In The Groove

a beautiful tomorrow yea


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ジギー・ツアーの終盤、デヴィッド・ボウイが次のRCAのアルバムの企画を考え始めた頃に、二人の友人関係は始まった。ある晩遅く、一行がコンサートの後くつろいでいる時に、マイク・ガースンがバーのピアノでジャズのスタンダード・ナンバーを弾き始めた。彼が<My Funny Valentine>を弾くと、デヴィッドがやって来て彼に合わせて歌った。「すごくまともな声で歌ったんだ。ちょっとアンソニー・ニューリーみたいでもあったけど、やっぱり独特だったね。美しい歌声だったよ」とガースンは思い出す。それ以降、デヴィッドはジャズの世界に巨匠たちと過ごしたガースンの過去にいたく興味を持ち、彼がビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、レニー・トリスターノと共演したり、ナンシー・ウィルソンやメル・トーメのバックをやった話に熱心に耳を傾けた。「つまり私はスターだったんですよ」とガースンは言う。

―ピーター&レニ・ギルマン著『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』より

 

サマー・オブ・ラブから50年

デヴィッド・ボウイ生誕70周年

アレキサンダー・マックィーン没後7周年

 

2017年は、デヴィッド・ボウイ(1947-2016/享年69歳)生誕70周年のアニヴァーサリーな年であり、ボウイが当時20歳だった1967年に起こった、世界的な社会現象<サマー・オブ・ラブ>から50年の節目にあたる。言い換えれば、60年代や70年代に、若者文化の最先端に位置づけられた「ロック」という音楽が、50年もの時を経て、色褪せて、古くなり、世の中から抹殺されたわけではないが、「新しいもの」ではなくなったのだ。

 

俺自身、80年代末頃から「ロック」という音楽から距離を置き始め、英国のインコグニートをはじめ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズガリアーノ、そしてジャミロクワイに代表されるような「アシッド・ジャズ(クラブジャズ=踊れるジャズミュージック)」に傾倒していったのだ。その後は、説明するまでもなく「ハウスミュージック」にどっぷりと浸り、

インターネットの台頭以降、若者文化の最先端な音楽は「ハウスミュージック」へと変化を遂げ、21世紀の現在(いま)、カルヴィン・ハリスに代表されるようなそれは「EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)」と呼ばれている。

97年にいち早く、ロックという古典ミュージックに、ハウスミュージックという新しい音楽を実験的に採り入れ、新しい音楽を生み出した(1989年からニューヨークのクラブシーンを創り上げてきたDJ<ジュニア・ヴァスケス>をプロデュースしたマーク・プラティを、「アースリング」のレコーディングでも起用し、ジャングルとロックを融合した、当時では最先端のアルバムを完成させた)ロックスターが他でもないデヴィッド・ボウイ(当時50歳)その人だ。そう、英国の異端児デザイナー<アレキサンダー・マックィーン>(1969-2010/享年40歳)がデザインしたフロックコートを身に纏って、ね。なお、今から7年前の2月12日(金)付ブログ“ALEXANDER McQUEEN FOREVER”(テーマ: ファッション)では、ボウイとマックィーンの関係性について触れたので、興味がある方はどうぞ。

 

そもそも、70年代生まれの俺にとって、「60年代の推進力が何だったのか?」なんてことに興味はあまりないわけだが、83年にデヴィッド・ボウイの洗練された音楽に出会ってからというもの、俺の価値観や人生観が大きく変わっていったのは確かだろう。彼はとても知的で、とても美しくて、とてもファッショナブルで、そして我々ファンをいつの時代にも飽きさせることなく、次から次へと変化し、時代の最先端を走り続けた孤高のロックスターだった。デヴィッド・ボウイの前妻<アンジー>の著書『デヴィッド・ボウイと私と70’s』には、60年代について次のように述べられている。

 

