In The Groove

a beautiful tomorrow yea


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ジギー・ツアーの終盤、デヴィッド・ボウイが次のRCAのアルバムの企画を考え始めた頃に、二人の友人関係は始まった。ある晩遅く、一行がコンサートの後くつろいでいる時に、マイク・ガースンがバーのピアノでジャズのスタンダード・ナンバーを弾き始めた。彼が<My Funny Valentine>を弾くと、デヴィッドがやって来て彼に合わせて歌った。「すごくまともな声で歌ったんだ。ちょっとアンソニー・ニューリーみたいでもあったけど、やっぱり独特だったね。美しい歌声だったよ」とガースンは思い出す。それ以降、デヴィッドはジャズの世界に巨匠たちと過ごしたガースンの過去にいたく興味を持ち、彼がビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、レニー・トリスターノと共演したり、ナンシー・ウィルソンやメル・トーメのバックをやった話に熱心に耳を傾けた。「つまり私はスターだったんですよ」とガースンは言う。

―ピーター&レニ・ギルマン著『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』より

 

サマー・オブ・ラブから50年

デヴィッド・ボウイ生誕70周年

アレキサンダー・マックィーン没後7周年

 

2017年は、デヴィッド・ボウイ(1947-2016/享年69歳)生誕70周年のアニヴァーサリーな年であり、ボウイが当時20歳だった1967年に起こった、世界的な社会現象<サマー・オブ・ラブ>から50年の節目にあたる。言い換えれば、60年代や70年代に、若者文化の最先端に位置づけられた「ロック」という音楽が、50年もの時を経て、色褪せて、古くなり、世の中から抹殺されたわけではないが、「新しいもの」ではなくなったのだ。

 

俺自身、80年代末頃から「ロック」という音楽から距離を置き始め、英国のインコグニートをはじめ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズガリアーノ、そしてジャミロクワイに代表されるような「アシッド・ジャズ(クラブジャズ=踊れるジャズミュージック)」に傾倒していったのだ。その後は、説明するまでもなく「ハウスミュージック」にどっぷりと浸り、

インターネットの台頭以降、若者文化の最先端な音楽は「ハウスミュージック」へと変化を遂げ、21世紀の現在(いま)、カルヴィン・ハリスに代表されるようなそれは「EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)」と呼ばれている。

97年にいち早く、ロックという古典ミュージックに、ハウスミュージックという新しい音楽を実験的に採り入れ、新しい音楽を生み出した(1989年からニューヨークのクラブシーンを創り上げてきたDJ<ジュニア・ヴァスケス>をプロデュースしたマーク・プラティを、「アースリング」のレコーディングでも起用し、ジャングルとロックを融合した、当時では最先端のアルバムを完成させた)ロックスターが他でもないデヴィッド・ボウイ(当時50歳)その人だ。そう、英国の異端児デザイナー<アレキサンダー・マックィーン>(1969-2010/享年40歳)がデザインしたフロックコートを身に纏って、ね。なお、今から7年前の2月12日(金)付ブログ“ALEXANDER McQUEEN FOREVER”(テーマ: ファッション)では、ボウイとマックィーンの関係性について触れたので、興味がある方はどうぞ。

 

そもそも、70年代生まれの俺にとって、「60年代の推進力が何だったのか?」なんてことに興味はあまりないわけだが、83年にデヴィッド・ボウイの洗練された音楽に出会ってからというもの、俺の価値観や人生観が大きく変わっていったのは確かだろう。彼はとても知的で、とても美しくて、とてもファッショナブルで、そして我々ファンをいつの時代にも飽きさせることなく、次から次へと変化し、時代の最先端を走り続けた孤高のロックスターだった。デヴィッド・ボウイの前妻<アンジー>の著書『デヴィッド・ボウイと私と70’s』には、60年代について次のように述べられている。

 

1966年のロンドンは最高に素敵だった。まるで、文化全体が変化しているようだった。ビートルズやストーンズとザ・フーが、古い英国の優雅さや秩序、抑制といった壁に穴をあけ、多くの若者たちがその穴からどっと溢れ出した。それまでのメディアのスターは貴族や貴婦人だったり、エリート中のエリートだったりしたけれど、初めて毛並みの悪いポップ・シンガーや、アーティスト、モデル、フォトグラファー、デザイナーなどが、そのルックスやサウンドやスタンスによって彼らに取って代わることになった。ついに、上流階級の話し方ができなくても、もって生まれた権威がなくても、英国社会で認められる時代がやってきたのだ。

―アンジェラ・ボウイ

付け加えるなら、1973年リリースの傑作アルバム『アラジン・セイン』同様、マイク・ガースンがピアノで参加している、ボウイが1974年4月にリリースした傑作アルバム『ダイアモンドの犬』をご存じだろうか。同アルバムは、ジョージ・オーウェルの反ユートピア小説『1984』をモチーフに制作されたそれなのだが、同アルバムには同名タイトル曲“1984”も含まれている。そんな私的に記憶に残る、同作家の『1984』と『動物農場』の2冊は、ボウイの影響で10代の頃に繰り返し読んだことを憶えている。そんなオーウェルの小説『1984』が、ドナルド・トランプが大統領に就任した今年、米国のアマゾン書籍売上ランクのトップに躍り出たと、先月末ニュースで話題になったのは我々の記憶に新しいところだ。「時代が変われば、ロックも変わる」ように、ね。

 

また、英国人作家<オルダス・ハクスリー>著『すばらしい新世界』に関して、2013年10月8日(火)付ブログ“BRAVE NEW WORLD”(テーマ: 本・雑誌)で触れたので、興味がある方はどうぞ。同エントリーの冒頭で、ニコライ・ベルジャーエフの言葉「ユートピアはかつて考えられていたよりもずっと実現可能なように思える。われわれは今、従来とはまったく異なる憂慮すべき問題に直面しているのだ。ユートピアが決定的に実現してしまうのをどう避けるかという問題に。ユートピアは実現可能である。社会はユートピアに向かって進んでいる。おそらく今、新しい時代が始まろうとしているのだろう。知識人や教養ある階層が、ユートピアの実現を避け、より“完璧”でない、もっと自由な、非ユートピア的社会に戻る方法を夢想する時代が。」を紹介した。そして今年、ドナルド・トランプの時代が始まったわけだが、彼はアメリカの救世主なのだろうか?

 

デヴィッド・ボウイ・トリビュート・コンサート

Celebrating David Bowie

 

前置きが長くなってしまったが、当初の予定は「デヴィッド・ボウイ大回顧展」について綴る予定だったが、今回のブログは、先週2月2日(木)の冬の夜に足を運んだデヴィッド・ボウイ・トリビュート・コンサートについて―。

土曜日の夜、ディナー後に、先月足を運んだ同企画展で購入したデヴィッド・ボウイのチョコレート(高級ショコラではなく普通のチョコレート)をいただきながら、シャンパン片手に、ボウイの曲をBGMに、ブログを書き始めたわけだが、最近感じるのは、俺自身、ボウイ同様、1月生まれの山羊座だからだろうか、夏よりもの季節が好きなことに気付いたのだ。とはいえ、子供の頃は、より夏が好きだったのは確かだけれど、の夜に聴くデヴィッド・ボウイの音楽もまた、格別に素敵だ。

 

本題に入るが、今から34年前、デヴィッド・ボウイの世界的に大ヒットしたアルバム『Let’s Dance』がリリースされた1983年、当時の・・・小学1年生(7歳)が今年41歳(1976年生まれ)、中学1年生(13歳)が47歳(1970年生まれ)、高校1年生(16歳)が50歳、大学1年生(19歳)が53歳(1964年生まれ)だ。そして当時、30歳ならば今年64歳で、(ボウイと同い年の)36歳ならば今年70歳だ。

 

したがって、先週の木曜日、タクシーから下車し、東京ドームシティホールに到着した夜、会場内で周りを見渡すと、50代60代と思われるファンがほとんどで、今から27年前となる1990年5月に東京ドームで観たデヴィッド・ボウイのコンサートの客層とは明らかに異なるそれだったのだ。「輝ける青春」はどこへやら、俺も年齢(とし)を取ったとはいえ、周りからは未だ30歳前後に見えるようで、単に若く見えるからだろうか、(飽きることなく)今でも日課のスポーツジムを消化し、ファッションや美容、食事などにも過度に気を遣っているからだろうか、オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』ではないが、会場を訪れていたファン(ほとんどが俺よりも年上だろう)の顔がとても老けて見えて、俺ひとりだけ若いような気がしたのだ、まるで子守にうんざりし「ラビリンス 魔王の迷宮」に連れ去られたかのように、ね。同じボウイファンが一堂に会するような、こういう機会はもう二度とないのだろうが、デヴィッド・ボウイ大回顧展でも同じようなことを感じたわけだが、デヴィッド・ボウイだけは永遠に若いままだが、時の流れとは残酷なものだ。

 

俺の勝手な妄想だと前置きしておくが、デヴィッド・ボウイのファンは皆、知的で、高額所得者で、洗練されていて、ストイックなまでに自己管理(運動)も怠らず、色んな意味でスマートだと思い込んでいたのだ。今回、そのイメージが完璧に崩れ去り、とっても衝撃的な夜となった(笑)。

 

当日の俺のファッションは、<ロロ・ピアーナ>のベビーカシミヤのタートルネック(ライトグレー)に<ジョルジオ・アルマーニ>のヴェルヴェットパンツ(ブラック)、そして<ジョルジオ・アルマーニ>のレザージャケット(ダークブルー)を羽織り、首元には<ジョルジオ・アルマーニ>のヴェルヴェットのストール(ブラック)を巻き、足元は<サントー二>のレザー製アンクルブーツ(ブラック)、そして腕時計は<ピアジェ>のアルティプラノを選択した。

デヴィッド・ボウイを偲ぶ夜は、18時半スタート予定が10分ほど遅れて始まり、71歳となったジャズ・ピアニスト<マイク・ガースン>のピアノソロで静かに幕を開け、俺自身の1983年から始まったデヴィッド・ボウイのリアルタイムな記憶の断片が、頭の中の宇宙を漂流し、1990年5月に2日連続で行われた東京ドームのコンサート“Sound & Vision”ツアーにワープしたり、デヴィッド・ボウイの音楽の歴史が鮮明なまでに蘇ってきたのだ。会場内は照明が落とされ、とても暗かったので、周りのファンの顔色を窺うことはできなかったとはいえ、きっと泣いていた女性ファンも少なくなかったはずだ。

特筆すべきことは、今回東京で開催されたボウイ・トリビュートのファイナル・コンサートは、ピアノ(キーボード)担当のマイク・ガースンが中心となり、70年代及び80年代に発表された楽曲で構成されたヒットパレード的なそれであり、3時間弱にも及ぶ長い時間、プロ歌手によるデヴィッド・ボウイを偲ぶカラオケ大会で盛り上がった素敵な冬の夜だったとも言えるが、

とりわけ、ゲイビー・モレノちゃんが歌うデヴィッド・ボウイの名曲の数々だけは他を圧倒するくらいに、魔法にかかったように、とても気分が高揚し、素晴らしかったことを付け加えておきたい。しかも歌うだけではなく、ギターを弾きながら再登場したときの彼女には、鳥肌が立つほどに、ロックスター的な雰囲気が漂っており、俺にデヴィッド・ボウイの記憶を改めて呼び覚ましてくれたのだ、素敵に。

多くのミュージシャンが今回参加したゆえ、聴くに堪えないそれもあったのは確かだし、1990年5月の東京ドームで、ボウイ(当時43歳)の隣でギターを弾いていた天才ギタリスト<エイドリアン・ブリュー>(当時40歳)も67歳となり、髪の毛も薄くなり、時の流れを感じさせた。そして今回、ギタリストの彼がボウイの楽曲を数曲歌ったのだが、上手いそれと下手なそれの違いがありすぎて、とても面白かった(笑)。普通に上手いレヴェルなのかもしれないが、34年もの長い間、何万回も何十万回もボウイの歌声を聴いてきた、肥えた俺の耳には、その違いがはっきりと分かり、とても貴重な体験となったわけだが、本物にそして贅沢に、慣れ過ぎたせいだろうか、デヴィッド・ボウイの偉大さを改めて知る夜となった。

 

