早稲田大学所沢キャンパス祭公式ブログ

早稲田大学所沢キャンパス祭実行委員会のブログです。
公式HP→http://tokosai.net/
今年の所祭情報や様々なキャンパス内での企画なども行っているので、ぜひ見にきてください!!
早稲田大学の所沢キャンパスの特徴を押し出せる企画なども展開していきます。

早稲田大学 所沢キャンパス祭 活動内容&告知をしていきます!

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第13弾は、在学中スキー部に所属し、卒業後世界選手権やオリンピックに出場、現在はその経験を基にスポーツキャスターとして活躍されている 人間科学部2期生 荻原次晴さんです。

 



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冒頭にご挨拶をいただきました。


 「人間科学部スポーツ科学科二期生の荻原次晴です。この度は人間科学部創設30周年誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。」

 


— なぜ人間科学部に入学されたのですか?

 

 実は私の兄、健司がすごく影響してたんですね。高校卒業して大学進学という時に、僕はすごく迷ってたんですけど、健司は当初から早稲田に行くということを決めてたんですよ。僕は、正直言って大学進学をするか、それよりも高校卒業して実業団チームに入ろうか、なんていろいろな選択肢をありがたくも考えていたのですけど、親父が、“健司も早稲田行くんだから次晴も早稲田に行け、お前たちの頭じゃ勉強したって入れないんだから天下の早稲田に行ってみろ”と、だったら早稲田に行かせてもらおうかと。


 

— 一般入試ではなく?

 

 はい、スポーツの特別選抜で選んでいただきました。まさか僕の頭では一般入試じゃ早稲田の早の字も引っかかりませんからねえ。早稲田大学は日本の中でも最も有名な大学の一つですからねえ、名前くらいは知ってたんですけど、どれだけすごい大学かなんて分からなかったんですよ。入学してからなんてすごい大学へ入ってしまったんだと。

 


— 何を専攻されたのですか?

 

 僕は人間科学部スポーツ科学科でした。スポーツ科学部の前身ですね。

 


— 大学の勉強では特に何を学ばれたのですか?


 スポーツ科学について勉強する学科だったのですが、正直在学時代は勉強の思い出は一つも残ってないんですよ。それくらい、胸を張れるくらい、勉強はしませんでした。


 競技2割、遊び8割といった生活でした。その学費を誰が出してくれたかといったらそれは両親で、僕は一切のアルバイトさえしたことなかったので、今思うと、非常にひどい学生だったなと今更ながら反省しております。

 


— 学生時代のお住まいは?

 

 学生時代は体育会の寮に住んでいました。私が一年生の当時は、東伏見の駅前にまだ汚かった運動場が並んでたんですよ。そこの一角に体育会系が寄せ集めで住んでまして、僕らスキー部も築何十年の平屋の寮に住んでいました。二年生になるとですね、所沢キャンパスの近くのスキー部の新しい寮を借りて、綺麗な寮で生活できるようになりました。

 


— 練習は所沢キャンパスで行ってたのですか?

 

 はい。正面に大きな陸上トラックがありますけど、その外周を走ったり、時にはタイヤのようなものがついたローラースキーをしたりですね。そうすると友達が僕らの練習風景を見て、スキー部はいつもローラースケートみたいなことをして楽しそうだねなんて言われました。僕らは結構練習はきつかったんですけどね、周りからは遊んでいるように見えたみたいです。特に冬の競技なんかは、夏にどれだけ厳しい練習を積んだかが成績に現れてきますからね。是非皆さん、スキー部の練習を見たら応援してあげてほしいと思います。

 


— 学生時代について、所沢キャンパスの好きだったところは?

 

 やっぱり食堂ですね。当時僕らはまだ二期生で、人数は大したことなかったので、当時はまだ小さな食堂の規模で足りていたんですよ。仲のいい仲間が、決まって同じテーブルに集まって、馬鹿話に花を咲かせるのが楽しみでしたね。

 僕ら二期生ですから、当時の校舎はピッカピカでしたけれど、さすがに30周年ともすればたくさんの学生さんによってあちこち傷がついたりしてるんでしょうね。まあそれもこれまでの歴史の積み重ねなんでしょうね。

 


— 大学中にお世話になった方は?

 

 在学中は多くの方にお世話になり、またご迷惑もおかけしましたけども、中でも一番印象に残っているのは、塚脇先生ですね。僕は塚脇先生のゼミを取っていたんですけど、非常に優しい先生で。もう優しいを通り越して悟りを開いたような感じで。特に何も言わないんですよ。喉を痛めていたので大きな声が出せなくて、いつも小さな声で話をされるんですけど、天気のいい日なんかには、今日は天気がいいからみなさん外に出て好きなように活動してください!以上!みたいな何にも勉強しない日もよくありました。その塚脇先生が体調を崩されてお亡くなりになったんですよね。僕の大好きな先生が天国に行ってしまったということですごく悲しい思いをしたことが強く思い出に残っています。本当に塚脇先生には大変お世話になりました。

 


— 今のご職業でしたり、プロのスキー選手として人科での経験が生きているなと感じることはありますか?

 

 ありますね。学生時代は遊んでばかりでしたけども、そのことがテレビの世界に入ってすごく生きてるなと感じることが多いです。いろんなところに遊びに出かけた経験が大人になって思いがけないところで生きてくるんだなとすごく感じました。また学生時代いろんな人たちと交流して人脈を作ったことが卒業後僕を支えてくれる大きな力となりましたね。今でも諸先輩の方々や同世代の皆様と交流をさせていただいています。その人脈から仕事やプライベートに広がっていって。大学時代の友達は一生の友になるような気がしますね。

 


ー 最後に、所沢キャンパスの在学生に一言お願いします。

 

 勉強をしなかった僕が偉そうに言える立場ではないような気もしますが、キャンパスライフって言葉がありますよね。みなさんがこの言葉からどんなことを想像するかはそれぞれだと思うのですけれど、僕が早稲田大学に入ったころの理想は、友達といろんなところに遊びに出かけていろんな経験を積み重ねる、またキャンパス内でもいろんな人と交流して人脈を広げることがキャンパスライフと思っていたんですね。そして卒業後その楽しかったキャンパスライフがベースとなって今の私があると思っていますので、ぜひ現役の学生の皆さんにもいろんな人と交流を深めるということも積極的にやってもらいたいなと思います。

 



30周年おめでとうございます。早稲田スポーツがんばれ!!」

 

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謙虚で物腰の柔らかな荻原さんの人柄が、短い中でも感じられる素敵なインタビューでした。

 

インタビューに答えていただき誠にありがとうございました。

 

   広報局2年  宮脇真礼

 



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12弾は、現在ソフトバンクホークスで投手としてご活躍なされている 人間科学部13期生 和田毅さんです。

 


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- まず初めに自己紹介をお願いします。


 はじめまして。 平成15年人間科学部卒業、現在ソフトバンクホークスで投手をしておりま す、和田毅です、宜しくお願いします。 



− 早稲田大学人間科学部に入学された経緯をお聞かせいただけますか?


 僕自身、高校で甲子園に2回程行かせてもらったんですけど、高校3年生の時はベスト8まで行くことができました。その際、当時の早稲田大学の筆記テストと面接と小論文で受けられるテストがあって、その資格が全国大会8位以上入賞者、通知表の評定が3.5だったんですけど、その応募規格で入試をする資格を得ることができたんです。それで、親が日体大なんですけど、野球の早慶戦に憧れていて、"大学野球はいいぞ" "その中でも早慶戦は別格だ" "俺はその中でも早稲田が好きなんだ" という話を聞いていたので、早稲田で早慶戦、そんな夢みたいなことができたらいいなと思って。チームメイトにも恵まれて、高校でベスト8まで行くことができて、通知表の評定の方も全然大丈夫だったので、じゃあ応募しよう、試験を受けてみようということで、合格して、めでたく早稲田に入ったという感じですね。



− 和田選手は学生時代を振り返ってどのような学生だったと思いますか。


 まぁ、普通ではないですね、学ランで学校に行っていたので。野球部は学ランで学校に行かないといけないですし。まぁもしかしたら、みんながイメージするキャンパスライフというか、4年間で楽しむっていうキャンパスライフ的なものはなかったかもしれないです。けど、僕にとっては高校から大学に入って、大学から今プロに入っているんですけども、自分の大学4年間がなければ絶対プロに行けてなかったと思います。なので、自分の人生の分岐点が分かれた場所でもありますし、自分の人生を変えてくれた4年間でもあると思います。楽しいとか、みんなで和気藹々という感じではなかったですけど、でも野球部の同級生だったり、野球部以外の仲間もいて、その中でとても自分にとっては有意義な4年間が過ごせたのではないかなと思っています。



