桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻         同窓会

桐朋学園演劇科同窓会のページです。

会員皆さんの近況、公演情報等およせください。


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千田是也ゼミ座談会  2007年11月19日
           於:岩淵達冶先生仕事場


 出席者 冨田正久・2期 安積真理子・3期 福永典明・4期・司会
     高橋伸幸・5期
 ゲスト 岩淵達治先生

福永:皆さん、お集まり頂き有り難うございます。
本日、進行役をさせて頂きます福永です。数年前に安部公房ゼミというか安部スタジオの人たちに集まってもらった座談会が始まりで、田中千禾夫ゼミもこの間やりまして、今日が最後、千田ゼミっていうことです。「千田ゼミの功績」っていうか「功罪」というか。みんなで話していこうということです。基本的には3期、4期、5期がゼミの一番真ん中の時で、それから安部先生が辞められたりして、ゼミの制度がだんだん崩壊していって、今やもうゼミ制度なんてないんですが。だけど、今の学生たち、40期以上の人達に、その・・・

冨田:もう40期かよ。

福永:ゼミとは何ぞやっていうのをね、やっぱり知らせておきたいっていうか、検証しておきたいということで始まったことなので、そういったことも含めてですね、ざっくばらんに話をお願いしたいと思います。

*なぜ千田ゼミを選んだのか?

福永:で、まず千田ゼミを、なぜ千田ゼミを選択したのか、その時なぜ千田ゼミだったのかっていうことからちょっと話していきたいと思うんですが。
2期のテリーこと冨田さんから。

冨田:ゼミをやろうよっていう話は、2期あたりから起きたんだよ。で、千田さんにしろ、千禾夫さんにしろ、安部さんにしろ、きっと何かやりたいことがある筈だし、俺たち学生もね、専攻科まで行って、ただの基礎訓練の延長線上で試演会やってもしょうがない。やりたいことをお互いにやろう、みたいなことを言ったんですよ、先生方に。そしたら、じゃあって言うんで。4年制.の大学はゼミ形式みたいなところが結構あるしね。そういう方法もあるのかなぁなんて思ってたら、先生方が相談して、じゃあ、ゼミにしようっていうことになったんですよ。

福永:この間の石沢(秀二)先生の話もやっぱり、学生の方から上がって来たっていうことでした。で、学校側としては、4年制というのを最終目標にした時に、3年生、4年生になった時、やっぱりゼミという形式を採るっていうのがやはり適当だろうと。しかも、千田、安部、千禾夫というね、大御所が3人いる訳だから。そういった部分で自然の成り行きとして、学生側の方からの要求と学校の方向性もうまく一致したんじゃないかという話が出てましたね。

冨田:多分、そうだな。

福永:それで千田ゼミを選んだっていうのは?

冨田:いや、ブレヒトやってたから。ブレヒト研究会っていうのがあったからね。

福永:3期の安積さんはどうですか。どうして千田ゼミを選んだっていうか。

安積:うーん。消去法みたいなところがあるんだけども、やっぱり、千禾夫さんよりは私、どっちかっていうとヨーロッパ系の芝居やりたかったんで。うん。

福永:確かにその選択は消去方式でっていう人も多いですよね。そういった選択しちゃうとね。

安積:どっちかっていうとそうね。歌がある芝居をやりたかった。ってなるとやっぱりブレヒトが一番良いと。

福永:今はもうミュージカルとかね、そういうのもやってるんだけど、あの頃はそういうのなかったからね。そういう意味じゃやっぱりブレヒトっていうのは歌も要素としてありましたしね。

冨田:うん、歌も踊りも入れようと思えばやってたしね。

福永:そうですよね。4期の私が先に言わせて頂くとですね。私、やっぱりあの当時、70年安保で、周りがどうしても政治色が強くて、演劇も明日革命をするために、プロパガンダじゃないんだけど、要するに、戦争放棄、革命に蜂起するっていう意味での、何かそういうテーマみたいなものが非常にブレヒトは強いし、それと千田先生もどっちかっていうとそっちのほうが強いんで、私はすごいそういうのに憧れてたものだから、すんなりと千田ゼミっていうのは僕の中で決まってた部分はありましたね。まあちょっと格好良く言えばですよ。実際は本当の選択は他になかったからっていうのもあることはあるんだけど。さて、5期の高橋君。何で千田ゼミっていうか。