<セットリスト>

1. Rebel Rebel (1974)

2. Lady Grinning Soul (1973)

3. Five Years (1972)

4. The Man Who Sold The World (1970)

5. Changes (1971)

6. Life On Mars? (1971)

7. Sound And Vision (1977)

8. Starman (1972)

9. Rock 'n' Roll Suicide (1972)

10. Where Are We Now? (2013)

11. Space Oddity (1969)

12. D.J. (1979)

13. Boys Keep Swinging (1979)

14. Suffragette City (1972)

15. Diamond Dogs (1974)

16. Win (1975)

17. Young Americans (1975)

 

18. All The Young Dudes (1972)

19. Wild Is The Wind (1956/カヴァー曲)

20. Ashes To Ashes (1980)

21. Fame (1975)

22. Fashion (1980)

23. Golden Years (1976)

24. Aladdin Sane (1973)

25. Stay (1976)

26. Moonage Daydream (1972)

27. Ziggy Stardust (1972)

28. Heroes (1977)

 

アンコール

29. Let’s Dance (1983)

30. Under Pressure (1982)

 

コンサートは、マイク・ガースンのピアノソロから始まり、『ダイアモンドの犬』収録のロックンロール・ナンバー“Rebel Rebel”(1974)で会場内の温度は一気に上がり、

続いてホリー・パーマーが歌う『アラジン・セイン』収録の“Lady Grinning Soul(邦題: 薄笑いソウルの淑女)”(1973)で一転、マイク・ガースンのロマンティックなピアノが同曲の艶めかしい雰囲気を盛り上げ、1800年代のショパンやリストを彷彿とさせた瞬間、デヴィッド・ボウイの当時のラヴ・ストーリーを俺に思い起こさせたのだ

コンサートで披露された全曲の感想を綴りたい気分だが、長くなるので、これくらいにしておきたい。そう、日本人アーティストも今回数組参加したのだが、イエローモンキーの吉井氏が歌う“Ziggy Stardust”は普通レヴェルで、オリジナル・ラヴの田島氏が歌う“Starman”は聴くに堪えないレヴェルだったが、後者の彼は歌詞を完璧に覚えてきてほしかったね、デヴィッド・ボウイにも観客に対しても失礼なそれだった(ステージ上での丁寧な立ち振る舞いは伝わってきたけれど)。一方、日本人ゴスペルグループのThe soulmaticsが歌う“Young Americans ”には正直、度肝を抜かれ、彼らのそのパワフルな圧倒的な歌唱力に「日本人もやるじゃん」と内心思いながら、マイク・ガースンも彼らのパフォーマンスに感心していた。正直な感想なので、あしからず。

 

最後になるが、冬の凍えるような夜の東京も悪くはないが、“All the Young Dudes”を聴きながら、同曲の邦題『すべての若き野郎ども』とは対照的に、会場内の年老いた観客に囲まれていたせいだろうか、同曲が『すべての老いた野郎ども』に聴こえたのは俺だけだろうか? とはいえ、生涯忘れられないくらいに記憶に残る、デヴィッド・ボウイを偲ぶ素敵な夜となった。俺は★(星)が輝く冬の夜に、素敵なロックンロールな夢を見た気がするよ、デヴィッド。

 

Happy Valentine's Day!

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音楽と音楽の好みは、個人とグループのアイデンティティーを表し、それぞれを区別する目印になるのだ。好きな音楽は、その人の個性と繋がる、その人の個性を表していると、ある程度までは言っていいだろう。

―ダニエル・J・レヴィティン著『音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』より

 

周囲から浮き上がるのを恐れずに、

とっぴな行動ができる人間がいないこと。

それが今の時代の最大の危機だ。

―ジョン・スチュアート・ミル

 

自由の最高の使い手は、充実した個人である。では、そうした個人となるにはどのような要素が必要になるのだろうか。まず、個性を鍛えねばならない。自ら正しいと信じたことを敢然と主張し、意見が通るか否かにかかわらず、それを聞いた人たちが満足感を覚え、その人を尊敬し威厳を感じるような状況を生み出せるなら、意見は強いほど良い。それを聞いてみたくなるのは、内容、表現、感情の表出を総合した一つの作品としての魅力があるからだ。

―ジョン・スチュアート・ミル著『自由論』より

 

冷たい雨が降り続いた金曜日

 

個性多様性に富み、“天才”を併せ持った魅力溢れる男<デヴィッド・ボウイ>。1960年代から2010年代までの半世紀もの永い間、常に“変化”しながら、かつ時代のアイコンであり続け、いつの時代においてもミュージックシーンの最先端を駆け抜け、彼自身の存在そのものがファッション(流行)を超えた、ロック界の伝説だったが、そんな麗しき“スーパー”スターが今年1月、★になってから、早いもので10か月が経過しようとしている。

色んな意味で、俺の人生に“洗練”を加味してくれた偉大な恩師であり、理想の男。そして誰もが夢見たであろう完璧な偶像。彼がいなくなった世の中は今、とっても退屈だが、ひとつだけ言える確かなことは、デヴィッド・ボウイは、彼の人生を猛烈に楽しみ、それをアートに昇華させた、稀有な存在のロックスターだったのだ。I miss you, oh Bowie.

 

ところで昨日(28日)、東京都心には冷たい雨が降り注ぎ、午後1時の気温は10度9分を記録し、これは平年だと12月下旬、クリスマス頃の寒さだったようだ。季節はだけれど。

金曜の夜は、銀座のフレンチでの会食後、最後にプティフルと共にブラックコーヒーをいただいた。フレンチにシャンパンを合わせるのは最高のそれだが、日本酒とのマリアージュも悪くない。当日のファッションは、ジョルジオ・アルマーニのシルク混スーツに、トム・フォードのカシミアコートを羽織っていたが、寄り道せず、タクシーに乗り込み、まっすぐ家路に就いた。

 

昨夜、車中とても小さな音量で流れていたのはジャズだったが、俺の頭の中では、アメリカのラッパー<エミネム>が2000年にDido(ダイド)をフィーチャーリングし、世界的に大ヒットしたシングル曲“Stan”の記憶が蘇り、その歌詞の一部“My tea's gone cold I'm wondering why I got out of bed at all / The morning rain clouds up my window and I can't see at all(紅茶は冷めちゃったし、なぜ起きてしまったのかを考えてる。朝から降り続いた雨のせいで、窓が曇っていて、外は何も見えない)”が無限にループしていた。

そう、ニューヨークのセントラルパークはすでに紅葉したようだが、今週はじめ、<アメリカン・サイコな事件>の続報が世界中を駆け巡った。何かと言うと、今から2年前、2014年11月8日(土)付ブログ“I read the news today, oh Bowie”(テーマ: 本・雑誌)のそれを憶えているだろうか。当時のブログでは、ハニフ・クレイシの著書を引用し、ロンドンのフォーシーズンズホテルのツイート写真と、メラニア・トランプのツイート写真(紅葉に染まったニューヨークのセントラルパーク)をそれぞれ張り付け、香港で起こった殺人事件にフォーカスした一方、かつてデヴィッド・ボウイが住んでいたセントラルパークを眼下に見下ろす超高級ホテルピエール>、トム・フォードの超高級子供服、フランス映画『クロワッサンで朝食を』(2012年)などなどを取り上げ、英国の名門大卒のエリート金融マンがなぜ殺人事件を起こしたのかを、同映画の曲のタイトルに合わせて、「の不足」と結論付けていた。事実は小説よりも奇なり、だ。

 

デヴィッド・ボウイの妻<イマン>の現在

 

世界で最も洗練されたロックスター<デヴィッド・ボウイ>の妻で、未亡人となった元スーパーモデル<イマン>の顔にようやく笑顔が見え始めた。本日、土曜の昼下がり、スポーツジムから帰宅後、彼女のツイートを久しぶりに、ピエール・エルメの紅茶をいただきながら、デヴィッド・ボウイの生前最後となったスタジオ・レコーディング音源3曲を収録したアルバム『ラザルス』をBGMに、ゆっくりと覗いてみた。

そこには、KENZOH&Mとのコラボレーション・キャンペーン広告に起用された自信に満ち溢れた元祖スーパーモデル<イマン>の横顔、

ファミリーマン<デヴィッド・ボウイ>が残したノリータに位置するアパートメントのペントハウスから撮ったニューミュージアム方面の空との写真、

そして愛犬<マックス>の写真、そしてボウイ関連ツイートなどなど、俺の興味を掻き立ててくれる魅力的な世界が広がっていたのだ。彼らの娘<アレクサンドリア>ちゃんの写真は見当たらなかったが、今年61歳となったイマンと、彼女の友人<シンディ・クロフォード>(50歳)との2ショット写真も目に留まり、11連続でRTした。

 

そう、幸福感に包まれた・・・イマンと愛娘と愛犬が住むペントハウスの目と鼻の先には、90年代後半頃、俺も足を運んだキャビアもいただける、当時最先端と形容されたバー<PRAVDA(プラウダ>が現在も営業を続けている。同エリアから西に進めば<ソーホー>、南西に進めば<トライベッカ>が位置しており、ニューヨークを代表するトレンディスポットを形成している。したがって、そこは一般人が居を構えるのは不可能なくらい家賃が最も高騰したエリアであり、ハリウッドスターや有名ミュージシャンが数多く住むニューヨークを代表する超高級住宅街であり、アッパーイーストサイド(高級という意味合いでは、もはや死語か!?)が高級と形容された20世紀が懐かしい今日この頃でもある。90年代当時、俺が好んで宿泊したロイヤルトンソーホー・グランドなどなどのデザインホテルは素敵だったね。

 

マンハッタンでは、お金がない世代は一体どうするのか、その答えは、家賃が安い隣のブルックリンに移り住むなど、選択肢は残っていなかったのだ。そして、かつて何もなかったブルックリンが次第に注目を浴びるようになり、近年、映画にも度々取り上げられるトレンディエリアへと変貌し、新しいスポットが次から次へと誕生したのだ。ボウイが1971年にリリースした傑作アルバム『ハンキー・ドリー』に収録された名曲“Andy Warhol”、その本人が生きていた70年代という時代こそが、ニューヨークという街が、或る意味、刺激的で、妖しくて、最も輝いていた時代であり、音楽家や作家、画家たちが好んだ世界だったのかもしれない。

 

参考までに、『アメリカン・サイコ』が描かれた金融の時代は80年代(日本のバブル期・・・ボウイの名曲“Let’s Dance”のリリースは83年)であり、バブルがハジけた91年以降、日本経済は「失われた時代」に突入していくわけだが、同年セ・リーグで優勝したのが広島カープだった。あれから早25年、あの当時の日本シリーズ同様、広島は今回もまた優勝することができなかった。

 

3年ぶりの来日となったスーパーモデル<ケイト・モス

 

先週、ファッションピープルの女の子たちと、ドナルド・トランプの妻<メラニア>が身に纏っていたグッチボウタイシャツ(ピンク)がカワイイと会話したのが遠い昔のようにも思える今日この頃だが、過去記憶にないような猛烈な暑さを記録した2013年の夏を憶えているだろうか。

2013年9月2日(月)付ブログ“Dear Kate”(テーマ: 番外編)では、ブログ冒頭でオスカー・ワイルドの小説を引用し、ケイト・モスの来日について、俺は次のように記していた。

フランスとイギリスを代表する2人の「時を超えるミューズ」たちが来日を果たした。東京ステーションホテルで8月29日(木)、ルイ・ヴィトンの特別展『Timeless Muses』のレセプションパーティが開催され、同会場に、(1943年生まれで今年70歳となる)フランスの大女優<カトリーヌ・ドヌーヴ>と、(1974年生まれで39歳の)イギリスのスーパーモデル<ケイト・モス>が姿を現したのだ。彼女と俺は共に、1970年代生まれゆえ、年齢がとても近く、1月生まれの山羊座だ。付け加えると、さほど自慢にもならないが、デヴィッド・ボウイも同じく、1月生まれの山羊座なのだ。そして、イギリス生まれのボウイとケイトは、とても仲がいい。というより、ケイトの一方的な憧れのほうが強いのは確かだけれど。

 

ブログ冒頭で、オスカー・ワイルドの短編小説『非凡な打ち上げ花火』から一部引用したが、山口椿氏は、ワイルドの同小説について、「三島由紀夫は、「打ち上げそこねたお祝いの花火」という名せりふで、悲劇『鹿鳴館』を終わらせていますが、・・・(中略)・・・美しさと虚しさ、美と生死というものを縫い合わせていったのが、ワイルドと三島由紀夫ですが、このふたりは、共に「ブルジョワを魂消させる」ことに、それぞれの天才を賭けてしまったのだったら、惜しむべきことです。・・・(中略)・・・私は、この背の高い娘を告発しているつもりはありません」と語っている。

最後になるが、ケミカル・ブラザーズマーティン・スコセッシの来日と、

ジジ・ハディドちゃんの初来日話はさておき、今月3年ぶりの来日を果たしたケイト・モスは、恵比寿ガーデンプレイス内の会場において、DJブースでデヴィッド・ボウイのレコード『ジギー・スターダスト』を見つけ出し、彼女はボウイのロックンロール・ナンバー“月時代の白昼夢(原題: Moonage Daydream)”を同会場で流したのだ。来日していたプライマル・スクリームのコンサートにも顔を出したようだが、今、ふと思い出したのだが、2014年8月8日(金)付ブログ“Summertime Sadness”(テーマ: 音楽)の中で、同バンドのMVに起用されたケイト・モスを少しばかり取り上げたことを・・・。

 

Dear, Kate

Hey, what are you doing tonight, honey? 