− 人生の分岐点だった大学生活とおっしゃっていますけど、大学時代4年間を振り返って、具体的にそれが今どのような影響を及ぼしているか、教えて頂いてもよろしいでしょうか。 


 大学の4年間がなければプロには行けていないので、まぁそれが一番ですかね。プロ野球選手になれたっていう。多分大学4年間、例えば早稲田に入っていなければ、違う大学に行ってたら、僕は多分プロ野球選手になれてないんじゃないかな。まぁ仮になれたとしても、ここまで結果を出せてはいないんじゃないかなと思っているので、僕の大学4年間の野球部の同級生の仲間もそうですし、一生付き合える仲間ができたと思っているし、僕にとってはとてもかけがえのない時間だったなとは思っていますね。



− 大学時代に一番印象に残っている思い出を教えてください。


 リーグ戦で優勝して、提灯行列って行ったことあります?神宮から歩いて。あれをユニフォームを着て、高田馬場のキャンパスから歩いて、明治通り入って、西早稲田の方に入るんですけど、そこを歩いてって、商店街の人とかが、おめでとうと言って紙吹雪やったりとか、お酒とか投げてきたりとか(笑)。それがやっぱり僕にとっては一番大きな思い出ですね。



− 現在、他の人間科学部の卒業生の方と交流はありますか。


 野球部の同級生は連絡取っていますし、一緒に飲みに行ったりとか、ご飯に行ったりとか、話をしたりしますし、僕の同級生で今TBSで働いているアナウンサーもいるので、その方は番組制作していて、今俺こんな番組担当してるんだ、よかったらテレビ見て~って言ってくれたり。月曜の夜7時からやっているある番組のプロデューサーを今同級生がやっていて、出てくれって言ってくれたりもします(笑)。


 

− 一学年年下に青木選手、鳥谷選手が同じく人間科学部の卒業生でいらっしゃいますが、人間科学部卒のプロ野球選手との交流などはあるんでしょうか。


 そうですね、青木とももちろん去年早稲田の野球部のイベントがあった時に話しましたし、2000本安打の時もおめでとうと連絡したし。鳥谷に関しても、ちょこちょこ連絡したり、この間鳥谷も2000本安打達成したので、おめでとうという感じで、連絡は取りましたね。



− 現役の人間科学部生にメッセージをお願いします。


 人間科学部って場所が所沢じゃないですか。なので、西早稲田とかと離れてて、僕は当時、西早稲田の方のキャンパスいいなーって思ってたんですね、やっぱりね、あっちの方に行きたいなーってね。でも、所沢っていう場所で、結果的にはあのキャンパスで、僕にとっては勉強することとか、学ぶことっていう、自分にとってすごく大切なことがたくさんあったので、こっちで良かったな。もしもあっち行ってたら授業つまんなかったのかなって思ったこと僕はありましたし、人間科学部を受験された人たちは、そういうことを学びたいということで、人間科学部に入学されたと思うので、決して西早稲田や戸山キャンパスに負けていないと思いますし、そこでしっかりと学んで、人間科学部っていうのは学んだことが将来生かされる学部だと僕は思っています。ぜひしっかりと学んでもらって、自分の将来に生かしてほしいなって思います。



− それでは最後になりますが、30周年を迎える人間科学部に対してのお祝いのメッセージをお願いします。


 この度は人間科学部設立30周年誠におめでとうございます。僕自身も、人間科学部、今はスポーツ科学部という形で部が変わってしまったんですけど、僕は人間科学部のスポーツ科学科だったんですが、人間科学部の一員として、4年間所沢キャンパスの方で過ごさせてもらいました。本当にそこで学んだ4年間っていうのは、体のことだったり、スポーツに関する心理学や生理学だったり、今の僕にとって野球にとって、とても大事なことをあの時、学ばせてもらいました。またそこで、新たな興味が出て、自分の体を調べたりとか、栄養を調べたりっていう、興味を沸くことができたので、本当にあそこで学んだ4年間っていうのはとても自分にとって役に立っています。ぜひ、今学んでいる学生の皆さん、そこで学んだことを生かして、自分の人生が楽しくなるように頑張ってください。本日はおめでとうございました。




" 楽しいキャンパスライフを!"



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野球に対する熱い思いがよく伝わってくるインタビューでした。



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インタビューにお答え頂き誠にありがとうございました。 これからのますますのご活躍を心から祈っております。 

 

 

広報局1年 前田明里 


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第11弾は 人間科学部22期生 フジテレビアナウンサーの酒主義久さんです

 

 

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—   早稲田大学人間科学部を選んだ理由は?

 

 選んだというよりも、 “とってくれた”といった方が正しいですね(笑)。早稲田大学に行きたくて2年浪人して、それで早稲田の中で受かったのが人間科学部だけでした。

 

 

—   早稲田への思いというのはどこから?

 

 なんでしょうね、、浪人すると決めたとき、どうせ浪人するんだったら、1番良い所に行きたいなと思い、早稲田を目指しました。親からも「あなたは慶應よりも早稲田っぽいわよね」って言われましたし。1年目受けて、ここだったら、もう1年浪人してでも行きたいなと思うくらい魅力的な大学でした。そして2浪目になんとか受かったんですよね。

 

 

—   人間科学部に入って、人間科学部だったからこそよかったなって感じたことはありますか?

 

 人科でよかったこと..いっぱいありますけど、のびのびとした大学生活を送れたことですかね。バスが渋滞で遅れたせいで授業遅刻になっちゃったりとか、理不尽なこともありましたけど(笑)でも木々が多く、環境が本当に良いですよね。

 

 

—   軟式野球部に所属していらっしゃったんですよね?

 

 はい。軟式野球部と放送研究会に所属していました。

 

 

—   両立って大変じゃなかったですか?

 

 大変でした。双方に怒られていました。双方に「ひとつにしろ」って言われつつもずっと並行してやって、結果よかったです。それぞれ良い思い出もたくさんできましたし、それぞれの友達もできて、今も両方の友達と繋がっているので。

 

 

—   特に放送研究会の経験は今も生かされているんですか?
 

 そうですね。アナウンサーになりたいという思いとか、マスコミに行きたいという思いがあって、放送研究会に入りました。仕事とサークルという大きな違いはありますけど、自分と同じように放送業界で働いている友達、アナウンサーになっている友達・先輩・後輩もいて、そういう繋がりが今の自分の励みにもなってます。

 

 

—   やっぱりメディア系に就職される方が多いんですか?

 

 満遍なくいろんな職種にいってるんですが、メディア系はやっぱり多いですね。アナウンサーは僕の学年で、地方局やNHKも含めて7,8人くらいかな。

 

 

—   7,8人もいるんですね!

 

 いざとなった時に連絡を取れたりとか、地方に仕事に行く時に会ったりとか、繋がりが相当あるんですよ。早稲田ですごいなと思ったのが、早稲田出身って言うだけでよくしてくれる(笑)。その中でも人科出身って言うと、人科の人みんな仲良くしてくれるんですよ。“高田馬場に行きたかったけど行けなかった人” とかね。僕も本当は高田馬場に行きたかった。それでも人科に受かって、所沢に通ってってなると、なんかすごく仲間意識できますよね。

 

 

—   コミュニティが狭い分、つながりが深まりますよね。

 

 そうなんですよね。そういうのも人科にいてよかったなと思いますね。

 

 

—   千葉県習志野市ご出身ですよね?そこから通われていたんですか?

 

 2年間は実家から通って、2年間は一人暮らしをしていました。千葉に住んでたらそりゃ馬場のキャンパスに行きたいじゃないですか(笑)。でも2時間半かけて家から所沢キャンパスに通っていました。一人暮らしの2年間は家賃3万8千円のアパートを借りて、小手指に住んでいました。懐かしいな小手指..

 

 

—   小手指の駅前はどんな感じでしたか?

 

 最近どうなんですか?僕の住んでいたアパートはすごく日当たりが悪くて、築30年くらいで、最後引っ越す時にカーペットをたたんだら、カビわーって(笑)。

小手指って、なんだろう。あ、駅前にマンション建ちましたよね?あれ建設中だったんですよ。意外と小手指は変わっているのかな。未だにバスの乗り場は午前中と午後で、ロータリーの場所が変わりますか?

 

 

—   今もそうです。それで混乱するみたいな。

 

 混乱した〜(笑)懐かしいな。

 

 

—   小手指駅のどちら側にお住まいで?

 

 南口側で、西所沢寄りの方だったんですけど、近くに団子屋さんがあったなあ。そういうのとか懐かしいなあ。

 

 

—   学生時代を思い出されたところで、学生時代の失敗談とかございますか?

