今回のタイトルは仰々しいが内容はそんなに難しくない。最近古本を買った。クレンペラー 指揮者の本懐という題名である。これには1920年代から1960年代までのクレンペラーが受けたインタビューや雑誌に書いた記事などを集められている。ただし時系列にはなっていない。まず恩師のマーラーのことが書いてある。若きクレンペラーがオペラハウスやオケの指揮を求めているとマーラーの紹介状を見せるとすんなり採用されることが多いというのだ。当時マーラーの指揮者としての名声は絶大であったことがわかる。これは私の推測だがクレンペラーはあくまで指揮者としてのマーラーに私淑しており必ずしも作曲家としてのマーラーではないと思う。さてマーラー亡き後のクレンペラーはめきめき頭角を表していたが当時の現代音楽に大変関心をもちシェーンベルクやストラビンスキーに高評価をあたえている。そして最晩年にはブーレーズなど親交があった。またこの本を読んでいると1920年代に一時的にワーグナーへの関心がドイツ国内で下がったことがわかる。これはクレンペラーによるとあまりにワーグナーが演奏されるので聴衆が聞き飽きたというのだ。現在のバイロイト音楽祭でも連日演奏せず中日が設けられている。ただこの後ナチスが台頭してくるとワーグナーは復活する。またユダヤ人のクレンペラーはナチスが政権をとるとドイツから追放され最終的にアメリカに移住する。戦後クレンペラーはヨーロッパに戻るが同じユダヤ人のワルターは体調がすぐれずアメリカでの生活を続けなければならなくなる。また1927年の記事によるとベートーヴェンの演奏があまりにもコンサートで取り上げられるというのだ。もちろん集客の面でということだ。そのため少しベートーヴェンの演奏を減らし現代音楽のプログラムを増やせといっている。最晩年クレンペラーはベートーヴェンを自分のメインのレパートリーにしていたが。今回はここで終わる。

前回NHKホールのことでその当時私が行ったコンサートのプログラムを見直してみた。1972年から1974年ぐらいである。前回述べたように私は1970年代の中頃から1980年代の中頃までクラシック音楽を離れていた。さてプログラムを見直してみるとやはり圧倒的に多いのがモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキーである。そこで気がついたのだがマーラーが圧倒的に少ないのである。バーンスタイン、ニューヨークフィルで5番、ハイティンク、アムステルダム・コンセルトヘボウで10番のアダージョだけである。ブルックナーも少ないが今回は述べない。人によってはこの当時日本はすでに経済大国だったが文化の面ではまだ開発途上国だったからこんなプログラムだったのだ、という人もいるだろう。だが私は必ずしもそう思わない。私がまたクラシックに復帰したのは1984年のテンシュテット、ロンドンフィルだがマーラーの5番がプログラムに入っていた。それ以後外国オケの来日公演では当たり前のようにマーラーの交響曲が演奏されるようになる。21世紀にはいってから本格的にクラシック音楽を聴きだした若いリスナーはこれが普通だと思っているかもしれない。だが私はこの1980年代ごろから明らかにマーラーブームが起こったと思う。それ以前にもワルターやクレンペラーがいたじゃないか。だがこの二人は全曲録音もしていない。それ程影響はなかったと思われる。それではバーンスタインはというとバーンスタインは二回全曲録音を行っている。一回目は60年代であるがこれもそんなに影響はなかったと思われる。それでは二回目はというとこれは80年代に録音されたがこちらのほうはかなり影響があったと思われる。ただこの全集は三つのオケを使っている。ロイヤル・コンセルトヘボウ、ニューヨークフィル、ウィーンフィルのオケだが、これはよくわからない。また戦後日本で最も人気があった二人の指揮者、カラヤンとベームだがカラヤンは決まった曲しか演奏せずそれもかなり慎重だった。またベームは一切演奏しなかった。この二人が一種のアンチマーラーになったのでは。もう一つの理由は戦後日本のクラシック界を席巻したフルトヴェングラーに一切マーラーの録音がないのもマーラーの普及に悪影響を及ぼしたのでは。今回はここで終わる。

今回はNHKホールを取り上げる。なぜ取り上げるかというとラジオ番組にN響ザ・レジェンドという番組がある。女優の檀ふみさんと作曲家の池辺晋一郎さんが今までのN響の演奏を放送するのだが一回だけテレビで放送された。その中で池辺さんがなぜNHKホールが建てられたかということを述べられた。戦後日本が落ち着き始めた1960年代日本人の急速に芸術に対する関心が高まってきた。当時から日本最高のオケN響の定期演奏会の会員を希望する人が増えた。主な会場だった東京文化会館では捌ききれなくなりもっと収容人数の大きいホールを建てることになった。これがもともとNHKホールが建てられた理由だというのである。だがそうなるとそれでは他の利用もというわけで多目的ホールになってしまったというのである。私が行ったこのホールの演奏会を調べてみると1973年のカラヤン、ベルリンフィルと1975年のベーム、ウィーンフィルのプログラムが出てきた。カラヤンは落成記念とある。いうのを忘れたが1973年6月20日が運用開始とある。二つの演奏会とも詳しくは覚えていない。とにかく音が悪かった。ただ3800席あるホールで、7回も8回も公演があっという間もなく完売になった。今では考えられないことである。実は私は1970年代の後半から1980年代前半までクラシック音楽から離れていた。またクラシックに復帰した時すでにこのホーでの外国オケの来日公演が激減していた。やはり音が良くないという評判がたっていたのだろうか。そして1986年になるとサントリーホールがオープンする。以後オーケストラ公演はこのホールが中心になる。今回はここで終わる。