他にも書きたいことは山ほどあるが、今夜はこのくらいで。

そして<美食の秋>、白トリュフの季節の到来だ。

 

Happy Halloween!

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夏の夜の夢』の最初の場面で、シーシュースは「ヒポリタ、私は剣をもってあなたの愛を求め」と甘い声で囁き、「華やかに、にぎやかに、楽しいお祭り騒ぎをもって」結婚しようと約束します。このように、この劇は、多様に変化する官能的な浮かれ騒ぎと、結婚という契約による統一と秩序を上手く絡み合わせるという難しい課題から始まります。

 

結婚による秩序を提示したことが、この劇の大きな魅力なのかもしれません。夏も真っ盛りで、シェイクスピア没後400周年のお祝い気分に浸る中、『夏の夜の夢』は、至るところで上演され、尽きる事がありません。イギリス各地で、地元で上演される『夏の夜の夢』の案内の殆どの掲示板、バス、街灯柱や電話ボックスに貼られています。シェイクスピアは「結婚」というテーマに紙面の多くを割きましたが、20世紀の観客にとってはむしろ、両親の離婚や、ジョンソン氏とキャメロン元首相、イングランドとスコットランド、そしてブリテン島とヨーロッパ大陸の別れも含めた意味での「離婚」というテーマの方に馴染みがあります(「結婚」という言葉はシェイクスピアの全作品中で86回、一つの戯曲につき約2.5回使用されています)。

 

完璧なほど叙情に溢れ、筋書きも十分に入り組んだ『夏の夜の夢』は、エリザベス朝時代の観客には、年老い、跡継ぎもない当時の君主に対する不安と心痛をやわらげる麻酔薬みたいに作用し、今なお現代の観客も慰め続けています。しかし問題は、結婚が案外退屈な場合もあるということです。結局、この劇は結婚と離婚の問題に対して答えを出してはいません。イギリスの前首相が退任前に語った最後の言葉にもあったように、その判断は観客の皆様に委ねます。

ウィル・フェルトン(『夏の夜の夢』の舞台演出家)

 

 

シェイクスピアデヴィッド・ボウイ

 

先週末、池袋の東京芸術劇場において、イギリスを代表する名門大学<オックスフォード大学>の、演劇協会(OUDS)によるシェイクスピア作『夏の夜の夢』の来日公演を観劇した。シェイクスピア(1564年‐1616年)没後400周年にあたる特別な年に、デヴィッド・ボウイ(1947年‐2016年)は★になったが、イギリスでは『夏の夜の夢』は国民的な劇だと見なされているようだ。

 

夏の夜の夢』は、アテネとアテネ近郊の森を舞台に、結婚をテーマにした喜劇なのだが、デヴィッド・ボウイは「結婚」と「離婚」を経験したロックスターであると同時に、私見だが、彼はシェイクスピアを意識し、多様に変化しながらも、その中で、結婚というテーマにも取り組んだ数少ないアーティストのひとりだと捉えている。それは、前妻アンジーと離婚し、イマンと再婚後、1993年にリリースしたアルバム『BLACK TIE WHITE NOISE』を指しており、本作ではふたたび、大ヒットアルバム『レッツ・ダンス』のプロデューサー<ナイル・ロジャース>を起用し、UKチャートで1位を獲得したのだ。93年当時は、シアトル発のグランジ・ファッションが世界的に流行し、英国ではブラーに代表されるようなブリット・ポップが一世を風靡した時代だった。もうかれこれ23年前の話だけれど。

 

アルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』は、“The Wedding”というインストゥルメンタル曲で幕を開け、ラスト(12曲目)は“The Wedding Song”というそのままタイトル通り、新妻イマンのために書き下ろしたラヴソングで幕を閉じるのだ。正確に言えば、“Jump They Say”という、ボウイの義父兄の死を歌った曲も収録されているため、完璧なウェディング・アルバムという分類はできないはずだ。当時のインタヴューで、ボウイは「今は、人生の次のステップへの順応期間だと思ってる。というか、順応に成功したんだと僕は思いたい」と答えている。ボウイ夫妻が、ニューヨークのセントラルパークを眼下に見下ろす、超高級ホテルのペントハウスに住んでいた頃の話だ。

 

そして今回の観劇で、俺の五感を強烈に刺激したのは、劇中、OUDSの学生たちが生歌を何曲も披露してくれたのだが、ブラーの曲も歌ったことはさておき、デヴィッド・ボウイの“Let’s Dance”を歌ったことで、何でもない週末の夜を、俺にとっての「特別な(夏の)夜」に変えたことも付け加えておきたい。

 

とはいえ、もし俺が同劇の演出家であれば、“Let’s Dance”以外でもう1曲、アルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』から“Miracle Goodnight”を選んだと思う。正に、シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』を形容するにふさわしい内容の曲であり、刺激的で奇跡の夜を演出するそれだろうか。

 

他にもアイデアは次々と浮かんでくるが、今年★になったデヴィッド・ボウイを偲び、インストゥルメンタル曲“The Wedding”(今改めて聴き返すと、凄くイイ! ウェディング・アルバムだと先述したが、カッコいいアルバムなのだ。とりわけ、オススメはしないが、力強く、自信に溢れたアルバムなのは確かだ)で、同喜劇の幕を開けるのも粋な演出だったかもしれない。同アルバム2曲目の“You’ve Been Around ”の歌詞の中には、1971年にリリースした名曲“Changes”のフレーズ<Ch-ch-ch-ch-changed>が組み込まれ、トランペットの音色とともに印象的な曲に仕上がっている。ブログ冒頭で引用したウィル・フェルトン曰く「多様に変化する官能的な浮かれ騒ぎと、結婚という契約による統一と秩序を上手く絡み合わせるという難しい課題から始まる」のであれば、尚更だ。なお、同舞台に登場するのが、他でもない森の魔法を使う妖精たちだ。シェイクスピアの作品には、他にもいくつも妖精は登場している(例えば、『まちがいつづき』『ウィンザーの陽気な女房たち』)ことは、一般的にはあまり知られていないそれかもしれない。

 

結論、交錯することはないであろう、想像力豊かな、天才作家<シェイクスピア>と、天才音楽家<デヴィッド・ボウイ>が、400年もの時空を超えて、コラボレーションした、そんな錯覚を覚えた「夏の夜の夢」のような素敵な体験だった。なぜなら、舞台上の、妖精が、恋する若い男女2組が、すべての登場人物たちが、楽しそうに、飛び跳ね(“They Say Jump”)、踊り(“Let’s Dance”)、そして最後はハッピーエンディング(夢のように儚い一瞬の出来事)の、奇跡を起こした素敵な夜(“Miracle Goodnight”)になったのだから。

 

夏の夜の夢

 

本題に入るが、シェイクスピアの有名な喜劇『夏の夜の夢』(初版/1600年)のあらすじについては書かないが、原題は“A Midsummer Night's Dream”であり、それは「キリスト教の聖ヨハネ祭」の6月24日(夏至祭)を指すが、舞台の設定は、実は「5月祭前夜」の4月30日なのだ。したがって、シェイクスピアの同喜劇の意味するところは、夏祭り特有の羽目の外しにも似た「聖なる狂気」=「ミッドサマー・マッドネス」とでも形容できると思われ、劇中、妖精が登場するアテネ近郊の森の舞台では、月明かりの下で、ドレス(今回の劇では黒いドレス)を着て、若い女性が躍るわけだが、ラナ・デル・レイの名曲“Summertime Sadness”(切ない曲)の歌詞には、赤いドレスを着て、月明かりの下で踊るようなことが書かれている一方、デヴィッド・ボウイの名曲“Let’s Dance”では、赤いシューズを履いて、月明かりの下で踊るのだ。

 

そして今回、劇中で最も聞きたかったシェイクスピアの名言(ヘレナの台詞)は、「恋は目ではなく心で見るから、あの翼をもったキューピッドは盲(めしい)の姿で描かれているのね」に他ならない。リズム(韻律)とライム(押韻)。

 

Love looks not with the eyes but with the mind,

And therefore is wing’d Cupid painted blind.

 

ヘレナ役を演じたOUDSの女学生ヘロイーズ・ローウェンタールちゃんの配役(美女とは言えないポッチャリ系)は見事だったし、

 

ハーミヤ役を演じたクレミ・コレットちゃんは小柄で美人だったし、

 

タイターニア役を演じたエマ・ヒューイットちゃんは長身で細身だったゆえ、SF映画『スピーシーズ 種の起源』(1995年・米)に出演したモデル出身の美人女優<ナターシャ・ヘンストリッジ>を彷彿とさせた。彼女が森で眠っていた時間は、劇中とても長かったけれど・・・。

 

とりわけ、私的に記憶に残った女学生は、2役(蛾の羽/ヒポリタ)を演じたミーシャ・ピニントンちゃんであり、彼女の笑顔は無敵に素敵だった。俺のタイプではないが、記憶に残るOUDSのひとりとなったのは確かだろう。

 

1885年に創設されたオックスフォード大学演劇協会(Oxford University Dramatic Society)の出身者には、ヒュー・グラントをはじめ、ローワン・アトキンソンフェリシティ・ジョーンズ等々がいるが、近い将来、先述した彼女達がハリウッドで活躍することを期待したい。

 

ところで今回、気になったことをいくつか挙げるならば、チケット代金が2500円という低価格帯ゆえ、学生の夏休み期間も重なったからだろうか、観客は、中学生や高校生と思われる女学生が多くを占め、10名ほどのグループと思われる男女の大学生の姿も少なくなく、60代以上と思われる男女の世代も見かけたとはいえ、女性2人組や女性ひとり客が過半数を占めていたように思われる。俺の近くにいた中学生か高校生と思われる女の子たちは、15分休憩の際「英語はわからないけど、面白いよね。私、もっと近くで見たい」と連呼していたが、俺も前の席だったとはいえ、前列だと、日本語字幕が舞台の上のほうなので、字幕を見ながら、役者に目を向けることは不可能だ。したがって、字幕を見る人はなるべく後ろの席を予約したほうが賢明だろう。俺が足を運んだ回は満席だったが、これほどまでにシェイクスピア劇が人気だったのを今回初めて知ることになった。

 

残念なことは、低予算の舞台だからだろうか、衣装も使い古した感は否めず、数メートルの至近距離で観劇していたため、衣装の傷みが見てとれた。また、森に舞台を移した際、月明かりなどの舞台演出があれば、劇そのものがもっともっと素敵なそれに変わったはずだ。

 

シェイクスピア・ハンドブックには、『夏の夜の夢』について次のように説明されている。

 

作品の最後に置かれた、パックの締め口上は、役者を「影」、作品を「夢」となぞらえる。恋の狂気で見たものは夢のようなもの、芝居は夢のようなものと、「夢」を主題とするシェイクスピアは、恋の滑稽さや芝居を称揚していると同時に、それらを成り立たせるのに欠かせない人間の「想像力」をまたこよなく賛美していると言えるであろう。

 

Have a wonderful night!

