■ぞうきんの詩

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渡辺和子シスターの『置かれた場所で咲きなさい』の中に、河野進牧師によるぞうきんの詩が出てきます。


33ページ。


こまった時に思い出され

用がすめば すぐ忘れられる

ぞうきん

台所のすみに小さくなり

むくいを知らず

朝も夜もよろこんで仕える

ぞうきんになりたい



立派な心がけだと思うし、ぞうきんってそういえば役立ってるな、ありがたいなと思います。


ただ、自尊心がない人が本当に雑巾のような扱いを受けると、凹むものですよ。


自分のことですけど。


仕事で、適当な人がいないから穴埋めに呼ばれたのは最初から理解していたけど、要らなくなった途端にフェイドアウトで無関係にされるというのは、ああ、ほんとうに穴埋めなだけだったんだな、と思ったことがあります。


まさにぞうきんみたいなものなんだな、と。


でもこうしてあらためて読むと、ぞうきんって無いと困るんですよね。


どちらかといえば、人をぞうきんのように扱わず、ぞうきん的な役割をやってくれる人に感謝するようになりたいです。


人を使う場合の反面教師にもできると思う。



それから、シスターも、他の人もよく引用することのあるアッシジの聖フランチェスコ(英語やスペイン語読みだとフランシスコ)の、


主よ、慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを・・・・


というのも、神に愛される1人の人間であることを理解しているとか、宇宙の中で自分も存在していいんだと肯定できている場合は良いと思うんですが、そうじゃないと自己犠牲の一方通行になりそうです。


この後には、「与えられることによって与えられ、許すことによって許され」と続くのですが、その与えられるものや許しは、望んだ方向からはやって来るとは限りません。


違う方向から与えられたこと、許されていることに気付いて受け取れる人ならいいんですが、そうでないと、理解しようと努力しても、自分の側は決して理解されることはない、と思えてむなしくなる。


無いほうばかり気になるからね。これも自分のことですが。


きっともっと大きく捉えなければならないのでしょう。






置かれた場所で咲きなさい/渡辺 和子
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kindle版もあるそうです。










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