 

 ひとり暮らしの時はよく遅刻していましたね。千葉から2時間半かけて通っていた頃の方が遅刻しなかったんですよ。ひとり暮らしの時は、バスに乗り遅れたりだとか、寝すぎちゃって授業すっぽかしたりとか、よくありました(笑)。ほかにも計画性がなさすぎて、卒論追い込みすぎたとか。卒論大変だったなあ。入学して2,3週間くらいで彼女ができたんですけど、半年くらいですぐ別れてしまって、そのあと気まずいとかもありました (笑)。いろんな思い出がありますね(笑)。でも1番の失敗は入学式の時かな。千葉から来て、西武線の乗り換えがわからなくて、所沢で川越の方に行っちゃって、入学式に遅刻しちゃいました。西武線も難しいし、所沢キャンパスも迷路みたいだし..(所沢キャンパスは)もうちょっとシンプルにしてくれてもいいのに(笑)

 

 

—   新入生が(所沢キャンパスで)迷うのは春の風物詩ですよ。

 

 迷う!西武線で迷い、キャンパスで迷い、それで入学式に遅刻する。遅刻ばっかりだなあ(笑)。今はいい思い出ですけどね。

 

 

—   お世話になった方々は?

 

 1番は永岡先生。あとは、代々のスペイン語の先生。3年かけて履修しました。再々履までいったんですよ。1年で取りきらないといけないのに、3年もかかった(笑)。

 

 

—   勉強も部活も放送研究会もと、相当大変ですよね。

 

 そうですね。朝は練馬で野球の練習をして、昼は授業、夕方から夜は放送研究会でしたね。

 

 

—   ずいぶんハードですよね!

 

 うん。でも楽しかったー!逆に3年でサークルを引退したあとは、就活までの期間暇でどうしようかと思ったくらい。

 

 

—   放送研究会に入る時点でアナウンサーという職業は視野に入っていたんですか?

 

 少し考えてはいたんですが、僕なんかがアナウンサーになれるわけがないと思っていて、遠い目標として考えていました。でもやっているうちに、アナウンサーになりたいと強く思うようになりましたね。

 

 

—   どのようなきっかけで、現実的にアナウンサーを目指そうと思ったんですか?

 

 1番のきっかけは、浪人中にWBCを見てなんですが、放送研究会でしゃべるということをやっているうちに、これを仕事としてやりたいなと。先輩が地方局でアナウンサーをやっていて、「先輩がなれているんだから、もしかしたら、僕もなれるかもしれない」とも思いましたね。

 

 

—   今でも放送研究会の存在は大きいんですね。

 

 大きいですね。先輩の結婚式に行ったりとか、後輩と一緒にご飯を食べに行ったりとか、今もいろいろと繋がりがあります。先輩も後輩も友達も、自分がテレビに出ているのを見て、色々と感想を言ってくれたりするんですよ。そういうとき、本当にこの仕事をやっていて良かったなって思いますね。

 

 

—   次に、所沢キャンパスにスポットを当てたいと思うんですけど、所沢キャンパスの良い所や、好きな場所はありますか?

 

 所沢キャンパスの好きな所は、のんびりしている所。人が少ない。ラフな格好で登校できる。スウェットの比率高くないですか?そう考えたら、自分も楽な格好でいいんだなって思って、ジャージみたいな格好で大学行ったりしていました。好きな場所は「人とペガサス」。理工の先輩が“神接合”って言ってたんですよ。「なんで足だけでくっついてんだ」と。理工の先輩がこんなに褒めてくれる所沢キャンパスの場所って、自分も誇れるなと思って、「人とペガサス」が大好きだったんですよ。あれ彫刻の森美術館にもあるんですよね。それを知ってさらに誇りに思いました。「すごいじゃん」と思って。

 

 

—   「人とペガサス」は夜も綺麗ですよね。

 

 たまに夜遅くなった時とか、バス待っている間とかに見ると、「あー綺麗だな」と。

 

 

—   所沢キャンパスは30年目ですごく変わってきていて、デイリーヤマザキができたんですよ。コンビニができてみんな歓喜しているんです。

 

 できたんですか!?コンビニができたのは大きいですよね。昔は、ごはんとか何か買いたい時に、みんな困っていましたからね。

 

 

—   あとは、図書館がすごく綺麗になったりして

 

 へー!図書館好きだったんですよ。中庭みたいな所があって、すごく景色が良くて、あまり勉強はしていなかったんですけど、図書館は好きでした。

 

 

—   プレゼンテーションエリアが増築されたり、中庭にテーブルや椅子が用意されて、くつろげるスペースになったりしているんですよ。

 

 卒業して5年経ちますけど、久々に行ってみたいですね。

 

 

—   人間科学部の良さはどう思いますか?

 

 本キャンの授業も卒業単位に算入できたことはすごく良かったですね。ソフトボールの授業があったことも良かったです。ソフトボール楽しかったなあ。それから、先生が優しい。あとは、色々なことを勉強できるところが良かったかなあ。

 

 

—   所沢キャンパスのあの雰囲気だからこそ、先生方や事務の方が優しいですよね。

 

 優しい。みんなほんわかしていますよね。アットホームでね。それはすごく感じました。学食の方もとても優しくて、ちょっと大盛りにしてくれたりとかね。でもなぜか遅刻には厳しかった.. (笑)

 

 

—   授業は教育系を多めに取られてたんですか?

 

 マスコミに就職したかったので、メディア系の授業を多くとっていました。本キャンには、ジャーナリズム論があったんで、そっちもとりましたし、あと、コミュニケーション論もとっていましたね。スポーツビジネスにも興味があったんでそっち系の授業もとっていました。所沢キャンパスの授業で良かったのは、なんと言っても、今日本ハムファイターズに所属している大嶋選手が当時ソフト部で、あの大嶋選手とともに、ソフトボールの授業ができたってことですね。

 

 

—   平気でいますもんね、トップアスリートが

 

 そう!すごい選手がいっぱいいますもんね。
 

 

—   今は水泳部の坂井聖人選手や渡部香生子選手が普通に歩いています。

 

 そうなんですよね。小手指の駅に行くまでのバスの中に野球部の選手がいたりとか、すごいですよね。僕の時にはラグビーの五郎丸選手がいて、おおすごい!本物だ!って思いました。トップアスリートが普通にいるのはすごいですよね。本キャンよりも早稲田のアイデンティティを作っているの所沢キャンパスなんですよ。“所沢体育大学”とか言われると、「アイデンティティはうちのキャンパスが作っているんだぞ!」と思いますね(笑)。

 

 

—   それでは、所沢キャンパスに通う学生に何か一言頂けないでしょうか。

 

 しっかり時間を守って、先生の言うことを聞いて、勉強に励んでほしいですね。それから、バスは予期せぬところで渋滞して遅れちゃうから、1本早めに乗った方がいい!早稲田大学に行って所沢キャンパスに通って本当に良かったなって、今になってすごく思います。人と人との繋がりもそうですし、今やっている仕事に通じることがあることもそう。だから誇りを持って大学生活を過ごしてほしいですね。マスコミは楽しいし、テレビ業界も楽しいし、アナウンサーの仕事もすごく楽しいので、フジテレビのアナウンサーになってくれる後輩が出たら嬉しいなと思います。

 

 

—   最後に、人間科学部30周年ということで、簡単にお祝いの言葉を頂けないでしょうか。

 

 人間科学部30周年おめでとうございます。30周年というと、僕の年齢と全く同じなんですけど、この30年をもっともっと長く、40周年、50周年と繁栄させていけるように、みなさん頑張って下さい。陰ながら応援しております。

 

 

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

“偉くなってもより謙虚に生きていきたいと思います。”

 

 

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学生時代の生活について、サークル活動・部活動・一人暮らしの生活など様々なことをお話しして頂きました。酒主さんのとても活動的で楽しそうな大学生活は、早稲田生全員の憧れなのではないでしょうか!
 

 

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インタビューにお答えいただき誠にありがとうございました。

 

 

広報局3年 増田真帆


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10弾は、人間科学部1期生、元バレーボールアメリカ代表 オリンピック銅メダリスト 堀江陽子(ヨーコ・ゼッターランド)さんです。



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— まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

 

 人間科学部スポーツ科学科平成3年卒、堀江陽子です。現在はフリーですが、スポーツ全体に携わる仕事をしております。主にバレーボールが中心で、指導したり、バレー教室を開いたり、今は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の理事もしております。

 


— なぜ創設1年目の早稲田の人間科学部に進学されたのですか?

