年越し
テーマ:ブログもう年越しなんですよね。気がつけば。
いや~、今年はものすごくいろんなことがありすぎて、わけわからなかった。
それだけ、しんどかったわけです。
振り返ってみても思い出したくないことばっかり。
年越し、この日を迎えることがあるとは思ってなかった。
そのくらい、ギリギリまで追い込んでいたのかもしれない。
去年の今頃も、年を越せるかわからなかった。
病んでましたね。正直。
この年ほど1年が長かった年はなかったかもしれない。
今年に入って、仕事もできなくって、すべてがイヤになったのです。
人間関係がこじれると、どうしても前に出ようとする気にすらなれない。
頑張ろう、頑張ろうとするけれど、カラ回りしすぎて、うまく表現できない。
いや、大学に入学することができたのは奇跡かもしれない。
しかし、34歳、この年齢で大学に通ったところで、ジェネレーションギャップがありすぎ。
友達感覚で接することはできない。
年下だもん。逆に、大学生からしたら、年上だもん。
どう考えたって、共通点すらない。
いくら頑張ろうとしても、ついていけない部分があって、自分を押し殺していたのかも
しれない。
2部の大学ですから、何とか働きながら、学校に通えればなぁって思ってました。
甘かったですね。
世の中、通用しないです。こんな甘ったれた考え方。
仕事をしたいがため、お金をもらいたいがため、いろんなところに面接に行きました。
人様からみたら、こういう考えって、甘いって思われるんでしょうね。
ってか、入社する前から、こんな制限がある人って、なかなか採用できないって
言うのもわかるけど、働けるまで、すっごく苦労したし、長かったです。
ただでさえ、対人恐怖で、人の目を見ることさえできなかっったのに、
今は何とか、もぐりこんで仕事をしている。
今でも自分自身に自信がないため、どうしても人の目を気にしすぎて、
表現できないことに苛立ってます。
仕事ができる、できないにかかわらず、人のことを意識しすぎて、どうしても
うまく立ち振る舞いができない。
頑張ろうとするが、余計に裏目に出てしまい、印象を悪くする。
どうしたらいいの?って自分自身に自問自答してしまい、結局のところ
自分自身を追い込んでいるような気がする。
辛かった。ホントに辛かった。
でもね、自分自身にも言い聞かせなきゃいけないし、このブログを見ていただいた
人にも伝えたいことがあります。
それは、
”頑張り過ぎないこと!”
”誰かがいるわけだから、自分自身を追い込まないで!”
これって、自分に言い聞かせることって、受け入れがたいことなのかもしれない。
でも、結局、そう思わないと、自分という存在すら見失いそうだと思ったから。
イジメにしたってそうです。学校でイジメに遭っている人にも、仕事でイジメに遭っている
人にも言えるかもしれない。
背伸びをしようとしても、無理したって、人様にはわかってもらえない。
自分のポリシーを守ることで、自己防衛しているわけだから。
学校でのイジメは、難しいかもしれないですけど、自分自身の世界さえ持っていれば、
人様には干渉されないくらいまで、そのくらいの勢いで生きていければ
何とかなるものです。
無理して人と合わせようとするから、ギャップが生じ、いくら自分の信念があろうが、
人に合わせてしまっている自分がいるため、相手からしてみるとムカつかれてしまい、
相手のフィールドが広い分、どうしても意見が合わなくなってしまう。
特に、相手が強いオーラ、味方を引き込む強い何かを持っている人のところに
入ろうとする場合、なかなかこの構図は変えることができません。
じゃあ、どうすれば、イジメに遭わないようになるか?
それは、強い力に屈すことができるくらいの根性ですね。(強がり)
ホントはイヤですよ。人に振り回されるのはイヤですけど、生きることって
このくらいの処世術は持っていたほうが自分を守るにはイジめられなくって
いいわけですから。
ただし、この場合、どうしてもイジメれらないため、イジメるターゲットを作らないと
自分に火の粉が降りかかるわけで、逆にターゲットにした子からは恨まれるわけで。
辛いですよね。世の中って、こういう構図ですから。昔っから。
他は、自分自身、強い力に負けないくらいのものを持っていれば、
近づいてこないでしょうね。人を拒絶するくらいの力を持っていれば。
これもなかなか難しいです。友達すらできないかもしれないですから。
自分を守るには、このくらいの方法しかないわけで、
人に合わせようとした時点で、自分を押し殺しちゃうわけで。
ヤンキーになろうが、オタクになろうが、基本的に考え方は変わらないのです。
自分を守るために強がったり、拒絶したりするわけで、
どういう生き方になるかは、その人のこころの闇のなかにあるわけなのです
社会に出たって同じ事なのです。
特に社会って、絶対的な縦社会にあるわけで、1年先に入社したって、
年上、年下に関係なく、部下と上司の関係にあるのです。
自分の考えどおりに世の中、進むわけじゃないから、
今、オイラも苦労しているわけで、
いくら、前の会社で実績を積もうとも、違う会社に転職した時点でリセット
されちゃうわけで、どんなに頑張っても、上司と部下の関係って
崩れないのです。
今年は特に、若い子が自ら命を落とすことが多かった年でしたね。
その子たち、どういう思いで自ら命を絶ったかはわかるような気がします。
死ぬ直前って、怖かっただろうと思います。
悔しかったはず、もうちょい頑張れたのかもしれない。
でも、この精神的な苦痛から、逃れたかった、ラクになりたかった。
ただ、それを見ぬふりをして止められなかった親もいるわけで、
死んでしまってから気づいても、もう取り返しがつかないわけで、
事件になったニュースでも、学校の責任ばかり問うだけで、
じゃあ、親として自分の子供のSOSに気づいあげられなかったことは
どういうつもりなのでしょうか?
親の責任を問うつもりはありません。学校の責任を問うつもりもありません。
ただ、じっくり話をして、対策を打つことだってできたと思うのです。
いかに子供の異変に気づいてあげるか、イジめられた子が、親に
”イジメられてます。辛いです。”
なんて言わないでしょう。っていうか言えません。
強がって、家の中で暴れたり、引きこもったりすると思うのです。
私の実体験からすると。
親には迷惑をかけたくないから、親には期待できないと思うと自己完結に
走りがちです。
誰でもいいのです。その異変に気づいてあげることできれば救われるのです。
気づいてあげる人が親だろうが、じいちゃん、ばあちゃんだろうが、
彼女(彼氏)だろうが、助けてくれとは言わないけど、聞いてほしい、
自分の言ってることを理解してほしいだけなのです。
聞いてくれる人さえいれば、言うだけ言って、乗り越えられる人だって
いるわけだし、自分自身で追い込んじゃっていると、考え方が一方通行に
なって、逃げ場がなくなって、最終的な結論にまで行き着いちゃうわけで。
なかなか理解しようとする人は少ないです。こころの病って、どうしても
理解しにくいところがあるのです。
やぱり、そういう局面に遭ってない人に理解はできないわけで、イジメられていた
なんてカミングアウトできる人は少ないのです。
そういう人ほど、強がって生きてきたので、
”オレ(ワタシ)は~~で生きてきた。こんなことくらいで・・・”
とか言われても、イジメられている人は今しんどいから、話しているのに、
頭ごなしで、そうい言われても・・・
って話にならないわけで。
家庭でも、社会もそういう人が多いのです。
人を生かすようなこと、首切りばかりでなく、受け入れられるような社会になると
いいですね。来年こそは、人のことを大事にできる世の中になってもらいたい。
今の社会、あの総理大臣では無理かと思うけれど・・・。
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