2013.6.29<その2>

 


 

 

劇団阿彌主宰 岡村洋次郎:以下、岡村

ラナースグループ主宰、演出家 フィリップ・ザリリ:以下、Z

           劇作家 ケイティ・オライリー:以下:K

 

 


 

 

ラナース・グループのメソッドについて

 

岡村:(台本のなかにある)脊髄を通して相手を感じるとは?

どのような訓練をしているのでしょうか?

 

Z:これはWSのときに実際に体験してもらいます。

  体現化された意識、と言えばいいのでしょうか、体全体に目を付けるという

  感じです。

  例えば、「耳を大きくする」、というより「耳に目を付ける」という意識の仕方をしています。

 

岡村:阿彌では「みないでみている」、という視覚の取り方をしています。ですが、視野の中に相手が入らないと相手を感じるのは難しいですよね。

 

Z:武術では360度敵を敏感に感知するのでそこからとっています。

  やらせるよりも環境を作るような感じです。

 

 


 

 

④「Told by the Wind」の創作過程について

Z:西洋の演劇は今、リアリズムではないポストドラマが主流です。

今まで強かったリアリズムがやっと壊れてきてポストドラマと対等になり、盛んになってきています。

Toldの台本も物語がない、キャラクターではなくフィギア、テキストでなくスコア(楽譜)という演劇的でない言葉をわざと使っているようにこれは今までの伝統的なドラマではありません。


 

岡村:今の日本では言葉を前提として成立している演劇はまだ確立していないのではないかと思います。日本の前衛は言葉が先にあるのではなく、パフォーマンス=体のアクションでの即興的なパフォーマンスという色合いが強いように見受けられます。

   その点、能は言葉と体を両方もっていると言えますね。

Toldは言葉が根底にあるので興味深いです。


 

Z:Toldは先に台本を書いたわけではありません。

 

  サイコフィジカル(心と体)トレーニング、(これは二元論打破の方法として2つをくっつけたのですが)を行ったり、お能の台本やイェイツのテキストをと私とダンサーの3人一緒に声に出して読んだりして、浮上してきたイメージを表現化していきます。そこからいらないものを振り落していき、そぎ落としていく作業を行うのです。

  

  例えば野々宮からとったいくつかのイメージをつなぎ合わせますが、「境界」

  などの言葉を使って、一連のイメージを動きにしていきます。

四角(結界)の中に入ってワイシャツを掘り出す、能の運びと似たようなすり足歩きをする――を実際に行う際、向かっていく足を感じる、背中の意識を広げる、立ち止まって周りに耳を開いていくなど感覚に刺激を与えていく指示を出していきます。この作業を「コーチング」といいます。

 

岡村:結界の中にシャツがあるというイメージは最初からあるのでしうか?

 

Z:一番最初にあるイメージは結界で、そこから「何か」が埋まっている、「何か」を掘り出すと段階的にしていきます。ですので具体的なイメージ(シャツ)が出てくるのはずっと先になります。


 

  結界に向かっていく→何かを掘り出す→布を掘り出す→私が着ているものと同じシャツを掘り出す、という一連の流れにケイティ(劇作家)が言葉を与えていくという長い作業を経ているのです。


 

この段階を経るにはシャツ=誰かが着ているものだという意識はなく、ただのモノとしての関係において深い物語性は作らず、役者の自由にさせています。


 

岡村:それはジョー(ダンサー)さんの無意識が出てきているのでしょうか?

 

Z:彼女には触覚を使って何を取り出すか、

  手の感覚を使ってモノとの関係性を作り出していく、連想させていくということを演出家としては指示しています。


 

岡村:無意識に落ちてしまうと演技できない状態になってしまいかねないので、ちょうどいいバランスでやってらっしゃるのでしょうね。


 

Z:そうですね。あまりにも無意識の世界、個人的な思い出(トラウマ)が浮上してしまうと役者の仕事ができなくなるので毎回タスクを与えて水面下に落ちないようにしています。

 