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ある日、一冊の本を読んで、僕の全人生が変わってしまった。
まだはじめの数ページしか読んでいないというのに、自分の中でその本の力をあまりにも感じてしまったから、自分の胴体が、向かっている机や座っている椅子から切り離されて遠ざかっていってしまうような気がした。胴体が身体から切り離されて遠ざかっていくような気がしたにもかかわらず、僕の全存在、僕のすべては、いつも以上に椅子や机の前にとどまっているかのようで、本はそのすべての影響力を僕の精神だけでなく、僕を僕という人間にするすべてに対して行使したのだった。それは本当に強い影響力だった。本のページから顔に光がほとばしってくるかのように感じた。その光は僕の理性のすべてをくらませつつ、同時にピカピカ
に輝かせるような光だった。

オルハン・パムク著『新しい人生』より



の訪れ



東京都心のが今月21日(月)に開花し、オスカーを受賞したレオナルド・ディカプリオが来日を果たし、そして先週末25日(金)にはプロ野球が開幕した。



2016年を迎え、1月10日にデヴィッド・ボウイが★になってから早数カ月、映画の感想をブログで綴ることもなく、季節は冬からへと変わった。今年劇場鑑賞した作品は、リドリー・スコット監督作『オデッセイ』をはじめ、ケイト・ブランシェット主演作『キャロル』、ヴィム・ヴェンダース製作総指揮のオムニバス・ドキュメンタリー作品『もしも建物が話せたら』、クリスチャン・ベール主演作『マネー・ショート 華麗なる大逆転』、アンドリュー・ガーフィールド主演作『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』の5作品を数える。



そう、『オデッセイ』の劇中では、デヴィッド・ボウイの名曲“Starman”が使用され、先日の深夜にWOWOWで放映されたダフト・パンクのドキュメンタリー作品『ダフト・パンク ドキュメンタリー UNCHAINED』では、ダフト・パンクの2人が影響を受けたという、デヴィッド・ボウイの70年代当時の姿が映し出され、とりわけその瞬間だけはその映像に惹き込まれてしまったと同時に、彼が偉大なアーティストであるのは確かである一方、ミュージシャンの間ではとりわけ人気者で愛されていると再確認した。ある日、1枚の音楽アルバムを聴いて、人生が変わったかのように、ね。



そして4月1日(金)からは、(以前のブログで少しばかり取り上げたが)私的に昨年から日本公開を待望していたギャスパー・ノエ監督最新作『LOVE 3D』(2015年/仏・ベルギー合作)がいよいよ劇場公開される。彼が監督を務めた前作『エンター・ザ・ヴォイド』(2010年/仏)に関しては、2010年6月6日(日)付ブログ“Nostalgia disfigures the past in a new way? ”で感想を綴ったので、興味がある方はどうぞ。誤解のないように付け加えておくと、同監督は、前作から最新作の間に、オムニバス映画(例えば『セブン・デイズ・イン・ハバナ』)に監督のひとりとして参加している。



また4月末には、以前のブログで度々取り上げたデンマークのミシュラン星レストラン『Noma』のオーナー兼シェフ<レネ・レゼピ>に4年間密着したドキュメンタリー作品『ノーマ、世界を変える料理』が劇場公開されるゆえ、こちらも公開が楽しみなそれだろうか。



David Bowie Night


David Bowie: Unseen by Markus Klinko

ところで先週末、かつて共に働いた外資系金融機関の仲間数名と六本木のステーキハウスでの会食を終え、2次会でカラオケに向かった。俺自身、昔からそうだったが、近年ではカラオケにほとんど行かなくなって久しいが、その夜は気分が不思議と高揚し、珍しくずっと歌っていたいそういう気分だったのだ。

2000年頃は、六本木で外国人モデルの女の子たちと、週末の夜はシャンパン片手に、朝方までカラオケを歌った美しい記憶が未だ鮮明に残っており(アメリカの超名門大学に通っていた、当時ティーンの彼女達はとっても素敵だった一方、とってもクレイジーだった 笑)、あの退廃的な日々を過ごした当時からもう15年が経過し、今月で俺は結婚9周年を迎えた。付け加えるならば、そのモデルのひとりが現在、アメリカでジャーナリスト兼コラムニストゆえ、時折、彼女のツイッターやインスタグラムを覗いているが、先日はカリブ海に浮かぶ島の高級ホテルのプールサイドで、トロピカルドリンクと共に、自慢の長い脚を自撮りした写真を
UPしていたが、もう30代でしょ。I'm happy, hope you're happy too.



先週末のカラオケでは、デヴィッド・ボウイの曲のみを選び出し、“Space Oddity”(1969年作『スぺイス・オディティ』収録曲)にはじまり、“Let’s Dance”(1983年作『レッツ・ダンス』)、“Suffragette City”、“Ziggy Stardust”、 Starman (3曲共に、1972年作『ジギー・スターダスト』収録曲)、そして最後に“Ashes to Ashes”(1980年作『スケアリー・モンスターズ』収録曲)を歌い終え、俺は気分良く、いつものようにタクシーで帰路に就いた。

都心で桜が開花して数日が経ったばかりのその夜は、ワインとシャンパンのボトルを7、8本空けるなど、かなり飲んでいたからかもしれないが、本音を言うと、先述した6曲以外に、“
Moonage Daydream(邦題: 月世界の白昼夢)”(1972年作『ジギー・スターダスト』収録曲)、“D.J.”(1979年作『ロジャー』収録曲)、“Fashion”(1980年作『スケアリー・モンスターズ』収録曲)等なども歌いたかったのだが、カラオケの曲目にそれらが見当たらなかったのだ、或いは見落としていたのかもしれない。2013年リリースのアルバム『ザ・ネクスト・デイ』収録曲“Where are we now?”は目に留まったが、同曲を歌うのは意外と難しいようにも思え、その夜はその選曲には至らなかったのだ。



その夜、デヴィッド・ボウイの曲を歌いながら、私的に感じたのは、ボウイの昔の曲は、ここ30年程で、トータルで何千回、何万回も繰り返し聴いて、それなりに覚えているはずなのに、いざ歌うとなると、こういう歌詞もあったのかと、学生時代に覚えたであろう、あまり日常的に使わないWord(単語)のいくつかに一瞬戸惑いながらも、それを声に出して歌った際、不思議と快感を覚えるのは俺だけだろうか(笑)。今年のグラミー賞で、ボウイ追悼パフォーマンスを行ったレディ・ガガちゃんが選曲した中の1曲“Suffragette City”は、今回カラオケで初めて試してみたが、或る意味、最高だったね。とりわけ、最後のほうの歌詞“Wham Bam Thank You Ma'am!”は・・・。そして、“Hey, Man”のフレーズも癖になりそうなそれだ。



他には、“Ashes to Ashes”の歌詞に注目すると、<I'm happy, hope you're happy too
I've loved all I've needed, love
(俺は幸せだ。君たちもそうあることを望んでいるよ。俺は必要とした愛のすべてを愛してきた)>であるとか、<My mother said, to get things done You'd better not mess with Major Tom(ママはやらなきゃいけないことをなさい、トム少佐にかかわってはいけませんよ)>の部分は、カラオケをやりながらとりわけ印象に残ったそれだろうか。同曲は、“Space Oddity”(1969年)に登場する宇宙飛行士で麻薬中毒者のトム少佐に対するそれだ。



オルハン・パムク





ところでブログ冒頭、ノーベル文学賞を2006年に受賞した、1952年生まれのトルコ人作家<オルハン・パムク>の作品『新しい人生(原題:
Yeni Hayat)』(1994年・邦訳本は2010年発行)から一部引用したが、彼の小説『僕の違和感』は未読ゆえ、読み終えたら感想を綴るかもしれない。1994年にトルコで出版されたトルコ語で書かれた小説『新しい人生』の訳者あとがきから、私的に印象に残ったそれを、以下一部抜粋して紹介したい。



現在では、作中に描かれていた、数々の素朴でささやかな生活はもう過去のものになってしまった。学生たちも裕福になり、流行の服を着て、学校帰りにベイオウルに繰り出す。あの頃とは比べ物にならないほど裕福になった現在、この物語はトルコ人の人々が苦悩しながら精一杯生きていた最後の時代のものだったのだ、と思う。いろいろな場面に登場する<イェニ・ハヤット(新生)>印のキャラメルは、1950年代にトルコで爆発的に売れていた、実際にあったキャラメルなのだそうだ。ちょうどパムク氏の子供時代にあたり、彼はその後このキャラメルが姿を消していくのを、さびしい気持ちで見ていたのかもしれない。

安達智英子



エミリー・ラタコウスキーの過去と現在




今年来日を果たした、笑顔が素敵な英国のスーパーモデル<エミリー・ラタコウスキー>ちゃんに関しては、2月4日(木)付ブログ“
Fa-fa-fa-fa-fashion ”の中で取り上げたばかりだが、今も昔も変わらずに美しい。
そして都心では今週、が満開になるようだ。



ケイト・モス


最後になるが、英国のマッシヴ・アタックによる最新曲“Ritual Spirit ”のミュージック・ヴィデオには、英国の元祖スーパーモデル<ケイト・モス>が起用されている。付け加えるならば、ブログ冒頭のツイート写真は、俺のお気に入りドイツ人スーパーモデル<ジュリア・ステグナー>の、愛犬と春の訪れをイメージしたそれだ。撮影場所はニューヨークだろうか。

Spring goes sexy!

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我々はスーパーエリートの贅沢三昧に幻惑されている。
ヘッジファンド・マネジャーのケン・グリフィンが所有する自家用ジェットは託児室を設けられるほど広々としている。マイクロソフト社の創業者の一人であるポール・アレンの全長414フィートのヨット、オクトパス号にはヘリコプター2機と潜水艇が装備され、水泳用プールもある。



だが、こういう大富豪の行き過ぎを見聞きすることに慣れ、昔からあることだと思えるとすれば、今日のプルトクラートはもう一つ、新しい現象をつくりだしている。F・スコット・フィッツジェラルドによれば、彼が生きた時代、富を形づくるのは「金持ちに生まれついた」という事実だった。彼らは、ジョン・スチュアート・ミルがその半世紀前に言及した、選ばれし不労所得者たちの子孫にあたった。「社会の通常の進歩は富を増やし、地主の収入を大きくする傾向にある。共同体の富のうちより多くの量、より大きな割合が彼らの手にわたる。彼らがどんな問題を抱えていようと、経費を負っていようと関係ない。彼らは眠っていてさえ金持ちになる。労働も、冒険も、倹約も必要ない」。



今日のスーパーエリートの多くは、これには当てはまらない。「祖父の遺産によってぬくぬくと生活する金持ちは、利益のすべてを獲得するわけではない」と、経済史の研究者のピーター・リンドダートは私に言った。「今の時代、その多くがイノベーターにわたる。ベッドフォード公の時代に比較すれば、ビル・ゲイツがトップの座に君臨していることには、能力の要素がより多く関わっている」。経済学界のデータマニアの先駆けで、所得格差の拡大がもたらす社会と政治への影響を深く憂慮しているサエズも、現代のプルトクラートの決定的な特徴として、彼らが「労働する金持ち」である点を挙げている。

―クリスティア・フリーランド著『グローバル・スーパーリッチ 超格差の時代』より



転換期



先週末、ジョルジオ・アルマーニのスーツを身に纏った俺は、昨以来、丸の内に位置するミシュラン星のイタリアンで、ブリオー二のスーツに、マリネッラのセッテピエゲのタイ(50 オンス シルクフラールソリッド)を合わせた父と食事を共にした。父の年齢は、ミック・ジャガーのそれに近いが、「デヴィッド・ボウイ逝去」の話題から約2時間、シャンパン片手に、光の速さで変わりつつある“”という時代が、色んな意味で「転換期」という結論に至ったのだ。



そう、約1か月前の2月14日(バレンタインデー)は、都心で春一番が吹き荒れた一方、今週14日(ホワイトデー)は終日、都心には冷たい雨が降り注いだが、本格的なの到来は?

