And the Party goes on | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

人生も残り少なくなれば、誰でも少しは休めると思う。休む権利があるとさえ思う。私もそうだった。だが、そんなとき、人生に褒美が用意されていると思ったら大間違いだとわかりはじめる。老いがどんな痛みや惨めさをもたらすものか、若いころはわかった気でいる。孤独離別死別―想像できる。子供たちが成長して去り、友人たちも次々に死んでいき、社会的な地位は下がり、欲望は減退し、欲望の対象からもはずれていく―それも想像できる。

 

もう少し先へ進んで、間近に迫るを見つめる若者もいるかもしれない。残る仲間をいくら呼び集めようが、には独りで立ち向かうしかない。そこまでは若くても想像できる。だが、結局、それは先を見ているにすぎない。先を見て、その地点から過去を振り返ること―それが若者にはできない。

 

時間が新しい感情をもたらすことも知りえない。たとえば人生の証人が次第に減っていき、記憶の補強が覚束なくなり、自分が何者であり、何者であったかが次第に不確かになっていく。それがどんな感じのものか、若者にはわからない。いかに熱心に記録しつづけ、言葉と音声と写真を山のように積み上げても、結局は役立たずの記録になるかもしれないことに思い至らない。歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信だから。

ジュリアン・バーンズ著『終わりの感覚』より

 

デヴィッド・ボウイと記憶の固執

 

2016年正月。俺はいつもと変わらず、前年の師走~クリスマスから続いたシャンパンの宴にも似たどこか浮ついたような気分で新年を迎え、室内ではモーツァルトの音楽が流れ、ジョルジオ・アルマーニの服を身に纏い、高級ソファにもたれながら、永年愛飲している<ボランジェ>が注がれたバカラのシャンパングラスを傾けていた。

 

そして1月10日、「さよなら」も言わず、デヴィッド・ボウイが★になったのだ。あと1週間で新年を迎えるが、ボウイがまだ生きていたならば、来年で70歳の誕生日を迎えたはずだ。そう、今年初めて綴った1月3日(日)付ブログの“absolutely gorgeous”(テーマ: ファッション)の中で、俺はクリスマスについて書かれた日経新聞の社説「春夏」から一部抜粋して引用していた。

 

バブルのころ読んだマンガに、こんな場面があった。大勢の若いカップルが高級レストランでディナーを楽しんで、その後シティーホテルに泊まる。女性が「どうして毎年こうするの」と聞くと、男性は「さぁ、よく知らないけど、12月24日はそういう決まりだから」。

 

日本でのクリスマスの盛り上がりにそもそも宗教的な意味合いは薄いけれど、バブル期にはそれが極まった。都心のホテルやレストランは半年も前から予約で埋まり、彼氏は高価な指輪やイヤリングを彼女に贈らなければならない。イヴまでに何とかデートの相手を、と焦りを募らせた当時の若者もおられるのではないか。

 

バブル期は消滅し、震災なども経験して、クリスマスイヴの景色はずいぶん変わった。1人で過ごすクリスマスを、若い世代は「クリぼっち」と呼ぶそうだ。「独りぼっち」にかけた言葉である。皆で盛り上がる場にいないことを恐れているようにも聞こえるが、読書ぼっち映画ぼっちのイヴだって悪くない。一人静かに過ごし、家族への感謝の気持ちを胸に一日を終える。それだけでもう特別な夜になる。

 

そして世界が涙したデヴィッド・ボウイ訃報のニュースが流れた翌1月11日(月)、“David Bowie Forever”(テーマ: デヴィッド・ボウイ)と題してブログを更新し、スペインの思想家<バルタザール・グラシアン>の名言「我々が手にしているのは、時間だけだ」を引用した。

 

続いて1月13日(水)付のブログ“I lost a Hero”(テーマ: デヴィッド・ボウイ)では、最後にヘルマン・ヘッセの名言「どの花も実を結ぼうとする。どの朝も夕暮れになろうとする。変転と時の流れのほかに永遠なものはこの世にはない」を引用した。

 