  ケイティーは最初から稽古場の様子をみており、蓄積していくイメージと動き

  に反応してシーンを書いていきます。「死んだ鳥を見る」シーンなどは自発的   

  に彼女が書いたものです。

私が中に入り込んでいき、ケイティーがそれを外からみて構成するという形で

すね。

 

すべてスタジオのリハーサルの中から編み出されたもので、ダンスはジョーが

担当していますので3人での共同制作的な側面があります。

Toldの制作期間は約6~7週間ですが、これ以外にもゆっくり時間をとりなが

ら作っていきました。

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2013年10月末から開催される、劇団阿彌/ラナースグループ合同公演に先駆け、事前にSkypeセッションを行っています。

互いへの理解を深めていくための試みでもあります。


2013.6.29<その1>


劇団阿彌主宰 岡村洋二郎:以下、岡村

ラナースグループ主宰、演出家 フィリップ・ザリリ:以下、Z

           劇作家 ケイティ・オライリー:以下:K

 Told by the Windを読んだ感想について




岡村:2人の男女の出会い、すれ違ったままではあるが、非常に深い、しかしほのかな出会いが描かれていますね。ベケット的でありながら、ベケットよりは開放感、空間の広がりがあって面白い。

台本に使われている特徴的な言葉として、「足に露」dew on feetというのが西洋的で日本との違いが出ていると思います。


K:露という表現はたぶんお能(野々宮)からとりました。


岡村:例えば日本の場合の表現は「袖に露」Dew on sleeveというのが あります。

幽霊だから足がない、着物の袖が長く草の露(自然の露)がついてしまうということでもありますが、これは涙の意(悲しみ、内面的なもの)も含んでおり、自然と人間の感情が融合しているのです。

一方でこの世(現世)に限定されている部分が限定的であり、西洋的であると感じました。


K:西洋人にとっては足のあるなしで人間か幽霊なのかは区別しません。


Z:トレーニングにおいて「足を感じ取りなさい」とよく言います。そうすると内面に中心ができて表現力が出てきます。


岡村:同感です。自分の体重を足裏で感じられると相手も感じやすくなります。

toldの話に戻りますが)完全に違う場所にいる2人が思い出を通してすれ違ったまま交流しているのが素晴らしい。 


Z:インターネットの世界のような?


岡村:インターネットよりも孤独だと思います。

野々宮も救いがたい孤独、孤絶の悲しみを描いています。

ベケットを否定しているわけではないのですがベケットの孤独からは解放されたいと思っています。孤独でありながら過去の思い出の中で豊かに交流しているような。大げさでなく抑制された構造の中での交流が面白いですね。



 過去に上演された「Told by the wind」を観た客の反応について



K:チャプターアーツセンターでは詩的な批評が多かったです。

  批評家は普通自分の身体とか呼吸については言及しないものですが、その舞台を見て自分の

  体や呼吸がどう変化したのかが書かれていました。

一般客では心の深いところに響いて、自分でもよくわからない何かに突き動かされて

いている女性もいました。親戚の17歳の子も素晴らしいと言ってくれました。


  焦点の合った凝縮された熱い時間だったので若者にも響いたのではないでしょうか。


ポルトガルの屋外で上演した際も、小さな子供たちでも最初から終わりまで飽きることなく集中してずっと観ていました。



Z:太田省吾さんの「水の駅」を2004年に上演したのですが、西洋の観客は動きのある舞台を見慣れています。そんな中緩慢な動きに出会うことで、忙しい日常の時間から解放される喜びを感じた客もいました。

この「水の駅」を観ていた観客がいるのでToldの方の反応は特に驚きません。



岡村:遅延させると時間から外れることができます。一瞬一瞬を生きき

   ることができる。阿彌ではスローモーションではなく、日常的な時間を外れるための

   テンポを大事にしています。


   「水の駅」の最初に出てくる少女(を演じる安藤さん)は唯一、その「遅延」の中で

   動いていたと思います。他の人は動きの再現になってしまっており、その場を生きて

   いるわけではない。太田さんはあまり演技指導ができる方ではなかったので、

   俳優への指導はほとんどなかったのではないでしょうか。


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『スーパーヒーロー(強きアウトサイダー)不在の時代に』
映画監督 原一男インタビュー 2010.9.26