 

 早稲田大学はそれまで、男子のアスリートは教育学部教育学科体育学専攻に集まっていたのですが、大学生になるタイミングで人間科学部スポーツ科学科が作られ、女子アスリートにもチャンスがあると聞いて。バレーボールをやりながらも、視野を広げられる生活をしたかったんです。似たような環境の人たちが集まってやるのではなく、バレーボールに対して異なる価値観を持っている人と一緒にバレーボールをやってみたくて、それが早稲田で女子にもそのようなチャンスがあるんじゃないかなと思って決めました。

 


— 実業団への道もあるなかで、迷いはなかったのですか?

 

 最初はありましたね。中学の頃から選抜のチームで一緒にやってきた人、特に1つ上の先輩方の多くが世界1と言ってもよい実業団のチームに進んで、自分が高校3年生のときにジュニアの選抜チームでその先輩方とアジアジュニア選手権に出場し、優勝したんです。そのときは先輩から声をかけていただいたこともあって、高いレベルで自分を磨ける実業団への道もすごく迷いました。

 


— その後、最終的に進学の道を選び、早稲田の女子バレーボール部に入部されましたが、入った後も葛藤はあったのですか?

 

 やはり入った当初は新しい環境や出会いにワクワクしていました。でも、しばらくして少しづつ落ち着いてきて、そこからどういう風にやっていこう、どうやって強くなろうかと考えるようになって

自分の最終的な目標はオリンピックで世界一を取ることで、それは変わらずでしたが、早稲田の女子バレーは当時弱くて、オリンピックを目指そう、とかあまり言わない方がいいとも言われたりしました。

目指すものが変わらなければ、辿っていく道は作られていくと思っていましたが、それにチームメートを巻き込んでしまうようで、みんな戸惑いもあったと思います。そのなかでも、早稲田の女子バレー部というユニットでどうやってリーグで昇格していこうかとか、インカレでどこまでいこうとか、目標をチームで考えていきました。不安もあるなかで、ユニットのメンバーとどうやってやっていこうか考えながら先に進んでいこうとしていました。いいことばかりではなくて、喧嘩もしましたね。

 


— その学生時代の女子バレーボール部での経験はその後、そして今にも生かされているのですか?

 

 卒業後、アメリカのナショナルチームに入りまして、競技レベルはもちろんトップレベルで、オリンピックで金メダルを取ることが目標なのはみんな一緒でしたが、バレーボールから少し離れると個人個人で大事にしているものが他にあって、それに一生懸命になったりしていて、必ずしも24時間バレーボールのことを考えているわけではなく、バレーボールから離れたときはみんな違う価値観を持っていたんです。早稲田でも、バレーボールのキャリアが全然バラバラななかで、ユニットとして1つの目標を達成するためには、どう認めあって共生していくか考え続けた4年間でした。アメリカでは価値観の違いがより色濃くでる場所で自分の気持ちからでは納得できないこともあったが、そういう価値観の違いがあることを知り、そのなかでやっていく力の基礎が早稲田でできていましたね。それがなければさらに大きな壁に当たっていたかもしれませんね。

 


— 部活動で忙しい毎日を送られていたことと思いますが、学業との両立は大変だったのでは?

 

 出席も厳しかったり、必修も1限からあって大変でした。当時はスクールバスもなくて……それでも授業は最前列で真面目に受けていました。寝てしまった時もあったけど(笑) 受験をくぐり抜けてきた人たちと一緒に勉強できるかすごく不安で、テストの形式もわからなかったから、真面目に授業を聞いてなんとかしていました。それに1期生としても、真面目にやらなければなという意識もありましたね。タイムマネジメントはマシになったかな。時間がないなかで練習の効果を上げるにはどうすればいいか、取り組み方が変わって貪欲になりました。勉強は留年したりしたらマズイと思って結構やりましたね。卒業できたからよかったかな(笑)

 


— 1期生ということで、先輩もいない状況のキャンパスの当時の雰囲気はどうでしたか?

 

 学食はわがもの顔でしたね(笑) 学科の人数が少なくて、受ける授業もかなり一緒で、行く場所も学食しかなかったので、課題がどうだとかっていう話もしたりして……先輩もいなかったから羽伸ばしちゃってました、特に男子(笑) 明るい雰囲気でしたね!同期と十数年ぶりに会っても、あまり久しぶりな感じもしないですね。同級生が活躍していると観に行く楽しみや、負けたくないとか、そういう気持ちにもなりますね。そんな刺激をもらえるいい仲間です。

 


— 同期のつながりが強く、卒業後も情報が入ってきていたんですね。

 

 社会人になっても競技を続けている同期がいたら観に行ったりしましたね。長く競技人生を続けてくれていると励みになりました。

 


— 所沢キャンパスの良さは何であると思われますか。

 

 今でも自然がたくさん!立ち入り禁止区域もあったりしてマムシが出るから近づかないでとか(笑) あと自然に坂道ダッシュができる!そういう点でもスポーツ選手にはありがたいキャンパスでしたね(笑)

 


— とこキャン生にメッセージをお願いいたします。

 

 どんな時代でも生き抜く力をつけてください!

 


— それでは最後に、人間科学部創設30周年のお祝いのお言葉をお願いいたします。

 

 人間科学部創設30周年おめでとうございます。

その1期生として、このようなインタビューをしていただくのは嬉しい限りです。1期生ということで私たちも大学生活への不安を抱えるなかで、いい先生との出会い、いい仲間との出会い、そして私自身はバレーボールを通じても素晴らしい4年間を送ることができました。その場所で皆さんは今学んでいると思います。いろいろ難しい時代ですが、私が大学にいって学んだのは、いい仲間と出会うこと、そしてオリジナリティを作ること、それがどんな環境でも生きぬいていくための大きな助けになると思います。皆さんも4年間でそのようなものをみつけてくれると嬉しく思います。がんばってください!

 


「“オリジナリティと素晴らしい仲間”このふたつがあれば何があっても生き抜いていけます」



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早稲田で価値観の多様性を感じ、卒業後さらに成長できる環境を求めてアメリカへと旅立った堀江陽子さん。

きっと2020年の東京オリンピック・パラリンピックを素晴らしいものにしてくださるでしょう。

インタビューにお答えいただき、誠にありがとうございました。

 

 

 

広報局2年 檜尾祐輔


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第9弾は、人間科学部17期生 現在タマノイ酢株式会社常務取締役 播野貴也さんです。

 

 

 

 

 

— なぜ早稲田の人間科学部にご入学されたのですか?

 

 早稲田が好きで憧れていて、行きたくて、ご縁があったのが人間科学部でした。そしてかねてから心理学に興味があって、心理学を学べるところでご縁があったのが人間科学部でした。

 

 

— 早稲田に憧れがあったのですね。

 

 早稲田には高校生のときから憧れがありましたね。

 

 

— 何か憧れるキッカケがあったのですか?

 

 高校生の時に早稲田祭に行ったんです。その時、その盛り上がりにパワーを感じたんですね。すごく勉強してきている人たちばかりだと思うんですけど、バカもできるし、こういうところで大学生活4年間送れたら楽しいだろうなと思って、ファンになりましたね。

 

 

— 最初に所沢キャンパスにきたとき、どんな印象でしたか?

 

 大自然!空気うまいな、と思いましたね。大阪から東京に出て、池袋に住んでいたんですけれども、どんどん田舎に入って行って、さらにバスで山奥へ行くのでどこまでいくんだろうって思いました(笑) ちょっとびっくりしましたね。

 

 

— サークル活動はされていたのですか?

 

 していましたよ。大阪から出てきて友達がいなかったので、テニスサークルやイベントサークル、いろいろ入ってとにかく友達をいろんなところで増やそうとしていました。最終的には自分たちでサークルを立ち上げて、フットサルをやったりだとか、海外旅行に行くサークルを立ち上げたりもしました。

 

 

— サークルを自ら立ちあげるにもエネルギーが必要になると思いますが、なぜ自ら立ち上げようと思ったのですか?

 

 ゼミも一期生だったり、大学時代から0から1を作り出すことが好きだったんです。今ないものを作る、新しいものを生み出したい、同じ思いを持っている仲間と作りたいという気持ちがすごくあって、0から自分たちでやろうという思いが強かったですね。

 

 

— それでは可部ゼミに入られたのも、新しいものを作りたいという思いがあったからですか?

