パート2からずいぶんお待たせしてしまいました。

もうなんの話だったか誰も覚えていないですねきっと( ´,_ゝ`) プッ

 

 

「感情」はこころの連続的な音符でありメロディー。ダマシオ&スピノザ パート1

 

「感情」はこころの連続的な音符でありメロディー。ダマシオ&スピノザ パート2

 

 

いや実はパート3、ずいぶん前に書き上げていたのですが、

どういうわけか、苦労して書き上げたその記事がすべて消えてしまい(泣)、

それ以降なんとなく手つかずの状態になってしまっていました。

改めて続きを書いてみようと思います。

 

 

 

パート1とパート2では、

人は「怖い」と感じるから、その結果身体が硬直したり心臓がドキドキしたりするのではなく、

怖いものを認識し、身体が硬直したり心臓がドキドキしたりした身体反応に対し(これを「情動」といいます)、「そのあとに」怖いと感じているという、カラダが感情を生み出しているお話と、

 

「カラダの記憶」が物事の判断をある程度まで絞り、

「頭で思考して決断する」という過程は、カラダによって数択まで絞られたあとに起こるという、

ダマシオソマテイック・マーカー(身体のマーキング)仮説にまで触れましたが、

ダマシオが考察する身体の不思議はこれだけにとどまりません。

 

 

 

たとえば人間のような複雑な脳や知性を持たない単純な虫が、

協力しあったり、

集団で行動して危険を回避しようとしたり、

食料を節約したり、

あるいは分け合ったりという行動を見せることがあります。

 

こういった社会的行動は人間が編み出したものと思われがちですが、

アリハチなんかが社会的行動を示すことは有名ですよね。

あるいはカエノラブディティス・エレガンスというたった1mmの線虫は、

 

約300個ニューロン(神経細胞)で、同様の行動を取ったりします。

(ちなみに人間のニューロン(神経細胞)は数十億個です)

人間にも動物にも虫にも、先天的に(生まれ持って)こういった社会的行動本能のようなものが身体に組み込まれているというわけです。

 

 

 

ダマシオは底なしの無意識の中で、先天的なそれと後天的な身体経験則(ソマテイック・マーカー)は相互に関係しあっていると推察しているようです。

そしてその相互作用の結果が脳の中で統合され、最後の最後に喜怒哀楽といった感情が起こるという流れです。

(先天性の中には、当然ながら両親の個性といった先天性も含まれるはずですよね。)

 

こうして個人個人の「好き」「嫌い」「必要」「不要」「可能」「不可能」といった解釈や判断のバリエーションは枝分かれしていくのかもしれませんね。

 

 

 

では、仮に人間に「感情」がなかったとしたら──

この世界はいったいどうなってしまうのでしょうか?

 

 

 

ダマシオは脳神経科学の観点から、「感情」がなかったなら現在のような人間社会はとっくに崩壊していると語ります。

 

パート4ではその「感情」の重要性について触れて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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