桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻         同窓会

桐朋学園演劇科同窓会のページです。

会員皆さんの近況、公演情報等およせください。


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16期・林田尚親
16期・林田尚親

1・演劇科の思いで

私たち16期は、新校舎が出来たと同時に入学しました。
1年生の6月ごろかと思いますが、盛大な同窓会が行われたのを記憶しています。
そして、2年生では中国へ研修旅行に行ったりと、大変恵まれた環境で演劇に接することが出来たと思います。

2・演劇科に入った理由・きっかけ

高校の国語の先生に進路を相談したところ、劇団・俳優座の養成機関である桐朋学園で演劇を学びなさいとのアドバイスで入学しました。その後、その先生は、玉川学園大学演劇科からお誘いがあり、教授になられました。

3・演劇科卒業後の活動

篠崎光正先生の劇団電劇、その後俳優座を経て、現在はナレーターの仕事をメインにやらせていただいてます。

4・同窓会への意見

2008年「進学懇談会」なる同窓会の企画に参加させていただきました。
大変勉強になり、少しでも母校と社会の橋渡し役が出来たら幸せだと実感しました。

5・演劇科志望者への助言

人が成長する上で、演劇ほど何にでも役立つ勉強は他にないのではないか、と心から思います。
徹底的にやればやるほど、心に刻まれる事が多いと思います。自分次第ですが。

6・関係URL

http://fanx3.littlestar.jp/

http://www.radioboxx.com/search.php?search=f3cboxx
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11期久保田資子 (クボタモトコ)ハワイ在住。ワイキキのレストランKAIWAのオーナー。
                 www.kai-wa.com
           又、日本でも海晴亭をはじめ、数件のレストランを経営している。
                www.dotcommise.com
11期久保田


1)桐朋学園の想い出

なんといっても入学の時の高尾山。
鬼ーーーのパンツ~~♪ は今でも忘れられない。
とんでもない大学に入ってしまったと言う後悔と
周りの強烈なキャラクターに圧倒され、
高校卒業まで、自分はスペシャルと思っていたが
なんて平凡な人間なのかと思い知らされた。
もう一人、私と全く同じ感想を持った同級生 大谷利恵 (後の芸名 三谷いつか)と出会う。
それ以後、ノーマルな二人で桐朋の刺激的な生活を乗り越えていく。

2)桐朋学園に入ったきっかけ

病弱だった子供の頃、何を思ったか自分で、健康になれそうな気がして
児童劇団ひまわりに・・・
そこで出会った、おばあさん先生が、
『あなたは大器晩成の女優。本格的に芝居をするなら桐朋学園に行きなさい』

すっかり忘れて、美容師を志していた高校生の頃
演劇部の活動の一環で見学に行った桐朋学園の試演会。
8期のまことさん(有本誠?)の演じているのを見て、
急に子供の頃 言われた記憶がよみがえり、どうしても受験してみたくなって
両親に頼む。
受験番号の隣のすごく可愛い子が落ちて、ここは顔じゃないんだ!と分かる。
郵便で合格の通知が来て、どうしても行きたい! と泣いて親を説得。
入学金を納めた山野愛子美容学校に行かないことを決意。

3)卒業後の活動

劇団民芸、無名熟、俳優座 を受けるも失敗。
在学中、主役は一度もやらしてもらえず、女優は無理なのかなあ~と
密かに思い始めていたので、3年間在籍も方向転換を考え、声で勝負!を決意。
企画事務所に入り、イベントの司会を始める。
それ以後文化放送に入り、ラジオのDJを夢み、傍ら、子供向けの芝居を引っさげて

全国の小学校を回る。
子供の天真爛漫な笑顔、正直な反応に感動し、こちらが夢を与えてもらう。
心の故郷、京都に行って、親戚のブティックを任された後、
ジャズダンスのインストラクター、結婚式の司会など・・・

主人の母親の病気がきっかけで東京に戻る事を決意。
近い将来、親の面倒が見やすいように、雇われたくない・・・と言う主人に共感。
自分達で何かをやろう!と計画。
全くの素人なのに、
1988年7月 東京都杉並区下高井戸にたべもの家海晴亭本店をオープン。
  店を舞台にやっと主役に抜擢される。
  東京に4店舗を展開。現在も営業中。
2004年ハワイ、オワフ島に海外一号店アラモアナ Kai をオープン。
2007年8月二号店 ワイキキ KAIWA をオープン。
2008年5月三号店 マウイ島に Kai Wailea をオープン予定。

