In The Groove

a beautiful tomorrow yea


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大晦日。午後11時30分をまわって、気分は最高である。シャンペンは当たり年のクリュッグ、その泡がはじけ、血が騒ぎ、大勢の見知らぬ美もしくは美男たちが真夜中の時報とともにあなたにキスをしようと、すでに長い列を作って待っている。楽しかった1年よ、さようなら。と、そこで誰かが近づいてきて(どこのパーティでも必ずひとりはいるものだ、レモン入りのペリエを飲んでいるようなやつが)、こう尋ねる―。

 

新年の抱負は?

 

やれやれ。誰だい、いったい。せっかくパーティが乱れに乱れてもおもしろくなりそうなときに、そんな現実的な耳の痛い話を持ち出すのは。その場でわからなくても、翌朝には声の主は明らかになる。つまりそれは他人の姿を借りたあなた自身の“良心”に他ならない。よくないことは知りながら手放せないでいるあれやこれやの楽しみ、せめてそのひとつくらいはやめる決心をしたらどうだ、と問いかけているのである。

 

誰だったか、確かオスカー・ワイルドだと思うが、こんなことを言っている。「何事もほどほどに。ほどほどの中でも、ほどほどに」 何かというとはめをはずして大騒ぎしてしまいがちな人間の本能を、きちんと見抜いているところが賢い。新年の誓いにおいては、ふつうこんな格言は見向きもされない。やるかやらないかのどちらか。異様なほど凝り固まった考えのもと、みんなが“やりすぎ”という極端な方向へ向かって走りはじめる。だから結局は2月の中旬頃、それなりの罪悪感を抱くか、もしくは自分を正当化しつつ、一斉に元の生活へ戻らざるをえなくなるのだ。こうして意味のないことが何年も続いたので、いちいち誓いを立てることは、私はもうやめてしまった。

ピーター・メイル

 

どこからはじめようか?

 

クリスマスで慌ただしかった、東京の街がイルミネーションで素敵に飾られた日。“And the Party goes onそしてパーティは続く)”と題してブログを更新してから、早いもので1カ月が経過しようとしている。昨年末、幸運にも、航空チケットが急遽取れ、年末年始はカナダの<トロント>で迎え、その後<シカゴ>と<ニューヨーク>にそれぞれ滞在し、白銀の世界で約2週間を過ごし、新年の誓いはさておき、家族でヴァケーションを楽しみ、帰国した。

 

帰国した翌日は、<虎屋菓寮>で京都の白味噌仕立ての「雑煮」(正直、俺の好みのそれではなかった)をいただき、夜はディナー後、自宅で虎屋の羊羹「夜の梅」(切り口の小豆の粒が、夜の闇にほの白く咲く梅の花を思わせることに由来しているそうだ)に日本茶を合わせた。そう、かつて冬の季節にニューヨークに旅行した際、美術館巡りの途中、アッパーイーストサイドに位置した<TORAYA CAFÉ>に立ち寄り、羊羹と日本茶をいただいたものだが、同店はいつの間にかニューヨークから撤退していた。東京では、もうバレンタイン商戦が始まったが、スイーツは甘い記憶を呼び覚ます

 

そして日本での新年は、『デヴィッド・ボウイ大回顧展』をはじめ、年末年始に足を運ぶ予定だった映画3本(『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』『聖杯たちの騎士』『ネオン・デーモン』)をようやく劇場鑑賞した。

 

The Weeknd

 

ところで最近、自宅でヘヴィーローテーションしていたアルバムは、トロント出身のR&Bシンガー<エイベル・テスファイ>君(26歳)こと<ザ・ウィークエンド>のニューアルバム『スターボーイ』で、デヴィッド・ボウイへのオマージュ作品なのだ。なお、同アルバム収録曲“Party Monster”は中毒になりそうなくらい、俺の頭の中を“♪PARANOID♪”という一節が無限にループしている。

 

聖杯たちの騎士

 

デヴィッド・ボウイ大回顧展>に関しては、次回のブログで綴る予定だと前置きしておくが、まず今年初めてのブログは、クリスチャン・ベール主演、テレンス・マリック監督最新作『聖杯たちの騎士(原題: Knight of Cups)』について―。

正直、最高の映画だ! スローモーションで何度も繰り返して観たくなるくらいに、ね。俺は、その美しい映像の数々に何度もノックアウトされたのだ。劇中、素敵に、俺を夢の中に、心地よく誘(いざな)ってくれて、無意識に身体(からだ)がシャンパンを欲していたような、そんな不思議な感覚に包まれたわけだが、万人にはオススメしない。

