2005年09月21日(水)

奥の細道 & 奥州 藤原 三代(四代) その1 ☆ 松尾芭蕉 曾良 ☆ 源氏 平家 ☆ 義経

テーマ:ブログ

 『奥の細道』を読みました。
「松尾芭蕉」が、門人「曾良」を伴って、奥羽、出羽へと旅をし、名所を巡り、その中で書かれた俳諧紀行ですが、
 現代のように、交通機関が発達している世ではなく、徒歩(川下りなど船も時に使用していますが)での、かなり厳しい、時には命がけの旅だったようです。
 その中で、私でも知っている
「五月雨を 集めて早し 最上川」や「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

「夏草や 兵どもが 夢の跡」などと、久しぶりに出会いました。

 逆に言えば、他の句は、ほとんど覚えていなかったと言っているようなものですが・・・汗(^^; ....。

 最後の「夏草や 兵どもが 夢の跡」は、奥州藤原氏が栄華を誇り、そして滅亡し、また源義経が、育ち、自害をした 平泉 にて詠まれた句です。
 先日、「源平話 」 を カキコしましたが、

「義経」は、今、某国営放送でやっているので、今回は「奥州藤原氏」に

思いを馳せてみようかと思います。

兜1  清衡、基衡、秀衡の「藤原三代」

ここに泰衡を加えて、「藤原四代」という人もいますが、やはり、前の三人で「奥州の覇者、藤原氏」というイメージが強いですね。どうしても、泰衡には「義経殺し」というイメージが、つきまとってしまいます。
 
 この時代も、私は、かなり好きです。

 「安倍氏」、「清原氏」、「藤原氏」と受け継がれていく奥州の覇権争いの歴史ではありますが、これはまた、「源氏」の歴史でもあります。

 これは長くなりそうな気がしますので、途中、旅行や他のテーマを入れ込みながら、まとめていきますね。(^^)
 偉そうにまとめていますが、結局は、あとから自分が見直すために

(他のテーマも同じです)、一度はまとめて記録しておこうと思っている

だけなので、肩の力を抜いて読んでもらえれば(付き合っていただければ・・・汗(^^;2 ....。)うれしいです(^^)。
 「tokiwakamesan(かっちゃん)のブログ 固いな。屁理屈多いし、付き合ってられないね。」 とは思わないでくださいね。「やっこい」(これも方言かな?やわらかい)のも多々ありますから(笑)(^_^)。
 
 一応、4編にまとめていこうと考えています。
 間違いがあったら、その都度教えてください。勉強します。m(__)m

 「奥州」(陸奥(むつ)の国の別名です。現在の福島・宮城・岩手・青森の四県と秋田県の一部をさします)
 その昔、ここには、平安時代の貴族などの中央政権や、他の武士団が畏怖する強大な“王国”が、存在しました。(なんか「もののけ姫」みたいですね(笑)(^_^)。 )

 まずは、「安倍氏」を紹介しますね。

「征夷大将軍」
 蝦夷(えみし)征討のため臨時に派遣された遠征軍の指揮官をさします。「坂上田村麻呂」が有名ですね。(中学校の歴史の教科書で見た記憶ありませんか?(^^))
 
 この中で「俘囚(ふしゅう)」という部族が存在します。
「蝦夷」の中でも律令政府の支配下に入った部族です。
その部族の長が「安倍氏」でした。
 彼らは、中央政府に、服しながらも、自立した“半独立国家”を営んでいました。
 そしてその有り余った力は、少しずつ南下を始めようと・・・

 当然、時の権力者は、そんなことは許せず、兵を差し向けます。
しかし、あえなく敗退。(これを「前九年の役」と言います)

 ここで登場するのが、かの有名な(私の嫌いな)
源氏です。

 

 この時の源氏の棟梁は源の「頼義」。幸か不幸か、この時の安倍氏の

長(おさ)は「頼良」でした。
 読みは同じ「よりよし」
 
 「源頼義」と言っても、時代的にわかりづらいと思うので、「いい国作ろう鎌倉幕府」の「頼朝」から見てみましょう。
 「頼義」は「頼朝」の4代上「ひいひいじいちゃんです」(曾祖父の上は何というのでしょう?・・・汗(^^;3 ....。)