岡村:小野さやかさんの「アヒルの子」を見てびっくりしました。こういう若者もいるんだというか。自分の家族とかトラウマと真正面から向き合うのは、大変な勇気がいると思って。
原:いや、日本映画学校の卒業制作というのは、わりとああいう系統が多いんです。これまでも結構評価された作品が作られました。そんなに珍しいというわけではないです。
岡村:編集も彼女自身がやったのですか。
原:いえ、一緒にスタッフを組んだ大澤という者が中心になってやりました。
岡村:テーマは非常に重いけどカット割りの歯切れが良くて感心しました。製作総指揮は原さんなんですか。
原:クラスの担任なんですよ。一応クラス担任を製作総指揮という名前にして頭に入れるというルールをあの時期学校で作ったので。
岡村:助言などは。
原:はい。それは卒業制作で授業ですから、もちろん黙ってみているわけではありませんから、相当色々助言はしております。
岡村:原さんとしてはどうご覧になりましたか。
原:非常によく、頑張ってやったなと思います。難しいのは、家族に喧嘩売っていく事の連続ですよね。それ自体はそんなに難しいことではないんです考え方としては。そりゃ勇気はいりますけど、喧嘩売る訳ですから。それはパワーというかエネルギーがいりますが、一番難しいと思っていたのは、ヤマギシとの関係をどこまでどう描くか。彼女自身は体験としてヤマギシ会に預けられた事を捨てられたととらえていたわけですが、60年代から70年代までの日本のあの戦後の時期に影響を与えたということに対して、どういう切り口で描いていくのかが難しいなと思ってはいたわけなんです。
岡村:観客としてみると展開の仕方というか、外からみたヤマギシとか別に無くても、局部的にごちゃごちゃやらなくても、すぐわかりましたね。ある欠点というか底の問題をさらけだすことになってしまっているんですけれど。それよりもラストの両親との・・・あれがちょっと、つまり観客というか私としてはかもしれないですが・・・、両親の変革はないですよね、あの中では。
原:ないですね。
岡村:彼女としては飛び込んでいくことに目的があったかもしれないけど。
原:皆さんだいたいそうおっしゃいますね。ラストがなにこれというか。これで終わりかとか。
岡村:いや、なにこれとは思わないですけど。
原:もちろん、色んな人の思いがあるんでしょうけど。つまり本人の製作意図ということになるんでしょうけど、結局本人が癒されたいというものがあるから、両親とあんなふうに分かり合えてよかったという思いがあると思うんです。ただ、ああいう終わり方でいいのかというのは彼女も悩んでいたと思うんですが、あれ以上の終わり方はないんですよね、本人にしてみれば。あれ以外の終わりというのは何があるかというと、親の生き方とか選択、ヤマギシについて追求していくことしか考えようがない。それに関しては、ヤマギシの世代とは全く関係ない世代なわけですから、それは彼女にとっては荷が重過ぎるというか。
岡村:いや、ヤマギシに行かなくていいんですけど、両親がなんか会話できないままで、彼女は飛び込んでいっているけれど。ただ彼女はそれがあの映画を作る基本のモチベーションだったんでしょうから。

