空気の意見 

過去の規制緩和による捻れた競争社会に、公正な競争を導入し、不当な競争から労働者を保護しよう! 介護福祉は国営化。国が労働者管理機構をつくり、労使へのアクセスとバックアップ、フィードバックを強化し、労働者達へのセーフティーネット強化の土台をつくろう。


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h2

ひろゆきまた敗訴 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051007i314.htm  読売オンライン
逆転勝訴 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051006i
(読売が逆転勝訴した。そんなに過剰に反応しなくともいいだろうけど
 これから見出しにも気を使ってアドレスリンクにすることにします。)

 まぁ2ちゃんねる管理人のひろゆき氏の対応に不服もある方もいるだろうし訴える側も
合法に訴えていることだし僕は文句なんてない。
ただこういった態度をとれる管理人はたぶんひろゆき氏だけだろうなぁと思うのですよ。
ひろゆき氏も裁判を経て賠償金払ってまで、あえて良いほうに言いますけど
言論の自由を守っているわけですからね。
2ちゃんねるへの非難ももっともなものだと思うけどこういったひろゆき氏のスタンスというか
姿勢は他の掲示板群が果たして持てるのかな? といえば甚だしく疑問に思う。
2ちゃんねるの価値や存在感が薄くなりつつあるのは周知の通りですが、
管理人ひろゆき氏のこの姿勢がソフトウェア的な魅力として2ちゃんねるに
人を呼び寄せている面もあるはず。

 日本を貶める存在といったかたちでしか理解されにくかったが
「電車男」やら「のまネコ」など外界にまで好意的な? 影響力を持つようになってきた。
(インスパイヤはアレですが・・・)
えーと、最新のデータでは日本のネット利用者は6,284万4,000人(*インターネット白書2004より)
日本の世帯半分以上がネット利用しているとか。
適切に2ちゃんねるを利用している人間もたくさんいるわけですしね。
kotu
「骨髄ドナーに選ばれちゃいました 」は2ちゃんねるの書き込みから
始まったやりとりが本になったものだ。
白血病解析プロジェクト@Team2ch ホームページ
賛否はあるだろうけれどもこういった活動なども2ちゃんねるから
うまれているってことも知って欲しいな。
 そういえば一応断っておきますが、ひろゆき氏を褒めても僕の得に何一つならないので
陰謀論とかで僕まで責めたりしないで下さいね。
もちろん2ちゃんねるにも否定的な面もあるということを
十分承知したうえでの僕からの個人的な意見です。

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 企画販売avex、ライセンス管理ZEN、イラストレーターわた氏、三者合作のAAインスパイヤ作品であり
フォークロアの産物といわれる「のま猫」キャラクターをめぐって騒動が起きている。
この問題については『「のま猫」問題に迫る』を参照してもらうとして、
のま猫側が合法性を持っていることは確かなことだ。
しかし、「人権擁護(蹂躙)法案」を振り返ってみてもそれは合法のうちに進められようとした。
つまり人権擁護(蹂躙)法案さえ合法だったということだ。これを止めたのは合理的にも倫理観からも
この法案が日本という国に不必要で自由を奪うと判断した人間達だった。合法的だからといって倫理観
といった観点からみれば拒否するべきものだ、という判断もこの世の中にはある。
とりあえず倫理観から少し離れてこのライセンスが仮に認められた場合のことを考えてみたい。

「線一本、点の位置などが違うだけでも認められるオリジナルキャラクター、ライセンスの時代?」
 有限会社ZEN 大元のライセンスを所有し管理している会社が代表者も明かさず所在地もない、
連絡先はメールのみ、不信がられるのもある意味当然かもしれない。
それでいて堂々と一次著作権所有者不明のキャラクターからの二次著作として派生させた
「のま猫」を一次著作物として取り扱い「のま猫」の著作権と管理を主張している。
しかし、この「のま猫」著作権と管理はほぼ無意味な権利になってしまう可能性もあるのではないか?
AA大辞典(仮)
すでに膨大なAAキャラが存在している。
ZENのライセンス権と管理が認められるならば、ほぼ同じような道筋を辿った「のま猫」系の
ライセンス権と管理は別ケースにも与えられるだろう。
だが、この後に派生してくる同型キャラクターやライセンス権や管理についてZENはどうしようもないだろう。
「フォークロアの産物によるAAキャラクター」+「のま猫ネーミング」+「他アイテムなどやコンセプト」
で「のま猫」のライセンス権を主張し現実に管理しても、この後同じフォークロアの産物によるキャラクターを
制限することもできないだろう。