4)同窓会に望む事

卒業生の皆さんの元気な様子が知りたいです。
実行委員会の方々にはお忙しい中本当に感謝しております。
出来ましたらハワイで同窓会!!なんていうのを企画していただけましたら
嬉しいのですが・・・

5)桐朋学園の後輩に

桐朋の演劇科で本当に良かったなあ~と今、実感しています。
人生のどんな場面にも演劇科で学んだ事は役に立ちます。
演劇科で出会った仲間はいつまでも仲間です。
たまたま、レストランビジネスに役立つ事が多くて、本当に助かっています。
時々、今のほうがいい役者に慣れそうな気がします。なんて・・・(笑)
(私を落とした某劇団の大女優さんが私の店にいらした時
もう一度受けたら?とすすめてくださいました、(苦笑い))
もっと真剣に、まじめに取り組んでいれば・・・役者に・・?と思う時もありましたが
自分の人生と言う舞台の主役は自分なのですから、
楽しみながら、自分を知って、自分らしく
人との出会いを 関わりを 大切に生きて行けたら最高ですよねえ~。
いつも 今の自分が一番好き!と思えるような人生を送ってください。
私もそうであるように努力します。

6)関連ホームページ

皆さま、よろしければ私の店のホームページをご覧ください。
ハワイに来られる時は是非お寄りください。
桐朋学園出身と言っていただければ美味しいシャンパンでもサービスさせていただきます。

www.kai-wa.com

www.dotcommise.com

7)ききょうの花言葉・・・

桐朋学園生活を共に過ごし、その後も常に身近にいた 
私の大切な親友 大谷利恵 は
2007年5月14日 49歳の若さで永眠いたしました。
私はいつも笑顔を絶やさずに生き抜いた彼女を誇りに思っています。
彼女は桐朋学園で出会えた宝物のひとつです。
将来天国で彼女と再会した時、沢山のお土産話が出来るように
恥じない人生を彼女の分も生き抜こうと思っています。

ききょうの花言葉♪は無類の歌好きの彼女が在学中、音楽科に潜り込んで
ピアノで作詞作曲した曲の題名です。かわらぬ愛がテーマでした。

皆さま健康が一番、ご自愛くださいませ。

11期 久保田 資子(旧姓 田中)
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【氏名】
 
38期藤田みか
39期藤田ゆみ

【演劇科の思い出】

いっぱいありすぎて書けないです!
が、素晴らしい仲間と尊敬できる先生方との出会い作り上げた全ての舞台は一生の宝物です!

【演劇科に入った理由・きっかけ】
38期みか☆
ブロードウェイミュージカルに憧れ、演劇の世界に進みたいと思ったとき姉のゆみに勧められて。

39期ゆみ☆
大好きなミュージカル・アニーの演出家だった篠崎先生がいらっしゃる短大として小学生の時から演劇ならここだ!!と幼いながらに心に決めてました(笑)!


【演劇会卒業後の活動】 38期・みか
専攻科一年まで進学したのち、杉並演劇祭出展作品・篠崎先生演出『ホルストメール』・オフィスパレット主催・越光先生演出『見よ、飛行機の高く飛べるを』・岡安先生作・演出一人芝居『ちっちゃなりゅうのものがたり』に出演。
現在は桐朋演科卒業生によるオリジナル劇団・【演劇企画ハッピー圏外】の一員として活躍中。


39期・ゆみ
卒業後は趣味で大好きなタップダンスを続けながらアパレル販売員として活躍中!彼氏、舞台の仕事、共に探し中(笑)☆お待ちしております!
 
【同窓会への意見】

数年に1度顔を見ながら同窓生とお話できる同窓パーティーも楽しみですが、どんなに離れていても母校の思い出を語れる同窓生と繋がっていられるのはいいものですよね!

同窓会ホームページを交流の場として多くの人が活用できるといいですね!