ところで先日の深夜、来日していたアメリカの歌姫<グウェン・ステファニー>が46歳で、俺よりも年上だったことに少しばかり驚いたわけだが、パリス・ヒルトンやブリトニー・スピアーズが今年35歳なのだから、驚くようなことでもなかったのか(笑)。そして、日本経済のバブル絶頂期にあたる1989年に生まれたテイラー・スウィフトが、今年27歳の誕生日を迎える。



プルトクラート(超富裕層)



前回のブログで、俺のお気に入り作家のひとりで、1937年生まれのギリシャ人実業家の超富裕層<タキ・テオドラコプロス>の名前を出したが、以前のブログでも彼については度々取り上げたとはいえ、彼が米雑誌『Esquire』誌に1979年から連載した上流社会をめぐるコラムをまとめた著書『ハイ・ライフ』はとても興味深く、「スタイルとは何か?」を教えてくれるそれであり、とても痛快で、記憶に残る一冊だ。邦訳本は1986年に初版が河出書房新社から刊行され、同書を10代の頃に購入し、今年で30年になるが、デヴィッド・ボウイの音楽同様、いつまでも色褪せないそれなのだ。



そう、同書を購入した翌87年CBS・ソニー出版から刊行されたのが、ピーター&レニ・ギルマン著『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』だが、それも強烈に印象に残る1冊だった。付け加えるならば、ボウイが1979年にリリースしたアルバム『ロジャー』収録曲の“Move on”の歌詞の中に、地中海に浮かぶ「キプロス」が登場するが、ボウイが同曲で歌う「キプロスは俺の島/旅がうまくいかない時/俺は君を見つけて愛したいのだ/そのようなどこかの場所」といった一節は、私的に不思議と記憶に残っている。



先日、1968年生まれのカナダ人女性ジャーナリスト<クリスティアナ・フリーランド>が2012年に刊行した著書『グローバル・スーパーリッチ 超格差の時代(原題: Plutocrats: The Rise of the New Global Super-Rich and the Fall of Everyone Else)』を読み返した。訳者あとがきには、「プルトクラート=plutocrats」というのは、桁外れの富を持つ超富裕層の人々のことで、ギリシャ語で富を意味する「プルトス=ploutos」と、強さや力を意味する「クラトス=kratos」からなる言葉だと記されている。

格差社会」や「富裕層」という言葉は、アナログの時代だった日本のバブル経済崩壊以降、インターネットの登場により、デジタルな時代へと本格的に移行したゼロ年代頃からよく見聞きするそれだが、近年ではそれに「」が加わり、「超格差社会」とか「超富裕層」といった呼び方のほうが違和感ないそれなのかもしれない。今月発表された米『Forbes』誌による恒例の世界長者番付(2016年版)では、1位はマイクロソフト社のビル・ゲイツ(60歳)氏で資産額は750億ドル(1ドル=112円換算で8兆4千億円)だった。なお、ジョルジオ・アルマーニ(81歳)氏は196位で、資産額は62億ドル6944億円)だった。



参考までに、日本経済のバブル絶頂期にあたる1989年当時、世界長者番付第1位だったのが、他でもない西武グループの堤義明氏(当時55歳/現在81歳)その人であり、同年フォーブス誌の同番付上位10人中6人を日本人が独占していたのだ。そう、ジャパン・アズ・No.1と形容され、夜になれば、都心の街中にはディオールのプワゾンの危険な香りが漂っていた、あのキラキラした古き良き時代だ。



そんなひと昔前のアナログな時代に、世界の若者文化を牽引したひとつが「ロック」という音楽だ。そして、インターネット登場以降、世界中の若者たちに人気の音楽は「ロック」から「EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)」へと様変わりし、EDM界で現在最も稼いでいるのがカルヴィン・ハリスその人であり、彼については2013年8月21日(水)付ブログ“Atmosphere ”(テーマ: 音楽)の中で、フォーブス誌の「最も稼いだDJランキング」2013年版を取り上げた際、少しばかり言及した。また、2013年5月31日()付ブログ“ROCK 2 EDM ”(テーマ: 音楽)の中でも彼について綴ったが、俺は当時のブログで次のように記していた。DJに「スーパースター」を付け加えた「スーパースターDJ」が登場し、音楽界の勢力図が変わっていったのだ。



DJがスーパーモデルと付き合うなんて構図は、80年代には到底考えられなかったことだが、インターネットの誕生により、過去誰もイメージできなかったような成功物語が現在、音楽の世界でも、次々と生まれているのは確かだ。とはいえ、そういった裕福なトップDJは、数えるくらいしか存在しないもの現実であり、今の時代には、彼らのように、或る意味、人生、“冒険”が必要なのかもしれない。



ブログ冒頭で引用したとおり、1920年代のアナログな時代には、フィッツジェラルドが指摘したような“富を形づくるのは「金持ちに生まれついた」という事実だった”のだ。それゆえ、彼らには冒険など必要なかったのだ。あれから約1世紀、テクノロジーの劇的な進化により、時代が変わったのは誰の眼にも明らかだが、それによって先述したような「」がつく「富裕層」が次から次へと誕生し、「格差社会」が生まれたのも事実だろう。



一方、金持ちの家に生まれずとも、ロックに革命をもたらし、変化そして進化し続けたロック界のスーパースター<デヴィッド・ボウイ>は、70年代のある時期を除いて、グローバル・スーパーリッチであり続けたわけだが、彼が今年1月10日に逝去し、ここ10年(2003年~2013年)もの間、音楽活動を休止していたにも関わらず、数百億円もの遺産を残したのは驚きだったが、フォーブス誌の長者番付にあるような「超富裕層」の台頭により、我々はその感覚に少しばかり慣れ過ぎたとも言えよう。



付け加えるならば、トップの座に君臨し続けるごくごく一部(1%)のスーパースターたちが、テクノロジーの助けで高まった名声を利用し、公演をすることで大金を稼いでいる一方、音楽業界はインターネットのせいで骨抜きにされているのも事実なのだ。経済学で言うところの「スーパースター現象」であり、代替えが利かないことを意味しており、要は、デヴィッド・ボウイの代わりなど見つからないのと同義なのだが、音楽専門サイト「ロッキング・オン」の2014年3月8日付コラム“音楽ソフトの収益の77 %は全アーティストの1% が占有していることが明らかに ”にもそれと似たようなことが書かれているので、興味がある方はどうぞ。音楽の世界もまた、1%のグローバル・スーパーリッチ(スーパースター、スーパーエリート)と99%のその他(華々しい成功を収めていない普通の人)に分類されているのだ。



マルコ・ルビオ



話は変わるが、俺の眼には、自信を失ったアメリカ人たちが、1920年代のゴールデン・エイジを回顧するかのように、そして1980年代の強欲の時代をイメージさせるような強いリーダー像を、ニューヨークの不動産王<ドナルド・トランプ>氏に重ねているようにも映るが、

昨年の4月19日
()付ブログ“American, American Oxygen ”(テーマ:レストラン&バー、カフェ)の中で注目した若手のマルコ・ルビオ上院議員が先日、大統領選から撤退したのは寂しい限りだ。


最後になるが、デヴィッド・ボウイのような天才の話はさておき、1%のプルトクラート(超富裕層)はいても、ヒーローがいない今という時代が退屈なのは否めず、すべての業界において「新しいだけでは生き残れない、美味しいだけでは物足りない」時代に変わったのも確かなようだ。



Have a wonderful night!

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デヴィッド・ボウイは自分の死期を悟って、燃え尽きるように死んでいった感じがありますね。やりたいことはまだまだあったかもしれませんが、前作(「ザ・ネクスト・デイ」)と今作(「★(ブラックスター)」)、いいアルバムで、満足度は高かったんじゃないでしょうか。私は聴くたびに、『寛斎はやりきっていないぞ』と言われている気になります。誰だって、大なり小なり夢を持って生きていますよね。たとえば私はワールドワイドなイヴェントを手掛けてみたい。ボウイはそれを励ましてくれたように思うんです。『やりきって満足して、それから死ね』と。

―山本寛斎(雑誌『GQ JAPAN』4月号のインタヴューより)





GQ JAPAN(4月号・2月24日発売)





今年、ブログのテーマを「デヴィッド・ボウイ」に決め、ブログを更新するのは、今回で9回目を数える。年内、特別なそれを続けるのも悪くはないが、都心でが満開になる頃には、もうそろそろテーマを変えたい。そう、今年は・・・劇場鑑賞した映画の感想をはじめ、2016年公開のオススメの映画、新譜音楽CDの感想、足を運んだレストランバーの感想も、現時点で何ひとつ書いていない。





もうかれこれ12年以上もの間、気まぐれに継続しているこのブログの隠れテーマを一言で形容するならば「最先端」だったと思うが、半世紀以上もの間、「時代の最先端を走り続けた男」=「デヴィッド・ボウイ」が今年、この世を去ったのだから、ニューヨーク発の<第4の性>「メトロセクシャル」にこだわる必要もない。事実、80年代から俺が憧れ続けた男はもうこの世にはいないのだから。また、彼に代わるような、色んな意味で「過度に洗練された男」を探してみるのも面白い試みかもしれないが、彼の代わりは見つからないはずだ、きっと。





ところで、デヴィッド・ボウイ逝去(1月10日)からもうすぐで2か月になるが、この期間、メディアで彼の名前を目にしない日はなかったくらいに、彼に関する(各方面のアーティスト達による、妄想も含めた)昔話や、追悼パフォーマンスのニュースが世界中の音楽ファンを夢中にさせたのも確かだろう。そして、国内外の雑誌における、デヴィッド・ボウイに関する記事は枚挙に暇がないとはいえ、近年のデヴィッド・ボウイへのインタヴュー記事(誰もボウイとコンタクトできておらず、インタヴューできていない)がないため、記事のほとんどが昔話のそれに過ぎず、新しい情報がほとんどないのも事実なのだ。





ボウイに関する特集が組まれた国内外の雑誌(音楽専門誌が中心)を、ここ2か月程で10数冊に目を通したが、雑誌『GQ JAPAN』4月号(146頁~151頁)では、「追憶のジギー・スターダスト」といったタイトルで、ボウイの70年代のツアー衣装を手掛けたファッション・デザイナー<山本寛斎>氏を含めた、日本人4人がボウイに関する昔話や想いを語っている。





近年の話を知りたいのであれば、ボウイと一緒に音楽制作を行っていたトニー・ヴィスコンティ等の話は聞いてみたいが、彼を含めた音楽仲間が今後、ボウイとの近年のプライヴェートなそれを語ることはないはずだ。そう、かつての盟友<ミック・ジャガー>が最近のインタヴューで、「長い間、ボウイに会っていなかったことを後悔している」と答えたが、ボウイは2003年に新作をリリース後、ツアー中に患った心臓病からの体調不良以降、音楽制作の仲間を除いては、ほとんど誰とも会っていなかったというのが真実なのだから。





銀座





話は変わるが、今回取り上げた雑誌『GQ』では、「2016年の銀座ガイド」といったタイトルで特集が組まれており、俺がかつてブログで引用した三島由紀夫の言葉が目に留まった。





1961年、三島由紀夫は「世界の大都市はみんな古くさい旧式ビルの寄せ集めであるけれど、もし銀座がモダン高層建築ばかりの集積になったならば、正に世界に類例のない町になるであろう」と書いた。

先述した銀座特集の中で、とりわけ注目される再開発は、今月31日(木)に数寄屋橋交差点(銀座ソニービル向かい)に開業する大規模商業施設「東急プラザ銀座 」(11階建)だろうか。今週末も、銀座での会食前、同商業ビルを目にしたが、現時点でほぼ完成している。2015年9月14日
()付ブログ“Bubble Again ”(テーマ: 「本・雑誌」)の中(『WWD JAPAN』の特集「変わる銀座」)で取り上げたので、今回は改めて言及しないのであしからず。





付け加えるならば、このブログで「銀座の変貌については、過去何度も書いたが、今回もまた全部は取り上げないが、興味がある方は、6年前のそれと2年前のそれをどうぞ。





2010年9月16日()付ブログ

So much has gone and little is new? ”(テーマ: 「番外編」)

2008年4月の三越と伊勢丹が経営統合をはじめ、三越銀座店の増床リニューアル及び取り扱いブランドについての感想、「日経ヴェリタス」「日経MJ」掲載の三越銀座店増床のポイント、「週刊ダイアモンド」掲載の消費者価値観調査“4Cs”、レディ・ガガの衣装(ジョルジオ・アルマーニ・プリヴェ)等々。





2014年3月17日()付ブログ

Ginza meets Luxury ”(テーマ: 「本・雑誌」)

三島由紀夫著『青春の町「銀座」』をはじめ、竹沢えり子著『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』、サッポロ銀座ビルや松坂屋銀座店の建替、銀座ルール等々。





シャネル銀座ビルで開催されるファッション写真



今月18日(金)から、シャネル銀座ビル
4Fネクサス・ホール)で開催される企画展が、GQ誌で取り上げられていたが、同誌の発行元でもあるニューヨークを代表する出版コングロマリット「コンデナスト」社の“Coming into Fashion A Century of Photography at Conde Nast コンデナスト社のファッション写真で見る100年)”は、私的にも興味深いそれだ。なお、入場は無料で、4月23日(土)からは京都に移動し、開催されるようだ。





Many Faces of David Bowie







最近、デヴィッド・ボウイ追悼の3枚組
CDを自宅でよく聴いているが、予想外に面白い構成で、ボウイファンにとっては、色んな意味で、ノスタルジーに浸れる味わい深いそれに昇華するはずだ。そう、アンジー・ボウイの歌声、すごくいい(笑)。結論、マイク・ガーソンのアレンジしたピアノ曲(2曲)がとりわけお気に入りで、洗練されている。なお、Disc3はヒット曲が目白押しで、70年代の曲の中で唯一、97年の“Little Wonder”がとても新鮮に聴こえる一方、ボウイのような声の力強さがなく、物足りないのも愛嬌だろうか(笑)。





シャンパン片手に、時計の針は今、日曜日の22時10分をゆっくりと回ったが、最後に、俺のお気に入り作家<タキ・テオドラコプロス>風に、日本が世界に誇れる<GINZA>の街を形容してみたい。





そう、たしかに銀座の物価は高い。

だが、ここには払う金額に見合う素晴らしい店もある。







Have a wonderful night!