原:ええ、最初から最後までそれだけなんですよね。
岡村:それで動かされていたのかなとも考えたんですよ。
原:本当はあの夫婦も微妙な関係なんですよ。ワンシーンそっくり結局生かしきれなくてまるごと落とした部分があるんです。お母さんと一対一で話をつめてるくだりがあって、結局お母さんもお父さんとの関係の中で少し精神のバランスを崩しているというようなニュアンスが、その映像から滲み出してはいるんです。出来上がったあのバージョンでは夫婦の関係がどうだったのかというのは全く見えないんですが、それを見るとお母さんもまたお父さんとの関係で色々あったんだなというのが感じられるんです。ただ、逆に生かしきれなくて、落としちゃったんです。
岡村:それがあったほうが・・・
原:編集している大澤からすると、色々やったんですが、どうもそれがうまく生かしきれなくて。最終的に落としたんですよね。
岡村:いやでも、全体としては、久しぶりに勇気とエネルギーのある若い彼女に感心しました。
原:そうですか。
岡村:それで・・・、彼女以外にも原さんが知っている若い映画作家で、
原:セルフドキュメンタリーって呼ぶんですよ。あのつくりを。セルフドキュメンタリーというつくりは、今や主流なんですね。私ドキュメンタリーという言い方をする場合もあります。若い人に限らず、ベテランの人も、世界でもひろがってるんですが、セルフというドキュメンタリーの形式は多いですね。世界の中でという検証は置いておくと、日本の中でその最初は、実は私が作ったということになってるんです。
岡村:そうですか。

原:1974年に「極私的エロス・恋歌1974」というのがありまして、それが日本のセルフドキュメンタリーの初めという位置づけなんですが、日本映画学校のドキュメンタリーのクラスの担任を山谷哲夫というのが長くやっていたんです。70年代に僕らが自主制作自主上演してた頃に、山谷も作っていたんです。山谷が作った映画で一応知られているのが「みやこ」っていう、集団自決の話なんですが、彼が「極私的エロス・恋歌1974」をものすごく気に入っていて、毎年一年生に見せ続けていたというのがありまして、その発酵期間みたいなのがあって、日本映画学校の中で山谷が卒業制作のクラス担任をやってて、セルフドキュメンタリーとしてポーンと世に出たのが「妻はフィリピーナ」っていうセルフドキュメンタリーなんですが、映画学校の学生が水商売に来ているフィリピン人女性に惚れまして、結婚して、結婚するまでが学校で作ったのかな、卒業制作で作った後も、その後子供が生まれて家ができていく過程というのをずっとフォローして一本の映画にしたんです。それが日本映画監督協会で新人賞もらったんですね。それが山谷が指導した中で世に出て、それ以降も何本か出てます。
岡村:その監督の名前は
原:寺田靖範といいます。その後もですね「ファザーレス」-父なき時代っていうそれもセルフの系列なんです。その後も何本かでて、その系譜なんですね「アヒルの子」って。だから率直に言いまして業界の中ではもう飽きられてるという側面もありまして、私が担任になって、もういい加減セルフっていうのはやめようっていいながら、一方で小野さやかの場合は、お前これはもうセルフをやるしかないんじゃないかっていう風に指導した、そういう経緯があります。

岡村:確かに映画みてまさに、これをやるしかなかっただろうという映画化ですよね。
原:ええ。それしかないんだろうなと思って。
岡村:コンテンポラリーダンスというのも若い人がやってるんですが、日本の特殊性というのもあるかもしれませんが、非常に告白的な個人的なことをテーマにして作ったりしてますね。そういう傾向はあることはあるんですね。ただコンテンポラリーダンスをやってる若者達は、小野さやかさんみたいな必然性というか切実さは見せない、見せたくないというか。出せないというか。
原:出したくないんですかね。そうですか。
岡村:そうだと思いますね。だから非常にポップなんですよ。動きそのものもどこへ行っても似たようなポップな動きをしてますね。演劇も結構そうなんですけども(笑)、とにかく口先だけですねナチュラルで。おなかの底からだしたりすると色んな物がでてきますから、おそらく本能的にそれを避けてるんだと思います。

原:大学の先生をはじめて10年以上時間が経つんですが、私もあちこちで今の若い人たちの悪口を言いあげてるんですよね。言いながら今の大学で映像教育ってどうすりゃいいんだろうと思って登校拒否をしたくなるくらいよくわからなくて抑圧なんですが、相当いびつじゃないかと思えてしかたなくて。それを自分なりにときたいと思っているんですが、どうすればいいかわかりませんね。そういう関心もあるんですが、今の若い子がすごく保守的じゃないですか。なにか臆病じゃないですか。そのくせなにか思い切って外へ向かって他者に向かってっていうエネルギーを感じないし、何かやらせようとしても皆尻込みしてしまって。私の方が欲求不満を持ってまして。それでキーワードというか今の若い人の体がゆがんでるっていうふうに思ってるもんですから。そういう観点で竹内敏晴さんの本とか読んではいるんですけど。

