オレが有名人のブログでよく読んでいるのは、酒井若菜の「ネオン堂」である。

彼女は1980年生まれで、キャリアの当初はグラビアアイドルとして、数多くの雑誌やテレビに出て、売れっ子となった。

その後は女優に活動の場を広げ、宮藤官九郎脚本のテレビドラマ『木更津キャッツアイ』や、松尾スズキ監督の映画『恋の門』あたりが、認知度の高い作品ではないか。

だが、オレは彼女が出演した作品をまともに見たことがない。しかしそれは、たまたま自分の好みと合致した作品に彼女が出ていなかったにすぎない。 

そんな具合だから、オレのなかでの彼女は胸が大きくて、笑顔の愛くるしいアイドル女優という程度の認識だった。

それが一変するのは、偶然に見つけた彼女のブログを目にしたときだ。2013年1月1日に更新された『小娘物語。』というタイトルの記事。当時、この記事は話題になっていた。

長文で、ブログにしては硬い言い回し、また、読書家の片鱗を窺わせる文章のうまさ、一読して、これまで彼女に対して抱いていたイメージがくつがえされた。

彼女がまだアイドルと呼ばれていた時期、テレビ番組で共演した浅草キッドの水道橋博士との誤解を生んだ出来事と、それが思い過ごしだとわかる数年後の話がつづられていた。

一介のグラビアアイドルだと思っていた彼女が、実はその当時から自我が強く、研ぎ澄まされた感受性の持ち主だったことに、オレは初めて気づいた。

この記事はオレには衝撃的で、たちどころに彼女の経歴を調べ、彼女が何者なのかを知ろうとした。出身地が栃木県下都賀郡野木町という、オレの親父と同郷であることは一層、興味をひいた。

彼女は一時期、芸能活動を休んでまた復帰し、以前のように露出は多くないが、着実に女優を続けている。また、2008年に小説『こぼれる』を発表以来、文章を書く仕事が増えている。

19歳のときに膠原病を発病し、2015年にはリウマチを伴い重症化したが、現在は経過をみて、女優と作家活動を精力的に行っている。オレも今さらながら、女優としての彼女にも注目したいと思った。

彼女のブログは愛と優しさにあふれている。人生を肯定的に捕らえる覚悟が伝わってくる。そして、彼女が自らの体験で得た言葉の数々は、まっすぐ心に染みこんでくる。

彼女はオレよりも7歳年下だが、同じ時代をともに生きていることを嬉しく思う。     

(最後に2017年7月10日の彼女の記事、『心がおぼつかないのなら』から、結びの一文を抜粋する。)

心がおぼつかない夜を過ごすあなたへ

だいじょうぶ、だいじょうぶ

明日も良き一日を
無理なら明後日
無理なら保留
それでいい

ごきげんよう
AD
1970年代後半から80年代初頭において、日本の青春映画では永島敏行が重宝されていた。それらの作品に共通するのは、ほろ苦い性の暴発である。

1981年に公開された根岸吉太郎監督(1950年~)の『遠雷』も同様だ。郊外のビニールハウスでトマトの栽培を営む青年が、有り余る若さを飼い慣らせずに、奮闘する姿を描いている。

この手の作品に欠かせないのは、やはり性への執着で、青年はスナックの女とビニールハウスで関係を重ねたり、お見合い相手の女と会ったその日にラブホテルへ行く。

他にも思い悩み、情熱を注ぐことはあるだろうに、ひとまず青年にはセックスが、何よりも最優先の事柄なのだ。だから、農業に対する態度もいい加減に見えてしまう。

しかし終盤、青年の友達がスナックの女と逃避行の末に女を殺し、行方をくらますあたりから、青年の意識が友達の心配という、初めて違う作用を生じさせる。

オレもこの段になって、ようやく青年が感情移入できる存在となり得た。青年の頭のなかに、セックス以外の関心事が占める余地があったのか…という安心にも似た確認だ。

青年の結婚を祝う会で、青年がお見合い相手の女と肩を並べ、桜田淳子の『わたしの青い鳥』を歌うシーンは、田舎臭い効果がよく出ていた。素朴さがどぎついほどだ。

お見合い相手の女を演じたのは石田えりで、まだ新進女優ながら、バストを露にしたり、ビニールハウスでの濃厚なキスシーンなど、体当たりの演技を見せた。

オレは15歳のときに、テレビドラマ『続イキのいい奴』を見て、彼女のぱっと明るい風情に心惹かれて、一時期ファンになった。彼女が若い頃から女優魂があったのだと、本作で改めて知った。

それにしても、この時代の青春映画は少し暗くて、セックスに対しても苦悩のあとが感じられる。            
AD