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〇 1921年 共産党結成
1921年に陳独秀(北京大学文科科長)や李大釗(北京大学図書館長)、毛沢東(元北京大学図書館司書)らが中心となって上海にて結成。

当時、上海は中国第一の工業都市として発展しており、全国から出稼ぎで労働者が集まって、清の時代に列強によって設けられた上海共同租界には日本人経営の工場などもあった。やがて労働運動が活発化し、中国人労働者の待遇改善を求めるストが発生していく。ストは共産党の労働組合の指導下で行われ、それが日系企業へのストや帝国主義反対運動として全国にも波及し、結成間もない共産党の指導力をみせつけることになる。

〇 1924年 第一次「国共合作」
1924年に中国国民党一全大会が広州で開かれ、国民党と共産党の連合や提携の方針が採択され、「連ソ・容共・扶助工農」を確認。連ソとは、ソヴィエト政権と連帯すること。容共とは、共産党も受け入れた統一戦線を結成すること。扶助工農とは、労働者や農民と連帯すること。

軍閥を打倒し帝国主義の放逐を掲げ、中国統一を目的としていた。しかし、孫文亡き後、国民党内部で徐々に亀裂が生じる。

 
二列目左から3人目は毛沢東

〇当初の毛沢東の活動                          
毛沢東は1923年、共産党と国民党の代表として、国民党の湖南支部を組織し、農民運動の報告書「農民に依拠し、農村を革命根拠地とする」を作成。これは革命理論の構築の初期段階と考えられている。

1927年4月の蒋介石による上海クーデターで国共合作は崩壊した。その直後共産党第5回大会で毛は「武力で政権を打ち立てる」方針を提案、国民党との武装闘争が党の方針として決議された。毛沢東は、1929年から1931年にかけて、湖南・江西・福建・浙江の各地に農村根拠地を拡大し、地主・富農の土地・財産を没収して貧しい農民に分配する「土地革命」を実施。1931年11月、江西省瑞金を首都とする「中華ソビエト共和国臨時中央政府」の樹立を宣言してその主席となった。

しかし、江西ソビエトの根拠地は国民党軍による包囲に対して、毛や朱徳など前線司令部はゲリラ作戦をたてたが、上海にある党臨時中央政治局は、積極的に出撃して国民党軍による包囲を粉砕することを前線に求めてきた。毛の作戦はソ連留学組中心だった党指導部によって批判され、1932年10月、毛は軍の指揮権を失った。
…つづく
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