2013年10月24日(木)

芳澤君逝く

テーマ:徒然なる想い
 元モーグルスキーの全日本チャンピオンで、日本におけるフリースキーの立役者でもある芳澤秀雄君が若くして逝かれました。
 51歳。くも膜下出血とのことです。
 ビジネスも家庭も順調で、まさにこれからという時でした。
 本人もさぞ残念なことでしょう。

 彼は選手になりたての頃、わたしたちの設立した青山学院大学のフリースタイルスキークラブに入ってくれました。そして斑尾スキー場で、パトロールのアルバイトをしていました。
 折に触れ、斑尾に行く機会の多かったわたしは、パトロール中の彼とよくフリースタイルスキーの話をしたり、スキー技術の話をしたことを覚えています。
 彼と直接の思い出を尋ねられたなら、この斑尾のパトロール時代に見た明るい笑顔ばかりが想い出されます。
 斑尾にいらっしゃった宮本さん・・・当時のパトロール隊長・・・や広辺さん・・・当時のパトロール主任・・・が、温かい目で彼を見守ってくださっていました。

 芳澤君がナショナルチームの一員となったとき、現三浦ドルフィンズの五十嵐君とわたしがモーグルのコーチだったように記憶します。選手には筆頭に山崎君、そして蟹沢君がいた時代だったでしょうか。
 当時はまだまだ大会の数も少なく、ワールドカップへの代表選手を決めるのに、合宿で対抗戦をおこなったりしていた時代でした。よく蟹沢君と芳沢君のどちらを選ぶのかで、長い議論をしたことを覚えています。

 選手を引退する時期が近づくと、彼はまだ日本で一部にしか知られていないクイックシルバーの仕事をしたり、モーグルチャレンジカップの仕事をしていた記憶も残っています。

 クイックシルバーで物販の経験を積み、引退後、下北沢にブラックダイアモンドというショップを立ち上げました。
 下北沢はわたしも数年間住み、思い出深い土地だったこともあり、早々に立ち寄った記憶があります。美しい奥さまと初めてお会いしたのは、その時だったでしょうか。

 いつも明るい笑顔と親しみやすい人柄で、誰からも好かれたスキーヤー、そして経営者だった芳沢君。
 彼は決して人をけなさず、人の悪口を言わない人でした。
 これは、個性の強い人間の揃っているフリースタイルスキー界において、とても難しいことですし、とても珍しい特質だったように思います。

 芳澤君の告別式で、みんなこんなことを言っていました。
「先週、会ったばかりだったのに・・・・・・」
「オレも春先に、会ったんだよ」
「つい先月、飲んだばかりだった」
「珍しく、芳澤が会いに来てくれてさ」

 わたしも春のかぐらスキー場で、久しぶりに芳澤君に会い、短い時間でしたが、スキーも滑ることができました。一緒に彼をコーチした五十嵐君もそこにいてくれました。
「きっと、みんなにお別れしてから逝ったんだよね」
「芳澤らしいな」

 告別式で、たくさんの人たちが涙を流し、彼との別れを惜しんでいました。
 誰からも好かれたチャンピオン、芳澤秀雄君。
 どうか、安らかに・・・・・・。
 たくさんの笑顔をありがとう。。。

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