レビュー「タイムカプセル」(折原一)
テーマ:本が好き!プロジェクト(書評)
タイムカプセル
- 著:折原一
- 出版社:理論社
- 定価:1470円
レビューの前に、「考察。能登半島沖地震の暗示するもの」という記事を書いております。
コチラ をご覧下さい。
理論社の新企画「ミステリーYA!」第一弾!
タイムカプセルを主題とした錯覚ノベルス。
時間は人の記憶を錯覚させる。それゆえに本書は、その盲点を突く狙いがあるのだろう、折原マジックとも呼ぶべき叙述ものと相性のよい題材だと私は思う。
平明にみえる文章にも、上手いと感じさせる箇所があり、さすが文章を書き慣れた推理作家だと、再認識させていただいた。
ただ子供向けにしては、内容が暗くて陰湿過ぎやしないだろうか?
もう少し陰陽のバランスを意識すべきだったのではないかと、本を閉じた時に首を傾げた。
そう、一人の人物に悪意を持たせても、一方で対極する人間がハッキリとした揺るぎ無い意思を持っている物語ならば、人の心は強く動かされることが多く、結果的に感動させる方向に持っていけられると思うだけに。
しかし、ミステリーで、リアルな表現を目指すのは難しいことだ。
子供の視点、立場に、本当になって見れるか否か。
その可否によって、読者へとリアリティを感じさせる度合いが決定される。そう私は思うだけに、人工性の高いミステリーでは難しい。
子供の焦燥感が生臭い息のように表れる、そんな心理描写を行うのは、それは難しいことだ。
それが虚飾性を取っ払って描ける人は、本当に少ないように私には思われる。
文学と本格とを喧嘩させることなく融合させること。それは本当に難しいテクニックに違いない!
ゆえに本書では、子供の本心までは描けていないように思われる。
作者の目から観た(やや遠目の)想像。やはり、その域を出ない。
何故か?
子供の心とは、それほど単純なものではないからだ。
心に渦巻く黒い霧。成長とともに進化していく悪知恵。
泣き叫ぶ行為によって自我を押し通そうとし、大人の目をも盗んで己の自我を貫いていくドンキホーテ。
反面、時には恐ろしいぐらいな純粋な心で涙を流す。
そう、自己コントロールができない感情状態。それが子供の心なのではないか?
よって、その心象を写生することなど、至難の業だ。
大人の想像するどんな子供たちのコトバにも、リアリティーなど宿されてはいない。
さて、本物語は、十年の時を経て、タイムカプセルを仲介して、旧友達が再会するという設定ものだ。
しかし、その結末は、昨今の本格ミステリを読み慣れた者達から見ると、そこまでの驚きにはお目にかかれはしない……。
そう、今のメフィスト(メフィスト賞作家の作品を愛読する)世代は、もう、一つのみのコードを用いたトリック、ロジックによる変換技程度では、満足できないところにまで、読書回路が鍛えられているのだ。(脳を強化されてしまった?)
つまり、どんでん返しを用意するならば、Aは実はBだったで終了とするのではなく、BはCだった。
でもそれは錯覚だった。
しかし、実は、やはりAだった。
しかし、実は、その世界は、(人形劇なり、作中なり)非現実的世界であった。
しかし、実は、そう錯覚させてみせた犯人Hの策略で、実は、Aは、Hと会う前に記憶を失い、その後、記憶喪失者として会った折に、Hによって(見知らぬ)Aという男のライフ・データを擬似記憶として植えつけられたために、自分はAだと思い込んでいたのであった。
ゆえに、今まで、Hの仕組んだリアル・ゲームに付き合わされていただけだった。
が、実はAの正体は、幼い頃に川で溺れるHを助けてくれた(Hがその後再会したいと願う)人物であって、妙な再会のために、罪悪感に悩み、Hは自殺してしまう。
しかし、Aは、「そんな作り話に騙されるとは」と、崖で笑うと、何重ものどんでん返し+恐怖感を表現できると思ったり。
しかし、そういう話は嫌いなので、私は書かない。(無論、上記の案は全て今綴っている私の創作だ)
ラストは、その笑うAの背後で、生きていた血だらけのHが襲いかかる。しかし、二人とも倒れた拍子に記憶を失ってしまい病院へ。
そして、二人は、その後、病院で(記憶無き者同士)仲の良いお友達になっていき、ニコニコしながらエンド。
させたいと思う(いや、変な話だから、こういう魔的な話は封印した方がいい。
縁起が悪そうだから! 一に縁起、ニに縁起が今の私の信条なのだから)。
それに、題材に何か斬新なものがない時点で、こういう話は避けたい。歴史の謎なり、新しい職業者の話なり。そう考えるとやはり私は、題材派のようだ。(タイムカプセルという一題材だけでは書く原動力として私では物足りなさを覚えてしまうので。そういえば赤川次郎さんにも旧友が再会し、タイムカプセルを開けると「!」というお話しがありましたね)
以上。
やはり今の時代は、多重のどんでん返しの求められている時代のように、私には思われるのだ。(そんなどんでん返しばかりに力を入れた話しに、面白みはあるか否かは、別として)
しかし、本書は、子供向けのうえ、かって何重ものどんでん返し物を得意としてきた折原作品だ。
それだけに、折原一という看板にどうしても期待を掛けすぎてしまうのだ。
それに、私自身が、本作を読了後、不完全燃焼してしまっているのも、折原読者であったからであろう。
本を通じて、技法を教えられただけに、その箇所の意識が高まった。
よって、小説とは因果な商売に違いない。
そして、凄い作家が登場すると、旧世代の書き手たちは、恐らくは驚き、自身も、何とかして新しい者たちの境地へと達したいと、希うはずではないだろうか?
森博嗣、京極夏彦、柄刀一、鯨統一郎、西尾維新、古野まほろ。
一体、どうやって、この新しい技巧派であると同時に、新たな感覚者たちと闘っていけばよいのか?
そう、もう(美しい構造を持つ)シンプルなだけの本格ミステリが主流であった時代は過ぎている風潮が昨今では浸透しており、今や時代は、ディティールの時代(本格ミステリを専門家が執筆する時代)へと移行を開始している様子だ。
ゆえに、推理を、ただただ愛する推理作家にとっては、書きにくい時代が到来したに違いないのだ。
浅学浅識の私にとっても、憂いを感じずにはいられない時代である。
しかし、折原一は、残っていくだろう。
新本格ミステリの叙述トリック復興者として、その名は、日本ミステリー史に残るに違いない。
そう、先人の上に更なる塔を築く行為は、その下の塔あってこそ成り立つ行為であるのだから。
ゆえに、ミステリーの歴史は、まず先達への挨拶と感謝から始まる。
その観点から、再度本書を評すると。
本書は、ジュブナイル系ミステリーである。
それにしては、本格推理作家として、きっちりとした仕事をされている。それだけは付記しておきたい。
そう、少年向けに、そこまで高度な内容を詰め込むこともないのである。
ゆえに、本書が、折原一のトップ・スピードではない。
ゆえに、その論理から私の評が辛口になったまで。
そう、折原一の頂上は、こんなものではない。
そう知っている男だからこそ、口にしたかった、挨拶なのだ。
叙述トリックの技工士「折原一」
その真の実力を見たい方は、ジュブナイルである本書を門(入口)として、是非ともその奥へと進んで頂きたい!
変化球を得意とする折原式叙述トリックの世界へと!(2007/3)
* 冒頭に、livedoor BOOKS 書誌データ / という記載がある記事は、「本が好き!」プロジェクトさまから依頼され、本の献本を受けて書評させていただいております作品です。






