本棚を整理していると、

今は亡き小林正観さんの本がたくさん出て来てきました。

 

 

私が宗教やスピリチュアルの世界に傾倒し始めたころ、

正観さんの本を集め、ひたすら読み漁っていた覚えがあります。

 

正観さんのその人生哲学には、

いま現在の私としては同意しかねる部分も多々あるのですが、

その熱苦しくなく冷たすぎることのない、ほどよい温度感のお人柄には、

理屈を超えてハートをキャッチする小気味よい誘引力みたいなものがあります。

 

同じようなメッセージを発信しているメッセンジャーに、

斎藤一人さんという大金持ちのカリスマビジネスマンがいますが、

その言葉や思想哲学のひとつひとつを拾っていくと、

ひとりさんもまた正観さんに強い影響を受けた人物であることがうかがい知れます。

 

 

 

パラパラと正観さんの本をめくる中で、

取り上げておきたいこんなお話しがありました。

以下に引きます。

 

 

たとえば目が見えることは、

皆さん当たり前だと思っていますけれど、

世の中には目が見えない人もたくさんいます。

その目の見えない人と話したことがありますけれど、

その人は「自分の妻の顔を一秒でいいから見たい。

一秒がだめなら百分の一秒でもいいから、

それがだめなら一万分の一秒でもいいから見てみたい」と言っていました。

あるいは「自分の子供の顔を一瞬でいいから見てみたい」「自分を生んでくれた親の顔を一瞬でもいいから見てみたい」と。

でも、見ることができない。

(中略)

私たちは、一度も目が見えなくなったことがないのに、

目が見えることに一度も感謝したことがない。

そうではありませんか?

そして口から出てくる言葉は、

「あれを寄こせ、これを寄こせ」「もっともっと」「あれも足りないじゃないか、これも足りないじゃないか」──。

足りないことを一生懸命書き上げて、

それを手に入れることが夢や希望になって、

その夢や希望が実現することが幸せだと教わってきたのです。

 

本当の幸せというのは、

手に入っていないものを挙げ連ねることではなくて、

自分がどれほど恵まれているかに気がつくことなのではないだろうか。

 

 

 

 

このように正観さんは、

「足りないもの」を得てする感謝ではなく、「足りているもの」にこそ感謝せよ。と、そう言います。

ですが、くり返しブログでお伝えしているように、この世界は多面世界です。

「足りているもの」に感謝ができるのは、「足りないもの」があればこそなんですよね。

 

仮にもし「足りないもの」がこの世に存在しなかったなら、

それは「世界の終わり」を意味します。

 

なぜなら、100%足りてるわけですから、

喉が渇くことも、お腹が空くことも、

叶えたい願いも、まだ見ぬ地平も、

100%求めるものが何もないので、カラダを使って何か行動したり、考えたり思ったり求めたりすること自体が、もはやすることができないんですね( ̄□ ̄;)

 

 

 

なので僭越ながら私は、

正観さんの言葉にこう付け加えておきたいのです。

 

本当の幸せというのは、

手に入っていないものを挙げ連ねることではなくて、

自分がどれほど恵まれているかに気がつくことなのではないだろうか。

そしてそれに気がついてなお、

あなたの中に残った「足りないもの」こそが、

真にあなたが求めるべきものではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

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