪(株)が名乗りを上げました。貸付期間は10年間、土地建物共で月5万円という破格の家賃です。しかし修復費用は5億円とも10億円とも言われ、「ブライダルパーティーレストラン」としてリニューアルされ、2002年5月にオープンしました。

スパニッシュ様式の外観は、スペイン瓦や特製タイルの装飾壁面などにより優美な雰囲気を醸し出し、近代の住宅建築を語る上で貴重な特色を残しています。内部は各室の配置により当時の華族の生活のあり方がうかがえ、特に喫煙室の意匠は我が国では珍しいイスラム様式の装飾が施され、大理石モザイクタイル貼りの床、彩色漆喰彫刻の壁などの仕上がりは高く評価されています

建物はいくら素晴らしくても、使われなくなったらおしまいです。1933年(昭和8)年に建てられたアールデコ様式の旧朝香宮邸東京都庭園美術館として使われている事例もあり、歴史的建造物の保護のためにも有効に活用されることはいいことです。同潤会アパートを初め多くの歴史的建造物が「経済の原理」に屈して次々と姿を消していく現在、古き良きものの良さをじっくりと生かして使っていくことも必要なのではないでしょうか。今回の「旧公園資料館」も、「篤志家」が出てくれることを期待してます。(画像は明治の洋館を撮らせたらピカイチの増田彰久さんのものを使わせていただきました。)
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月23日 08時51分09秒

私と息子と博士の崇高で哀しい愛

テーマ:本でも読んでみっか
2005年本屋大賞エントリー開始!」という記事が目に入りました。去年できたばかりの「本屋大賞 」、他の賞と大きく違うのは、なんと言ってもこれ「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本」というわけなんです。まあ、300人程度の人が選んでいるのですから、やや偏った結果が出ることもあるでしょうが、大出版社の選ぶ賞に食傷気味の人には新鮮な感じがすること請け合いです。昨年度、第1回の「本屋大賞」を受賞したのは、小川洋子の「博士の愛した数式」です。副賞は10万円分の図書カード。しかも、その図書カードで購入した本 をネット上で公開しています。このさわやかさ、この透明性!どこかの経営者も見習って欲しいものです。でも、書店員の人たちが推してくれたということで、まともな本が売れない時代に、30万部を越えるヒット作となったようです。もうこんな季節か、ということで、小川洋子の読んだ本などを。

妊娠カレンダー 」で1991年104回芥川賞を受賞。帯には「姉の妊娠を知った日に妹の抱いたある秘め事」と書いてあります。姉の妊娠を知ってから入院まで、日記風のわずか60数ページの短編。初出は「文学界」平成2年9月号ですから今から10数年前の作品。芥川賞発表時に「文芸春秋」で読んだと思うのですが、実は内容はよく覚えていませんでした。単行本は最近ブックオフで購入し、読み直したというわけです。手持ちのこの本は、1991年2月25日第1刷、4月25日に第7刷ですから、わずか2ヶ月で7刷、当時、爆発的に売れた本のようです。ちょっとホラーがかった「ドミトリイ」と「夕暮れの給食室と雨のプール」を入れても全部で189ページの本です。

第1回「本屋大賞」を受賞したことで話題になった「博士の愛した数式 」、僕が読んだのは「本屋大賞」を受賞する前でした。この本、なにかのついでに知人に紹介したんですが、というより、数字や阪神タイガースの話が出てくるので、僕にとってはそれほど面白い本でもなかったので、今こんな本読んでるよ、という感じで話したんです。それがなんと、案に相違して面白かったという感想、なんかこの本から「共感」が得られたんでしょうね。もう一度読み直してみるべきかも?

「彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。」という書き出しで始まるこの本、本の帯には「世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった一つの数式で示した―記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの10歳の息子。せつなくて、知的な至高のラブ・ストーリー著者最高傑作。」とあります。 80分前までの記憶しか覚えられない老博士とルートと呼ばれる少年のやりとりが心温まります。

と、ここまで書いたら、タイミングよく「博士の愛した数式」の映画化の情報 が。博士に寺尾聡、義姉に浅丘ルリ子。家政婦に深津絵里、成長した家政婦の息子・ルートに吉岡秀隆。キャストには異論があるのは分かりますが、ひとまずそれはおいといて。監督は、故黒澤明監督の愛弟子で知られる小泉堯史監督、「雨あがる 」「阿弥陀堂だより 」に続く第3作です。前2作は僕も見ました。寺尾聡は3作連続で小泉監督作品に主演することになります。2005年4月クランクイン、2006年1月公開か!

もう一冊、「ブラフマンの埋葬 」、芸術家村の管理人と小動物との交流、を描いたさわやかな146ページの短編。これも先日ブックオフで購入しておいたもの。実は昨晩一晩で一気に読んだものです。

その他に、数ヶ月前に文庫本二冊を購入してあり、ちくま文庫の「沈黙博物館」、そして中公文庫の「余白の愛」の二冊ですが、長編なのでいつ読めるか、今のところ出番を待ってる状態です。
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月22日 17時10分47秒

MoMAの改修工事が完了、2年ぶりに一般公開

テーマ:なぜかケンチクでも
パフィー 」が主人公のアニメ番組が19日から全米で始まったというニュースは、「パパパパ パフィー 」をいつも見ていたパフィーファンの僕にとっては驚きでした。番組名は「ハイ ハイ パフィー アミユミ 」で、8700万世帯で視聴可能だという。毎回、冒頭と終わりに2人が実写で登場するのが特徴で、主題歌や挿入歌もパフィーの歌だという。なんか、これって凄くない?って思うのは僕だけか!

それはさておき、アメリカ進出、と言えば、これ、「MoMAの改修工事が完了、2年ぶりに一般公開 」というニュース!記事の一部を引用すると、改修工事のために閉館していたニューヨーク近代美術館 (MoMA)が20日、2年ぶりに一般公開を再開した。改修費は8億2500万ドルで、展示面積も6万3000平方メートルと以前のほぼ倍になった。設計を担当したのは日本人建築家の谷口吉生氏。以前のMoMAは、様々な建物が点在して出来上がった複合体だったが、谷口氏はこれをひとつにまとめ上げた。

谷口吉生」、ご存じの方は少ないと思います。建築界のサラブレット、という言い方が適当かどうか。なにしろ父親は金沢の九谷焼の窯元の出「谷口吉郎」(1904~1979)、日本建築界の大御所です。東京工業大学の教授で明治村の館長。確か丹下さんと東大で同級生だったんじゃないかな?モダニズム建築の「東工大第水力実験室 」でデビュー。戦後すぐ資材がない時に「藤村記念館 」をつくり戦後初の建築学会賞、「秩父セメント第2工場」では1956年度の工場としては異例の建築学会賞。よく知られているのでは慶應義塾大学 三田キャンパスの幾つかの建物、最近イサム・ノグチとの共同した建物「新萬来舎」の保存問題がありましたね。それから、上野の「国立博物館東洋館」、竹橋の「国立近代美術館」、等々、挙げればきりがない。

僕が谷口吉生を知ったのは、丹下事務所を辞めて高宮真介との共同事務所「設計工房」の作品、掛川市の新幹線から見える1978年の「資生堂アートハウス 」これは1979年度建築学会賞受賞作品、それから酒田市にある1983年の「土門拳記念館 」が最初、印象に強く残っています。「葛西臨海水族園 」もそうです。1978年の「金沢市立図書館 」は父親谷口吉郎の故郷で父親との共作です。その後、谷口事務所 になり、「信濃美術館・東山魁夷館 」、丸亀市の「猪熊弦一郎美術館 」、「豊田市美術館 」、そして2001年度建築学会賞を受賞した「法隆寺宝物館 」となるわけです。ホント順風満帆、仕事に恵まれていますね。国立博物館の敷地内にある「法隆寺宝物殿」(上の写真)、先日僕も見てきましたが、「静謐」とはこのことかと思いました。とはいえ、あまり日本ではポピュラーな建築家ではありませんが、専門家の間では評価が高い人です。

