2007年10月25日(木)

Conducting Mahler

テーマ:音楽の話

 久しぶりに音楽の話題です。

 近頃、“グスタフ・マーラーとマエストロ、そしてクラシック愛好家のへんてこブログ ”のABADOIさんのご好意で、“Conducting Mahler”というDVDを聴くことができました。


Conducting Mahler: I Have Lost Touch With World

¥2,400 Amazon.co.jp

Piano



 圧倒されました。

 巨大な津波に、大きな二つの波に、心を洗われました。


 まず、二つめの波としてわたしに押し寄せた「指揮者」というものについて書いてみます。


 このDVDには世界のクラシック界を代表する数名の指揮者が登場します。彼らの飾り気ないリハーサル風景が納められ、彼らのマーラーに対する深い想いが語られます。


 指揮者たちは、なんというエネルギーと集中力を持っているのでしょう。

 まず圧倒されるのは彼らのエネルギーです。彼らの巨大なエネルギーは、どんな源泉から流れ出ているのでしょう。

 マーラーの音楽は巨大です。そのなかでも巨大な交響曲8番。そこでは演奏家の数が1000人に達します。1000人の個性的な演奏家たちを、細い一本の指揮棒だけで結びつけるのです。

 指揮者のもとで、音楽がしだいに調和し始め、うねりはじめ、しだいに命が吹き込まれ、魂が宿っていきます。

 自分自身に厳しいだけで、1000名の人間をまとめることはできません。そこに作用する力はいったい何なのでしょう。それらが、「力」でも「規則」でもないことは明らかです。


 リッカルド・シャイーがオーケストラに謝るシーンが入っています。

「ごめん、テンポが遅すぎた。わたしの間違いだ。わたしが悪かった」

 あのシャイーが、素直にこう謝罪します。

 そして、あのハイティンクが、ジョークで団員をなだめたり、奏法のアドヴァイスを求めたりします。

 アバードの笑顔が、ハイティンクのしかめ面が、シャイーの情熱とラトルの陶酔が、団員を揺さぶり、引きずり、マーラーの世界へと深く深く入り込んでいきます。

 わたしは、自分には厳しく当たれますが、他人にそれほどの要求を課すことができないという事実を、このDVDからまざまざと教えられました。ここに登場する指揮者たちは、自分に対して妥協がないだけでなく、他人にも妥協を許さないのです。

 そして、なんとみずみずしい感性が、彼らの心身を流れていることでしょう。

 あたかもナチスドイツの将軍のようなハイティンクが、なんと繊細に指揮棒を操ることでしょう。あたかもRada Owen が泳いでいるようです。

 指揮者たちの年齢からみたなら、60才は若者です。そんな指揮者たちから、なんと若々しく、澄んだ感性が流れてくることでしょう。


 シャイーがマーラーの性的コンプレックスについて語っています。

 わたしも心のどこかで同じことを感じていました。

 これまでシャイーの姿形から、わたしは少し反感を感じていました。が、このDVDを観て、「よし、聴いてみよう」と思えました。そして、彼がマーラーの音楽からアンビバレンツを感じるというところに、深い共感を持ちました。

 マーラーの内包するアンビバレンツは、単純に二つのものが対立するというのではなく、いくつもの要素がそれぞれに関係し合い、対立したり、対になったり、反発したり、ついたり離れたりしているように感じます。きっと、実社会や実生活や、ほんものの人間の感情に近いアンビバレンツなのではないでしょうか?


Piano


 このDVDから受けた最大の波は、やはりマーラーです。

 そして、思ったとおり、「マーラーはパンドラの箱を開けてしまった」と感じざるを得ません。

 そのパンドラの箱の底には、もちろん「希望」も入っています。が、最大・最強のものは「資本主義」のように感じます。

 マーラーの音楽から、21世紀のわたしたちが抱えるすべての問題や悩み、絶望が聴こえてきます。

 ちょうどヘルマン・ヘッセが20世紀半ば、現代を透視して「荒野のおおかみ」を書いたように、マーラーの音楽は現代文明の善悪や好悪、アンビバレンツを描いているように感じます。


 ハイティンクが言うように、マーラーは「クラシック音楽と現代音楽の橋」となってもいます。

 しかし、わたしにはもっと大きな橋が見えます。

 それはベートーヴェンからはじまるロマン派の橋です。

 モーツァルトの後期は確かにロマン的です。しかし、ベートーヴェンが生まれなければ、音楽が人間を中心に表現するという世界は生まれなかったでしょう。天才モーツァルトは無意識にそれを成し遂げたと思います。ベートーヴェンはそれを明確に意識しておこなった初めての音楽家でした。音楽がベートーヴェン自身を語るのです。そんな意味で、わたしはマーラーの音楽からロゴスを感じます。

 そして、ベートーヴェンが歩みはじめた巨大なロマン派の橋が、マーラーの音楽と共に、崩れ去るのです。


 正直わたしは、「9番を聴いて、自殺した人が出た」と知っても不思議ではありません。

 それほど、マーラーの音楽は現代文明の危機を、その憎悪を、孤独を叫んでいるように感じます。


 アバードが語っているように、マーラーには「悩み苦しむ才能」があったに違いありません。

 それほど繊細で、感じやすく、もろい、マーラーだったからこそ、あの音楽が生まれたのではないでしょうか。ラトルが言うように、「狂気と精神分裂的気質」がマーラーの音楽の至る所から滲み出ています。


 しかし、わたしがもっとも驚愕するのは、あれほど悩み苦しんだマーラー自身が、世界最高の指揮者だったという事実です。ウイーンの帝王としてのマーラーが同時に存在しているのです。厳しい競争を勝ち抜き、音楽世界の頂点に君臨したマーラーの存在。それも、虚像ではないのです。

 あの音楽を創った人間が、このDVDに登場するどんな指揮者にも負けないほどエネルギッシュで、力に満ちあふれていたこと。自信と信念に満ちあふれていたこと。1000名以上の演奏家を細い一本の棒で操ったこと。ヨーロッパ最高の美女であり、才女と呼ばれた女を妻にしたこと。それらこそ、マーラーのアンビバレンツを示すのではないでしょうか?


 20世紀の人間にとってベートーヴェンが聖書であったなら、21世紀の人間にとって、マーラーがそのポジションにあるのかもしれません。

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)

トナカイさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントをする]

1 ■私は・・・

この偉大でありながらとても人間くさいマーラーに、心揺さぶられます。そしてそのとてつもない才能に近づき再生し、そして創造しようとするマエストロ達に興味はつきません。
シャイーについては、私もトナカイさんと同じで、マーラーを聴くまでは、なにか少し軽視していたところがあります。しかし、シャイーのマーラーは驚くほど純粋でありました。
私の中では、バーンスタイン、アバド、ベルティーニと並ぶ4大マーラー全集になってます。
シャイーRCOのマーラー、ぜひ聴いて下さい。
ありがとうございました。

コメント投稿

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。