高橋:桐朋に入った時から千田先生に見て頂いたっていうのがすごく多かったっていうのと、やはり千禾夫さん、安部さんの授業を聴いてる中で、千田先生の言葉が一番僕には通じやすかった、というのが千田ゼミを選ぶきっかけだったんじゃないかなとは思いますね。

福永:共鳴できるっていうね。

高橋:ええ、そうですね。

福永:まあ、今まで安部ゼミと千禾夫ゼミの人達にも色々話を聞いたんだけれど、安部ゼミの場合の選択肢っていうのはやっぱりその、パントマイムとか、或いはその安倍さんの独特の演劇論みたいなものに共鳴してったっていうか、そういう部分があって。で、千禾夫ゼミはやっぱり日本語っていうね。みんな言葉っていうのを、きれいなことばをやっぱり大事にしたいっていう、そういう何か位置付けみたいなのが非常に強かったんだけど。じゃあ、その千禾夫ゼミとか安部ゼミにはないものっていう比較論で言うと、千田ゼミっていうのはどういうものを持ってたんですかね?

冨田:まあ、やっぱアクションだろうね。要するに表現術みたいなものを身体で表現するとかね。勿論言葉の問題は千田先生も結構うるさかったよ。最初の頃「語尾下げろ、語尾下げろ」って、しょっちゅう言われたけど。まあ、そういう独特の話術みたいなの持ってたけどさ。江戸弁にちょっと近い感じのさ。でもやっぱり表現術が、ドイツで勉強してきた人だから、それなりにちゃんと形になるのよね。例えばあの、こう首すくめて「嫌だ!」っていう「わかんない!」という表現にしたってさ。それ見るだけでもね、やっぱりすごい勉強になったですよ。それはね。

福永:千田先生の独特の演出論っていうか演技論っていうか、そういったものを直にね。

冨田:うん。それはやっぱりある。やって見せたしね千田先生は。

福永:それ、すごく魅力的だったですよね。
あの、ご紹介するのを忘れておりました。今日の特別ゲストでございまして、岩淵先生に立ち会って頂いてます。

岩淵:僕は千田さんとは、桐朋関係前につながってたのは「家庭教師」なんです。
だから、「家庭教師」を新人会という俳優座の衛星劇団でやって、で、その「家庭教師」のメリットっていうのは、もう1から10まで全部書いてあるんだよね。

冨田:書いてありますね、全部ね。台本にね。

岩淵:で、ブレヒトを、リアルにやるのにね、理論的には家庭教師が一番やりやすかった。僕はあれを東大でもやったんだけど、全部書いてあるアンチョコみたいなもんでね。
その後、桐朋で最初にやらされたのは大橋也寸さんと一緒なんだよ。

福永:そうです、そうですよね。

岩淵:それは何かっていうと。「ホラティア人とクリアティア人」(ブレヒト・教育劇)。

福永:1期の試演会ですね。

福永:以前私が岩淵先生をインタビューした時にね、色々その話も出ましたものね。そういうところで、岩淵さんといえば千田ゼミ=ブレヒトゼミって、みんなが認めるところなんですけど。ブレヒトと言えば千田先生、いや、ブレヒトと言えば岩淵先生、ていうのがあるんで、その辺のお話を頂けますかね?

岩淵:ええ、僕は千田さんに「やれ」って言われて、1期でも夏に1週間ぐらいブレヒトの連続講義っていうのをやらされたことがあるんだよね。だけど、それからはブレヒト研究っていう講義はなくて、専攻科用の現代劇一般みたいな話をしてたんですよ。それが7期ぐらいからね、ブレヒト研究っていう講義が出来たんだよ。

福永:ほう。

岩淵:で、それで、年がら年中ブレヒトの何かを扱ってて、一番ブレヒトばかりやってたのは10期あたりからなんだよね。

福永:ふーん。

岩淵:だから、例えば「プンティラ旦那と下男のマッティ」をやった連中っていうのは、僕のブレヒト研究っていうのを一番聴いてますよ。

福永:それは、11期・12期ですか?