人間は大抵、小説同様、映画に「実人生」を探したり重ねたりするものだが、前回のブログで、ジュリアン・バーンズの小説から「本の中では物事が説明されるが、人生ではそんなことはない。人生より本を好む人がいるのは驚くことではない。本は人生を意味づけてくれるからだ。唯一の問題は、本が意味付ける人生というのは他人の人生であって、決して自分の人生ではないということだ」を引用したが、この「」の部分を「映画」に置き換えても意味は通じる。

同作品を鑑賞後、「退屈だった」とか「つまらなかった」とか「共感できなかった」とか、そんな感想しか思い浮かばなかった人は、それは君の人生が、クリスチャン・ベール演じたハリウッドで成功した脚本家・・・知的で洗練された男<リック>の、享楽的で、パーティ続きの、魅惑的な人生とは対照的に、退屈な人生だからだろう、きっと。どちらの人生が善いとか悪いとか、それは大した問題ではない。アンドレ・マルローは「反回想録」の中で、「人間の真実は何よりもその人が隠しているものにある」と言ったが、リックの人生はコントラストに富んでいて、悩みなどなく、一見とても光り輝いているように見えるのだ

 

ところで、昨年クリスマスに53歳の若さで亡くなった、英国を代表する天才シンガーソングライター<ジョージ・マイケル>の名曲“FASTLOVE”(1996)をご存じだろうか。以前のブログでも何度か取り上げたそれだが、その歌詞には「刺激を求めて/夜の闇を手探りしていた/どこも下らない話ばかりだ/ベイビー、俺の合図が見えないのか?/たぶん君なら、僕を楽にしてくれる/僕はミスター品行方正なんかじゃない」とあるが、クリスチャン・ベール演じた脚本家リックも同じようなタイプの人間なのだろう。とはいえ、ハンサムで、知的で、社会的に成功している幸せな男の、過去に巡り合った、美しい女たちとの過ぎ去りし日の思い出を、約2時間(正確には1時間58分)もの長時間にわたり回想し、スクリーンで見せられると、それとは真逆の人生を送って来た(今も送っている)人々からしたら、腹立たしくなるのもわからなくもない(笑)が、一見そういう完璧なように見える人生も、世の中には存在するのだ

 

生活するとは、この世でいちばん稀なことだ。

大抵の人は、ただ存在しているだけである。

―オスカー・ワイルド

 

したがって、同作品を「素晴らしいお伽噺」と形容するのも悪くはないし、夢の世界ハリウッド>ではよくある話なのかもしれない。こういった俺好みの物語は、小説や映画の世界では珍しくなく、世界のどこかしらで何度となく語られてきたはずだ。そう、ブレット・イーストン・エリスの小説に登場しそうな・・・例えば、彼の代表的な小説『アメリカン・サイコ』に登場するスノッブな主人公<パトリック・べイトマン>がそうだが、『聖杯たちの騎士では殺人などは一切起こらず、大きな変化も生じない劇中、美しい音楽が流れ、そしてただひたすらに美しい映像と、美しい男女のラヴストーリーが延々と続くのだ、まるで、ジョルジオ・アルマーニの、美しい海辺で撮影された、香水のCMでも見せられているかのように、ね。本作は、真実の愛を探し、彷徨っている、クリスチャン・ベールの答え探しの物語なのだ

視点を変え、私的に分析すると、同作品の主要なキャストのふたりに注目してほしい。クリスチャン・ベールとケイト・ブランシェットは、それぞれアルマーニマンとアルマーニウーマンであり、劇中、クリスチャン・ベールが身に纏っていた衣装は<ジョルジオ・アルマーニ>のそれだ。アルマーニスーツに、ブラックシャツではなく、ネイビーシャツを合わせたその姿が、アメリカ西海岸の青い空の下、劇中とてもよく映えていた。

極論、同作品には、物語も、台詞も必要ないくらいに、そのディテールだけで観客にメッセージを伝えていたのだ・・・美しい男女、サンタモニカの美しい浜辺、LAの街を眼下に見下ろす丘の上に位置するプール付きの邸宅での華やかなパーティ、シャンパン、そして退廃の街<ラスヴェガス>、他には何もないくらいに、魅惑的なまでに単純化された、分かりやすい映画(世界)なのだと、俺の眼には映ったが、この作品を理解できない人は、「愛の経験」が足りないのかもしれない。何度も言うが、人生には遊びが必要だ。いや、愛なのかな。