1966年のロンドンは最高に素敵だった。まるで、文化全体が変化しているようだった。ビートルズやストーンズとザ・フーが、古い英国の優雅さや秩序、抑制といった壁に穴をあけ、多くの若者たちがその穴からどっと溢れ出した。それまでのメディアのスターは貴族や貴婦人だったり、エリート中のエリートだったりしたけれど、初めて毛並みの悪いポップ・シンガーや、アーティスト、モデル、フォトグラファー、デザイナーなどが、そのルックスやサウンドやスタンスによって彼らに取って代わることになった。ついに、上流階級の話し方ができなくても、もって生まれた権威がなくても、英国社会で認められる時代がやってきたのだ。

―アンジェラ・ボウイ

付け加えるなら、1973年リリースの傑作アルバム『アラジン・セイン』同様、マイク・ガースンがピアノで参加している、ボウイが1974年4月にリリースした傑作アルバム『ダイアモンドの犬』をご存じだろうか。同アルバムは、ジョージ・オーウェルの反ユートピア小説『1984』をモチーフに制作されたそれなのだが、同アルバムには同名タイトル曲“1984”も含まれている。そんな私的に記憶に残る、同作家の『1984』と『動物農場』の2冊は、ボウイの影響で10代の頃に繰り返し読んだことを憶えている。そんなオーウェルの小説『1984』が、ドナルド・トランプが大統領に就任した今年、米国のアマゾン書籍売上ランクのトップに躍り出たと、先月末ニュースで話題になったのは我々の記憶に新しいところだ。「時代が変われば、ロックも変わる」ように、ね。

 

また、英国人作家<オルダス・ハクスリー>著『すばらしい新世界』に関して、2013年10月8日(火)付ブログ“BRAVE NEW WORLD”(テーマ: 本・雑誌)で触れたので、興味がある方はどうぞ。同エントリーの冒頭で、ニコライ・ベルジャーエフの言葉「ユートピアはかつて考えられていたよりもずっと実現可能なように思える。われわれは今、従来とはまったく異なる憂慮すべき問題に直面しているのだ。ユートピアが決定的に実現してしまうのをどう避けるかという問題に。ユートピアは実現可能である。社会はユートピアに向かって進んでいる。おそらく今、新しい時代が始まろうとしているのだろう。知識人や教養ある階層が、ユートピアの実現を避け、より“完璧”でない、もっと自由な、非ユートピア的社会に戻る方法を夢想する時代が。」を紹介した。そして今年、ドナルド・トランプの時代が始まったわけだが、彼はアメリカの救世主なのだろうか?

 

デヴィッド・ボウイ・トリビュート・コンサート

Celebrating David Bowie

 

前置きが長くなってしまったが、当初の予定は「デヴィッド・ボウイ大回顧展」について綴る予定だったが、今回のブログは、先週2月2日(木)の冬の夜に足を運んだデヴィッド・ボウイ・トリビュート・コンサートについて―。

土曜日の夜、ディナー後に、先月足を運んだ同企画展で購入したデヴィッド・ボウイのチョコレート(高級ショコラではなく普通のチョコレート)をいただきながら、シャンパン片手に、ボウイの曲をBGMに、ブログを書き始めたわけだが、最近感じるのは、俺自身、ボウイ同様、1月生まれの山羊座だからだろうか、夏よりもの季節が好きなことに気付いたのだ。とはいえ、子供の頃は、より夏が好きだったのは確かだけれど、の夜に聴くデヴィッド・ボウイの音楽もまた、格別に素敵だ。

 

本題に入るが、今から34年前、デヴィッド・ボウイの世界的に大ヒットしたアルバム『Let’s Dance』がリリースされた1983年、当時の・・・小学1年生(7歳)が今年41歳(1976年生まれ)、中学1年生(13歳)が47歳(1970年生まれ)、高校1年生(16歳)が50歳、大学1年生(19歳)が53歳(1964年生まれ)だ。そして当時、30歳ならば今年64歳で、(ボウイと同い年の)36歳ならば今年70歳だ。

 

