2013年10月27日(日)

カラヤンとムラヴィンスキー

テーマ:音楽の話
 タイトルに凄いことを書いてしまった・・・と自分でびくついている。
 何しろ、「カラヤンとムラヴィンスキー」なのだから。

 どちらも20世紀を代表する指揮者である。ソビエト崩壊以前なら、まさに西の横綱と東の横綱と云ったところ。自由主義圏を代表する指揮者と社会主義圏最高の指揮者という二名に数えられたに違いない。

 今日はそんな二人が残した二曲のCDについて書いてみたい。
 まず、ショスタコーヴィッチの交響曲第10番である。
 
 Karajan in Moscow Vol.2 - Bach: Brandenburg Con.../バッハ

¥1,864 Amazon.co.jp

ショスタコーヴィチ:交響曲第10番/ビクターエンタテインメント

¥1,835 Amazon.co.jp

 どちらも素晴らしい演奏である。
 カラヤンには二種類のスタジオ録音盤もあり、そちらも素晴らしいのだが、このモスクワでおこなわれたライブには何と言っても格別な意気込みがある。
 まずその異常なまでの緊張感である。
 カラヤンほどの指揮者でも、モスクワに乗り込み、そこでショスタコーヴィッチを演奏するという行為に、全身全霊を懸けざるを得なかったのだ。それが如実に伝わってくる。
 緊張感とエネルギー。そして彼の自負が聴く者の心を打たざるを得ないほど沸騰している。

 ムラヴィンスキーも素晴らしい演奏である。カラヤンほど残された音質は良くないが、雑音と共に迫ってくる音楽の緊迫感や感動に、正直圧倒される。


 次にあげる曲はチャイコフスキーの交響曲第6番である。

カラヤン・ラスト・コンサート1988 悲愴&モーツァルト/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)

¥2,800 Amazon.co.jp

 この交響曲はカラヤンがもっとも得意とした曲の一つであり、もっとも頻繁にレコーディングした一つでもある。いくつも存在するスタジオ録音盤のどれも素晴らしいのだが、ここではあえて最後のコンサートとなった日本でのライブ盤を挙げておこう。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/ムラヴィンスキー

¥3,150 Amazon.co.jp

 ムラヴィンスキーもこの交響曲を得意とし、何度も録音している。スタジオ録音されたグラモフォン盤も素晴らしいが、ここでは音が良いライブ盤を挙げさせていただこう。

 ショスタコーヴィッチとチャイコフスキーの名曲の演奏をそれぞれに聴いてみると、どちらもほんとうに素晴らしい演奏である。
 特にカラヤンの演奏を聴くと、思わず「これ以上何をお望みですか?」というポリーニのショパンに使われたキャッチコピーまで想い出してしまうほどだ。ほんとうに非の打ち所がない。
 ・・・しかし、である・・・。
 ムラヴィンスキーを聴くと、「カラヤンには何かが足りない」と感じてしまうのだ。
 冷静に考えると「何かが足りない」のはムラヴィンスキーの方であるはずなのに・・・。

 ムラヴィンスキーの演奏にはカラヤンが持つほどのバランスの良さがない。カラヤンが奏でるほどの美しいハーモニーもない。ムラヴィンスキーとレニングラードフィルには、ソロ演奏におけるカラヤンとベルリンフィルほどの名人芸もないのだから。
 しかし、何か足りないのはムラヴィンスキーではなく、カラヤンであると感じてしまうのはなぜだろう。

 先月だったろうか、親友で世界的指揮者の三澤洋史君が、こんなことをメールに書いて寄こした。以下、抜粋した原文のまま。

 秋になるとブラームスが聴きたくなります。
 i-Podにカラヤンのブラームスの4番交響曲を入れて聴いたら、全く何も感動しなかった自分に驚きました。第2楽章のそこはかとない孤独感を醸し出すべき個所などが、ゴージャスな音響でだいなしだったりで全く興ざめ。
 やはり、この人の感性には何かが欠落しているなあと感じました。
 音響的には素晴らしいのだけれど、音楽は音響だけではない(あたりまえだ)。

