レビュー「日本人を元気にするホンモノの日本語」
テーマ:本が好き!プロジェクト(書評)
日本人を元気にするホンモノの日本語
- 著:大岡信、金田一秀穂
- 出版社:KKベストセラーズ
- 定価:819円
京菓子の、妙な花みたいなのが中心にあり、周りを水のような、寒天のようなものがクルンと包んでいて、中の花がきれいに見えるようなキラキラしたのが……。この中身だけだとあまり面白くないけれども、周りの寒天の涼しげな透明感というか、光というか、そういうものがあるからきれいに見える。大岡先生は、そういう水みたいな方。
詩人大岡信氏をそう評す金田一秀穂氏は、詩人だと思った。
本書は、日本語の達人であられるお二人の対談集。よって、「上品」という名のお皿の上に盛られた言葉の宴だ。
そのせいか、大人の目線、学者の目線は、下げられてはいない。
古今東西、一国の言語を先導されるのは文学者の先生方だと思われるが、現代日本の実態は、ストリート文化を花開かす若者たちの話し言葉ではないだろうか?
よって、元気な言葉も若者会話が先導しているだろう。
無論、金田一氏の方は、若者の目線からも言葉を投げかけられていて、ブログ文化にも言及されていた。(決して否定的な言及ではなく)
しかし、やはりおしゃべり文化は、詰まるところは、根無し草ということなのだろうか?
金田一氏は言われる。
「テレビにしろ何にしろ、言葉がとても簡単に消費されているというか、薄っぺらな言葉だけが流通していって、価値を持たずにそのまま捨て去られるような状況だと思いますが、どうしたらちゃんとした言葉が取り戻せるのか?」
それに対して大岡氏は「これは大問題。やはり一番好きなものを見つけることが大切。が、物量の威力がすごくて、好きなものを見つけるのは難しい。非常に貧困な時代だと思います」
さて、言葉とは何か?
その問答がお手柔らかに繰り返されるが、やはり、それはわからないのだ。
言葉は、物質の影なのだから、影の方をどうこうしても、やはり実体を掴むことは難しいのではないかと?
私は、最終頁を閉じたところでそう思ってしまった。
無論、人は言葉によって育てられ、学習していく。ゆえに、知恵を含む言葉は我々の教師という一面もある。
しかし、それは詰まるところ、記号でもあるのだから、ある程度、その記号を把握した、しかも学者が言葉の新しい活用を考えた際、言葉の新配合というアプローチ以外に、新しい摸索は難しいのではないだろうか?
よって、本書には解答まで用意されてはいない。
日本語とは何か。それを論理的に探ってはいるものの、どこか物足りない一冊として終わっている。
何故、物足りないのか?
それは、ブレーンストーミング式の対談であるからであろう。
ある一本の筋に沿って応答しあってはいる。しかし、それが感覚的な応答であるばかりに、やはり解答に向かう気力、エネルギーが高まらない。
そう、(具体的な)販売目標を定めないままに商品を販売している営業マンのように、必ず解答に達しようとする強い意志が存在しないのだ。
ゆえに、ゆったりと流れる水の如くに問題を口にされては、意見を返し、そして、それはいつしか、川(水路)へと流れていき……。
つまり、お二人は、一つの問題へとさほど固執することなく、よって、スピーディーかつ何が何でも解答を弾き出そうとまでは、お考えにはなられてはいないようだ。
流れ……そう、言葉が、双方の主張が、流れてはいつしか消えていく……。
よって、「流れる対談集」と、定義付けられるのではないだろうか!?
言葉は流れに流れ……いつしか、本書の題名ともかけ離れたテーマの岸へまで流れ着き、いつの間にか対談は終了する。
「日本人を元気にするホンモノの日本語」
もしも再度、お二人が本題にて対談なされるならば。
一、元気とは何か?(そして、その反対は)
二、日本語に、本物と偽物があるのか?
または、あるのであれば、その境い目とは?
など、各項目ごとに「小題」を挙げて、追求していくスタイルとした方が、テーマの帰結する「大河」が見えてくるのではないだろうか!?(構成的にも)
しかし、金田一秀穂氏のいうように「大岡先生は、朝日新聞の『折々のうた』にて、紀貫之の役をなさっている」
そういう言葉を目の当たりにすると、頭を下げたまま、上げることができないのも事実……。
そう、薫葉豊輝ごときが、本書を評すること自体、(背伸びどころか)大背伸びするような行為であり、もしかすると、身長までもが伸びてしまうような愚鈍ぽんちの骨頂?
あぁ、日本語よ、お前の正体は、記号なのか?
それとも、記号を超え、言霊と化した魔物なのか?
どっちだ!?
(2007/3)