谷口吉生が指名コンペで勝ち取った「MoMAの増築工事 」、ついに出来たんですね。MoMAはニューヨークのど真ん中にあって、長年、増築、増築で、その場しのぎできた美術館なんですね。最初は1939年、白っぽいファサードでエドワード・ストーンだったかな?その後、1951年、64年にフィリップ・ジョンソンもミースふうのファサードで付け足して、彫刻ガーデンはジョンソンが整備したと思う。その後、1994年にシーザー・ペリも展示室を拡張し資金源として高層の住居棟を立ち上げました。はっきり言って統一されたコンセプトがあったわけではない、近年は相当混乱していたようです。それを整理したのが谷口案だったと言われています。

僕が見に行ったのはなにしろ昔、シーザー・ペリが増築する前でしたね。MoMAはモダン・アートが主なので、見た絵画をあまりよく覚えていない、と言うか、中庭の彫刻作品をちょっと見ただけで終わってしまいました。そうそう、誰の作品だったか毛沢東の大きなタペストリーが印象に残っています。どのように変わったのか、また行ってみたいですね、ニューヨークへ
いいね!した人  |  リブログ(0)
2004年11月21日 15時06分31秒

古美術店で買ったキリスト像、ミケランジェロ作と結論

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記
5月21日の朝日新聞に、こんな記事が載っていたんですね。
古美術店で買ったキリスト像、ミケランジェロ作と結論
この記事、古美術店で個人収集家が購入した木製のキリスト像が、専門家チームが15年に及ぶ多角的な調査の結果、ルネサンス文化を代表する巨匠ミケランジェロの作品とみられることがわかった、というもので、これには驚かされました。

そうですね、これが今開催されている「フィレンツェ・芸術都市の誕生展」の目玉、ミケランジェロの真作だという鑑定結果がなされた「磔刑のキリスト」ですね。決め手はこの像の顔立ちがヴァチカンにある「ピエタ」のキリストと酷似している、と研究グループは見ているからだそうです。ということは、先日ちょっと書きましたが。

昨日の夕刊、「ま、ここまで行けばご立派」と題して、「雑誌もいまや完全に30代、40代のオトナ頼みだ。『ちょいと不良(ワル)オヤジ』のコピーで売った『レオン』(主婦と生活社)の姉妹誌『ニキータ』には驚いた人も多かったのではないだろうか。なにせ創刊号の特集は『コムスメに勝つ』である。」という、格調低い斎藤美奈子チャンの記事。

その記事の隣ですが、文化芸能欄「一展逸点」にも、「磔刑のキリスト」写真入りで格調高く載ってました。「静けさとそして気高さと。」と評してありました。少し引証すると「高さは41センチしかないが存在感がある。右胸の下の刺し傷や手足の穴が痛々しい。うなだれ、磔刑で両手を広げて姿は、まさに鳥が羽ばたく瞬間。」とあります。なにしろ20歳の頃の作品と見られているというから、我々凡人と違って、万能の天才は凄いものがあります。

決め手になったローマのヴァチカンにある「ピエタ」は、ミケランジェロ24歳の頃の大傑作で、僕も二度ほど見ました。そして、ミラノのスフォルツェスコ城美術館の「ロンダニーニのピエタ」、この作品はミケランジェロが88歳で死ぬ3日前まで制作を続けていたという未完の作品です。

実は、前回ミラノに行った時に、是非とも「ロンダニーニのピエタ」を見たいと思い、美術館の中を探しまくったのですが、なぜかすぐ近くまで行きながらたどり着くことができなかった、という作品だったので、残念でなりません。
いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。