岡村:竹内さんは70年代からそういう脱落したっていうか隅っこに追いやられた体に最初から向かい合った人ですから。精神病院出たり入ったりしている人とか、どもりの人とか、そういう人が自己変革を目的にして100人くらい出入りしていて、演劇研究所なんですけど、むしろ演劇は手段という感じでやってたんですね。私はそこへ入っていって。本当に切実な体が炙り出されてくるんですね、レッスンをやると。ですから我々の世代からするとなんだ情けないというか蹴飛ばしたくなるような感じなんですが、彼らにとっては切実なんですね。それ以外にできないし。自殺しようかと思っている人に頑張れと言ったら残酷な言葉になっていくのに似てるんだと思います。だからポップな物はなんでそうなっていったのかと思うと、歴史的に演劇史的にそうなんですよね。いつかはそれに飽きて違う世代が出てくると期待していますけどね、もう袋小路ですから。私も原さんの「ゆきゆきて、神軍」をみて、ショックだったというか面白かったというか。あの面白さはもう奥崎の後ろに鬼神がついてる、ギリシャ悲劇で言うと、復讐の女神がついているようにみえて。彼は等身大の生身の人間ですから、それが滑稽にみえたり狂気すれすれに見えたり、その誤差が面白かったですね。あのお書きになった製作ノートも読んだんですが、あの映画とノートもすごく酷似していて、あの本だけ読むとまた全然違うのかなと思ったんですが、非常に告白文的というか日記もあえて載せていらっしゃるし。映画とそっくりなんだと思いました。でもその生々しさというか突き刺されるようなリアリティというか迫力になっていると思いました。最後に殺していった後彼がなぜ自首しなかったのかというのがあったんですが、あれもびっくりしましたね。もう原さんの意図も超えて彼が行動していっていると、ギリシャ神話の世界でしか了解できないような。あれは<セルフ>ではないですね。今は、原さんはご自分では、「ゆきゆきて、神軍」をどう思っていらっしゃいますか。

原:私は70年世代の人間なものですから、若いあの頃なにをキーワードに一生懸命考えていたかというと、関係、関係の変革という事を、繰り返し言っていたというか。第1作目というのが「さようならCP」なんですが、障害者と健常者の関係をどう変えていくかだったわけですね。二作目の「極私的エロス」の方は男と女っていうことですね。二作とも関係の変革という事を考えていたわけです。その延長で奥崎さんと会ったわけですが、奥崎さんは天皇制を相手に一人で喧嘩売ってたわけですが、喧嘩を売るというエネルギーの中で、自己をどう重ねて喧嘩を売っていくのかということに興味があったんですね。結局関係の変革といったって、関係の変革をめざすあなたはどういう生き方をして私はどういう生き方をしてという、つまり個というものに注目しないといけないという問題意識に少しずつスライドしていったと思うんです。奥崎さんがどういう風に喧嘩を売るエネルギーを掻き立てていくか、つまり自己解放という方へ少しずつ関心が移っていったと思うんですね。その辺の問題意識があってああいうつくりになっていったんだと思います。奥崎さんはすごく面白かったです。なるほどこんな風にして喧嘩を売っていくんだ、とか。喧嘩を売るために結局何が必要かということとか色々勉強になりました。
岡村:何が必要なんでしょう。

原:喧嘩を売るって大義名分がいるんだ、大義名分がエネルギーになっていくんだという。奥崎さんの場合は、彼の部隊は1300名いて、1000人が死んでいるんですね。生き残った戦友の方が少ない。奥崎さんはその亡くなった戦友達の霊が彼の両肩にとり憑いている感じがあって、ただそれだけじゃエネルギーにならないので、天皇制は誤っているのだと、それを正しい、人間を幸せにする世の中を作りたいんだということで神軍という考え方を自分の中に導入するわけです。神軍というのは、つまり天皇制よりも上の考え方であると。神様の国をつくるための、自分は平等兵であると。つまりその天皇制よりも上位の観念をもっているというのを水戸黄門の印籠みたいにして、自分の方が正義であると信念をもつことでエネルギーに変えていくというかそれが彼の自己解放につながっていったわけです。
岡村:大変な自己解放ですね(笑)

