NISSAN GT-R (R35)


昨日から発売となりましたね。

開通まであと2週間足らずとなった首都高・中央環状線、

山手通りの地下で、発売記念イベントやるなんて、ちょっと面白い(笑)

ひと月程前に開催されていた40th東京モーターショーでも注目を集めていたみたいだし、

さすがにNISSANも特別扱いだな。

予約も相当入ってきているようで、当分このクルマの話題は続きそうですね。


このGT-R、格好いいんだか、そうじゃないんだか、今ひとつ自分の中でも判断つかない。

でも、このクルマ、僕も実は特別扱い。

なぜなら“スカイライン”だから。


車名にこの文字が入っていなくても、新生GT-Rと言われても、

頭ではそう理解している人だって心ん中では“スカイライン”だと思ってるんでしょ?

どうして型式がR35なのか?

どうしてあの無骨な38年前からのGTRエンブレムが付けられているのか?


物心ついた時、家にあったクルマはスカイラインでした。GC10、いわゆる“箱スカ”です。

2ドアハードトップで、最高に格好よかった。センターコンソールの木目部分についていた

“2000GT”のエンブレムが、子供心ながら、「このクルマは他とは違うんだ。」という

思いを持たせてくれていた。

もし今“箱スカ”のスタイルほぼそのままのクルマが発売されたら、たぶん僕はそれを買うだろう。

それ位素晴らしいスタイルを持つクルマでドライブに連れて行ってもらえて、僕は幸せでした。

旅行先で地元の子供たちに「あっ、スカイラインだ。」と指差されることもあり、そんな時僕は得意満面でした。


そのうち父親がクルマのカタログをよく見ているようになり、好きだったGC10が持って行かれて、

その代わりに来たのが、GC110、ある意味において一世を風靡した“ケンメリスカイライン”です。

家に来た車を見て、“箱スカ”以上にカッコいい!と子供の僕は思いました。

横から見るとまさに流線型のあのファストバックのスタイル。僕の中では完全にスポーツカーでした。

(ただし、今みると「ホント太っているな~」と、ちょっと???という感じですが)

このクルマも僕の自慢でしたが、東京でも旅行先でも、同じ“ケンメリ”をよく見かけるようになっていきました。


そして、家族旅行も行かなくなり、家のクルマにも目が行かなくなっていたころ、家にあったのが、C210、

“ジャパン”です。“ケンメリ”に比べるとインパクトは弱かったのですが、このクルマが僕の初めてのクルマ

となりました。


免許を取って初めて運転した公道が首都高・横羽線。

平和島PAで突然父親に「ここからはお前が運転してみろ」と言われ、ドキドキしながらステアリングを握り

横浜に向かったあの日から、いったいどれぐらいの距離をこの“ジャパン”で走ったことか。

世の中、高性能車や格好いい車が続々と発売されていきましたが、僕にとっては忘れられないクルマで、

スタイリングも大好きになっていきました。


社会人になってからは、自分のお金ではスカイラインには手が出せず、シルビア(S13)を選びました。

母親には、「よそ者が家に来たみたいだね。」と言われました。

家族みんながスカイライン派だったんですね。


と、長くなってしまいましたが、僕にはこのようなスカイライン歴があったのです。

GT-Rを所有することはなかったのですが、それだけにこの特別なクルマに対する憧れは相当ありました。

R32が出た時は心動きましたが、駆け出し社会人の僕にとっては、高嶺の花。

その後は、この路線から外れたクルマ経歴となっているのは、以前ここに書いた通りです。

http://tokyo-tower.ameblo.jp/tokyo-tower/entry-10047754592.html


この先GT-Rを選ぶことは、あったとしても、だいぶ先のことになると思いますが、

スカイラインで育った僕にとっては、特別なクルマであり続けることは間違いないでしょう。

NISSANがGT-Rから“スカイライン”の文字を消した意味は僕には分かりませんが、

日産合併前のプリンス自動車から受け継いだ“スカイライン”の血がGT-Rには流れるんだ、

ということをゴーン社長や幹部の方々には大切に考えてもらいたいですね。

スカイラインを生み育てた桜井眞一郎氏と、フェアレディZを大きくした片山豊氏は、

クルマ好きにとって、いつまでも語り継がれる永遠の存在なんですから。