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夢とは化学反応によって生まれる狂気にほかならない。フィッツジェラルドの世界にあっては、夢は若さに与えられた特権である。だが、若さが永遠に続かぬように、夢もまた永遠ではありえない。いずれ訪れる夢の喪失と、真正面から向き合わねばならぬのだ。

―フィッツジェラルド短編集(佐伯泰樹訳)のあとがきより



冬の夢



先週末のある冬の夜、シャンパン片手に、フィッツジェラルドの短編集を再読した際、色々な発見があったが、そのひとつ『冬の夢(原題: Winter Dream)』についての解説がとりわけ印象に残ったので、本日のブログ冒頭で一部抜粋して引用した。今からもう3年前となる2013年のある冬の日を憶えているだろうか? デヴィッド・ボウイが、10年もの沈黙を破り、新曲“Where are we now?”を同年1月に、そしてニューアルバム『The Next Day』を同年3月にリリースし、ミュージック・シーンに華麗にカムバックしたあの冬の日を。





あの当時を振り返ると、俺は2013年2月28日(木)付ブログ“The Stars (Are Out Tonight)”のブログ冒頭で、オスカー・ワイルドの言葉「理想の男とは、まるで女神に話すかのように私たちに話しかけ、子供であるかのように扱ってくれる人だ」を引用し、次のようにも記していた。





デヴィッド・ボウイというの続き、

その素敵な物語の章は今年、静かに幕をあけたのだ。





そしてあれから3年。デヴィッド・ボウイは、69歳の誕生日を迎えた今年1月8日、遺作となる28枚目のアルバム『Blackstar)』を全世界同時リリースし、全米チャートで1位を獲得し、全英チャートで4週連続1位の座を維持し続けたのだ。ボウイが愛読したワイルドフィッツジェラルドの小説の数々にあるように、ブログ冒頭で引用した「若さが永遠に続かぬように、夢もまた永遠ではありえない。いずれ訪れる夢の喪失と、真正面から向き合わねばならぬのだ」のとおり、ボウイ逝去から早1か月以上が経過したが、今はそういう時期なのだろう、きっと。







第36回ブリット・アワード



今週24日(日本時間25日)、英国の音楽の祭典ブリット賞授賞式』が、ロンドンのO2アリーナで開催され、デヴィッド・ボウイが「アイコン賞」を受賞した。昨年の同祭典では、ボウイが「最優秀男性アーティスト賞」を受賞し、その代役を務めたのはケイト・モスだった一方、今年その代役を務めたのは、2013年にリリースされた27thアルバム『The Next Day』収録の同名タイトル曲のミュージック・ヴィデオにも出演した、英国を代表するハリウッドスターのひとり<ゲイリー・オールドマン>(来月で58歳)その人だった。とりわけ印象的だった同曲の歌詞“Here I am Not quite dying”は、今思えば、遺作『』への暗示だったのかもしれない。







そして今年のブリット・アワードで最も注目されたのが、米グラミー賞でのボウイ追悼パフォーマンス同様、デヴィッド・ボウイのそれに他ならなかったはずだ。ロンドン時間24日の20時に始まった同祭典は、インターネットで全世界同時に生中継された。まず、アニー・レノックスがボウイへの追悼の意を表し、その後、アイコン賞を受け取る代役ゲイリー・オールドマンが登場し、亡きボウイへの思いを語ったのだ。先述した2人の弁は、音楽専門サイト<ロッキング・オン>のニュース“ブリット賞授賞式でアニー・レノックスやゲイリー・オールドマンがデヴィッド・ボウイを偲ぶ ”でも確認できる。





今月開催された米グラミー賞における、レディ・ガガによるボウイ追悼パフォーマンスは、世界中で賛否両論あったようだが、それは大した問題ではない。前回のブログで、俺はその選曲に言及したが、“Suffragette City”及び“Fashion”のそれは驚きと同時に、とってもレディ・ガガ的であったとも言えよう。賛否両論の原因を強いてひとつだけ挙げるならば、アメリカ的な過剰ともいえるその舞台演出だと思われ、マイケル・ジャクソンをはじめ、マドンナなどに代表されるような、ぴょんぴょん跳ねたり、派手に動き回ったりと、数多くのダンサーを従えたラスヴェガス的なエンターテイメントショーが不評を買ったのだろう。





なぜなら、レディ・ガガの歌は素晴らしかったと前置きしておくが、その姿が美しくなかったから、ただそれだけ。かつて、ボノやビリー・ジョエルをはじめ、数々の有名ミュージシャンが口を揃えて「美しいロックスター、デヴィッド・ボウイ」と形容したのとは対照的に、往年のボウイファンの眼には、レディ・ガガのそれがボウイとリンクすることなく、醜いそれに映ったのだろう、多分。

もっと分かりやすいように補足するならば、レディ・ガガが先日、マーク・ジェイコブスの2016秋冬コレクションのショーでランウェイを闊歩し、世界的にも話題になったが、その写真を見ていただければ、一目瞭然なのだが、悪意はないが滑稽なのだ。彼女の音楽的才能はさておき、ヴィジュアル的に言えば、デヴィッド・ボウイとレディ・ガガは、「スーパーモデル」と「身長155㎝程のどこにでもいる小さな背丈の普通の女の子」くらい、その差は歴然なのだ。したがって、ガガによるボウイ追悼パフォーマンスは、映像を観ずに、音声だけ聴いてみれば、その良さがとてもよく分かるはずだ。たとえ、彼女がその奇抜な“ファッション”で注目を浴びる人物だとはいえ・・・。



ふたたび、英ブリット・アワードのボウイ追悼パフォーマンスに話を戻すが、米グラミー・アワードのそれと比較した場合、選曲はほぼ同じ(注: 先述したレディ・ガガが歌った2曲は特異なケース)で、ボウイをよく知る人であれば、そういう選曲になるのは容易に想像できたと思われ、それは次の8曲だったが、それらの楽曲をボウイのライヴでもお馴染みのメンバーが今回一堂に会し、演奏したことにとても意味があったように思う。

Space Oddity/Rebel Rebel

Let’s Dance/Ashes To Ashes

Ziggy Stardust/Fame

Under Pressure/Heroes




Lorde(ロード)によるボウイ追悼パフォーマンス





同メンバーによる8曲の断片的な演奏を終え、ステージ上に登場したのが、ニュージーランドの歌姫<Lorde(ロード)>(19歳)だったのだ。彼女に関しては、2013年11月8日付ブログ“I'd Rather Be High ”の中で取り上げたように、俺の記憶が間違っていなければ、デヴィッド・ボウイが公の場で写真に一緒に収まった数少ないミュージシャンの最後のひとりかもしれない。なお、当時ロードの年齢は16歳だ。


そしてブリッド・アワードのボウイ追悼パフォーマンスの最後に選ばれた曲が、俺の最もお気に入りのボウイのナンバー“Life on Mars?”だったのはとても感慨深く、同祭典がアメリカのそれではなくイギリスのそれだと感じた瞬間でもあったわけだが、ピアノを弾いていたのはマイク・ガーソンその人であり、俺が思い描いていた英国的な追悼パフォーマンスに今回感銘を受けたが、俺はやはり英国的なその洗練されたセンスが好きなようだ。

アメリカ的な過度な演出など必要とせず、デヴィッド・ボウイの代表曲火星の生活(原題:
Life on Mars?)”を最後にロードが歌い上げ、その照明は火星をイメージしたかのように、その真っ赤な照明もとりわけ印象的だった。同曲は、ボウイが当時24歳だった1971年にリリースしたアルバムハンキー・ドリー』収録曲だが、あれから45年の時を経て、1996年生まれのロード(今年11月で20歳)が歌い上げた同祭典でのそれは、或る意味、歴史的な瞬間だったとも言えよう。付け加えるならば、1971年に生まれたのが、ボウイの息子<ダンカン・ジョーンズ>その人であり、周知のとおり、彼の職業は音楽家ではなく映画監督なのだ。今年、ボウイの物語は素敵に幕を閉じたが、デヴィッド・ボウイ・チルドレンがこの地球上に多数残されており、ロックスター<デヴィッド・ボウイ>は、我々の心の中で生き続けるはずだ、彼の音楽と共に、永遠に。





ミック・ロック写真展



ところで現在、米・ロサンジェルスのビヴァリーヒルズに位置する『タッシェン・ギャラリー』において、

デヴィッド・ボウイの写真で有名なミック・ロックの写真展“

Mick Rock: Starman Remembered DAVID BOWIE ”が開催中ゆえ、興味がある方はどうぞ。





Audi R8CM曲<スターマン




最後になるが、過去にもデヴィッド・ボウイの楽曲は世界各国のCMをはじめ、映画などでも多数使用されてきたが、今月公開されたドイツの高級車<アウディ>のCMに、ボウイが1972年にリリースした名曲<スターマン>が使用されている。



Have a nice weekend!

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(デヴィッド・ボウイについて)

魔法にかかったみたいだった。

セックスよりもドラッグよりも、

快感を与えてくれるほかのどんなものよりも、

ずっとよかった。本当に最高だった。

―アンジー・ボウイ著『デヴィッド・ボウイと私と70's』より


第58回グラミー賞


世界中の音楽エリート達が集まる、アメリカの音楽の祭典第58回グラミー賞授賞式』が本日16日(米時間15日)、ロサンゼルスで開催された。レディ・ガガ(29歳)によるデヴィッド・ボウイ追悼パフォーマンスに関しては、後程詳細に綴るが、今年もまた、グラミー賞の結果について感想を綴る気はなかったが、特筆すべき点がいくつかあったので・・・。


まず、デヴィッド・ボウイが近年注目していたミュージシャンのひとり、黒人ラッパー<ケンドリック・ラマー>(28歳)が『最優秀ラップアルバム賞』を受賞したことだろうか。また、ケンドリック・ラマーをフィーチャーリングしたテイラー・スウィフト(26歳)の“Bad Blood”が、『最優秀ミュージック・ヴィデオ賞』を今回受賞したが、同MVには、シンディ・クロフォードをはじめ、新旧のスーパーモデルが出演している。



そして、もうひとつの特筆すべき点は、デヴィッド・ボウイとのコラボレーション“Sue (Or in a Season of Crime)”で一躍有名となった、ニューヨークを代表する女性ジャズ・ミュージシャン<マリア・シュナイダー>が今回、グラミー賞で2冠に輝いたことだ。同曲をプロデュースしたのは、他でもないボウイの永年の盟友<トニー・ヴィスコンティ>その人だ。マリア・シュナイダーに関しては、私的には、ボウイとコラボする以前から注目していた音楽家のひとりだったが、以前のブログでも取り上げたように、同曲及び彼女に関しては、2014年10月14日(火)付ブログ“David Bowie Rising ”で詳細に綴ったので、興味がある方はどうぞ。


なお、同祭典には、私的には近年あまり注目していなかったというのが本音なのだが、今回は特別なそれに変わった。付け加えるならば、幼少期から英国の音楽に傾倒していたので、今月24日にロンドンで開催される、英国の音楽の祭典第36回ブリッド・アワード』のほうが好みだ。そう、前回のブログでケイト・モスを少しばかり取り上げたが、昨年のブリッド・アワードで、最優秀男性アーティスト賞を受賞したのが、他でもないデヴィッド・ボウイその人だったが、ボウイは同祭典を欠席し、その代役を務めたのがケイト・モスだったのだ。そして、彼女の衣装は、ボウイがジギー・スターダスト時代(70年代前半)のライヴで身に纏っていた、うさぎのプリントが印象的なそれだったのだ。


レディ・ガガによるデヴィッド・ボウイ追悼パフォーマンス


本題に入るが、レディ・ガガちゃんが、先月10日に69歳で★になったロックスター<デヴィッド・ボウイ>の追悼パフォーマンスを、第58回グラミー賞授賞式で初披露した。俺に限らずとも、世界中の音楽ファンは、レディ・ガガがボウイのどの曲を選択するのかとても気になっていたと思うが、ボウイが50年以上もの音楽活動において、300曲以上もの楽曲を残しているが、彼女は同祭典で与えられた8分ほどの持ち時間の中で、10曲を選び出したのだ。


