波動が変わる時 | *:.。..。.:+・゚●スピリチュアルな日常*:.。..。.:+・゚ほんとのことがしりたい●*:.。..。.:+・゚

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Spiritual…霊的◆Spirituality…霊性、精神性◆Spiritualism…精神主義、心霊主義◆霊… 不思議な力や働きをもつ存在。万物に宿る精気。肉体に宿ってその活動を司る精神的実体。魂。

わたしたちの波動が大きく変わる時に何が起こるかご存知でしょうか。

多くの人がイメージしているような輝かしいことばかりではありません。

むしろその逆であることの方が多いと思います。

 

ステージをひとつ上がる時には、その飛躍の推進力として

望んでもいなかったような出来事がその身に降りかかることがよくあります。

「どうしてこんなことが起こるの…?」「いったい私が何をしたというの…?」

本当にこう思ってしまうような出来事が起こります。

 

でも、落胆しないでほしいのです。

それは単なる過程に過ぎません。

その通過儀礼を通ってしかステージの上昇はないのです。

 

確かに苦しい。

確かにつらい。

だけれども、その先にあるものを感じて下さい。

 

その時だけの状況を切り取って、すべてを否定しないでほしいのです。

あなたが真の変化を遂げるための儀式が行われていると思ってほしい。

そのことを理解してほしいのです。

 

物事の表面だけを見ないで

その向こう側に隠されているメッセージに目を向けて下さい。

 

あなたがその出来事を経て、何を掴もうとしているのか。

たとえば大切な何かを手放したあとの大きなスペースに

天の神さまが何を与えようとしているのか。

それが何なのか今はまだわからなくても

やりきれない想いを抱えてしまった時には

「その時」ではなく「その先」にフォーカスしてみて下さい。

 

「このことはきっといいことに変わる」

という確信を持ち続ける勇気を奮い立たせてほしいのです。

 

得手勝手な解釈をして下さいと言っているのではありません。

問題に蓋をしてやり過ごして下さいと言っているのでもありません。

 

もちろん原因と思われることについては、逃げずに真正面から向き合います。

しっかり内観をして、己の内側に巣くっている恐れを見極めます。

 

その上で理解してほしいのです。

「このことは自分を成長させるために起こっているのだ」ということを。

 

投げやりな姿勢ではなく、委ねる姿勢。

自己否定からくるあきらめではなく

自分を責めない状態できれいさっぱり降参すること。

 

目に見えない大きな力は

こうした瞬間のわたしたちのフィーリングを決して見逃しません。

ご褒美をあげようとか、罰を与えようとかそんな目的ではなく。

 

ただその時わたしたちが放った波動と共鳴するものをもたらす。

普遍的な法則として働くのはそれだけです。

 

ひとつの視点しか持てずに

「ひどい目に遭った!最悪だ!」と我が身の不運を嘆くもよし。

「なんだあいつ人の気も知らないで!二度と親切になんてするもんか!」

と相手を非難するもよし。

「なぜこんなことが起こったのだろう…天は自分に何を伝えようとしているのだろう?」

とまったく違う視点から出来事を見つめ直してみるもよし。

 

その選択の自由はあります。

ただその選択によってもたらされるものは

何度も言うようですが、選択した時に自らが放った波動域と同じものです。

 

わかりやすく言えば…

自分は不幸だと信じて疑わないなら、今後もたらされるものはさらなる不幸。

自分は被害者だと信じて疑わないなら、今後もたらされるものはさらなる被害。

一見好ましくない出来事に見舞われても、成長のチャンスをもらったと信じて疑わないなら

今後もたらされるものはさらに成長できるチャンスです。

 

またそのことに感謝できたなら

今後さらに感謝したくなるようなことが起こってきます。

 

さまざまな信念のもとに、出来事の意味もさまざま形を変えます。

出来事が持つ意味は、解釈の数だけあると言えます。

出来事とは「ただそうである」というだけの現象でそれ自体に意味はなく

そこに「良いこと」「嫌なこと」などの意味付けをするのはわたしたちなのです。

 

ある「要素」が自分の内側にあるならば

どのような状況であっても、いたるところでその「要素」を見つけ出すことができます。

果たして自分は不幸な要素を持っているのか、感謝の要素を持っているのか?

不満要素か?攻撃要素か?被害者要素か?愛の要素なのか…?

 

たとえば不幸の要素をたくさん持っている人は

どれだけ幸せのさなかにいたとしても、不幸の種を見つけ出すことができます。

愛や感謝の要素をたくさん持っている人は

どんな逆境に置かれたとしても、感謝できる種を見つけ出すことができます。

 

どちらを持っているかで良いも悪いもありません。

ただ今後我が身に起こる出来事の内容を決めるのは神でも仏でもなく

他ならぬわたしたち自身が放ち続けている要素(波動)そのものだということです。

内面にどんな要素をたくさん持っているかだけの違いです。

 

このことを頭の片隅に入れた上で

自分の思考や言動を毎瞬意識して選択して下さい。

 

不幸の要素をたくさん持っていたとしても、そのことに気付き

そうでない選択をするのだという決意をした時からものごとは必ず変わっていきます。

少しずつでも必ずです。

 

要素とは自分自身が選択する思考パターンです。

ついつい考えてしまう傾向であり

昔からの行動癖であったりもします。

もちろんすべて変えることができるものばかりです。

 

わたしが言っていることが真実だとか嘘だとか

合っているとか間違っているとか

そんなことはもうどうでもよくて

 

実際わたし自身が体験したことから導き出したのは

上記のような内容だということをお伝えしたい。

 

とにかくひとりでも多くの人に、今より少しでも楽になってほしい。

その一心です。

 

意識して毎瞬自分の在り方を選択して下さい。

とにかくそれだけです。

 

やってから「ほんとにそうだな」「どうもピンと来ない」

そう実感しても遅くはありません。

違うと思えば、別のやり方を選択するだけです。

でもやらずしてあれこれ考えていては一向に前に進めません。

 

人はそれぞれ個別のシナリオを持って生まれてきていますが

どのタイミングで気付くか

どのタイミングで次のステージに進むのかもそれぞれだし

チャンスもハードルも、何度でもやってきます。

特にハードルは、クリアできなければだんだんキツい内容になっていくことが特徴です。

 

選択の自由は平等に与えられています。

たとえば今回変容のチャンスが与えられていたとしても

本人がそれを選択しなければ見送りということも十分あり得ます。

「成長しない」という選択の自由も持っているのです。

 

その上で言えることは

「もしも変わりたいと思うのならば、古いパターンの選択は捨てて下さい」

ということです。

 

変容しないという選択は、その時だけにスポットを当てれば確かに楽です。

むしろ変容するという選択の方がつらく苦しい作業かもしれません。

どんな状況であれ「今まで通り」というのが、その人にとっての安全地帯であるからです。

 

しかし、勇気ある選択によって自分の可能性が格段に広がるのなら

不満だらけの道のりを汗水たらして歩くよりも

勇気を出して新しい世界へ一歩踏み出す方がいいのではないかと思うのです。

 

伝わりづらい部分もあるかもしれませんが

これを読んでいるひとりでも多くの人が

本来の自分に近づけることを心から祈っています。