 のま猫キャラクター自体独創的ではないし組み合わせアイテムやコンセプトがある程度違えば法廷で
争っても線一本、点一つ、ほぼ形状に違いのないキャラの派生パターンに裁判官はどういった
判断方法を用いて正否を審議するのだろうか?
それにZENは「のま猫」がインスパイアとし、MUZOがフォークロアの産物と主張したことは広く知れ渡った。
ZENはもしも裁判になったときには「のま猫」について説明しなければいけない。

ゲーム事件簿#3  ファイヤーエンブレムの項に注目してもらいたいが、
この事件の判決文→H14.11.14 東京地裁 平成13(ワ)15594 不正競争 民事訴訟事件
 この事件では原告であるイズおよび任天堂の訴えが退けられているのです。
ゲームシステムや美術つまりキャラクターや多くの類似にも触れられていますが
結局、原告は棄却され負けているのです。
もちろんコレだけで判断することはできません。

「のま猫著作権と管理権の主張は、結局無意味な主張になるかもしれない可能性」
『「フォークロアの産物によるAAキャラクター」+「のま猫ネーミング」+「他アイテムなどやコンセプト」』
 こういった構成も今ではキャラクター作成のパターンとして普通のものですし、
「のま猫」のキャラクター自体もひろゆき氏に確認に行ったりZENにて「インスパイヤ」と発言したり
MUZOにて「フォークロア」と説明している。
ということはすでに「のま猫」は既存のキャラクターとキャラパターンを意識して作成された産物だということを
彼らは認めているのです。だから裁判になった時には「のま猫」キャラについてコレと同じ説明をしなければ
裁判でこの事実を隠していた場合に、この事実について指摘されたならば心証を損なってしまうでしょう。
ただキャラクターの類似だけについて裁判で争ったとしてもこういった経過や「のま猫」や「モナー」といったキャラクター自体の簡易さからいって線一本や点一つといった微妙な差や違いから裁判官は判断
しなければいけないし、正否どちらでもそれを下した明確な説明を裁判官は行なわなければいけない。

 実際は「のま猫」が登場したフラッシュや作品を通じての著作権の主張がなされるのでしょうが、
わた氏のフラッシュも「おにぎり」というそのままのAAキャラが踊ったりと流用そのままのキャラが登場
する。フラッシュに登場する全てのキャラについて裁判官から説明を求められる可能性も十分あるでしょう。
それを公開した当時にO-ZONEの歌「恋のマイアヒ」を挿入したことの説明も求められるかもしれません。
 こういった感じに見ていくと、今、ZENは著作権や管理権を主張しても無意味なモノについて著作権などを
主張している可能性もあるわけです。
しかも2ちゃんねるとや不特定多数の人間たちに不快に思われながらです。
実際、「のま猫」について著作権と管理権を取得しても完璧に同一のコピー品ではない限りは、
類似してもファイヤーエンブレム事件のように棄却されてしまう可能性もあるわけです。

 「のま猫」騒動後に派生してくるかもしれない類似キャラクターや著作物に対して、「のま猫」の著作権と
管理権を主張して権利を取得しても無意味である、という事態が発生する可能性が今後あるのです。
「ファイヤーエンブレムは不正競争の訴訟じゃないか」と言われるかもしれませんが判決文には
キャラクターの類似についてこんな見解がでています。