岩淵:うん。


千田是也ゼミ座談会(2)へつづく・・・
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*公演記録を基に



福永:ここに千田ゼミの、公演記録があります。一応千田ゼミとして初めてやったのが昭和45年の4月の2期、3期の「カラールおばさんの鉄砲」。これが千田さんの演出。それから「海に行く騎手」っていうので、岩淵さんがやっぱり演出なさってますね。

岩淵:これはシングっていうアイルランドの作家ですけど、ブレヒトはこれに基づいてるのがいっぱいあるというのでやったんだけど、この時は暑かったなあ。

安積:うん、そう。

冨田:ともかく氷の柱立ててさ、それでお客さんに観てもらったっていうか。

福永:そうでしたね。これぐらいの高さのね、四角い氷をね、届けてもらって。昔の三実
(第三実習室)でね。

冨田:空調も何もないからね。

福永:空調も何もないね、トタン屋根でね。やったんだね。

安積:逆に印象に残ってるね。


福永:ああそう。

安積:楽しかったよね。

福永:あれ、安積さん、で、その時はどっち出たの?

安積:私は「カラールおばさんの鉄砲」。

福永:あ、「カラールおばさん」に出たの。

安積:そう。

福永:ほう。ここで、一番に自分で思い出すっていうのは、高橋君何かあります?

高橋:うーん。「家庭教師」かな。

福永:「ハッピーエンド」もやってるんですね。

高橋:「ハッピーエンド」は僕は出てないです。お手伝いに行ったんです。

福永:ああ。

高橋:で、初めてこの時に、岩淵先生の演出を初めて手伝いに行って、観たんですね、赤坂国際劇場ね。

福永:あそこね。赤坂のTBSのあの。

高橋:だから千田先生、岩淵先生との出会いはここで初めてという。まあ、授業を何度か受けてたと思うん
ですけど、授業ってのは大体さぼってるから。

岩淵:ああ、そう。

高橋:だからこの「ハッピーエンド」なんていうのは、僕は出てないんですけども、外からお手伝いをしていて、「いや、すごく面白い芝居なんだなぁ」と。このあたりから実際に「ブレヒトっていうのは面白いなぁ」と。

福永:うん、なるほどね。あの時は大変だったんですよね。赤坂国際でやった時はね。

冨田:平台全部持ち込んだんだろうな。

岩淵:100ぐらい持ってったんだ、平台。

福永:4トントラック借りて持ってったんでしょうね。

冨田:うん、4トン借りてね。

福永:何か、運んだ覚えがある。私も出なかったんだけど、手伝ったのは手伝った。

福永:テリー(冨田)は、もう本当に沢山出てるし、昭和46年の9月の3期と4期の「カラールおばさんの鉄砲」ではテリーが演出もしてるんですけど、やっぱり何と言ってもあれですよ。テリーの場合は「家庭教師」でしょ。

岩淵:この46年2月の「家庭教師」っていうのはテリーじゃないのか。

冨田:ええ。

岩淵:このときは男が足りなくて、千田是也も僕も出てるんだよ、役者で。

福永:うん、出てるんですよね。

福永:僕は印象残ってるのは、千田先生が化粧バッグをタクシーの中に忘れちゃって、いっぱい捜したんだけど結局出なかったっていうのがあったんですよ。

安積:へえ。

福永:青年座に行くのにね、桐朋からタクシー乗って行く時に、千田さん専用の化粧バッグがあった。今でも覚えてるけど、まわりが焦げ茶色で、ベージュ色でちょっと何か蛇の皮みたいなそんな感じだったかな。割と化粧バッグが結構でかい。で、あの先生だからやっぱり色んなの持ってらっしゃって。それが、無くなったんだよね。

岩淵:この芝居で、千田是也が舞台に出てるのが、映像で残ってるんですよ。

福永:それはあれですよね。岩淵先生撮ってらっしゃいましたよね。

岩淵:そうそうそうそう。僕が撮ってたのね。今は、演博(早稲田演劇博物館)に寄付してて。

高橋:見ました。演博、見ましたよね。

福永:そうですか。へえ、あの早稲田の演博ですか?

