2013年10月11日(金)

人類の宝

テーマ:音楽の話
 クラシック音楽が好きな方々なら、フルトヴェングラーがバイロイトにて演奏したベートーヴェンの第九交響曲の録音が、人類の宝であり、偉大な遺産であることに同意していただけるだろう。
 この1951年の録音を超えるベートーヴェンの第九交響曲の演奏に、わたしはまだ出逢ったことがない。これは、とても残念なことだ。なぜなら、もう60年間もこの録音を超える演奏がおこなわれていない、もしくはわたしに届いていないということなのだから・・・・・・。

 同じようなものに、フルトヴェングラーとウィーンフィルの第五交響曲がある。
 いくらクライバーの第五が凄いと云っても、深い感動という点で、フルトヴェングラー盤には遠く及ばない。クライバーの第五に扇情的な興奮はあるが、人間の偉大さを実感させる感動で比較すべきレベルに達していない・・・。わたしはそう感じてしまう。
 近頃評判の高いヤルヴィの第五など、フルトヴェングラー盤に較べると、まるでステンレススティールかプラスティックで作られた音楽のようだ。
 それほど1954年に録音された音楽は、さまざまな感動に満ちている。

 先日、二週間ほど入院している間に、こうした偉大な遺産となる音楽について考えたことがあった。
 そして、超えることのできない演奏とはどうしたものかについて想いを巡らせてみた。

 すると、やはり音楽とその演奏は、時代によって大きな影響を受けざるを得ないだろうと信じられた。それぞれの時代が、音楽のなかから、異なった要素を掘り起こすに違いないとも信じられた。
 時代が必要とする要素を、より強烈に響かせた演奏が、それを必要とする人の心を打つという要素があるのかもしれない。

 そう考えた時、どうしても書いておきたい演奏が、わたしにはある。

 ここに書きたいのは、二種類の演奏である。
 どちらも作曲はショスタコーヴィッチ。演奏はムラヴィンスキーである。

 まずショスタコーヴィッチの交響曲第八番の演奏から書いてみよう。


Shostakovich: Symphony No 8/Dmitry Shostakovich

¥1,241 Amazon.co.jp

 1982年録音というのに、音は悪いし雑音もたくさん入っている。
 しかし、いったいこれほどの緊張感と切迫感を音楽に込めた演奏が、他にあるだろうか。
 戦争と圧政という二つの悲惨さを、これほど如実に表現する音楽が、他のどこにあるだろうか。
 まさに死と直面し、そのなかで生を模索し、生きる意志を感じさせる音楽である。
 この演奏を聴くたびに、わたしは広島と長崎に起こった悲劇を感じてしまう。
 巨大な力によって、押し倒され、なぎ倒された正義。極限の悲劇のなかで、生きようとする命の意志。
 心を無にして、この演奏に耳を傾けて欲しい。
 もしかしたら、現代の人々に、これほど必要とされる感性はないのではないかと信じられるほどの深い悲哀が、音の裏側から聴こえてくる。

 もう一曲挙げよう。
 同じ組み合わせによるショスタコーヴィッチの交響曲第五番である。

 
Shostakovich: Symphony No.5 / Miaskovsky: Symph.../Shostakovich

¥724 Amazon.co.jp

 日本におけるライブ演奏をベスト盤にあげる人も多いが、なぜかこちらの演奏の方が圧倒的にわたしの心に迫ってくるものだ。

 いったい、ここに表された葛藤は何なのだろう。
 葛藤と苦しみ、惑い、そんな中から強烈に発散される生への意志と意欲。
 生きたいという気持ちが、これほど人を感動させる演奏をわたしは他に知らない。

 第五番を作曲するショスタコーヴィッチは特別な状況下にいたと云える。

 スターリンの推進する芸術に反抗したとして、彼には死が迫っていた。親族や友人が次々と捕らえられ、処刑されていくなかにあった。
 生き延びるためにも、ショスタコーヴィッチは自らが素晴らしい作曲家であることを証明しなければならなかった。つまり、世界最高の交響曲を発表する必要があったのである。

 そんな現実のなかで、彼が乗り越えるべき目標として選んだのは、ベートーヴェンの交響曲第五番だった。最初から最後まで、ショスタコーヴィッチの第五番は、ベートーヴェンの五番を踏襲している。
 当時、世界最高と認められていた音楽に真っ向から挑み、それを乗り越えようと徹底的にもがいている。
 しかも、ベートーヴェンの背景にあった民主革命と真逆となるスターリンの圧政のなかで、自分の理想を貫徹しようとしたのである。

 ベートーヴェンの時代背景には、人類への新しい希望があった。よりよい時代の到来を信じられる歴史があった。しかし、ショスタコーヴィッチの背景には暗い絶望と悲観的現実がある。そうした意味で、この五番ほど屈折した音楽もないだろう。

 暗く重い現実のなかで、限られた狭い未来を見据えて、ショスタコーヴィッチは死に物狂いで自分の才能と未来を切り開く。
 音楽だけを信じる彼が、世界最高の曲に向かって全力で疾走する。何度も倒れながら。
 がんじがらめの世界で、可能な限りの自由を駆使してあがく。

 五番の四楽章に彼の魂の叫びが、わたしには聴こえてくる。
 絶望に苛まれ、悲嘆に暮れながら、生に疾走する彼の絶叫が木魂する。

 ムラヴィンスキーは、それを過去のものではなく、現実に今ここにある音楽と化してくれる。

 スターリンの圧政のように、現代は圧政のもとにある・・・・・・とわたしは感じている。
 資本主義という金融の圧制下にあると。
 途轍もない金額が人々の実体と異なった世界で動き、途轍もない数の人々が日々の生活に苦しんでいる。
 スターリンの圧政のように目には見えないが、それは間違いなく今ここにある圧政である。

 ここにあげた二枚のCDに人類の多くが感動する時、金融の圧政は終わるに違いない。
 そんな時代的意味も含めて、一人でも多くの人に耳を傾けていただきたい人類の遺産である。
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