 

 可部ゼミに入るキッカケになったのは、当時心理学の勉強をしたくて人間科学部に入ったのもそうですが、どこかで経営のことも学びたいという気持ちもあって、3年生になる時に経営学を学べるところはないかといろいろ探していたら、新しく立ち上げようとしているゼミがあると聞いて、そこなら自分のやりたいことをどんどん提案してビジネス系の話もできると思い、友人と可部ゼミの門を叩いたんです。

 

 

— ビジネスプランコンテストにそのゼミの仲間と出場され、優勝されたんですよね。

 

 当時経営学の資格をみんなで取ったりしたんですが、可部ゼミのおもしろいところは、実際のフィールドで提案をしてみて、自分たちの考えを社会にぶつけてみてどういう反応があるかみてみなさいという教えがあり、ビジネスコンテストはその学んできたことをPRするいいタイミングだと思い、夜な夜なファミレスで企画を考えたりどうプレゼンするかを考えたり、アメフトをどう流行らせるかというテーマだったので実際にアメフトを観に行ったりしましたね。

 

 

— 課外活動が精力的で友人と何かをするということが多く、友達との関わりを大切にしている印象ですが、大学時代の交友関係で意識していたことはあったのでしょうか?

 

 とにかく新しいことを、経験することを大切にしていて、友人関係もそれは意識していましたね。大学生ってすごく時間があるじゃないですか。いろんなことにチャレンジしたかったんです。バイトもいろいろやりましたし、友達もいろんなところで作りましたし、勉強もいろいろ学んで、ビジネスコンテストにも出たり……同期の健康福祉科学科に当時の彼女がいて、それが今の嫁だったり、そういう意味でも出会いに恵まれていました。

 

 

— 大学時代の経験は今のビジネスにも生かされているのですか?

 

 それはメチャクチャ生かされていますね。たとえば、うちの商品のなかでセブンイレブンさんで一番売ってもらっているものがあるのですが、営業責任者としてセブンイレブンに行くんですね。大学時代、セブンイレブンでレジ打ちや発注をしていて、商品がどんなものが売れるかとかずっと見ていたんです。商談するなかで、その思い出話をして盛り上がったり、実際にセブンイレブンでどんなことをしていて、どう考えて発注しているのかずっと現場でみていたぶんプラスアルファになりましたね。塾講師での経験は、人にものを教えることの難しさを知ることにつながりました。新しいメンバーが来たときにどうやったら一番よくわかってくれるのか試行錯誤して、同じように教えても理解してくれる子と理解できない子がいたり、そのなかでどういう風に伝えたらいいのか考えたりしたことは生かされていますね。居酒屋とかバーテンとかもしていて、料理もやっていたので、レシピ提案するときもなんとなくイメージできるようになりました。

 

 

— 所沢キャンパスでお世話になった方はどなたですか?

 

 それはもちろん可部先生ですね。学生時代、やりたい放題で自由奔放な自分だったんですが、それを大きく受け止めてくださって…やる気にさせるのがすごく上手な方で、バイトとかでものすごく疲れているときも、ちょっとした一言でやる気を出させてもらったり、火をつけてくれました。ビジネスコンテストも絶対優勝するんだという気にさせてもらいましたし…いろんなことを教えてもらいましたね。あとは飲み会にも結構遅くまで、深酒も含めて付き合ってくれて……(笑) そして、いろんなことを任せてくれたという印象ですね。

 

 

— 人間科学部30周年のお祝いの言葉をお願いいたします。

 

 30周年おめでとうございます!まだ歴史の浅い学部だと思いますが、私を含めOBが頑張ってこれから人間科学部の新しい歴史を作れたらと思いますので、引き続きみんなで頑張っていきましょう!よろしくお願いします!

 

 

— 最後に、所沢キャンパス生にメッセージをお願いします。

 大学生は本当に時間があると思うので、今しかできないことを本当に全力でやってほしいというのは思います。いろんなことに挑戦してもらいたくて、やってみないとわからないことばかりなので……それは自分の経験でも感じたことです。迷っているならまず動いて、日々挑戦して、積極的にいろんな行動をして、時間を無駄にせずに日々挑戦していってもらえたらなと思います。

 

 

「日々勉強!! 日々挑戦!!」

 

 

 

主体的に物事を進めていく行動力のある方で、非常に尊敬できる頼もしい先輩でした。

 

インタビューにお答えいただき、誠にありがとうございました。

 

 

 

広報局2年 檜尾祐輔


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第8弾は、人間科学部通信過程2012年卒 
株式会社アデランス 代表取締役社長 津村佳宏さんです。

 

 

 

 

— まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

 

 皆様こんにちは、株式会社アデランス代表取締役社長の津村でございます。よろしくお願いいたします。私は人間科学部のeスクールという授業が開始された頃に奨めもあって入学したわけですが、約5年かけて、2012年卒です。つまり、社会人学習者として入学したわけです。当時マーケティングの担当をしていたわけですが、仕事をしながら大学で学ぶというのは、仕事において非常にプラスになりました。なぜかというと、マーケティングは深層心理学も、統計も必要ですし、あるいは情報、たとえばインターネット社会を大学で学びながら、それを実践できたというのは非常に役に立ち、今もそれは財産になっています。ビジネスにおいても大学を通して知り合った方もいますし、それが今のビジネスにもつながっています。非常に有意義な5年間でした。卒業後も、早稲田大学イノベーション研究会に参加したり、あらゆる企業研究をさせていただいて、それが今仕事でも弊社でも生かされています。この早稲田大学での学びを通じて、様々な学校、様々な分野で色々な取り組みができて嬉しく存じます。今の大学というのは、様々な形で学べるというのは非常に素晴らしいことだと思います。

 

 

— お仕事をされている中でご入学されたと思いますが、両立はどうされていたのですか?

 

 当時かなりハードな仕事をしていましたが、インターネットで学べるシステムが早稲田大学でできまして、いろんな奨めもあって入学したわけですが、自分の都合に合わせた勉強ができ、大変でしたけれども、自宅でも出張先でも学べたことは非常に良かったです。

 

 

— 通信教育ができたことがひとつ大きなポイントになったのですね。

 

 そうですね。あとは、マーケティングを担当していまして、その分野は統計あるいは心理的な要素、さらにITなどインターネットの分野にも精通しなければならないということから、仕事をやりながらで大変でしたが、同時に今の仕事と同様のことが学べたというのは、非常に有意義でした。

 

 

ー 具体的にはどのようなことを学ばれたのでしょうか。

 

 人間情報科学を学びまして、インターネット関係、心理学、統計などをしっかり学びました。ゼミは西村教授のインターネット分野のゼミに入りまして、特にECビジネスはアデランスの中ではあまりなされておらず、当時そのECビジネスに関する論文を書きました。仕事と授業がちょうどマッチングしていたんですね。すごくプラスになりました。

 

 

— 人間科学部での学びが今にとても生かされているのですね。

 

 そうですね、この学びで社長になったのかもしれませんね(笑)

 

 

— では、やはりお世話になった方は西村先生ですか?

 

 そうですね、やはり西村教授が一番の恩師でして、特にこれからのITの時代にあう学びをさせていただいたことは非常に財産になりました。

 

 

— ゼミに入って以降は研究に論文に大変だったのではないですか?

 

 大変だったんですけど、実践してやっている仕事自体が直結していたのでビジネスと勉強がマッチして、論文はスムーズに書けましたね。論文を書いている間に頭の中にもビジネスのスキルとリテラシーがどんどん膨らんでいきまして、すごく役に立ちました。特に社会人学習というのは、社会で勉強していたことを整理整頓したり、仕事をしていても足りないところをより専門的な角度で補えていくことが良いところだと思いますね。

 

 

— ご入学されるときは、迷いはなかったのですか?

 

 やるからにはやると決心しましたね。楽しかったです。肉体的な疲労などで辛いときもありましたが、新しい情報がどんどん入っていくというのはとてもいいことでしたね。ビジネスやコミュニケーションに大変役立ちますからね。

 

 

— 人間科学部は今年創設30周年を迎えます。ぜひ、お祝いの言葉をお願いいたします。

 

 早稲田大学人間科学部30周年、誠におめでとうございます。やはりこの人間科学というのはこれから日本の経済、そして様々な分野で大きな役割を果たす大切な学部になっていくと思います。30周年を記念して、さらに飛躍し、活躍されることを願って、お祝いの言葉と代えさせていただきます。30周年、誠におめでとうございます。

 

 

— 最後に、人間科学部の学生にメッセージをお願いいたします。

 

 人間科学部は多岐にわたって、心理学から、歴史から、様々な分野の学びができるということがありますし、一般的な高校から卒業して入学する人も、社会人になってから学習するという人も、充実して学べる学部ではないかと思います。これはやはり、先端を行く体制ができているのではないかと思います。ぜひ、一生懸命勉強して、社会に貢献できる方になっていただければありがたく存じます。先輩ながら応援しております。

 

 

「飛躍」

 

 

 

 

 

インタビュー後、実行委員との記念撮影にも気さくに応じてくださいました。

 

 

 

 

インタビューにお答えいただき、誠にありがとうございました。

 

 

 

