In The Groove

a beautiful tomorrow yea


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観客は油断しがちだけど、『トレインスポッティング』には驚くべき量の感情が込められているんだ。『T2 トレインスポッティング』は年月が経過したことで、もっと感情的なものになる。これは避けられないことだよ。前作は少年時代についての映画だった。若さの祝福だね。本作は大人になるということ、またいかに僕たちはそれに対処するのが下手か、についての映画だ。そして、子供がいるということや子供がいないということ、もしくは父親たちに失望させられる子供たちの物語だ。この映画はどれだけ彼らが変化したのか、そしてどれだけ変わっていないのかを描いている。

―ダニー・ボイル(監督)

 

戦後のある時期までは若者たちといえば、無軌道というイメージがすぐ浮かんできたほど、よかれあしかれ、エネルギーに満ちあふれたものでした。「アプレ・ゲール」、「太陽族」、「かみなり族」、そしてまた「全学連」が、それであります。その頃の若者たちの顔には、どことなく暗い翳りがあり、凶暴な目つきがあり、不敵なシニカルな唇がありました。べつに悲壮感をよしとするつもりはありませんが、わたしは、現在、それをなつかしく思い出します。よくテレビ・ドラマなんかに出てくる、すなおな、従順な、まじめな、いかにもおとなから気に入られ、「いい子、いい子。」と頭を撫でられるような優等生的な青年―そういう青年が、近ごろやたらにふえてきたことは、じつに嘆かわしい傾向だと思わないわけにはいきません。

 

わたしはいつも疑問に思うのですが、新時代のエネルギーに満ちあふれた若者が、そんなカビくさい「幸福論」なんぞに満足していられるのだろうか。そんな本を読んで、ますますお行儀のよい、ますます飼い馴らされた社会人になっていくのは、じつに嘆かわしいことではないだろうか。人生に目的がなければ、覚悟をきめて、自分でつくり出せばよいのです。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう。

―澁澤龍著『快楽主義の哲学』より

 

映画『トレインスポッティング』公開から21年、そして90年代

 

俺のお気に入り作家のひとり<アーヴィン・ウェルシュ>原作(1993年)の、ダニー・ボイル監督作『トレインスポッティング』が日本で公開されたのは、今から21年前となる1996年まで遡る。当時の俺は大学を卒業し、社会人となり、某金融機関に勤め、20代という青春を、そして人生の愉快の絶頂を愉しんでいた。

俺のファッションもまた、大学時代から愛用していた<エンポリオ・アルマーニ>から<ジョルジオ・アルマーニ>へとワンランクアップした時期だ。 

あの時代を振り返ると、(俺のお気に入り小説のひとつ『アメリカン・サイコ』がアメリカで刊行された)1991年に日本経済のバブルが弾け、

同年西麻布にオープンしたのが伝説のクラブ『イエロー』であり、芝浦に誕生したのが英国系ディスコ『ジュリアナ東京』だ。後者はナンパ箱と形容され、ボディコンシャスなドレスを身に纏ったワンレンの女の子たちが扇子片手にお立ち台で踊り狂い、社会現象とまでなったが、1994年に閉店。そして、ジュリアナ東京が閉店した1994年の末に六本木にオープンしたのが巨大ディスコ『ヴェルファーレ』だった。 

付け加えるならば、バブル絶頂期(1989年)に芝浦にオープンしたファッションピープル御用達となった伝説のクラブ『ゴールド』が1994年に、『ヴェルファーレ』が2007年元日に、スーパースターDJのパーティ箱として名を馳せた伝説のクラブ『イエロー』が2008年6月に、それぞれ閉店した。俺の頭の中の、東京のキラキラした夜のパノラマは、2008年に終焉を迎えているのだ。

 

ところで、90年代の東京は、アシッド・ジャズの全盛期でもあり、当時一世を風靡したのが他でもない英国の<ジャミロクワイ>であり、<インコグニート>であり、そして英国のクラブカルチャーを盛り上げた立役者のひとりが<アンダーワールド>だ。今年は、ジェイムス・ブレイク、ノラ・ジョーンズ、コールドプレイ、ヘレン・メリル、EDC JAPAN、ブリトニー・スピアーズ、スティング、マリア・シュナイダー等々のライヴに足を運んだが、とりわけ記憶に残っているのは、コールドプレイ(東京ドーム)とスティング(武道館)だ。

 

ジャミロクワイの日本公演(5月)は突如中止が発表された一方、先日足を運んだスティングの日本公演は、俺が1995年6月に足を運んだ今から22年前の武道館公演と比較して、(いい意味で)何も変わっていなかった。

 

スティングの日本公演セットリストは、新作アルバム収録曲などを除けば、“Synchronicity II”、“Englishman in New York”、“Fields of Gold”、“Shape of My Heart”、 Message in a Bottle”、“Walking on the Moon”、“She’s Too Good for Me”、“Roxanne”、“Every Breath You Take”、 そしてアンコールの最後に“Fragile”は22年前と同じだ。

 

今回、特筆すべきことは、スティングがデヴィッド・ボウイの名曲“Ashes to Ashes”を披露したことなのだが、ボウイの追悼として何か歌うだろうと期待していた矢先、その選曲はとても予想外で、俺のハートを鷲掴みにしたのだ。先述した22年前に同じ場所で耳にした10曲を、25年もの歳月が経った今年耳にしたわけだが、その変わらない、哀愁漂う、素晴らしく力強い歌声に感動を覚えたのは俺だけではないはずだ。

95年当時20代だった俺は現在40代となり、日本公演当時43歳だったスティングは現在65歳となった。デヴィッド・ボウイが未だ健在であれば70歳であり、そして今年は、ボウイと親交があったアンディ・ウォーホル(1928-1987)没後30年だ。