 「頼義」から整理すると、次は「義家」、「為義」、「義朝」、「頼朝」 と続きます。(平家よりは、名前的には、若干 わかり安いと思いますが(^^))

 彼が、征伐軍指揮官に任じられました。
この当時から、源家は、東国には確固たる地位を築いていましたから、次に狙うのは奥州、陸奥の国でした。
 
 ここから始まっているのですよ。源氏の 「奥州ねらい」は。 
その夢が叶うのは、曾々孫(これであってるかな・・・汗(^^;4 ....。)の頼朝の時代ですが、なんと執念深い源氏でしょう。
 
 記憶力が良いとも言えないことも・・・いや、それはない!!。

 源氏嫌いと言いながらも、途中、私の好きな源氏の棟梁も出てきます。彼は、人間的にも上に立つ身としても尊敬すべき敬愛すべき人でした。

これは後ほど記しますが・・・。
 
 先に、平家の話にも書きましたが、中途半端で、わかりづらかったかもしれませんので、少し詳細というか補足を。
 私は本当に「頼朝」が嫌いです。執念深さと身内を策略をもって誅殺していく姿もありますが、自分の娘の許嫁(いいなずけ) 源義仲(木曽義仲)の まだ幼い息子を政治的に利用し、殺していくその姿。
 そして娘(最後は、世をはかなんで、短命で去っていきます。「この世の汚いことをこれ以上見なくてすむ」と言いながら)から「鬼」と言われた男。
 世界的には、偉人として、日本では数少ない一人として数えられていますが、私は、この男を同じ「父親」として認めません。
 子供の幸せの力となれない男が、何が「偉人」なものかと。
少し、力が入りすぎですかね。(^^)
 
 話を戻しておいて、

 しかし、「頼義」のこの征伐は、失敗に終わります。
 途中、突然 朝廷が、事情があって「恩赦」を発布したのです。
このあとの「安倍頼良」の対応は早かった。まさか族の長です。
征伐指揮官と自分の名の読みが、同じではまずいと、名前も「頼時」と

改名するほどの素早さ。
 これで、「源頼義」が安倍氏を討つ大義名分は消えました。(ここでやめておけばいいものを・・・)
 しかし、彼の執念は、まだまだ終わりません(源氏の棟梁の意地もあったのかもしれませんが・・・。この意地を、私の好きな「彼」は、違う意味で使います。それは後程。・・・引っ張りますよ(笑)(^_^)。 )
 
 まだ、頼義が陣を引き払う前、野営をしているところを、突如、誰かが襲いました。
これは一方的に、安倍氏の嫡男「貞任」と決められました。
 だって、頼義からしてみれば、「誰が」というのは関係なく、攻める「大義名分」が欲しかっただけですから(度し難い!!)
 でも、ここでもまた「頼義」は負けます。(敵将「頼時」は討ち取りますが、安倍氏は一枚岩、「安倍貞任」を立てて、散々に源氏を打ち負かします。 ここで、やめておけばいいものを。・・・2)

 この戦中、「藤原経清」(やっと、藤原氏登場)は、源氏から安倍氏に

寝返ります。彼は、元々「安倍頼時」の娘婿で、訳あって、源氏に属していましたが、事ここにいたって、袂(たもと)を分かちました。これで、源氏の負けは決定的。
 
 で、ここで登場するのが、同じ「俘囚」の出羽の国(山形県・秋田県)の長「清原氏」
 源氏がへりくだって、臣従の意を示すがごとき真似をして、加勢に加えました。(そこまでしても勝ちたかったのでしょうね、源氏は。
 その証拠に、合戦が終わったあと、「頼義」の嫡男「義家」の位は、「清原武則」より下、下風に立たねばならなかったのです。)
 
 この「清原氏」の参戦により、「安倍貞任」も討たれ、ここに「安倍氏」は滅亡します。
 
 しかし、「貞任」の子孫は、津軽に逃れ、明治維新まで名が残る「秋田氏」となります。
 鎌倉時代に、なくなってしまう「源家」よりもはるかに、長命ですね。

 次回(来週かな)、私が好きな、「源氏の棟梁」「源 義家」が「藤原清衡」と共に登場。
 彼は、男を見せてくれます。
 
 これは、次回の講釈で(西遊記風に)
(♪そこ~に、行~けば~~、どん~な夢も~~♪)

 「藤原三代 2 」でお会いしましょう。


 ではまた。

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