原:ええ。ただ自己解放といったってあの世代の人ですから、行軍の一兵士だった自分が神軍の平等兵へ生まれ変わっていくわけです。その仕組みが非常に面白かったです。
岡村:丁度私が今能役者の金春禅竹の書いた「宿神」というのを読んでいまして。お能に翁というのがあるんですが、あれも神なんですが翁はむしろ表の面で、その裏に裏の面があってそれで一つなんですが鬼の面が隠されているというか。阿弥陀仏とかも裏戸があってそこに人食いで血をすするカンニバル的摩多羅神というのがいて、それを宿神とか呼んで芸能の神様としていったらしいんですね、それを哲学的に社会学的に書いたのが金春禅竹なんですが。創造もしてるんですが、まさに神軍だと思いますね。天皇の先、奥にその宿神を持っていたと思いますね、被差別の芸能者でしたから。非常に似ていますよね。これは日本の伝統的な縄文の頃からの考え方らしいですが、国家が出来る以前の共同体の、信仰形態というか。昔は芸能と信仰が一体でしたから、とんでもない力を持っていたわけですよね。だからそれが今は分離されてしまっていますから。昔は将軍に芸能者が処刑されたり島流しにあったりしたわけでそれだけ怖れられていたんですよね。信仰と離れることで力を失ってしまったわけですが。奥崎さんはそれを、さっきギリシャ悲劇みたいだといいましたが、奥崎さんはもう・・・
原:ええ、もう亡くなられました。

岡村:出所後は会われたんですか。
原:いえ、会わなかったです。会うともうパート2を作って欲しいと言って来るので、あの映画の中で何か事件起こしたでしょ?裁判が始まってもうその頃からパート2を作って欲しいとずっと言ってましたから。作った方がいいのか作らない方がいいのか。彼は懲役12年でしたから12年間悩んだ末、作っちゃいけないという結論を出しまして、つまり自分と会うとその話になるので、もう会わないほうがいいと自分に言い聞かせて会いませんでした。
岡村:作っちゃいけないというのはどうして。
原:結局奥崎さんにとって自己表現って何か事件を起こすことしかないんですね、あの人の場合。あの映画の中で結局のところ中隊長さんっていうターゲットを決めて、でも息子さんでも良かったといって息子さんに発砲する、それと奥崎さんの場合リアリストで商人なんです発想が、だからパート2はパート1より面白くなきゃいけない、面白くするにはどうするかというとあの人の場合事件を起こすしかありませんから、もっとお客さんに興味を持ってもらえるためにもっと大きな事件という風に考えると、なんかね凄惨な感じがしましてね。やめた方がいいんじゃないかなと。
岡村:そうですか。よくわかりました。一緒に作ることになりますからね。

原:それもあるし、なんかそういう凄惨なものになっていった時に、はたして・・・。表現って面白い楽しい面があるべきって思いがあるんですが、最初から陰惨なイメージのものになってしまったらちょっと違うんじゃないかとも思いまして。
岡村:「ゆきゆきて、神軍」でもう十分ですよ。
原:そういう風にも思ったんですよ。
岡村:なるほどね。この本の中でも奥様が、原さんが殺人のシーンを撮るか撮らないか迷っているのをみて行っちゃいけないと止めるというのがあって。やはりその先は、もう映画ではないという・・・、そのすれすれのところが原さんの映画だったんですね。
岡村:今後の映画のお仕事はどういう風にお考えですか。