さらに1月17日(日)付ブログ“Hot tramp, I love you so!”(テーマ: デヴィッド・ボウイ)では、ボウイと親交があったスペインの画家<サルヴァドール・ダリ>との関係性について触れ、今年日本で開催された『ダリ展』(京都美術館: 7月1日~9月4日、六本木の国立新美術館: 9月14日~12月12日)について取り上げた。

 

ダリもまた引用が好きだったひとりだが、彼が影響を受けた画家たち・・・ラファエロ、ベラスケス、フェルメールなどの話はさておき、彼は建築家<ガウディ>を天才と呼び、「食欲を覚えさせる」と彼独特の言い回しで形容した。正直、ダリの数々の幻想的な作品は俺の趣味ではないが、彼とボウイの共通点は「想像力」の豊かさだとも言えよう。また、私的に興味を覚えたダリのそれは「時間」を描いた作品群だ。

1931年(昭和6年)に描かれた「記憶の固執」と題された絵画の時計に注目してほしい。現実の時間、記憶の時間、時の経過。その柔らかな時計には「ハエ」が一匹描かれているのだが、シュルレアリスム的語呂合わせとして、“Time flies like an arrow(光陰矢の如し)”という名言を思い浮かべたのは俺だけではないはずだ。要は、鬼才<ダリ>の絵画もまた、天才<ボウイ>の音楽のように、我々の「想像力」を強烈に刺激し、新しい世界へと誘(いざな)ってくれるのだ、素敵に。

 

例えば、デヴィッド・ボウイの名盤『ダイアモンドの犬』(1974年)のアルバムジャケット然り、ね。付け加えると、同アルバム収録曲“Rebel Rebel(愛しき反抗)”は、70年代初頭の性別の不明化を言い表した名曲なのだが、マドンナのお気に入り曲のひとつでもある。なお、1936年12月14日号の雑誌「TIME」の表紙を飾ったダリの顔写真を撮影したのは、マン・レイその人だ。そう、先日、父親とロブションで会食した際、東京五輪が開催された1964年(昭和39年)に、東京プリンスホテルで「ダリ展」が開催されたと教えてくれた。俺が生まれるずっとずっと昔の話だけれど。正に、光陰矢の如し、だ。

 

フロベールの鸚鵡(おうむ)

 

ところで、ダリ(1904-1989)が亡くなったのは、奇しくも日本経済のバブル絶頂期にあたる1989年まで遡るが、クリスマスのイルミネーションで幻想的な東京の夜の街を今月歩きながら、バブル期当時のそれと2016年のそれは、とりわけ何も変わったようには思えないが、12月のこの時期の雰囲気は私的にはとても好きであり、宗教的な意味合いは除いて、クリスマスを「普通の日」と形容する冷めた人は、その人の人生観を表しているようでもあり寂しい限りだ。サンタがいると信じている幼い子供のように、冷めた大人である彼らの心が躍り、夢を見る日は訪れるのだろか。極論、「人生には遊びが必要だ」。

ひとつだけ言える確かなことは、クリスマスの意味云々ではなく、変わったのは東京の街の風景だろう。それが最も顕著な場所が、世界的に有名な高級ファッションストリート「GINZA」だ。バブル期の銀座界隈で、高級百貨店の代名詞だった1984年開業の「有楽町西武」が2010年に閉店し、

そして同年開業した若者向け百貨店「プランタン銀座」は年内に閉店する。時代の流れはさておき、銀座も二極化しているのは確かだろう。そう、1983年にはデヴィッド・ボウイの“Let’s Dance”が、翌84年にはマドンナの“Like a virgin”が日本国内でも大ヒットしたが、もうかれこれ32年、33年も昔になるのか。

 

デヴィッド・ボウイの影響で、近年読み始めた英国人作家<ジュリアン・バーンズ>の小説から、ブログ冒頭で一部抜粋して引用したが、彼が1984年に著した「フロベールの鸚鵡(原題: Flaubert’s Parrot)」の特徴のひとつは、大量の引用でもあるのだが、私的に印象に残っている一節を一部抜粋して紹介したい。どこかの本でも目にしたようなそれなのだが・・・。