岩淵:そうそう。

福永:あ、そうですか。

岩淵:舞台映像っていうのがね、ないんだよ。この8ミリしか。

冨田:そうか。そうかも知れないな。

安積:えー、そうなんだ。

福永:だってそれ昔はビデオないんだもの

安積:そりゃそうだよね。写真はあるけど。

福永:そうか。写真はあるけれども、動く映像っていうのはないよな。

冨田:でも、千田先生もね、セリフ覚えてないんだよね。

福永:そう、千田先生は全然覚えてなくて。いい加減だったような気がするな、本当、あの時は。

岩淵:何か、訴えるような目して僕の顔見るんだよ。

福永:そうそうそうそう。人に頼っちゃったりね。(笑)

岩淵:これ、昭和56年12月に桐朋の小劇場でやった「家庭教師」ってのは知らないな。これ誰がやったんだ。

福永:これ13期、14期なんです。千田先生がやってんですね。これは。

冨田:試演会か。

福永:この後はずっと千田先生がやってないんですね。

岩淵:いや、「家庭教師」はよくやってんな、しかし、本当に。

福永:そうですか。

高橋:俳優座劇場でよくやってましたね。あれは卒公なんですか?

岩淵:8期の卒公だな。

福永:他にこの演目で何か、こういうのが面白かったって。安積さんは色々主役が多かったから、覚えてること多いでしょう?

安積:やっぱり、「セチュアンの善人」。たっぷりやらせてもらったって感じ。

福永:シェン・テとシュイ・タね、2役だからね、もう出ずっぱりだもんね、あれはね。

安積:で、柏哲、てっちゃんが、作曲やってくれたの。

福永:そうそう、林光さんのバージョンじゃなくて、4期の柏哲っていうのが「セチュアンの善人よー」ってね。46年の6月のセチュアンの時ね。

福永:それで、この49年の1月ってやつは、柏哲のを使ってないと思うんだよ。

高橋:うん、使ってないでしょうね。やっぱり林光。

岩淵:千田さんのウィークポイントっていうのはね、音楽なんだよ。あの人ね、自分が歌えないでしょ。

福永:ええ、ええ。聞いたことねえもんな。

岩淵:僕はブレヒト原作主義で、林光、全然使わないでしょ。

福永:はい。

岩淵:全部あの原曲。千田さんは音楽は割合、どうでもいいんだよね。

福永:そう言えばセチュアンの善人で、柏哲が作曲したのも、全くもって千田先生がお任せだったものね。

安積:でも曲、いい曲だったよ、すごく。

福永:ええ、いい曲。勿論いい曲。

安積:今でも覚えてるもん。うん。

冨田:哲ちゃん、今どうしてるの?

岩淵:まだ作曲やってるの?

福永:やってますね。

冨田:彼は才能あったって事だね。

安積:そう、すっごくいい歌が多かった。

福永:高橋君、その時はどんな役やったんですか。

高橋:僕はね、甥っ子か何かだったかな。これが舞台から落っこったやつだね。最終景をもう1回やらされたっていうセチュアンね。いわくつきのやつね。

福永:いわくつきの。あ、もう1回やりなさいって、千田先生が本番中にね。

高橋:一番最後のいいところで、神様が舞台から落っこっちゃったのね。

安積:落っこっちゃったの?