広報局2年 檜尾祐輔


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第7弾は、フリーキャスターとしてご活躍されている人間科学学術院2008年修了 丸岡いずみさんです。

 

 

 

 

 

ー 自己紹介をお願いいたします。

 

 人間科学研究科卒業の丸岡いずみです。よろしくお願いします。

 

 

ー 関西大学卒業し、就職したあとで人間科学部学術院に入学したきっかけは何ですか。

 

 当時日本テレビにいた時、日本テレビでキャリアアップ研修というのものがありました。それは、日本テレビに何年か勤めている局員は、日本に限らず大学院に入学しようと思った時、人事にプレゼンし通ったら学費を援助してもらえるという制度でした。その制度を利用して入学しました。

 

 

ー なぜ早稲田大学の人間科学部を選んだのですか。

 

 ピンポイントで行きたいゼミが決まっていたからです。人間科学部の菅野純先生のゼミに入りたいと考えていました。引きこもりや不登校の子のことを長年取材していたので、菅野先生のことを知って研究室に興味を持ちました。

 

 

ー 二年間研究室で具体的に何を学ばれたのですか。

 

 引きこもりや不登校の子の心の内面の部分に対して社会がどのように関わっていけばいいかということを体系的に学びました。取材ではよく理解していても、実際に心理学的なものを持ち込んで接するということができませんでした。文学部出身で専門的なものは学べていなかったので。専門的な知識をつけ、さらに取材を発展させたいと思いました。

 

 

ー 二年間の学びが直接生きているということですか。

 

 そうですね。結局、私は日本テレビを退職しましたが、そのあとも取材をする中で生きた知識として役立ったなあと思って感謝しています。

 

 

ー 通学とお仕事は両立なされていたのですか。

 

 そうですね、はい。

 

 

ー 両立は大変でしたか。

 

 はい、かなり大変でした。ただその時、「真相報道バンキシャ」という番組を担当していて、放送日が日曜日だったので、だいたい月火とお休みが取れていた関係で、逆に平日の方が大学院の授業も取りやすかったです。月火にまとめて受講していました。

 

 

ー 両立相当大変でしたね。二年間所沢キャンパスに通われていたのですか。

 

 所沢にも通いましたが、東伏見キャンパスが一番多かったです。

 

 

ー どちらかというと東伏見キャンパスの方が記憶に残っていますか。

 

 そうですね、はい。所沢ももちろん通っていましたが、どちらかというと東伏見キャンパスの方が記憶に残っています。

 

 

ー そのような中お聞きして申し訳ございませんが、所沢キャンパスで好きだった場所などはありますか。

 

 所沢キャンパスは必ず駅からバスで通っていたのですが、その道のりは緑が多くて好きでした。仕事と勉強との両立で結構バタバタしていた中、バスに乗るだけで、その時間だけはホッとできるひとときでした。あとは食堂や購買とか。

 

 

ー 所沢キャンパスや大学院でお世話になった方はやはり菅野純先生ですか。

 

 そうですね、一番はやっぱり菅野純先生です。あとは佐々木先生とか。

 

 

ー 人間科学部の学生にメッセージがあればお願いします。

 

 私も実際の研修みたいなところでは学生と組ませていただいたのですが、ある高校に研修でいかせていただいた時、すごくみなさん積極的で、学ぶことも多くて、早稲田の学生さんは積極的だなとか行動力がある人が多いなと思いました。在学していらっしゃる方も、行動力がある学生さんでいてほしいなと思います。

 

 

ー ありがとうございます。最後に、30周年のお祝いの言葉をいただけますでしょうか。

 

 この度は本当に、30周年おめでとうございます。これも今までの先生方をはじめ、巣立っていった学生さんたちの積み重ねた苦労の上に、今の30周年があるのだと思います。皆さん人科の方々はいろいろなところで本当にご活躍していらっしゃるのだなと感じます。社会人でいる私も早稲田を卒業した後に、こんなところにも人科の先輩がいらっしゃるのだなと思いました。一番嬉しいのは、卒業したあともその関係性が長く続いていることです。例えば私が早稲田卒業してから結婚した時、結婚式はもちろん、結婚式の2次会とかもゼミの仲間が全員来てくださって、社会人として通ったのに、こんなに絆が深くいられるのだなって感動しました。他の学部でもあるかもしれませんが、人科ならではなのかもしれないなと思いました。この間も、菅野先生と一緒にシンポジウムもやらせていただいて、そのようにずっと早稲田コミュニティーというのが長く続いていくことが本当にありがたいなと思います。30年という区切りですけども、50年100年と人科がますます発展していって、良い人材を世の中にどんどん出せていけたらいいのかなって思っています。いつまでも人科のことを応援しています。

 

 

「人生大戯場」

 

 

 

 

                             

 

人間科学部への愛を感じるインタビューでした。

 

 

 

インタビューにお答え頂き誠にありがとうございました。

 

 

 

広報局1年 杉浦恭子


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第6弾は気象予報士の國本未華さんです。

 

日テレのNEWS24などに出演されたり他にも講演会を開かれたりされています。まさに今輝かれている所沢キャンパスのOGさんですね。

 

 

 

 

 

—   まず、気象予報士を目指そうとされたのはいつ頃からですか?

 

 お天気キャスターになりたかったのはもう小学生の時からずっとで、ただ大学に入ってから大学2年生のときに実際に気象予報士の勉強をし始めました。幸い人間科学部の授業はそこまでハードではないので並行して勉強することができましたね。実は授業中もこっそり内職をしちゃったりしたこともあります(笑)

 

 

—   WasedaCollectionにも出られていたようですが!?

 

 ちょうど私の代が初代で。私の友達の友達が責任者をやっていました。その子がとても活発な子でそれに感化されました。大隈講堂前ステージでやったんですよね。緊張しすぎてそこでの景色は覚えていないです。

(注)WasedaCollectionについて下記に表記

 

 

—   随分精力的に活動されていたんですね

 

 本軸があって、やりたいことが何かをいろんなタイミングで考えていました。WasedaCollectionに出て、それをきっかけに一歩何か夢に近づける行動がしたいと思って資格の勉強を始めました。勉強を始めてからは一直線に夢中になってしまって短期集中型でやりましたね。

 

 

—   小学生の頃からお天気キャスターになりたかったとおっしゃられていたと思うのですがなぜ人間科学部を選ばれたんですか?

 

 実際お天気キャスターになるという夢がぼんやりもしていて、他の道も現実的に考えないといけないのかなと思う時期もあって、幅広い勉強をしている人間科学部に入って将来のことを考えてみようと思いました。

 

 

—   実際に入学されてよかったことなどありますか?

 

 早稲田大学は本当にいろんなところからいろんな考えを持った人が集まっていて。Waseda Collectionで出会った責任者の人も他の大学に入っていたら絶対出会わなかった人でいろんな人との出会いの中で様々な刺激を受けて自分の道を見つけていけたことですかね。

 

 

 

 

—   ゼミはどんなゼミでしたか?

 

 内容はマルチメディアのゼミなんですけどなんでもいいよって感じで、だからえらんだっていうのもあるんですけど(笑)。そのときも卒業論文では「気象情報をどうやったらみんなにわかりやすく提供できるか」ということをやりました。ゼミとして自分で考えることを鍛えられたかなと思います。大学でのその経験は今に生かされています。

 

 

—   大学でお世話になった人は誰ですか?

 

 やっぱりゼミの金子先生かな。あまり怒らない方で考えたことを自由にやらせてくれる優しい先生でしたね。おおらかな先生で理論的に考えることを教えてくれる先生かな。すごく覚えているのが「社会人になった時には自分を演じることが大切だ」と言っていました。それは適切な場所に自分を合わせる方法、自分を魅せる方法を自分で考えていくといいよとおっしゃっていたのが印象的でしたね。

他には刺激を強く受けたワセダコレクションの友達も理工学部の女の子で男子の中でも負けないたくましい”ワセジョ”でしたね。ワセジョって強いですよね(笑)

 

 

—   所沢キャンパスに4年間通われて好きな場所などありますか?

 

 好きなところは食堂なんですけど、食堂の皿うどんが当時レギュラーメニューでありそれが好きでよく食べてました。食堂広いよね。皿うどんは今なくなっちゃったんだ!?寂しいなー。

 

 

—   所沢キャンパスの良さってなんですか?