原:今後は色々難しいんですが、今犯罪に興味を持ってましてね、知人のシナリオライターが、もうずいぶん前から裁判の傍聴にいったりしてシナリオ化している事件があるんですが、名古屋のアベック殺人事件というのが、一時期かなり知られた事件なんですが、それを撮りたいと思ってるんですが、冬に起きたんですその事件が、だから冬に撮影をしようと思ってるんですが、来年の冬になると思うんですが、シナリオは彼で監督は私で時々ミーティングしながら進めています。それからドキュメンタリーの方は、とってもむずかしくて、今までやってきた私の流れというのがあってそれはそれでこだわりがありますでしょ?スーパーヒーローシリーズって、半分遊び心で名づけてるんですが、70年代という時代の中で、非常に強いエネルギーを持った人っていうのがあるんです。奥崎さんが戦後最高のそういう人物だと思うんですけど、その後の映画もその流れなんです。時代がどんどん変わっていくと90年代くらいからそのスーパーヒーローっていう考え方がもう成り立たなくなっている、時代が変わっちゃって。それで奥崎さんがもう最後のスーパーヒーローで。作り手にとっては自分の方法を新しく組み立てなおす、これが一番難関だなと思うんです。別の鉱脈を自分で発見しなくちゃいけない。それを発見しようとしたときに、僕らの前の世代が作った価値観があるんですよね、つまり小川プロダクションとか土本典昭さんとかあるいは今村昌平とか大島渚とか。つまり国家と弱者というか、国家権力に抑圧される民衆という構図があって、小川プロダクションの「三里塚」も基本的にその考え方ですね、土本さんの水俣のシリーズもその考え方を踏襲してるんですよ。それを超えるためにスーパーヒーローシリーズを発想した私が80年代まではそれが成立していたんだけど時代が変わって成立しなくなって、次の鉱脈を見つけようとしたときに、自分の方法はもう行き詰っちゃっているんだけど、例えば土本さんが水俣にこだわっていて10本近く自分の作品を作っているんだけど、その水俣が今どうなっているかというと実は何も解決していなくて新たな問題をはらんでいる、という現実を目の前にした時に、どうするんだと、誰がそれに取り組むの?と考えた時に、いないんですよ。現実的には。それは何人かの人が水俣に取り組んではいますが、新しい時代になって新しい問題提起をしなきゃいけない時に、だれもそれに取り組みをしないと、それじゃ誰もいなきゃ自分がやるかってなもんで、そっちの方へ今意識が向かってはいるんですよ。ただ、向かってはいても、土本さんや小川さんたちがそれを撮ってる時には時代がまさにものすごい緊張感あったし燃えてました。ところが今、水俣いってもその気配すらないんですよ。70年代僕らにとっては水俣と三里塚は、僕らにとっては聖地みたいなもんででもその熱気の気配すらなく、というかもっと時代は悪くなっていてもう足のひっぱりあいみたいな。でも紛れも無く問題はあると。それで誰もやらなきゃ自分がやるしかないみたいな発想がどうも僕らにはあるから、取り組んではいるんですが、かといって鉱脈を見つけたというほど方法論が確立していないんですよ。そこでぐちゃぐちゃと悩んでいるというのが現状です。はい。

