どこかで、誰かが… | トナカイの独り言

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 つい最近のことですが、駅伝と1万メートルで有名な鷲見知彦選手(トヨタ紡織)を、電話で取材する機会をもちました。

 今かかわっている“駅伝の本”の取材です。


 鷲見選手はたくさんの感動的な話をしてくださいました。それらのストーリーは本に譲るとして、ひとつ、心を打たれた言葉がありました。

 それは、「努力を続けていたなら、どこかで誰かが、必ず見ていてくれる」という彼の信念です。


 つい最近まで、わたしにはどうしても、そうは思えませんでした。

 努力を続けても、成果をだしても、小さな世界の片隅で、「誰も見てくれないし、知ってもらえない」と考えていました。

 自分のなかに、成功者へのうらめしい気持ちや、やっかみがありました。今でもあります…。


 …ところが、驚いたことが起こりました。

 わたし個人のホームページに「広告を出させて欲しい」という申し込みが来たのです。しかもそれは、その会社の広告ではなく、大手企業の広告を仲介する会社からの依頼でした。

 わたしのホームページなど、アクセス数も少なく、デザインセンスもなく、内容は勝手気まま。しかもマニアックな世界(スキー、水泳、音楽、文学など)です。そこに広告を出して、どれほどの効果があるというのでしょう?


 初めは半信半疑でした。

 それどころか、怪しいビジネスかもしれないと、失礼な返答までしてしまいました。

 しかし、それはれっきとした企業の、れっきとしたビジネスの一環で、しっかりとしたポリシーの元に選んでいただいたことが、しばらくしてわかってきました。

 わたしのホームページを選んでくれた理由は次のようなものだそうです。

「今回の広告の目的は、優良なサイト様(コンテンツが充実しており、管理運営がしっかりとされている)からのクライアント様サイトへの入り口を増やす目的でお願いしております。(…中略…) クライアント様にとってしっかりとした信頼があるサイト様からのリンクは、信頼の証でありイメージアップにつながります」


「…どこかで、誰かが見ていてくれる…」

 鷲見選手がそう言ったとき、自分が、その言葉に同意していることに気づきました。


 若い頃から、不安で、安定したものを欲しながらも、ぎりぎりのところで生きてきました。危ない場面ばかりとも言えますが、それだけ追い込んで生きてきたとも言えます。近頃は、孤独感すら板に付いてきたように感じていました。

 しかし、そんなわたしの努力を、少しは、どこかで見ていてくれた人がいたように感じられたのです。

 まったく予想もつかないところからの評価でした。


 わたしにとっては、とても意味ある出来事でした。

 わたしのホームページ、トップページ の下にあるのが、その広告です。

 お時間があれば、どうかご覧ください。

 …デザインセンスがないことは自分でもよくわかっていますので、どうかお許しを…。