高橋:落っこっちゃえば良いんだけども、表の台に落ちないようにしがみついてね。
それがもうみんな可笑しくてたまんなくて。で、その後。千田先生が「やり直し」って。

岩淵:あとね、この表で言うとね、割合とブレヒトやってたのは8期なんだよ。で、8期は元々音楽座のベースでしょ。

福永:はいはいはい。

岩淵:で、あれは最初はテリーも入ってたよな。

冨田:はい、やってました。3年ぐらいですね。

岩淵:それからもうひとつ。この中で全然毛色の違うのは「赤毛もの」。これは加藤、今の浅野和之(本名:加藤斉孝)が主役で、「ネストロイ」っていうオーストリーの19世紀の音楽劇ですけど、空前絶後でもうあとどこもやってないんですが、音楽科の奴らがすごい協力してくれて。生オケで。僕は西洋のレコードしか持ってなかったんだけど、全部それ起こしてくれたんだよ。で、あの時は指揮をやってくれたのは誰かな?

冨田:7期だね。

岩淵:そうそう。

福永:あれでしょ、浅野君でしょ。浅野和之君ですね。

岩淵:あの頃は本当に、みんな、普段は茶髪じゃない時代だったからね。彼、真っ赤に染めちゃった訳ですよ。これね、カツラ芝居なんだよ。だから、地毛がカツラって訳にいかないから、本当に真っ赤にしちゃったのよ。赤毛って嫌われてる訳じゃない。

福永:はいはい。

岩淵:それがね、カツラ屋なんかを救ってやるとね、お礼にカツラをもらう訳だよ。ところがね、そのカツラ屋の恋人を取っちゃいそうになって、カツラを取られちゃって、また面白いんだよな。

福永:なるほどね。

岩淵:金髪にしたり、黒くしたり、それから最後は消耗しちゃったっていうんで、髪が白髪になっちゃったとかね。カツラ芝居なんだけど、それを浅野がすごく面白くやってくれたから。ちょっと毛色の変わった音楽劇だったんですよね。で、それ全部替え歌にして。大体ネストロイっていうのはブレヒトと関係ない訳じゃなくてね、ブレヒトの奥さんのヘレーネ・ヴァイゲルがこの「赤毛もの」に出てくる、赤毛の娘をやってるんですよ。だから、ウイーンでは割合と良く知られてる作品でね。 


千田是也ゼミ座談会(3)へつづく・・・
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*ゼミを振り返って=後輩に向けて一言

福永:もう一度ゼミを、振り返ってみると、千田ゼミ、田中ゼミ、安部ゼミという3つのゼミから選択をしていくっていう方法を、われわれは是としてやって来た訳ですよね。
まっ、非の部分はあったのかもしれないけども、今こう話してみると、遥かに是のほうが多かったような気がします。そういう意味では、演劇教育における方法としては、かなり有意義なものだったと、私は思うんです。やっぱり先生達も結構これで遊んだり、要するに創作してんですよね。

冨田:楽しんでたよ。先生たちがやりたいことをいっぱいやったのよ。

福永:そういう感じはしますね。

冨田:それが良かったんだと思うけどね。

福永:実験というか、非常に先生達も楽しかったんだろうし、私たちもそれに乗っかって行けたしね。良かったって思いますけど。

岩淵:でもあれだね。千禾夫さんなんかでも、非常に政治的なとこがあるんだよね。

福永:あります、あります。

岩淵:千禾夫さんはね、日本で最初の「肝っ玉おっ母とその子どもたち」に出演している、イズミノサブロウって役者、大阪で、毛利菊枝がやってんだけど、それが千禾夫さんだっていう説があるんだよ。

福永:はあ、そうなんですか。

岩淵:だから、東京に来て俳優座入る前ね。で、毛利菊枝の肝っ玉ってどんなものだったかね。今じゃ観た人なんていないだろうから本当のことはわからないんだけど。京都だからね。

福永:なるほどね。あの、まとめるって訳でもないんですけど、ブレヒトでは岩淵先生の功績が非常に大きいと思うんですが、今又ブレヒトが、見直されてるっていいますか・・・

岩淵:いやいや、どうかなあ。

福永:いや、私、本屋さんでよく岩淵先生の最近のご本を見かけるんですよ。置いてあるからには、誰か買うから置いてあると思うんですね。だからそういう意味では、やっぱり今、もういっぺんブレヒトなのかなっていう気は非常にしてるんですけど。やっぱりブレヒトを通過して来た人間としてはそう思いたいわけでね。
では、そろそろ、それぞれの思いから、ブレヒト・千田ゼミについて最後に語ってもらいたいなと思うんですけど。
安積さん、どうですか。ブレヒトとは何だった?