【演劇科志望者への助言】とにかく休む間もなく演劇漬けの日々!素晴らしい仲間と素晴らしい先生方!
私たちは毎日くたくたになるほど充実した楽しい演劇生活を送れました!
1年目から座学も実技も同時進行!入学からわずか3ヵ月で舞台に立つチャンスがありました。卒業公演までに沢山台が踏めるのはとても良い経験になるとおもいます!
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楠見彰太郎


■演劇科の思い出

演劇科の13期生として桐朋の門をくぐり、短大を経て専攻科1年までの計3年間 在籍しました。
最初の2年間を4つの実習室からなるプレハブ建ての校舎で過ごし、専攻科は建てかえの為、講堂の横に作られた仮設プレハブの実習室でした。
演劇科創立時から先輩たちも馴れ親しんだプレハブの実習室を取り壊す前、お疲れ様と感謝の気持ちを込めて壁に一升瓶で酒を掛けたのを思い出します。
私にとってその演劇科での3年間は 学生時代の一番楽しい思い出として残りまたその時の『ご縁』が現在の自分にとって貴重な財産となっています。

桐朋を卒業し,俳優座に約12年在籍した後プロダクションを経て現在は、時代劇アクションを中心に生の音楽演奏・CGを使った映像等盛り沢山の舞台づくりを目指したプロジェクト「座☆風流堂」を主宰しています。
これは元々桐朋演劇科に入った最初の夢である時代劇俳優の道であり、また日本の財産でありながらも予算的にお金がかかり、残念なことにテレビでも減ってきてしまった自分が大好きなワクワクする時代劇の灯火を少しでも広げ、多くの若い世代の人たちにも新しい感覚で観て頂き、若い役者には正統派の時代劇を経験してもらう事により、その《決まりごとの中にある面 白さ》を伝えたいという気持ちではじめました。
そして基本的には私の所に居る「劇団くすみ」の若者たちが中心になり、その時々に各方面 からゲストの方々をお願いして公演を行っています。
そしてこれまで同期の横島亘君(民芸)、森脇恵さんや先輩の鈴木一馬氏(9期) 山本郁子さん(12期)後輩の土方優人氏(14期・東演)堀江真理子さん(14期) 丸山真穂さん(20期)等多くの方々が協力してくれています。
変わった所では在学中からよく遊んだ音楽科の友人で、今は世界のヴァイオリニストとしてトップで活躍している古澤厳氏が賛同してくれ、俳優として(もちろんヴァイオリンも自ら作曲で弾いています)旗揚げから参加してもらっています。
他にも音楽科ピアノ出身の佐伯真魚さんらも出演をしてくれ、本当に桐朋に居たお陰で出来たこの『ご縁』だと感謝しています。



楠見彰太郎
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花房 徹 


■演劇科の思い出

一番思い出すのは公演のことですね。
一つは1971年6月のブレヒト作千田是也演出「セチュアンの善人」のワン・スン役。
最初は三期の中山廣道君の役で、僕はもっと小さい役立ったんだけど、千田先生が僕も抜擢して下さって、中山君とのダブルキャストになったんだ。
千田先生の演出が的確で凄く勉強になったよ。
それと1972年1月の安部ゼミの紀伊国屋ホールでのH・メートル作渡辺浩子演出「あざみの花咲くころ」のおし(口の利けない)の役、これはね唯一科白のない役でね。
当時先輩の三期の連中には科白がない役はかわいそうだって、後輩の僕に回ってきたんだけど。
この時の演技がきっかけで自由劇場に引っ張られて。
本当は安部スタジオの創立メンバーになるはずだったんだけど、安部公房先生には悪いことしてしまった。
と言うのが思い出かな。とっても充実してたよ。


■演劇科に入った理由・きっかけ

実は大学の受験勉強を全くしてなくてね。
高校の先生に「なにするんだ」って聞かれた時にポロッと出たのが「役者になりたい」。
色々受験したんだけど、桐朋しか受からなかったんだ。


■演劇科卒業後の活動

まず自由劇場をかわきりに、竹邑類のスーパーカンパニーを経て、色々所属を変えたけど、日生劇場のミュージカルや芸術座の芝居やら、新宿コマとか明治座とか帝劇、他にも本多劇場なんかの小劇場でも数多く演ってる。
テレビも東映の子供向け番組で悪役演ったりね。
現在はフリーで年に3回ぐらいのペースで舞台を演ってるんだけど。
それとライフワークでライブ活動(西荻窪の「音や金時」)で一人芝居、それにパフォーマンスや即興劇のワークショップサークル『ファーム』を主宰してます。