聖杯たちの騎士』は難解な映画でないのは確かだが、日本国内のツイッターや映画評を見る限り、低評価のそればかりを目にし、それらが俺の感覚とかけ離れた意見ばかりで、内心とてもホッとしている(笑)。うーん、同作品は、テレンス・マリック流の「知的な芸術家気取りと虚栄についての物語」だとも言えるが、クリスチャン・ベールが演じたロマンティストでエゴイストな脚本家<リック>の気持ちは、俺自身とてもよく理解できた。フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』の主人公<ギャツビー>もまた、ロマンティストでエゴイストな男だが、リックは彼ほど純粋な人物ではない。

アンディ・ウォーホルの伝記本『パーティのあとの孤独』に何と書かれていたかはもう憶えていないが、そんな喧噪を通り抜けた果てに、リックには何が見えたのか―。彼が「成功」以外に、人生に欲していたのは「真実の愛」そのものではなく、「愛の経験」だったのだろうが、それも、俺自身、とてもよく理解できる、モテる男の宿命(女性には怒られそうだが 笑)なのだろう。そして、現実世界でそれを華麗に実践している男がひとりいる、レオナルド・ディカプリオその人だ。我々が生きている物質世界には、時間の意味を明白に示してくれるものはない。冷めた視点で語るならば、人生は無意味で、冷淡で、絶えず移ろい、儚いものなのだろうが、同作品の中では、人間の世界を「自然の世界」に結び付ける叙景の語りが、詩的でとても秀逸なのだ。ひとつだけ言える確かなことは、時間は万人に平等だが、我々人間にとって時間(人生)は有限だ、ただそれだけ。

 

を求め、彷徨う、ある男たちの映画

 

ところで、同作品に似たような作品をいくつか挙げるならば、ニコラス・ケイジ主演作『リービング・ラスベガス』(1995)をはじめ、ジャック・ニコルソン主演作『恋愛適齢期』(2003)、ジュード・ロウ主演作『アルフィー』(2004)、マイケル・ダグラス主演作『ソリタリー・マン』(2010)等々などがすぐさま思い浮かぶが、ソリタリー・マンに出演していた女優<イモージェン・プーツ>(当時19歳)が『聖杯たちの騎士』に出演していたのだ。

なお、日本において、2011年に劇場公開された『ソリタリー・マン』に関しては、2011年6月26日(日)付ブログ“If you start me up I'll never stop”(テーマ: 映画)で、イモージェン・プーツに関しては、彼女がミュウミュウの2015年春夏キャンペーンの広告モデルに起用され、来日した際、2015年3月31日(火)付ブログ“Young and Beautiful”(テーマ: ファッション)の中でそれぞれ取り上げたので、興味がある方はどうぞ。

 

聖杯たちの騎士のあらすじ

 

同作品のパンフレットに記載されたあらすじから、一部抜粋して紹介したい。

デラ(イモージェン・プーツ元妻の医師ナンシー(ケイト・ブランシェットモデルのヘレン(フリーダ・ピントリックの子を身籠った女性エリザベス(ナタリー・ポートマンストリッパーのカレン(テリーサ・パーマーリックを進むべき道へと導く若い女性イザベル(イザベル・ルーカスら女性たちとの交わりの中に、リックは気晴らしを求めていく。

リックには、女たちは自分が知るよりも多くのことを知っているように思えた。彼女たちのおかげで、リックは物事の核心に近づいていく。だが、気持ちの高鳴りの正体は分からない。どんなパーティも、男女の情事も、キャリアも、リックを満足させない。それでも、リックが人生を通して出会ってきた女たち、男たちが、ガイドとして、またメッセンジャーとしてリックを導いていく。リックの前には、東の国へ続く道がのびている。前に進むか? 勇気が足りずに諦めるか? 目を覚ましているか? それとも、すべて夢、希望、つかの間の空想としてしまうか? 旅は始まったばかりだ。

 

 

最後になるが、マドンナ1989年日本経済のバブル絶頂期、テイラー・スウィフトが生まれた年)にリリースしたシングル曲“Like a Prayer”の歌詞の一節は、“Life is a mystery”で始まる。なお、『聖杯たちの騎士』の最後の台詞は、「始めよう!」だ。

 

Have a nice weekend!

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