 

 通学時間にとても時間がかかりますよね。でも逆にその時間で様々なことができますよね。私も気象予報士の勉強をしていたことはとても勉強できたし、睡眠時間にもなるかな。そういう自分を見つめる時間にはなったかな。私はちなみに通学時間は1時間半くらいだったかな。

 

 

—   所沢キャンパスに通う学生に一言もらえますか

 

 学生の間ってすごく時間があって自由だと思うんですよ。だから自分が好きなことを見つけて欲しいですね。やらなきゃいけないことって目の前にたくさんあると思うんですけど自分が心から好きなことを見つけてそれを極める時間にしていってもらえたらなと思います。

 

「”好きなこと”を極めよう!!」

 

 

 

 

 

 

サークル活動も学業も自分の夢にも全てに積極的に関わっている国本さんのお話は今の所沢キャンパスに通う学生にはとても参考になる部分も多かったのではないでしょうか。”好きなこと”を未だ究めつづけている國本さんの姿はかっこいいですね。ぜひこうなりたいと思える輝く先輩としてこれからもご活躍を楽しみにしています。

インタビューにご協力いただき誠にありがとうございました。

 

 

しっかし、本当にかわいいなぁ、、、

 

※Waseda Collectionとは

 学生団体わせプロが運営するワセダ最大のファッションショー

 

 

広報局3年 金丸京史郎


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第5弾は、現在漫画家としてご活躍なされている、人間科学部13期生 サダタロー(国定太郎)さんです。


 

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ー まず簡単に自己紹介をして頂けますでしょうか。

 

 人間科学部スポーツ科学科、99年度入学しました、国定です。卒業年度は、多分2010年ぐらいだと思うんだけど人間科学部に入って、スポーツ科学部の学術院に入った形で9年ぐらいいました。宮内研究室でスポーツ社会学を専攻していました。それで、在学中にちょっとひょんな事から漫画家としてデビューすることになりまして、今もその仕事を続けています。現在一番大きな仕事といったら熊本の新聞でくまモンの四コマ漫画を書かせてもらっていることですね。

 


ー 大学在学中に漫画家としてデビューしたということですけどもそれはどういう過程があったのでしょうか。

 

 人科に入って最初に入ったのが本部の漫研(漫画研究会)だったのね。もともと漫画好きだったから漫研入ったら、当時フジテレビからオーディションの話があったのね。それでその時に当時のサークルの先輩に「行って来い」と言われて、オーディションを受けにいったら俺通っちゃって。だから一年の夏休みかけて、バラエティの企画で、一枚百円で絵を売って旅したのね。それでそのオンエアの評判がまあまあ良くて、そのまま「やってみないか。」という形でデビューしました。

 


ー では、入学時に漫画家になろうとかいう気持ちは全然なかったのですか。

 

 ないよー、あったら大学なんて行かないよー。俺二浪していたんだよね。だからもし俺現役だったらその時、一年じゃないからオーディション行ってないかもしれない。だから今二浪して入った人もね、あんまりコンプレックス持たずに頑張ってください。(笑)



ー それはすごく勇気付けられますね。何が起きるかわからなくて、本当に唐突なんですね。相当忙しかったですか。

 

 当時はね。どっちも慣れてないじゃん。学校も仕事もどっちも慣れていないタイミングだからね。そのタイミングで仕事を理由に学校怠けていたから9年もいたんだよ。(笑)



ー それだけいたら相当早稲田の人間科学部の歴史はご存知なわけですね。

 

 そうだねー、学食の変遷とかは。今と全然違うんだよ。昔は学食の横にパンの自販機があったんだよ。あの、松屋がある所。あそこそもそも今みたいにラウンジみたいなのなかったし。ただ自販機のスペースがあって、お菓子とかパンの自販機が置いてあって、全然違かったね。松屋できた時超嬉しかった。

 


ー 実は今、松屋もうないんです


 えー!!何になったの?

 


ー 今空っぽです。テナント募集中だと思います。


 マジで!?それは、気の毒に。

 


ー 30周年をめどに結構変わっていまして、図書館とかもかなり変わって、グループ学習スペースができたり、プレゼンテーションスペースができたりとかすごい綺麗になっています。

 

 俺が現役の時とかは、大教室、212教室の前にサークルスペースがあったんだよね。今あるS棟とかはなかったな。だから人科もすごい変わったよね。そもそもだって一番大きいのはスポ科ができたことだよね。


 

ー 変わっていくとこキャンの中でも「ここはとこキャンの好きな所だな」というのはありますか?

 

 やっぱり田舎だったのは良かったよね。俺さ、受験に受かった時に人科が所沢だということを知らなかったのよ。受験は本キャンでやるから馬場だと思ってた。それで入学案内来たら所沢と書いてて慌てて所沢で家探したんだけど、最初超ショックだったの。田舎者だったから都会憧れてたし。だから最初本キャンのサークル入ってて、オープンの授業出まくってたんだけどね。でも結局卒業しても所沢住んでたからね。所沢多分人生で一番長く住んでたけど所沢で住んでて良かったなって思うよ。ただ最寄駅が遠すぎるっていうのがあるけどね。(笑)



ー あのバスですよね(笑)


 そう、あの学バスさえなかったんだよ。俺ら路線バス定期買って行ってた。だからいちいち停まるんだよね。芸術総合高校の人と一緒になって大変だったよ。今は便利になったからあれできたのは超良かったな。羨ましかった。

 


ー では、話の路線を変えまして、人間科学部に入学して一年で漫画家としてデビューなされたということですけどもその中でも人間科学部での体験や学びが生かされた経験はありますか。

 

 学びや経験になるかはわからないけど研究内容は、先生が自由に研究をさせてくれる方だったので学びの幅が広がりました。そのおかげで、もともと漫画が好きだったからそこに絡んだ研究ができたのはありがたかったし、面白かったかな。俺、大学院の時スポーツ漫画研究していたから『スラムダンク』とか『キャプテン翼』とかを研究していたよ。ただ、研究費で買った本だから研究室に置いてたら『スラムダンク』はほぼパクられていたけどね。だから学生に人のものをパクるのはやめておいた方がいいって伝えといて。(笑)一方で、『キャプテン翼』はほとんどパクられていなくてそういうことをテーマにして研究もできるなって思ったこともあるよ。

 


ー やはり早稲田での繋がりは大きいですか。

 

 大学時代の友達がお仕事の話を持ってきてくれたりとかはあるね。あと、出版にいるのは身内が多いというのはあるよね。早稲田卒の人は結構多いから親近感持ってくれて助かるなっていうのはあるな。


 

ー 所沢キャンパスでお世話になった方とかいらっしゃいますか?

 

 それはもうゼミの先生の宮内先生ですよ。俺、宮内先生に相談せずに院試受けたもん。普通の時は、先生に一回相談して「院の方でも先生にご指導いただきたい」という旨をちゃんと伝えてアドバイスもらってから院試を受けるものだけど、俺全く先生に相談せずに受けて、「お前なー」って言われながら二年間面倒見てもらったからありがたかったですよ。


 

ー 漫画家でデビューされてた中でも院への進学を決めた理由はなんですか。

 

 学部生の時に真面目に勉強したのがラスト二年ぐらいしかなかったんだけど、その時に結構楽しくて。特に社会学の研究をもうちょっとやりたいなって思ったんだよね。だからドクターもちょっと考えていたこともあった。先生に相談したら「とっとと卒業してちゃんと仕事しろ」って怒られたんだけどね。(笑)だから良かったよ、今ちゃんと仕事できてて。宮内先生じゃなかったら院に行ってないよね。

 


ー 最後の方なりますが、所沢キャンパス生、早稲田生に一言何かありますでしょうか。

 

 まあ俺からアドバイスできることなんかはないけど、ただ結局俺は人科に入ってこうなったと思っているので、何がきっかけでどうなるかわからない。さっきも言ったけどいっぱい浪人したからっていってコンプレックス持つ必要なんてないし、あと意外に腰据えて勉強して見たら楽しいこともあるし、「こういうことしていたらハッピーだな」って思うこともあると思うから。あと社会人になったら絶対あの頃よかったって思うからしっかりエンジョイしてくださいってことだよね。ただ勉強はしておかないともったいないと思うよ。だから人科は他の学部では学べないこともたくさん学べるところだし、やれば面白いところだと思うんだよね。よく遊び、よく学べじゃないけどね。あと大学の友達が一生の友達になるからしっかり友達を作って欲しいなとは思いますね。

 


ー では、最後に所沢キャンパス30周年ということでお祝いのお言葉をいただけますでしょうか。

 

 30周年のうち三分の一近くお世話になったと思うと大変感慨深いものがありますね。(笑)人間科学、スポーツ科学は今後ますます必要となる学問だと思います。より一層のご発展をお祈りしています。本当にお世話になりました。

 


ー 本日はありがとうございました。

  



 所沢キャンパスの変遷や、漫画家になったきっかけなど貴重なお話をしていただきました。サダタローさんは、とても気さくで、面白い方でたくさんの興味深いお話を聞くことができました。


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 インタビューにお答え頂き誠にありがとうございました。


 

広報局1年 中山毅

 

 


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第4弾は、現在脚本家としてご活躍されている金沢達也さんです。

 

 

 

 

 

 

—   簡単に自己紹介をお願い致します。

 

 1996年卒、脚本家をやっています金沢達也です。

 

 

—   まず早稲田の人間科学部に入学された理由は?