■同窓会への意見

役員の人は頑張ってください。
それとみんなに会うのは楽しいね。


■演劇科志望者への助言

女の人の芝居の位置が強いんだよね。だから男の人がしっかりして欲しいと思うね。
役者とは何故芝居をやるのか。それを探す旅をやっているのであって、その探す事を続けて欲しいな。
習い事を、その目的を到達点とするんじゃなくて、手段が目的みたいになるのは違うと思うな。



花房 徹 
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井田 邦明


■演劇科の思い出

みんなと授業が終わってよく飲んだ事かな。
飲み屋じゃ終わらず、先生の家とかみんなの下宿とか家に行って、朝まで激論してた。
マルクスから全共闘、三島由紀夫まで。 最後は殴り合いまでしてたな。
それから素敵な友人や恋人達との出会い。
あれは1972年1月の安部ゼミの紀伊国屋ホールの公演、 清水邦夫作演出「ぼくらは生まれ変わった木の葉のように」で楽屋のトイレで安部公房さんが横に来て「よかったよ」って言ってもらって。小便が熱くなったっのを今でも覚えてるよ。


■演劇科に入った理由・きっかけ

当時は大学紛争、四年制大学はほとんどがスト中。
唯一桐朋はオープンしてた。
それと浪人したくなかったし、高校時代映画を作っていたので、演劇を勉強すれば映画制作のためになるという位、 簡単に考えて入ったんだ。


■演劇科卒業後の活動

安部スタジオからフランスのルコックへ行ってマイムを学んで、 また安部スタに戻って、また飛び出して、イタリアに渡って、 ミラノでアルセナーレ劇場と劇団テアトロ・ミモドラマを主宰した。
現在は、ミラノのパオログラシィ演劇学校(前ピッコロテアトロ演劇学校)と、クニアキ・イダ・国際演劇学校で教える傍ら、 ミラノを中心に、ヨーロッパで舞台演出をやってます。
ここ何年かは夏に日本に帰ってきてワークショップと芝居の演出もやってます。
浦島太郎が地上に戻って、玉手箱を今開けた、という心境かな。


■同窓会への意見

今の演劇って50代60代を必要としてる。だから演劇をあきらめた人も、どんどん昔の事を思い出してカムバックして欲しいんだ。
僕と一緒に芝居をやろうよ。是非連絡してください。
来年(2005年)はポルトガルの国立劇場でモリエールの「ドン・ジョバンニ」を演出するんだけど、日本でもやっぱり50代60代と人生を駆け抜けてきた、人の味わいを出せる舞台を創って行きたいね。


■演劇科志望者への助言

桐朋の良さは、当時演劇文化を教えてくれる先生がいっぱいいて、本当の意味での演劇学校だった。
だから俳優の技術とか職業だけのタレント学校に入っちゃだめ。
世界中で会う若い役者に比べて、 何が日本の若者に足りないかと言うと、あまりにもメディア、テレビに浸りきっているために、演劇文化の歴史をしっかり見つめる創造的な演劇人が少ないように思うんだよ。
一生の仕事として芝居をやるんだったら回り道をしてもいいから、いろんな事を吸収して欲しいなー。


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坂東遥

■演劇科の思い出

華やかで威勢のいい一期生に憧れ、圧倒される。
教授陣から エリート意識を煽られながらも割舌が悪い、声が小さい、何を 表現しているのか分からない等と言われ続け、才能が無いんだと落ち込み、それでも私には才能があると信じていた思いっきり ジレンマの4年間でした。


■演劇科に入った理由

 ・きっかけ 小さい頃より踊りをやっていて、舞踊学校があればそこに入ったでのですが残念ながら日本には無し。普通で普通の大学 生活を送るのはつまらないなと思っていたところ、父が新聞で桐朋学園の記事を読み、教えてくれました。演劇を勉強するのも面白い かもしれない踊りにも生かされるだろうと思い入学しました。


■演劇科卒業後の活動

女優条文子(後に條文子に改名)として安部公房スタジオ設立に参加し活動する。
NHKラジオドラマ「女優志願」で芸術祭優秀賞 「ドアの向こうへ」で前島密賞を受賞。
その後舞踊家の道を歩み日本舞踊の可能性を求め、さまざまなアーチストと共演。
1989年「月花麗人社」を創り、創作シリーズ「花軍」「月下」「天翔」などNYをはじめ音欲的な公演を展開。1992年家元継承。
1998年日本舞踊を基に健康のための「大和吉祥舞」を編み出す。


