チガウカラー by Seedless

「色」をテーマに短くて抽象的なストーリーを紹介していきます。
光の角度によって違う輝きをみせる玉虫色のようなストーリー。
読む人の心の状態によって印象がかわり、決して完結しないため、結論は読み手がそれぞれの創造を膨らませて楽しめるように。


テーマ:

何かに意味や形があるかどうか


全てに意味を追えばそれに縛られる


何かに形を見出せばそれに縛られる


感じないこと


思わないこと


考えないこと


それが真理なのだとしたら?


きっと形や意味は必要なくなる


ゼロ


透明の世界



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テーマ:

berlin sunset

独り立ちして以来、放浪癖のある僕は一つの町に長く住んだ事がない

今回しばらく住んでみる為に訪れた町はここが5つめ

でも、ここは僕の本当の町じゃない

僕はまたすぐに僕の本当の町を求めてここを旅立つだろう

いつからだったからだろう

まだ見たこともない町をとても懐かしく思い出すようになったのは

まだ眠りから完全に目覚めていない朝

朦朧としている意識の中であの町を思う

鳥の飛び立つ羽音と長く鳴り響く教会の鐘の音

カーテンを通してさしこむ暖かい太陽の光

やわらかい羽ぶとんの中に猫のように丸くなって訳もなく泣きたくなる

懐かしくて、そこへ帰りたくて、そこに帰ってきたことが嬉しくて

これまで住んだどの町でも時々僕が体験する不思議な感覚

まだ見たことも住んだ事もない町をどうしてこんなに懐かしく思うんだろう

一体いつから一体何度この不思議な感覚に出会っただろう

石畳の細い通りに面した古いアパートメントの3階が僕のお城

大きな木戸をあけるとらせん状の階段がみえる

ふるい石造りの階段をあがると僕の背の3倍はあるドアにたどりつく

それが僕のお城への入り口の扉

僕はその古い扉がとても気に入っている

バスに乗って隣町へ遠出をするとき

見慣れた町並みが急に赴きをかえて僕のあの懐かしい町を

思い出させることがある

確かに見ている町はいつもの僕の町なのに

そこにはもやがかかったように

トレーシングペーパーの上にかかれたような

あの町が重なって見えて

僕はまた泣きそうな気持ちで嬉しくなる

この町には一体いつまでいるのかな?

あの町には一体いつたどりつけるのかな?

年々あの懐かしい感覚は強くなってあの不思議な記憶が

現実の僕の生活にオーバーラップする時間が長くなっている気がする

僕は知っている

あの町に前より僕が近くなっていることを

あのとても懐かしい空の青

あの涙が出そうになる深いオレンジの夕焼け

そしてやっぱり長く長く鳴り響く教会の鐘の音

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テーマ:

ナーノというあだ名の友達が昨日随分力をいれて語っていたこと。

人間の気高さについて最近気が付いたナーノなりの見解。 


人に対して真っ向から意見する人は大抵何かふっきれないものが自分の中に

あるんじゃないかって。

つまり自分自身が自分自身として落ち着いており、余裕がある場合、

他人の欠点、弱点に対する耐性があるって。


確かに、言われてみれば、○○すべきだとか、××が正しいとは誰が誰に言えるだろう?

それを口に出来る立場の人間が存在するとすればそれは家族かな?

無償の愛なるものがあるとするならば。

それは親の子供に対する無条件の愛だろうし・・・。


そうすると、親は自分の子供に対してとやかく言っても良いってこと?

たとえどんな結果が出ようと生きている限り子供の尻を拭くのは常に親であるわけだから。

親は自らの発言に対して常に責任を持つ事になる。

 

発言はそれを言い放った瞬間に言い放った人物がその責任を負う。


つまり、誰か他の人間の生き方、やり方、人生に説教するならば!

一生その人間の人生を背負うくらいの覚悟がないと言うべきではない!

ということ?


例えば、とにかくよく気が変る人がいる。

昨日は赤だったと思えば今日は黄色、

明日は青である。


こういう人を周りが理解するのはかなり難しい。


しかし、本人の中ではその思いの移行にはちゃんとした理由があり、

納得いく流れも存在する。

ただそれがあまりにも短期間に濃縮された状態で起こるため、

周囲はその流れ、変化を捉えることが出来ない。

でも結局すべては度合いこそ違えど、こういう事なのである。


自分自身が納得する事というのが一番重要なのだ。

数ある分かれ道、迷路のような人生をどのように歩み、どんな選択をし、

どこへ向かっていくのか、それを体系立てて見ることが出来、その文脈を

理解できるのはその人生を生きている本人のみなである。

たとえ親子であっても、夫婦であっても自分の人生は自分のもというのはこういう事だと。


こういうスタンスを持ち始めると回りへの関心、興味、注意が激減する。

そこにははっきりとした溝が生まれるのだ。 

この溝こそが気高さの正体なのではないかと私とナーノは思っている。

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