まず特筆すべきなのは、今回の追悼パフォーマンスの音楽監督に抜擢されたのが、デヴィッド・ボウイが1983年にリリースしたアルバム『レッツ・ダンス』のプロデューサーであるナイル・ロジャースだった点だ。とはいえ、レディ・ガガと彼が相談した上での、今回の選曲になったと思われるが、その特徴は、70年代及び80年代のそればかりで、90年代、ゼロ年代、2010年代の曲は何ひとつ選ばれていないことだ。


そして、レディ・ガガが先日、デヴィッド・ボウイが1973年にリリースした6thアルバム『アラジン・セイン』のアルバムジャケットと同じ、ボウイの顔のタトゥーを身体に入れたが、同アルバムからの選曲はなかった。もし俺が、今回の音楽監督だったならば、『アラジン・セイン』で起用されたジャズ・ピア二スト<マイク・ガースン>と、現代のニューヨーク・ジャズ・シーンを代表するマリア・シュナイダー・オーケストラを起用し、スぺイス・オディティから始まった追悼パフォーマンスを、ボウイの遺作までを含めた、集大成としてのそれに昇華させただろうね。8分という時間制限があったとはいえ。私的には、ボウイの曲はとりわけピアノが強調されたそれが好みだ。


以下、追悼パフォーマンスで披露された曲について。


Space Oddity(1969年の2ndアルバム『スぺイス・オディティ』収録曲)

Changes(1971年の4thアルバム『ハンキー・ドリー』収録曲)

Ziggy Stardust(1972年の5thアルバム『ジギー・スターダスト』収録曲)

上記3曲は、誰もが知るデヴィッド・ボウイの名曲であり、説明は不要だろう。同追悼パフォーマンスのオープニングで、レディ・ガガの顔のアップと共に、デヴィッド・ボウイのアルバム『アラジン・セイン』の顔のペインティングが映し出され、徐々に変化していくが、その際、ガガの顔に突如「蜘蛛」が現れたが、あれはボウイの『ジギー・スターダスト』時代をイメージしたものであり、同アルバムの正式名称は“The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars”だ。


Suffragette City(同上)

この選曲は、或る意味、今回の追悼パフォーマンスにおいて、驚きのそれであり、同選曲は、ナイル・ロジャースの意向ではなく、彼女のそれだと思われる。あくまでも俺の憶測だと前置きしておくが、彼女は同曲の印象的なフレーズ“Wham bam thank you mam”をどうしても口にしたかったのだろう、ただそれだけ。とはいえ、同曲はボウイのライヴで過去よく歌われたそれだ。SEX


Rebel Rebel(1974年の8thアルバム『ダイアモンドの犬』収録曲)

以前のブログでも取り上げたように、マドンナが自身のコンサートで、追悼パフォーマンスとして披露した曲でもあるが、マドンナのそれと比較した場合、レディ・ガガのほうがはるかに上手だったのは確かだろう。2月14日のバレンタインデーに、東京では春一番が吹き荒れ、その夜は、埼玉スーパーアリーナでマドンナが10年振りとなるコンサートを行ったが、前回の来日公演は2006年まで遡るが、当時の東京ドーム公演の感想に関しては、当時のブログで、1時間遅れで公演が始まったと書いたが、10年経っても、彼女は人間的には、何も成長していなかったね(笑)。


Fashion(1980年の14thアルバム『スケアリー・モンスターズ』収録曲)

この選曲もまた、先述した“Suffragette City”と同じくらい、驚きのそれなのだが、ファッション・モンスター<レディ・ガガ>らしいそれだとも言えよう。なお、同アルバム収録曲で最も有名なのは、名曲“Ashes To Ashes”だ。

Fame(1975年の9thアルバム『ヤング・アメリカン』収録曲)

アメリカで1位を獲得した同曲は、ジョン・レノンとの共作だ。この選曲は必然だとも言えるが、レディ・ガガの好きなそれなのかもしれない。

Under Pressure(1981年リリース・ボウイとクィーンの合作)

追悼パフォーマンスの中で唯一、ガガが歌っていないそれだが、この名曲の印象的な部分だけが、今回数秒間だけ使用された。

Let’s Dance(1983年の15thアルバム『レッツ・ダンス』収録曲)

もはや説明は不要な名曲だ。今から33年前の曲であり、レディ・ガガは当時、この世にはまだ生まれていない。


Heroes(1977年の12thアルバム『英雄夢語り』収録曲)

この構成から、ラストに同曲が選ばれるのは必然な流れなのだろうが、ギターサウンドを全面に押し出したパフォーマンスを行うのであれば、『英雄夢語り』でギタリストで起用されたキング・クリムゾンのロバート・フリップを呼び寄せ、共演して欲しかったね。同アルバムで起用されたもうひとりのギタリスト<カルロス・アロマー>然り。付け加えるならば、ロバート・フリップは、80年リリースのアルバム『スケアリー・モンスターズ』でもギタリストとして起用されているのだ。他にも書きたいことは山ほどあるが、ボウイの追悼パフォーマンスをやりたかった有名ミュージシャンは、世界中にたくさんいたことも付け加えておきたい。



Have a wonderful night!

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およそ小説には始まりも終わりもない。

グレアム・グリーン著『情事の終わり』より

 

エミリー・ラタコウスキーとデヴィッド・ボウイ

 

ブログ冒頭で引用したのは、映画『ことの終わり』の原作となった、1951年に出版されたグレアム・グリーン著『情事の終わり(原題:The End Of The Affair)』だ。ロンドンのの雨の夜を舞台に、私的にとても印象的に残っている「およそ小説には始まりも終わりもない」のフレーズで始まる。同作品の刊行から65年目の今年、2016年の東京は、英国人モデル<エミリー・ラタコウスキー>ちゃんの来日から始まり、アルマーニ・ウーマンとしても有名なオーストラリア出身のハリウッド女優<ケイト・ブランシェット>が来日を果たした。

 
エミリーちゃんに関しては、私的に2013年頃から注目し、翌2014年公開となったデヴィッド・フィンチャー監督作『ゴーン・ガール』(テーマ: 映画)で、ベン・アフレックの不倫相手役として映画デビューを果たしたのだ。同作品の感想は、2014年12月16日(火)付ブログ“All or Nothing”で詳細に綴ったので、興味がある方はどうぞ。現在24歳のエミリーちゃんは、2016年元日を東京で迎え、京都へ向かった。まるで、デヴィッド・ボウイが愛した日本を追体験するように、ね。そして、アメリカ大統領選に立候補している74歳のバーニー・サンダースは今月、支持者の前で演説した際、デヴィッド・ボウイの名曲“Starman”を使用したのだ。俺がそのニュースを知ったのは、先日の早朝に観たBBCワールドニュースが初めてだったが、エミリーちゃんはバーニー・サンダースのツイートをRTしていたのだ。色気のない政治の話はさておき、俺と彼女はお互いとても気が合いそうだ(笑)。

 

ケイト・モスとデヴィッド・ボウイ

 

 
そう、デヴィッド・ボウイ好きで有名な英国人スーパーモデル<ケイト・モス>ちゃんは先月16日、42歳の誕生日を迎えた。
Congrats!

 

エコノミスト誌とデヴィッド・ボウイ

 

 
話は変わるが、1848年に創刊された英国を代表する知的なビジネス誌のひとつ「
The Economist」をご存じだろうか。先日、同誌のツイートをRTし、“Bye bye spaceboy David Bowie’s genre-hopping career”といったタイトルのコラムを楽しく拝見したが、デヴィッド・ボウイのアルバム変遷についてのその分析は、私的にはとても興味深いものだったが、そこには27枚のアルバムしか紹介されていなかった。もう1枚あるんだけど、ね。
同コラムで、ボウイの名曲“Changes”の引用はともかく、先述したもう1枚とは、(デヴィッド・ボウイと親交があった)英国の作家<ハニフ・クレイシ>の処女小説『郊外のブッダ』と同名タイトルの、ボウイが1993年にリリースしたアルバムだ。同作家に関しては、過去のブログで何度か取り上げたように、2014年11月8日(土)付ブログ“I read the news today, oh Bowie”(テーマ: 本・雑誌)では、小説『郊外のブッダ』にも触れたので、興味のある方はどうぞ。

 

デヴィッド・ボウイのアルバム28枚について

 

デヴィッド・ボウイが、本名のデヴィッド・ジョーンズ名義でレコードを初リリースしたのは、今から52年前の1964年まで遡る一方、デヴィッド・ボウイに改名後のデビューアルバムは、1967年6月にリリースされたアルバム『David Bowie』だ。俺が、マイク・ヴァーノンのプロデュースによる全14曲が収録されたボウイのデビューアルバムを初めて聴いたのは1983年まで遡るが、当時の視聴後の、あの忘れもしない「???」感は今でも鮮明に憶えている(笑)。当時、ボウイが70年代にリリースした黄金期とも言える傑作アルバムの数々をすべて聴き終えてからのそれだったため、当時子供だった俺でさえ、余計にそう感じたのかもしれない。

 

デヴィッド・ボウイのオリジナルアルバム全28枚の中で、俺が最も好きなアルバムは、1971年12月にリリースされた4thアルバム『ハンキー・ドリー』であり、同アルバムに収録された“Life on Mars?”は、俺の人生におけるマイ・ベスト・ソングなのだ。

 
上の表は、今の気分で、エクセルで15分程でサクサクと簡単にまとめたものだが、デヴィッド・ボウイの音楽をほとんど知らない、どのアルバムから聴けばよいのか迷っている、10代、20代の若い世代の参考になれば、嬉しい限りだ。なお、ボウイの最新ベストアルバム(コンピレーションアルバム)としては、2014年にリリースされた『Nothing Has Changed』もオススメだ! 同表は、俺が永年の彼の大ファンであるがゆえ、甘い採点になっているかもしれないが、俺がボウイの「混迷期」と位置付けた1984年から1991年までの間にリリースされた4枚のアルバムも決して悪いわけではない。

 

そんな混迷の時期に、デヴィッド・ボウイは1990年3月4日から同年9月29日までの約7か月間、カナダを皮切りに、(順不同)日本、英国、米国、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、アイルランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラビア、スペイン、ポルトガル、ブラジル、チリ、アルゼンチン等々で、大規模コンサート
Sound+Vision”ツアーを行ったのだ。
過去に決別すると銘打ったヒット曲のオンパレードで構成された同ツアーは、アジアでは日本のみ、東京で2日間(1990年5月15日及び16日)行われ、俺は両日とも足を運んだ。が、それはボウイの日本における最後のコンサートとなった2004年3月に開催された(俺も足を運んだ)、新作『Reality』収録の数曲を含めた、過去のヒット曲のオンパレードで構成された大規模ツアー“A Reality Tour”とは、両ツアー共にヒット曲満載のコンサートだった点では似ているが、その意味合いが大きく異なったことを改めて付け加えておきたい。

 

なお、2004年に開催された同ツアーのライヴ映像はすでにDVD化されており、俺も所有しているが、とりわけオススメだ。参考までに、同ツアーで、ボウイが身に纏った衣装は、バンド・オブ・アウトサイダーズ(BAND OF OUTSIDERSで、2004年にLAで設立されたファッション・ブランドだ。当時、ボウイのおかげで、同ブランドは世界的にも人気に火が付いた一方、2015年春夏コレクションを最後に、昨年休止した。

 

パーク・ハイアット東京とデヴィッド・ボウイ

 

話を戻すが、デヴィッド・ボウイが2004年に行った『ザ・リアリティ・ツアー』で来日の際、宿泊した先は、西新宿の超高層ビル(39階~52階)に入居するパークハイアット・ホテルだった。
 
かつて、ボウイがニューヨークでイマンと住んでいたのは、セントラルパークを見下ろす超高級ホテルのペントハウスだった。後にソーホー(正確に言えば、ノリータ)に位置する超高級マンションのペントハウスを購入し、家族で転居した。

 

例えばファッションに目を向けると、過去にパーク・ハイアット東京に宿泊した著名人は、90年代にジョルジオ・アルマーニが、2000年代にはトム・フォードが、2010年代にはカール・ラガーフェルドがそれぞれ宿泊した。付け加えるならば、レディ・ガガも。1994年に開業した、故・丹下健三氏が設計した同超高級ホテルには、俺も同年何度か宿泊し、近年では疎遠となっているとはいえ、もうあれから今年で22年もの歳月が過ぎたのか考えると、光陰矢の如しだ。そう、開業当時、客室内に備え付けのハードは、LD(レーザーディスク)だったゆえ、それも時の流れを感じさせる(笑)。

 

レディ・ガガとデヴィッド・ボウイ

 

 
最後になるが、今月15日(日本時間16日)、音楽の祭典『第58回グラミー賞授賞式』が
LAで開催されるが、デヴィッド・ボウイに多大に影響を受けた歌姫<レディ・ガガ>ちゃんが、同祭典でボウイの追悼パフォーマンスを行うので、ファッションも含め、とても楽しみだ。星となった巨大モンスターこと<デヴィッド・ボウイ>を、ニューヨークの小さなモンスター<レディ・ガガ>が追悼するなんて、或る意味、今「時代は変わった」のかもしれない。なお、ガガちゃんに関しては、2012年5月14日(月)付ブログ“Lady Gaga let yourself go!ガガ、自由にやれよ!)”(テーマ: デヴィッド・ボウイ)で綴ったので、興味のある方はどうぞ。

 

カルチャーが次から次へと吐き出していくガラクタ全てを、
丹念に縫い合わせていくことで、ものすごい怪物が生みだせる。

―デヴィッド・ボウイ

 

Have a beautiful day!