■同窓会への意見

現在の桐朋学園に磁力を感じません。
たくさんの有能な卒業生が後輩の教育にもっと関わるといいのではないでしょうか。
同窓会が大きな目的を創り、その目的実現のためにパワーある活動を進めて行くと、全ての卒業生が学生たちに愛情を、また 卒業生であることに誇りを持つようになると思います。


■演劇科志望者への助言

大きな目的を持つこと(表現の達人になる。日本を代表する俳優になる。日本の演劇界を変える等)。
そうすると日々の行動が 違ってきます。
その目的は何年後、何十年後のあなたを創ります。
自分をそして自分の人生を信じることです。GOOD LUCK.


■関係URL   http://www.kisshou.com    坂東遥



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テーマ:
佐藤正文


■演劇科の思い出

"できたての演劇学校"で、教師も学生も試行錯誤の連続だった。実技、座学とも盛りだくさんで、夕食後も授業があるカリキュラム。当時は消化不良を起こしていたが、後にこれが有り難かったとわかる。過酷な日々に女性はよく倒れていたが、みな張り切っていた。男子トイレが一個で、休憩時間は列ができた。俳優座養成所16期生との交流も楽しかった。


■演劇科に入った理由・きっかけ

高校の先輩がいる日大芸術学部に行くつもりだった。桐朋学園にそうそうたる教授陣を揃えた演劇科が新設されることを知り受験した。学校の水準も自分の水準もわからないまま「試しに」受けてみた。


■演劇科卒業後の活動

1970年に劇団俳優座に入団。『ハムレット』『戦争と平和』など出演ののち、73年、『安部公房スタジオ』創立に参加。『緑色のストッキング』『ウェー』『案内人』などに出演。79年『仔象は死んだ』アメリカ公演の後フリー。無名塾『マクベス』『肝っ玉おっ母と子供たち』『リチャード三世』俳優座劇場プロデュース『検察側の証人』『12人の怒れる男たち』地人会『初恋』など。俳優活動とともに俳優養成に従事、日本芸術専門学校の講師を始め、オペラ歌手、タレント等の演技コーチをする。96年、米コロンビア大学で開催された安部公房シンポジウムに於いて安部システムの紹介。97年、旧安部スタジオメンバーと共に「シンポジウム・安部公房演劇の仕事」を主催。現在、大手芸能プロで演技レッスン担当。20年来率いる俳優養成塾A.T.ラボで演出した『ストレス解消センター行き』は04年2月にシアターΧ主催ギィ・フォワシイ演劇コンクー  ルで最優秀賞を獲得。04年4月から日大芸術学部演劇科で演技実習、演劇特殊研究(安部システム)を担当。


■同窓会への意見

時代の推移とともに演劇科が変化していくのは、あるべき姿だと思う。とともに、創立者たちの情熱的で果敢な精神は受け継いでいくべきだ。同窓会はそれをチェックする機構あってほしい。


■演劇科志望者への助言

ベーシックな訓練をしっかりやる事。間口を狭めずさまざまな作品に触れるべき。とくに古典を学ぼう。


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井口恭子


   桐朋学園の女学校に通っているときから、演劇部に入り、
   舞台女優になることを夢見ていた私は、当時(1960年代)、
   俳優になるための登竜門であった俳優座の養成所を目指していました。
   その養成所がなくなり、発展的に短大形式で受け継がれることになったのが
   1966年に新設された桐朋学園短大の演劇科だったのです。
   その一期生として入学し、 千田先生をはじめに、錚々たる先生方の、
   新しい演劇人を育てようという熱い思いの中ですごした学生時代は、
   盛り沢山の授業やレッスンが朝から夜9時まであり、
   夕方になると皆疲れてふらふらしていた記憶もありますが、
   充実した、今から思えば大変贅沢なものだったと思います。
   現在、小劇場のある建物はまだなく、
   そこにあったかつて幼稚園舎だった木造の小さな建物での,
   色々な稽古やレッスンを昨日のことのように思い出します。
   同窓会ができたのは、専攻科を卒業してから10年以上たった頃だったと
   思いますが、 その幹事としても少し関わり、同窓の色々な世代の方々に
   出会えたのも私にとっては大きな収穫でした。


井口恭子
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