 この彼の文章を読みながら、わたしはカール・ベームのあの異常に田舎くさい演奏を想い出した。枯れたと云ったらいいのだろうか。彼のブラームスなら、ほんとうの秋が感じられる。ただし、凄い田舎の秋だけれど。

 上記のベームとの差以上のものを、ムラヴィンスキーは感じさせる。まるで真剣白羽取りに挑んでいるような何か特別なものを、彼の音楽は感じさせる。それは単なる緊張感ではない。緊張感や集中力を超えた何かである。

 それは、ショスタコーヴィッチがムラヴィンスキーに献呈した交響曲第8番に焼き付いている。ムラヴィンスキーだけが持つ何かが、この曲に明確に残されている。
 これほど切羽詰まった音楽が、他に存在するだろうか。
 ムラヴィンスキーの演奏にあるものの正体を、先日、わたしは少しだけ垣間見たように感じたことがある。

 それはドヴォルザークの弦楽四重奏曲 『アメリカ』 を聴いたときのことだ。
 大好きな曲で、わたしは良くこの曲をドライブしながら聴く。
 お気に入りの演奏は長い間アマデウス弦楽四重奏団のものだった。新しい演奏が出ると、有名どころは聴くようにしているのだが、このアマデウスを超える演奏に出逢ったことはないと思っていた。
 ところが、先日ターリヒ弦楽四重奏団の演奏を聴いていて、こんなことを思ったのだ。
「優しく美しい 『アメリカ』 という曲ですら、ターリヒの演奏は怖れを感じさせる」
 アメリカという存在が、社会主義圏にとってどんな意味を持っていたかを、ターリヒの演奏が思い起こさせたのである。
 もちろん、そんな想いはわたしの勝手な思い込みから生まれたに違いない。彼らがそんなことを考えながら演奏したとは思えない。しかし、ウィーンのアマデウスとチェコスロバキアに生まれたターリヒが異なった感性を持っていたことは明白で、ターリヒはどこかにアメリカという存在への怖れを感じさせたのである。

 余談だが、わたしはワールドカップに出場中、チェコスロバキアの選手と同室になったことがある。約一週間ほどの同居生活だったが、その時に彼の叔父が殺されたというニュースが入ってきた。彼は深く悲しみ、国の事情を話してくれた。

 このターリヒの 『アメリカ』 を聴いたとき、もしかしたらムラヴィンスキーにあるものは 『怖れ』 とか 『恐怖』 なのではないかと思った。単なる恐怖や怖れを、『畏怖』 というレベルまで昇華したのがムラヴィンスキーの演奏なのではないかと想った。そして、カラヤンにないものこそ、『恐怖』 ではないかと思った。

 ナチスに支配された世界に住んでいたのだから、カラヤンにも恐怖はあっただろう。しかし、戦後を生きるなかで、カラヤンはしだいに自分を守るすべを得たに違いない。そして、権力を支配する側に回ったのかもしれない。

 そんなことを思いながら、ムラヴィンスキーを聴く時、そこにはナイフを突きつけられた者の痛みが響いてこないだろうか。心のおののきを感じないだろうか。

 きっと、ムラヴィンスキーのような音楽は、もう出てこないだろう。
 そんな想いに、強く取り憑かれている今日この頃である。

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コメント

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1 ■音楽と恐怖ですか

マルケヴィッチはムラヴィンスキーと匹敵するか、それ以上にドスがきいた演奏をする人です。

マルケヴィッチというと、戦争中は対独パルチザンで名を売り、戦後はモロー事件の主犯といううわさまであります(自宅、といってもカエターニ宮殿ですが、そのよこの路地で車のなかからモローさんが発見されたんです。)

マルケヴィッチが最晩年にレンフィルに客演、春祭をやったんですが、普段は顔も見せないムラヴィンスキーが、舞台に上がって褒め称えてそうです。

この2人、なんだか印象が似ています。

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