岡村:なるほど。その事件をドラマ化ということを考えると、スーパーヒーローという言葉をキーワードにするとどうなるんですか。
原:スーパーヒーローとはまた別だろうという感じがあります。僕らは師匠筋に今村(昌平)さんというのが傍らにいるもんですから、大命題としてやっぱり人間を描くというのが作り手の仕事だと思ってるもんですから、犯罪事件というのが一番人間をみていくのにふさわしいと思っているので、そこはやっぱりスーパーヒーローシリーズとはちょっと違う期待が私の中にあってドキュメンタリーは作ってきたんですけど、犯罪を扱ってドラマを作っていくとスーパーヒーローシリーズではないと思っています。やはり人間の持っている未知な部分不可思議な面をみたいという欲求の方が強いという風な気がしますけどね。よくわからないものを。だから犯罪に取り組んでみたいというか。
岡村:火をつけたとかいう事件でしたっけ。
原:いや、ものすごくアベックを残酷な殺し方してるんですよ。若い連中が。それも殺そうと思って殺意があって殺したわけじゃないんですね。はずみみたいなことで殺しているんですね。死刑判決が出たんですが、少年事件で死刑判決が出た最初のケースで、それがひっくりかえるんですよ。それで無期になっていくんです。そういうことで注目された事件で、死刑の判決が出たことで、本人たちがそうとう変わっていったらしいんです。そのあと。つまり自分でやった事件にもかかわらず、自分でやったという意識が希薄なんだそうですね。色々調べていくと。そういうことが事件として非常に面白いなと。
岡村:コンクリート殺人、
原:とは違いますね。
岡村:でもちょっと似たところありますよね。80年代から90年代にかけて大きく時代が変わって、70年代のあれがまったくない違う世界に。
原:そういう感じはもうひしひしと感じますね。
岡村:ですから我々が芝居やっていた、小劇場運動と言われた世代の人達のことが、本当に若い人たちは見向きもしないという(笑)やはり強いヒーロー、アウトロー、アウトサイダーというか、しかし強いね、スーパーヒーローじゃないですけど、そういうのありましたが、ロックなんかでも非常に強いね、内田裕也とか、そういう存在じゃなくて、逆に病的なというか弱い弱者のヒーローというか、ロックもそういう風に変わってきましたよね。私なんか台本書き始めたのが45歳くらいからで、もう90年代に入ってから、それで自分の傾向というのもあるんでしょうけど、壊れた人物、石原吉郎というラーゲリから敗れて帰ってきた詩人のこととか、彼の晩年は精神病院出たり入ったりしてもう惨憺たる状態で、それを別の女性詩人が書いた物を題材に台本かいたりしているんですが、とにかく人間としてはもう壊れた人に魅力を感じていたもんですから、考えてみるとスーパーヒーローとは逆に壊れてしまった、それもある意味ヒーローかもしれませんが、あとは神戸の酒鬼薔薇事件とか宮崎勤とかそういうのもやりました。

原:何年生まれですか。
岡村:私は23年です。
原:私20年です。だから団塊の世代よりちょっと上。
岡村:私は真っ只中です。でも私は珍しいと思います。あんな面白い時代に唐さんも寺山修司もいっぱいいたんですが、なんか納得できなくて、どっち向いても政治の季節だよな、芝居でもっとやることあるだろうとずっと思っていたんですね。それで結局竹内敏晴のところにたどり着いたんですね。彼は非常にメンタルなことやってたんですよね。芝居から離れて、精神の道場というか、人と人がコミュニケーションするとはどういうことかみたいなことを徹底してレッスンでやってたんですが、動く座禅みたいなものですけど。それが80年代です。そこではね、もう解体されちゃうんですね、もう混沌としてコントロールきかなくなっていくので。それでその混沌をコントロールできる芸能ってなんだろうと考えて、それで直感的に思ったのはお能だったので、観世流能楽師の観世栄夫のところへ行って8年位お能の稽古だけやっていたんです。
原:じゃ竹内さんの正当な後継者という人がいるのかいないのか、それはあれですか、わりとそういう風に。
岡村:いや私は、竹内敏晴は結局芝居から離れていったと思ってるんですけど、私は表現の領域でそこから出発して何ができるかということを探しているんだと思いますね。お能もずっと地続きで。彼はある意味で他者とは何かというか、他者のむこうにはもちろん様々な人間とか無意識の領域とかカオスとか見えてくるし宇宙とかまで見えてくるんですよね。それはある意味解体されていくというか収拾つかなくなる、表現者としては。それをちゃんと支える枠をもっているのはやっぱりお能でしたね。すごいと思いました。その強度というか。
でもそれを現代劇でやろうとしているわけですから大変です。でも原さんがそういう事件に着目されるというのは、非常に楽しみです。
原:どうなることやら。
岡村:それはいつ頃完成予定なんですか。
原:まだお金のこともあるし、脚本もまだなので、次の次の冬に撮影予定なので、2年後くらいでしょうか、大雑把に言えば。
岡村:楽しみにしてます。今日はどうもありがとうございました。
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