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文化の再定義への覚書」という私の副題は、言うまでもなく
T.S.エリオットの1948年の『文化の定義への覚書』を記念するつもりの副題である。エリオットの『覚書』は魅力のない書物である。

 

おそらく生物学的な意味を別にすれば、我々を支配するものは文字どおりの過去ではない。それは過去についてのイメージなのだ。それはちょうど神話のように、しばしば複雑な構造をもち、選ばれたイメージから成り立っている。そうした過去のイメージとその象徴的な構造は、ちょうど遺伝情報のような形で我々の感受性のなかに刻印されている。歴史上の新しい時代はそれぞれが自己のもっている過去、もしくは他の文化から借用した過去の絵姿のなかに、或いは生きている神話の鏡のなかに己の姿を映して見る。それぞれが自己の本体の感覚を、自己の退歩或いは新しい進歩の感覚を、そうした過去に照らして確認してみる。

 

ひとつの社会が自己の発声の到達距離を、その論理、その権威を確かめるよすがとするものは、その背後から響く歴史のこだまである。明らかに、ここに働く心理的過程は複雑で、その根は拡散しながら、しかも絶対のものとして過去との連続を求めている。ひとつの社会には先行する典型が必要なのだ。

ジョージ・スタイナー著『青ひげの城にて 文化の再定義への覚書』より

 

青い鳥

 

デヴィッド・ボウイの物語は、壮絶ながんとの闘いの末、先月10日、69歳という若さで終わりを迎えた。2016年は、昨年の暖冬とは対照的に、ニューヨークやここ東京都心では積を記録したのだ。本日、月が替わっただけだが、先月がまるで「遠い過去」のように思えてならないが、時間だけは止まることなく流れている。

 

やり遂げるに難しい何かを約束してまでも

人生の本当の冒険は金の欠片よりも価値がある

―デヴィッド・ボウイTeenage wildlife(邦題: 十代の野性的生活)より

 

青い鳥」のように自由になったボウイの死後、ミック・ジャガー(72歳)をはじめ、キース・リチャーズ(72歳)、ポール・マッカートニー(73歳)、トニー・ヴィスコンティ(71歳)、ブライアン・フェリー(70歳)、ブライアン・メイ(68歳)、
 
イギー・ポップ(68歳)、エルトン・ジョン(68歳)、ブライアン・イーノ(67歳)、スティング(64歳)、ボノ(55歳)、デュラン・デュラン、ボーイ・ジョージ(54歳)、レニー・クラヴィッツ(51歳)、モービー(50歳)、デヴィッド・ゲッタ(48歳)、そしてティナ・ターナー(76歳)、カトリーヌ・ドヌーヴ(72歳)、マドンナ(57歳)、アリシア・キーズ(35歳)、レディ・ガガ(29歳)等々による追悼のコメントが次々と多数寄せられた。

 

俺は多くのツイートに目を通し、「遠い過去」の記憶に照らしながら、ある冬の午後、ホテルの一室で独り回想に耽ったが、その夜、バブル前夜となる1983年当時のボウイの「踊ろう 赤い靴をはいてブルースを踊れ」の歌詞で始まるLet’s Danceリリース時の、彼の華やかなイメージが、欲望に目がくらんだ、10代のあの季節の記憶が鮮明に蘇ってきたのだ。例えば当時、デヴィッド・ボウイが過去にリリースしたアルバムが全部欲しい、ボウイが生まれたロンドンを旅したい等々、そんなとってもイージーな願いは10代の頃にすべて叶い、今では人生でやりたいことがもうあまり残っていないというのが本音だろうか。いっそ、ボウイを真似て、スーパーモデルと再婚などというファンタジーな夢を追いかけるには、人生はあまりにも短すぎる(笑)。

 

付け加えるならば、先月のブログで取り上げたマドンナのツイートは素敵で、それはボウイをイメージさせる、に溢れた言葉だった一方、ボウイに影響を受けながら、追悼コメントのひとつすら発信できていない著名人達に、私的には失望したのだ。敢えて名前を挙げるならば、そのひとりが、作家<ブレット・イーストン・エリス>その人だ。

 

このブログで過去何度も取り上げた同作家の小説『アメリカン・サイコ』(1991年刊行)は、メアリー・ハロンにより2000年に映画化され、クリスチャン・ベールが主演を務め、(ボウイに多大に影響を受けたファッション・デザイナーのひとり)ジャン・ポール・ゴルティエが衣装の一部を提供し、そして同作品のエンドクレジットでSomething in the airが使用された。そう、同曲を提供したのが他でもないデヴィッド・ボウイその人だ。また、エリスの小説の中で、時折登場する固有名詞が「デヴィッド・ボウイ」であり、そのいくつかの物語は俺の感性を当時少しばかり刺激してくれたものだが、彼のツイッターにはボウイ追悼のそれは2月1日時点で見つからず、とても残念だ。

 

デヴィッド・ボウイの遺作について

 

シェイクスピアは「私たちは時の家来だ」という名言を残したが、ボウイの死によって、2016年1月は、時間だけが荒々しく走っていったようにも思える一方、時間が止まったかのような不思議な感覚に錯覚に、一時的にでも陥ったのは俺だけではないはずだ。

 

そんな悲しみに包まれた先月、ボウイ69歳の誕生日にリリースされた遺作『Blackstar)』(全7曲41分)を少なくとも100回以上繰り返し聴いたが、彼が最後の身体的、精神的力をふり絞って創作した傑作アルバムは、俺に「」をイメージさせ、ボウイからのその別れのメッセージに、涙が止まらなかった。

 

また、『』のアルバムジャケットは白と黒のシンプルなデザインゆえ、それは俺に、ロバート・メイプルソープが撮影したモノクロ写真特有の「」をイメージさせたが、ボウイが亡くなった1月10日は、白と黒によるミニマルな美しい世界観をカタチにしたファッション・デザイナー<ココ・シャネル>の命日だったのだ。

 

西洋文化史家の中野京子氏はかつて、「芸術家にはロマンティックなイメージがつきまとい、内面の欲求の赴くまま、人生のすべてを作品に賭けてこそ本物と思われがちですが、彼らとて生計を立てねばならず、当然ながら常に購買者を意識していました。その購買者は、時代により国によりさまざまです。西洋絵画はキリスト教とともに発展したと言われるほどで、初期の名画はほとんど聖書が主題であり、教会がスポンサーでした。画家はそうした要求に縛られながら、なおかつ強烈な個性を作品に照射しました」と言ったが、彼女が言うヨーロッパの画家達とボウイが生きていた時代こそ異なると前置きしておくが、ボウイが「宗教」や「神話」を描いた画家に多大に影響を受けたのは明白だ。また、彼ほど購買者を意識せず、自分の好きなように創作活動を続け、彼ほど成功を収めた音楽家は、俺が生きてきた時代には記憶にない。

 

時代はすべて同等であるが、

天才は常に時代を超越している。

―ウィリアム・ブレイク

 

ボウイにとりわけ影響を与えたであろう画家の名を挙げるならば、ボッティチェリ(1445年‐1510年)をはじめ、イタリアの三大巨匠「ダ・ヴィンチ(1452年‐1519年)」「ミケランジェロ(1475年‐1564年)」「ラファエロ(1483年‐1520年)」、ティツィアーノ(1490年?‐1576年)、ティントレット(1518年‐1594年)、エル・グレコ(1541年‐1614年)、ルーベンス(1577年‐1640年)等が思い浮かぶ。ボウイによるアート・コレクションで有名なのが、ティントレットルーベンスの作品だろうか。付け加えるならば、デミアン・ハーストジュリアン・シュナーベルの作品もか。ボウイ自身も画家ではあるが、とりわけ、ティントレットは、絵画にひとつの新しい演劇性と生命力とをもたらしたという意味合いにおいて、デヴィッド・ボウイの音楽にも通じる、特別な何かを俺は感じたのだ。

 

天才的な着想をもつ、ボウイのような知的すぎる芸術家の音楽を理解するには、先述したような西洋美術史をはじめ、旅、哲学、文学、さまざまな音楽等を理解しなければならないため、(俺が彼に出会った)1983年から現在に至るまでの33年の間に、彼が過ごした国を旅し、彼の愛した美術作品を各国の美術館で鑑賞し、彼の愛読書に目を通し、彼が身に纏ったハイブランドのブティックに足を運び、彼が愛した超高級ホテルの数々に宿泊し、彼が足を運んだ超高級レストランで美食を堪能したが、その「デヴィッド・ボウイ・エクスペリエンス」は俺の人生における宝物となった。

 

ボウイの歌詞「人生の本当の冒険は金の欠片よりも価値がある」の通り、その経験は俺の人生を豊かにし、色んな意味で俺を洗練させてくれた。したがって、俺がイメージするデヴィッド・ボウイというアーティスト像、そして彼の残した音楽は、他人とはかなり違って見え、聴こえているはずだ。デヴィッド・ボウイという神話の裏側を垣間見たような、「遠い過去」の記憶が昨日のことのように思い出されるが、彼と同じ時代を生き、幸せな時間を過ごせたのだ。

 

旅人デヴィッド・ボウイ>が一番愛した場所は、ニューヨークを除けば、ロサンジェルスでもなく、インドネシアのバリ島でもなく、カリブ海のマスティク島でもなく、
 
ベルリンでもなく、ロンドンでもなく、京都でもなく、スイスでもなく、スーパーモデルのイマンと幸せな再婚をし、結婚式を挙げたイタリアだったように思う。イタリアという芸術の国そして歴史画(宗教・神話画)は、彼のインスピレーション源の宝庫だったに違いない。なぜなら、2010年代にリリースしたアルバム『
The Next Day』『』を聴けば、そう思わざるをえないからだ。また、両作品に収録された曲のいくつかのミュージック・ヴィデオは、最後の晩餐やキリストをイメージさせる内容のそれだが、俺は宗教には昔から無関心ゆえ、これ以上は言及しない。

David Bowie’s 100 Favorite Books

 

 

 

 

 
最後になるが、デヴィッド・ボウイの愛読書に関して、以前のブログでも何度か取り上げたが、先週改めて読み返した1冊が、ジョージ・スタイナー著『青ひげの城にて(原題:
In Bluebeard’s Castle)』だ。ブログ冒頭、同書の「大いなる倦怠(アンニュイ)」から一部抜粋したが、同作家の言葉を借りれば、同書は魅力のない書物かもしれない(私的には興味深い1冊であり、ボウイが教えてくれなかったら目を通すことはなかったかもしれない)。なぜなら、ボウイの愛読書100冊の中には、フィッツジェラルドをはじめ、クリストファー・イシャーウッドジョージ・オーウェルウラジーミル・ナボコフT.S.エリオットトルーマン・カポーティドン・デリーロ三島由紀夫フラン・レボウィッツ等々、魅力的な作家の本ばかりで溢れていたからだ。シャンパン片手に、今夜はこれからバルトークの音楽に久々に耳を傾けてみたい。

 

皆、私の着ているものを見て笑ったわ。

でもそれが私の成功の鍵。

皆と同じ格好をしなかったからよ。

―ココ・シャネル

 

Have a wonderful night!

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