したがって、先週の木曜日、タクシーから下車し、東京ドームシティホールに到着した夜、会場内で周りを見渡すと、50代60代と思われるファンがほとんどで、今から27年前となる1990年5月に東京ドームで観たデヴィッド・ボウイのコンサートの客層とは明らかに異なるそれだったのだ。「輝ける青春」はどこへやら、俺も年齢(とし)を取ったとはいえ、周りからは未だ30歳前後に見えるようで、単に若く見えるからだろうか、(飽きることなく)今でも日課のスポーツジムを消化し、ファッションや美容、食事などにも過度に気を遣っているからだろうか、オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』ではないが、会場を訪れていたファン(ほとんどが俺よりも年上だろう)の顔がとても老けて見えて、俺ひとりだけ若いような気がしたのだ、まるで子守にうんざりし「ラビリンス 魔王の迷宮」に連れ去られたかのように、ね。同じボウイファンが一堂に会するような、こういう機会はもう二度とないのだろうが、デヴィッド・ボウイ大回顧展でも同じようなことを感じたわけだが、デヴィッド・ボウイだけは永遠に若いままだが、時の流れとは残酷なものだ。

 

俺の勝手な妄想だと前置きしておくが、デヴィッド・ボウイのファンは皆、知的で、高額所得者で、洗練されていて、ストイックなまでに自己管理(運動)も怠らず、色んな意味でスマートだと思い込んでいたのだ。今回、そのイメージが完璧に崩れ去り、とっても衝撃的な夜となった(笑)。

 

当日の俺のファッションは、<ロロ・ピアーナ>のベビーカシミヤのタートルネック(ライトグレー)に<ジョルジオ・アルマーニ>のヴェルヴェットパンツ(ブラック)、そして<ジョルジオ・アルマーニ>のレザージャケット(ダークブルー)を羽織り、首元には<ジョルジオ・アルマーニ>のヴェルヴェットのストール(ブラック)を巻き、足元は<サントー二>のレザー製アンクルブーツ(ブラック)、そして腕時計は<ピアジェ>のアルティプラノを選択した。

デヴィッド・ボウイを偲ぶ夜は、18時半スタート予定が10分ほど遅れて始まり、71歳となったジャズ・ピアニスト<マイク・ガースン>のピアノソロで静かに幕を開け、俺自身の1983年から始まったデヴィッド・ボウイのリアルタイムな記憶の断片が、頭の中の宇宙を漂流し、1990年5月に2日連続で行われた東京ドームのコンサート“Sound & Vision”ツアーにワープしたり、デヴィッド・ボウイの音楽の歴史が鮮明なまでに蘇ってきたのだ。会場内は照明が落とされ、とても暗かったので、周りのファンの顔色を窺うことはできなかったとはいえ、きっと泣いていた女性ファンも少なくなかったはずだ。

特筆すべきことは、今回東京で開催されたボウイ・トリビュートのファイナル・コンサートは、ピアノ(キーボード)担当のマイク・ガースンが中心となり、70年代及び80年代に発表された楽曲で構成されたヒットパレード的なそれであり、3時間弱にも及ぶ長い時間、プロ歌手によるデヴィッド・ボウイを偲ぶカラオケ大会で盛り上がった素敵な冬の夜だったとも言えるが、

とりわけ、ゲイビー・モレノちゃんが歌うデヴィッド・ボウイの名曲の数々だけは他を圧倒するくらいに、魔法にかかったように、とても気分が高揚し、素晴らしかったことを付け加えておきたい。しかも歌うだけではなく、ギターを弾きながら再登場したときの彼女には、鳥肌が立つほどに、ロックスター的な雰囲気が漂っており、俺にデヴィッド・ボウイの記憶を改めて呼び覚ましてくれたのだ、素敵に。