 

 本当のことを言っていいですか(笑)?当時演劇がしたくて、演劇だと日大芸術学部とか、あともちろん早稲田が有名だったので、早稲田を受けられる学部はほとんど受けまして、合格したのが人間科学部だったので、そちらに入ることにしました。

 

 

—   ということは人間科学部を選択されたというより、早稲田に入りたいという思いが強かったのですか?

 

 そうですね。最初はそういう感じで。

 

 

—   それは早稲田のどこにひかれたんですか?

 

 それは正直言ってしまうと、演劇研究会っていう有名な劇団があって結構業界では有名なところだったので、その後こういうマスコミにいけるんじゃないかと思って(笑)。当時そのまま演劇研究会に入っていたら、同期が堺雅人だったんですよ。

 

 

—   ということはご入学される前から脚本家とかになりたいと思っていたのですか?

 

 漠然とこういう世界には行きたいと思って、まあとりあえず劇団に入りたいなっていう風に思いまして早稲田に入ったところ、人間科学部だけ合格して、当時どうしようかと迷ったんです。キャンパスも遠くて劇団にも行けないから。でも親に相談したところ、僕と同じ群馬出身の荻原健司さん(元スキー・ノルディック複合選手)も人間科学部だったので、親も行きなさいって言って、それが一番決定的な理由ですね。

 

 

—   それで演劇研究会には入られたんですか。

 

 結局演劇研究会には最初所沢から2時間半かけて本キャンまで何回か通ったんですが、その時たまたま部室の門を叩いたら誰もいなくて、次の日もたまたまトレーニングとかで部室にいなくて、2-3回目くらいで諦めまして(笑)。それで所沢の方に戻ってきたら、当時野球場は緑の天然芝が敷いてあって、僕昔サッカーをしていたものですから、天然芝を見ると胸が踊るんですよね。それで事務の方に、「あそこは普通の学生も使えるんですか」と聞いたら、「あそこは誰でも使えるのでどんどん自由に使ってください」と言われて、じゃああそこでサッカーをしようと思って、結局4年間所沢キャンパスでサッカーをして過ごしました。

 

 

—   HUMAN.F.C.の創設者ということで、サークルを作るという活動は大変だったんですか?

 

 学部がらというか僕はスポーツ科学科だったんですけど、最初入学して周りの友達と話してみると、結構みんなサッカーをしていてどっかで対戦した人とかもいて、でも彼らは特に体育会に入るわけでもなく。結構人材が豊富だし、これでチーム作ったらかなり強いなと思いまして、「10年後に日本一になる同好会」を作ろうと思いまして、仲間を集めて作りまして、ちょうど10年後に日本一になりました。

 

 

—   そのサークルを作る活動を通して、今につながる経験はありますか?
 

 本当にサッカーを追求したり、精神を追求したり、突き詰めていくなら、体育会だと思うんですけど、同好会はどうしても自分たちで運営していかなきゃならないじゃないですか。そうするとやっぱりお金の面であったり、人に来てもらったり、集めるという点でも、かなり自分たちでやらなきゃいけないというところがあるので、自主性とか企画性というものは今振り返ると多少は身についたかもしれないですね。

 

 

—   サークル活動にも非常に精力的に活動されていたと思うのですが、ゼミはどちらの方に入られたのですか?

 

 僕は当時ある意味名門と言われていたスポーツ社会学の宮内ゼミに入りまして、これも入った理由は正直に言うとよく飲み会が開催されるゼミで、飲み会をクリアしていくと単位がもらえるという、まあ実際そうではないですが(笑)。お酒がすきだったものですから、なかなか他の難しい学問にはついていけなかったのもありまして、これはもうここしかないなと思いまして、決めました。

 

 

—   スポーツ社会学を学んで今の仕事につながったことはありますか?

 

 偶然なのかはわかりませんが、僕は最初の頃スポーツ番組に入ってたんですよ。サッカー番組とか、それはスポーツ社会学で学んだことだったので、そこからいろんなバラエティー番組とかをやって、それで今の脚本家とかに少しスライドしながらきてるので、きっかけというのは多分ありましたね。

 

 

—   では入り口になったと

 

 そうですね、やっぱり今こうやって聞いてもらって振り返ると、「あ、何かあったんだな、必然に」と思いますね。

 

 

— 今の所脚本家を目指すようになったきっかけというのがなかなか、、、どこで脚本家を目指そうという風に思い始めたのですか?

 

 質問とはそれてしまうかもしれないんですけど、脚本家になる秘訣というのがもしあるなら、僕は脚本を書いてしまうことだと思うんですよ。今いろんな脚本家って、特に若手の方とかはいっぱい勉強して、必死に目指して頑張っているんですけどなかなかなれない人が多い。でも僕頑張ってもないし目指してもないんですよ。逆にそれが強みだったというか、多分今現役の人もそうだと思うんですけど、あまりに目標がはっきりしすぎていて、それがダメだった時、結構挫折しちゃう人が多いじゃないですか。だから僕大学時代からあまり目標をはっきり定めないようにしているんですよ。だから脚本家もあまりなろうと思ったきっかけとか理由とかなくて、気付いたらなっていたというのが正直なところですかね。

 

 

—   やりたいことを自由にやっていた結果ということですか?

 

 まあもちろん色々な制約もあるし、多少の苦労はしているつもりなんですけど、一番向いている方に流れていったら脚本家になっていたなという感じですかね。

 

 

—   少し所沢キャンパスでの学生生活について迫っていきたいのですけど、所沢キャンパスでお世話になった方とかいらっしゃいますか?

 

 やっぱりゼミの宮内先生はお世話になったというか、友達のような付き合い方をしてもらったというのもありますし、卒業してからもよく一緒に飲ましてもらってるんですけど、お世話になりましたね。勉強しなかったのは申し訳なかったですけど、そういう先生だったからこそ、企画性のある卒論のテーマとかをなげてみたり、先生もそれを許してくれたり、それも今につながっているような気がしますね。

 

 

—   お酒がお好きだということで、学生時代などで何か失敗談とかってあるんですか?

 

 失敗はないですね、まああれだけ面白い授業が揃っている中で、サボってたので色々聞いておけばよかったなって失敗というか小さい後悔はあります。でも、はっきり言って大学時代は無駄な時間だったと思ってるんですよ。でも、僕の持論でもあるんですけど、無駄な時間を無駄とちゃんと把握しているかとか、無駄な時間を過ごした自分が今どうかとか、無駄を無駄と捉えることが大事だし、結構無駄の中に宝があるので、大学時代は本当に有意義な無駄な時間を過ごした時期だなって思いますね。だから失敗はないですね。

 

 

—   図らずも所沢キャンパスに通うことになったと思うんですけど、所沢キャンパスのいいところとか好きな場所はありますか?

 

 好きな場所でいうとやっぱり何かを始めたのは野球場なので、1日のほとんどはそこで過ごしてました。あと学食にもいたので、1日のほとんどはグラウンドと学食なので、思い出に残ってますね。カレー、あとサンマ定食とか好きでした。そこでサンマを綺麗に食べるで有名だったんですよ(笑)

 

 

—   それでは、所沢キャンパスに通う学生たちにメッセージをいただけますか?

 

 特に人間科学部というのはどっちにもふれるともうんですよ。もちろん早稲田としての顔もあるし、また早稲田にはない、人間科学部という特殊な別の顔もあるし。どこの顔で勝負するかというのは使い分けられて、すごくジョーカーのような学部だと思うので、そこを特に社会に出たら、どこでジョーカーを切っていくのかを上手に使い分けていくといいのではないかなと思います。

 

 

—   そして最後に所沢キャンパス30周年ということで、お祝いの言葉を一言お願い致します。

 

 30年経つんだなと思いましたね。僕が6期だと思うので、それから20数年経つんだなって。もちろんこの業界にいても、結構人間科学部の後輩もあったりしますしすごく活躍されているので、30年経った今、やっとじわじわと浸透してきた学部だと思います。この調子でこれからもどんどん世にじわじわとみんなで一緒に頑張っていけたらいいなと思います。30周年おめでとうございます。

 

「ムダな時間を大切に!」

 


 

 

 

 


 

ご経験が豊富な方で、話の尽きない和気藹々としたインタビューとなりました。   

 

 

 

 


インタビューにお答え頂き、誠にありがとうございました。

 

 

 

広報局2年 大村文

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