或る意味、音楽家はみな「ボウイ・チルドレン」であり、写真家はみな「ウォーホル・チルドレン」だとも形容できる。そう、人生を変えてくれたヒーローは、人それぞれなのだろうが、音楽は甘い記憶を呼び覚ましてくれるから素敵だ。

 

T2 トレインスポッティング

 

1996年11月に日本公開となったユアン・マクレガー主演作『トレインスポッティング』を渋谷スペイン坂上のミニシアター「シネマライズ」で劇場鑑賞してから、早いもので20年もの歳月が経過した。同劇場は、渋谷パルコの再開発に伴い、昨年閉館した。そして今年、同作品の20年後を描いた『T2 トレインスポッティング』(以下「T2」)を、渋谷西武に隣接した映画館「シネパレス」で劇場鑑賞した。両劇場は小規模で、2階席があるという意味合いにおいて、とても似通った映画館だともいえるが、同劇場で特筆すべきなのは、メンズデーが設けられている点であり、毎週木曜日、男性は1000円なのだ。日本はとても治安が良く、そして世界でも稀に見る女性優遇のサーヴィスが数多く設けられた国(こんな国は他にはない)の筆頭だが、同映画館のそれはとても珍しい。

 

本題に入るが、『T2』の感想について―。

 

英国社会の底辺に生きる、無学で、将来に希望もない、そんな若者たちが欲望の赴くまま、青春時代を過ごした結果、彼らのその20年後の未来はどうなっているのかを本作は描いているが、人間の生成はさまざまな可能性の枯渇の歴史であるとはいえ、彼らは何も変わっておらず、昔のままクズだったという話に帰結する(笑)。本作は、エリートの没落を描いた物語とは真逆であり、登場人物たちの会話の程度が低く、したがって単純で、中身がないため、観ていて正直疲れるのだ。劇中、知的な会話も、シャンパンも、高級車も、高級アパートメントも、そしてアルマーニの服も登場しない。彼らの現実は、ボロアパートに安酒、そしてドラッグ漬けの毎日なのだ。

 

このどうしようもなく救いようのない彼らの生き方は、ブログ冒頭で一部引用した澁澤龍快楽主義の哲学』とも異なるそれなのだが、アーヴィン・ウェルシュが描く世界はドラッグに走り、現実逃避するのが彼らの日常であり、それが彼らの唯一の楽しみであり、目的なのだ。ウェルシュの中編三本で構成された小説『エクスタシー』のあとがきには、彼について「16歳で学校を辞め、電機修理などの仕事を転々としながらロンドンに移り、ヘロインとパンクの日々を送る。その後、禁断症状との闘いの末にヤク中から抜け出し、不動産ディーラーの職に就き、結婚。」とあるように、トレインスポッティングで描かれた世界と似通っている。

 

そう、2013年11月18日()付ブログ“You're so fucking special!”(テーマ: 映画)で、アーヴィン・ウェルシュの小説『フィルス』を映画化させた同名タイトルの作品について感想を綴ったので、興味がある方はどうぞ。

 

映画『トレインスポッティング』も『T2』も、俺の趣味でないのは確かなのだが、劇中で使用された音楽を含め、総合的に判断した場合、俺好みのアシッド・ムーヴィーという結論に至るわけだが、ユアン・マクレガー演じるジャンキーは<デヴィッド・ボウイ>に憧れており、音楽にはボウイと親交が深い<イギー・ポップ>や<ルー・リード>の曲が使われ、その場面毎の使われ方が最高ゆえ、前作が公開された96年当時、世界中の若者たちの共感を得、世界的に大ヒットしたのだろう。が、どうしようもない懲りない連中を描き、最高の音楽を劇中に使用するという意味合いでは、近年高い評価を得ているのが、他でもないカナダの若き鬼才<グザヴィエ・ドラン>その人だろう。以前のブログでも書いたが、彼は劇中、デヴィッド・ボウイの楽曲を最高の場面で使用するのだ。過去のデヴィッド・リンチ作品やデヴィッド・フィンチャー作品のように、ね。

 

澁澤龍は、「人生に目的がなければ、覚悟をきめて、自分でつくり出せばよいのです。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう」と言ったが、それをできるのは天才といえる限られた人達であり、例えば、それは情熱を音楽に変えた<デヴィッド・ボウイ>であったりするのかもしれないが、アーヴィン・ウェルシュが描く世界に登場する人物にはそれは到底無理な話だ。

なお、ウェルシュは、両作品ともに端役で出演している。前作で女子高校生だった知的なダイアンは、クズの彼らとは対照的に、

彼女は現在弁護士としてまっとうに生きている。

 

彼らが置かれた環境が悪い、育った環境が悪いといえば、それまでなのだが、ダニー・ボイル監督が描いたそのサイテーな世界にも、ユアン・マクレガー演じるレントンを助けていたのは、彼の両親であり、それが救いのひとつでもあったのは明白であり、20年経った続編では彼の母親は他界している。こんなサイテーな息子を家族は見捨てず見守り続けたが、先述したグザヴィエ・ドランは家族の在り方に注目し、低予算ながらも、家族の物語を描き続け、最高の音楽を劇中で使用するといったカタチで、ヒット作を近年立て続けに世に送り出している。

 

最後になるが、全仏オープン準決勝のナダルの試合をTV観戦しながら、時計の針は6月9日(金)の26時を回ったが、ウェルシュの『エクスタシー』は、現代の不安と焦燥をテーマに構成されており、『懲りない』といった章の中の台詞が、私的にとりわけ印象に残っている。

 

君があいつを“しごくまっとう”に変えてくれるといいんだけどな。

 
 

 

Have a nice weekend!

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