多くのミュージシャンが今回参加したゆえ、聴くに堪えないそれもあったのは確かだし、1990年5月の東京ドームで、ボウイ(当時43歳)の隣でギターを弾いていた天才ギタリスト<エイドリアン・ブリュー>(当時40歳)も67歳となり、髪の毛も薄くなり、時の流れを感じさせた。そして今回、ギタリストの彼がボウイの楽曲を数曲歌ったのだが、上手いそれと下手なそれの違いがありすぎて、とても面白かった(笑)。普通に上手いレヴェルなのかもしれないが、34年もの長い間、何万回も何十万回もボウイの歌声を聴いてきた、肥えた俺の耳には、その違いがはっきりと分かり、とても貴重な体験となったわけだが、本物にそして贅沢に、慣れ過ぎたせいだろうか、デヴィッド・ボウイの偉大さを改めて知る夜となった。

 

<セットリスト>

1. Rebel Rebel (1974)

2. Lady Grinning Soul (1973)

3. Five Years (1972)

4. The Man Who Sold The World (1970)

5. Changes (1971)

6. Life On Mars? (1971)

7. Sound And Vision (1977)

8. Starman (1972)

9. Rock 'n' Roll Suicide (1972)

10. Where Are We Now? (2013)

11. Space Oddity (1969)

12. D.J. (1979)

13. Boys Keep Swinging (1979)

14. Suffragette City (1972)

15. Diamond Dogs (1974)

16. Win (1975)

17. Young Americans (1975)

 

18. All The Young Dudes (1972)

19. Wild Is The Wind (1956/カヴァー曲)

20. Ashes To Ashes (1980)

21. Fame (1975)

22. Fashion (1980)

23. Golden Years (1976)

24. Aladdin Sane (1973)

25. Stay (1976)

26. Moonage Daydream (1972)

27. Ziggy Stardust (1972)

28. Heroes (1977)

 

アンコール

29. Let’s Dance (1983)

30. Under Pressure (1982)

 

コンサートは、マイク・ガースンのピアノソロから始まり、『ダイアモンドの犬』収録のロックンロール・ナンバー“Rebel Rebel”(1974)で会場内の温度は一気に上がり、

続いてホリー・パーマーが歌う『アラジン・セイン』収録の“Lady Grinning Soul(邦題: 薄笑いソウルの淑女)”(1973)で一転、マイク・ガースンのロマンティックなピアノが同曲の艶めかしい雰囲気を盛り上げ、1800年代のショパンやリストを彷彿とさせた瞬間、デヴィッド・ボウイの当時のラヴ・ストーリーを俺に思い起こさせたのだ

コンサートで披露された全曲の感想を綴りたい気分だが、長くなるので、これくらいにしておきたい。そう、日本人アーティストも今回数組参加したのだが、イエローモンキーの吉井氏が歌う“Ziggy Stardust”は普通レヴェルで、オリジナル・ラヴの田島氏が歌う“Starman”は聴くに堪えないレヴェルだったが、後者の彼は歌詞を完璧に覚えてきてほしかったね、デヴィッド・ボウイにも観客に対しても失礼なそれだった(ステージ上での丁寧な立ち振る舞いは伝わってきたけれど)。一方、日本人ゴスペルグループのThe soulmaticsが歌う“Young Americans ”には正直、度肝を抜かれ、彼らのそのパワフルな圧倒的な歌唱力に「日本人もやるじゃん」と内心思いながら、マイク・ガースンも彼らのパフォーマンスに感心していた。正直な感想なので、あしからず。

 

最後になるが、冬の凍えるような夜の東京も悪くはないが、“All the Young Dudes”を聴きながら、同曲の邦題『すべての若き野郎ども』とは対照的に、会場内の年老いた観客に囲まれていたせいだろうか、同曲が『すべての老いた野郎ども』に聴こえたのは俺だけだろうか? とはいえ、生涯忘れられないくらいに記憶に残る、デヴィッド・ボウイを偲ぶ素敵な夜となった。俺は★(星)が輝く冬の夜に、素敵なロックンロールな夢を見た気がするよ、デヴィッド。

 

Happy Valentine's Day!

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