 

本の中では物事が説明されるが、人生ではそんなことはない。人生より本を好む人がいるのは驚くことではない。本は人生を意味づけてくれるからだ。唯一の問題は、本が意味付ける人生というのは他人の人生であって、決して自分の人生ではないということだ。

―ジュリアン・バーンズ

 

一方、ショウペンハウエルは『幸福論』の中で、次のような名言を残していた。

 

人は誰も、自分の個性から逃れることはできない。

―ショウペンハウエル

 

リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド

 

フィッツジェラルドの(日本ではあまり有名ではない)隠れた作品『リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド』は、主人公ジョンとキスミンとのロマンスの物語だが、その逃避行の話はさておき、キスミンが星空を見上げながら、溜息をついてジョンに言った言葉がとても印象的だ。

 

今まで気付かなかったわ。星は誰かの大きな、大きなダイアモンドだっていつも思っていたの。星を見るのが怖いわ。みんな夢に思えるのよ。わたしの青春が。

 

アンソニー・ドーア

 

今夏の終わり頃、ファッションピープルの女の子たちと会食した際、ファッション映画音楽旅行

レストランなどなどの話ではなく、

ある本の話で盛り上がった矢先、好奇心旺盛なひとりの若い女の子から「アンソニー・ドーアをご存じですか?」と訊かれ、「名前は知っているけど、彼の作品は読んだことないね」と答え、アンソニー・ドーア著『すべての見えない光』を手にすることもなく、4カ月の歳月が経過しようとしている。

 

そして当時の、夏の或る夜、シャンパン片手に、その女の子が面白いと教えてくれた(2014年にTBSで放映された)テレビドラマ『Nのために』も未見だ。テレビドラマを連続して見た記憶はここ20年ほどないと思うが、先述した小説とテレビドラマは年末年始に挑戦してみたいが、そのことをこの時期にふと思い出したのには何か意味があるのだろうか(笑)。かつて、トム・フォードがインタヴューで答えていた・・・「いつも同じ世代と飲む(遊ぶ)のではなく、若い世代と交流しなさい」と。この2つの小説とドラマのテーマともなっている「記憶」と「時間」のそれは、わがままな俺の特異な感性をはたして刺激してくれるのか、楽しみだ。

 

ビル・エヴァンスのクリスマスアルバム「TRIO 64

 

ロバート・グラスパーのブルーノート東京公演について書き綴ってもよかったと前置きしておくが、もうかれこれ12年近くもブログを続けていると、毎年同じようなことを繰り返し、そのことを書き綴っているようにも思えるが、近年必ずといっていいほどクリスマスのこの時期に、変わらずに愛聴しているアルバムが、過去何度も書いたように、ビル・エヴァンスが1963年にニューヨークのウェブスターホールにて録音した8曲収録された、“Little Lulu”で始まる『TRIO 64』だ。同アルバム4曲目が、誰もが知る“Santa Claus is coming to town(サンタが街にやってくる)”だ。

聖なる夜に、超高級オーディオに同CDをセットし、超高級ヘッドフォンで、そのハイレゾ音源を聴きながら、毎年(毎日のように)ボランジェを飲んでいる俺はワンパターンな気もするが、昨日は朝の9時頃から非公開ツイッター上で連投し、その後スポーツジムに出掛け、ランチは銀座の鮨屋でボランジェを傾けながらの鮨を、そして夜は自宅にてクリスマスディナーをいただいた。ピエール・エルメのケーキとともに。そう、ボランジェをこれから購入する方には、その箱にも注目してほしい。そこにはマダム<リリー・ボランジェ>の言葉が記されているのだ。彼女の名言に興味がある方は、2013年5月7日(火)付ブログ“I drink it when I’m happy”(テーマ: シャンパン)の冒頭で引用したのでどうぞ。

最後になるが、冬至、そして暖かった金曜の夜も過ぎ去り、今年も残すところわずかだが、夜の会食は2回残っており、俺にとってのシャンパンの宴はまだまだ続きそうだ。

 

Happy Christmas!