安積:もう青春そのもの。

福永:青春そのものね。そうか。たくさんやった。あ、一番多いんじゃないですか?

安積:そう。ブレヒトが多い。

福永:ブレヒトが一番多いって感じですものね。

安積:本当に、あの4年間っていうか、特に専攻科2年間っていうのはもう人生の土台みたいな感じね。

福永:ブレヒト漬けで。

安積:そう。

福永:俳優座に入ってからはブレヒトあまりやらなかったの?

安積:やった。ブレヒト研究会に入ってずっとやってたから。

福永:ああ、そうかそうか。その後もずっと。じゃ本当にもう。

安積:もうずっとブレヒト。

福永:もうずっとブレヒトな訳だ。どうですか。ブレヒトと自分という。

高橋:うん。岩淵先生を前になかなか言いづらいけど。今もう一回ブレヒトを見直すべき時じゃないかな。というのは僕もずっとやってて実は思うところ。あらゆるやり方。岩淵先生のお嫌いな所謂ポストモダン的なやり方もさんざんされちゃってるし。で、それで本当のブレヒトの姿っていうのはどんどんどんどん分からなくなっちゃっているっていうことと、相変わらず観客ってのは、観た時に答えを求める。右か左か。で、今の時代だからこそ、それをそういう手法を採ってない作品で、やっぱりもう一回ちゃんと見直すべきなんじゃないかなっていう気はすごくしますね。それが一番新しいブレヒトのやり方なのかなと、僕は思ってるんですよ。だから媚びた演出とか、何かお芝居って結局、常に新しいことをやらないと芝居じゃないというのは、それはしょうがないんですけどもね。その新しいところが何か奇を衒ったようなやり方にどうしてもなってしまうんですけども。反対にもっともっとブレヒトの中に入っていくことが新しいのかな、っていう気がちょっとしてるんです。

岩淵:まあ、結局、ブレヒトって世界は変わらないってことはもうはっきりしてるんだけど、そのメリットは何かっていうね。「母(おふくろ)」って芝居があるでしょう。「母(おふくろ)」はね、共産主義的な言語劇というか。でも誰も筋道から見ると非常に面白いんだよね。決して易しくないし、ストレートで、啓蒙先鞭劇、ていう風になってて。日本ではちょうど1960年の安保闘争の時に「母(おふくろ)」を3期会(注:劇団三期会)がやったのよ。実際に同時並行みたいにデモがあった訳だから。それで「母(おふくろ)」の中のデモの場面をね、報告形式でやるっていうのが非常に新しかったんですよ。だから、安保闘争も芝居でやろうっていう時に、「母(おふくろ)」のデモ場面っていうのをベースにすると、、、、ほら、デモ場面だったら本当は乱闘になっちゃう訳でしょ、舞台上で。それをただ叙述でやって、赤旗持ってる奴が撃たれて倒れて、それをおふくろが「私に渡しなさい。」って言って取るところとかがね。本当に「母(おふくろ)」っていうのはね、ものすごいアジテーション劇なんだけど、静かなアジテーション。だからね、逆に今やる意味はなくはないとは思うんだけど。

福永:テリーはどうですか。

冨田:うーん。まあその、今日集まった趣旨に沿って話すと、若い俳優を目指す人達が、一度で良いからブレヒトやって欲しいなとは思いますね、未だに、それだけはもう。

福永:45年から55年、56年って10年間で、かなりブレヒトをやってる訳なんですけど、昔はね。最近はゲスナーさんってドイツ人の先生が来られたけど、なかなかブレヒトを今の学生さん達はやらないんだね。あるいはやれないのかな?で、そういう意味では、テリーが言ったみたいに、やっぱり演劇を目指す人達がブレヒトを1つでもいいからちょっとね。例えば「第三帝国の恐怖と貧困」でもね。ただ「第三帝国の恐怖と貧困」をやろうたって、男と女1人ずつ、まあお父さんお母さんで、まぁ子どもは出てきますけど、今は男の子が5,6名なんて期もあって・・・女の子が70人いるっていう状況だから。

岩淵:今、そんななの、割合。

福永:ですね、確か。男の子10人ぐらい。

岩淵:おれは「トゥランドット」やった時なんかは、もうブレヒト主義者として非常にひどいことやったんだけど、女の子がやたら多いから、トゥランドットの最後に宝塚がトゥランドットを持って中国に行って客演するっていう話にしちゃったんだよ。それで、本当のプッチーニやるわけよ。で、そこへ革命が起こってっていう。

冨田:話にしたんだね。

福永:話にしたんですね。

冨田:だって元々中国が舞台だからね。

岩淵:男の老人役を若い青年にしちゃって女の子にやらせたりしてね。もう桐朋で女を沢山使うっていうの、本当に困ってね。

福永:演出家にとっては本当大変なことだと思うんだけど、やっぱりテリーが言ったみたいに若い時に一つでもブレヒトを、勿論シェークスピアもそうですけどね、やっぱりブレヒトを通過して欲しいなっていうのはありますよね。

高橋:今、ちなみに学校はこういうゼミ形式とかっていうのは?

福永:全然ないんですね。専攻科も。

岩淵:あれは4期かな。千田さんがスパイをさ、20何組やった。

福永:ああ「第三帝国の恐怖と貧困」。4期でやりました。

岩淵:そうでしょ。

福永:あれはちょうど男女の数が25、25でしたからね。

岩淵:ああ。

冨田:あれは山さん(山内泰男元教授)。

福永:山さんが。

冨田:ね、指導したんだよね。

福永:そうですね。

岩淵:あれだけど、全部観るのは仮校舎だったから寒かったよ。

福永:そうですね。あれ試験でしたからね、あれはね。

冨田:面白かったよ。

福永:あれ5期もやったんだよね。

高橋:5期もやらされましたね。最初の頃ね。

福永:だからその部分ではみんなどっかでつながれて来たんですよね。安積さんみたいにいい役ばっかりやってる人もいるけども。やっぱりね、やると全然違うのよね。やっぱりそういうの経験して欲しいなっていう気持ちは私もあるし。

冨田:結局、例えば第三帝国のスパイやるにしても、あそこに出て来る恐怖を想像力でちゃんと自分の中で感じ取れるかどうかっていうね。

福永:ああ、演技者のね。

冨田:演技者だから。そういうことがないと、のほほんとただ生きてるだけになっちゃうでしょ、現代に。だって日本だってさ、一皮剥けばどうなるか分かんないような、すごい流動的な時代なわけだから。

岩淵:例えばあのスパイなんてのは完全に孤独だもんね。

高橋:そうですね。

冨田:だからそういう想像力を持てるか持てないかね。それはすごい重要なことだと思うね。現代を、現代の世界を感じ取るためにはね。

福永:ああ、そうですか。解かりました。まあ、色々お話頂きました。何か、最後に、こういう事、言っときたいっていうのがあったら。

冨田:いや、ともかく一度だけでいいから通過して下さい。あと、やっぱり本読まなくなったなあ。俺も読まなかったけどさ。今の子本当読まないもんなぁ。だから色んなもん読んだほうがいいよ、と・・

福永:私もよく、読め、読めって言われましたから人のこと言えませんけどね。
はい、分かりました。じゃあ、こんなところで宜しいですか?岩淵先生、何か?

岩淵:いやいや、何もない。

福永:では、皆さん、今日はありがとうございました。

 「千田ゼミについて」
      千田ゼミナールは、千田是也を主幹として、
      詩人・作家・翻訳者・長谷川四郎氏、
      ドイツ文学翻訳・演出家・岩淵達治氏を中心として始められた。
      「カラールおばさんの鉄砲」「セチュアンの善人」等は、
       長谷川四郎氏の翻訳によるものであった。
      千田是也は千田ゼミのことを「ブレヒトゼミ」と呼んでいた。
                       附記・2期 冨田正久

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