『(ペガサスの影像について)
 しかし,以上の共通点は,証拠(乙19,31,39)及び弁論の全趣旨から,
 ペガサスはギリシア神話の有翼の天馬として一般に知られており,「ヘラクレスの栄光」
 (昭和62年6月発売),「ミッド・ガルツ」(平成元年12月ころ発売),「フェリオス」(平成元年2月発売),
 「テイルズオブファンタジア」(平成7年12月発売)といったゲームにおいても採用されているありふれた
 ものと認められることからすると,表現上の創作性がない部分というべきである。したがって,
 被告ゲームが上記のような点において「紋章の謎」と共通点を有するとしても,
 「紋章の謎」の複製ないし翻案に当たるということはできない。』
つまりペガサスはフォークロアから産まれたキャラクターですよね。
MUZOの見解のようにAAキャラもすでにォークロアの産物で「のま猫」がフォークロアから影響された
キャラクターならば、「のま猫」キャラクター達はすでに表現上の創作性がない部分だと判断されてしまう
可能性が高くなるのではないでしょうか。
ペガサスをいくら絵的にアレンジしても、そのアレンジキャラに著作権を主張しても無意味だということです。
ということは、これからいくら「のま猫」ライセンスを持つZENが「のま猫」を複製されて著作権の侵害だと
訴訟しても棄却される可能性もありうるのではないでしょうか?

こういったことから『「のま猫」の著作権と管理権を主張しても無意味になってしまうのではないか?』
といった僕なりの考えを述べました。


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◇政府のジェンダー定義は誤り
◇ミード学説の引用は邪道 「平等理念」の抜本見直し不可避、「上野千鶴子氏は学問的でない」

反フェミニズムサイト

ジェンダー

内閣府男女共同参画局

 
 さっぱりとわからないが、とにかく何かしら考えてみよう「ジェンダーフリー(性差の否定)」って奴。
性差や羞恥心、男と女、こういったモノ、おそらく何千年単位で人間を取り巻いてきた、と思う。
多くの人がもう語りつくしているので(と思われるます)、気ままに書いていきたいと考えてます。

「性自体は驚くほど多様」
X51.org 少年の体で月経がはじまる  ← ちょっとした参考程度に
(他の記事にはショッキングな画像も載っている場合があるので、お気をつけて)

 少数ながら人間の社会には両性具有者という性のありかた、
また肉体の性にかかわらず精神的な性の転換、混乱、肉体に束縛されないまた同姓への愛情、
こういったものもある。

そういえば聖書(新共同訳)
「―神は御自分にかたどって人を創造された。 神にかたどって創造された。
  男と女に創造された。―」(旧2 27より)
「―人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
  そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
  主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
  『ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。
   これをこそ、女と呼ぼう まさに、男から取られたものだから。』
  こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
  人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」(旧3 21より)

別にキリスト教信者ではないんですが、
創世記1が天地創造の由来であり、創世記2が人の由来なんですかね。
しかし、先に人を創造し男女を創造したはずなのに、次にはまた人と男女の創造に触れている。
人を土の塵で形作り、植物は生えさせたとし、動物をまた土で形作りエデンの園に持ってきた。
人を助ける者がいないから、神があばら骨で女を造り上げた。
天地創造から現実の環境、生死や羞恥心、知恵などに説明をつけるために別解釈をしたのが
塵からできた人の話なのかな。で、それから延々と追い立てられ、安住の地をみつけたり、
神との約束をまもったり破ったり、預言者が出現したり、救世主を待望したりと・・・・・・。
こういった物語や箴言が続いていく。
(ちょっと関係ないことですが、聖書の一節が悪魔を呼び出すための儀式に使われたりしたことも)

ジュリア・クリステヴァ  
 父性原理としての「キリスト教、ヨーロッパ文明、記号の体系、資本主義」を批判し、
とりわけ中国への関心が高く、儒教イデオロギーを批判する中国人女性を描いて、
父権的な資本主義批判に重ね合わせようとした、らしいです。
彼女の属した「テル・ケル」という批評グループは毛沢東主義への共感を表明していたとか。

 西洋では共産主義の幻滅、かつての共産主義者のおおくが転向声明を強要されたという、
旧ソ連崩壊後の「鉄のカーテン」の内幕が秘密資料とともに暴露されたとき、
政治犯収容施設などの事実が、非常な衝撃をもって西洋社会を襲ったようです。
けれども教条的な熱はなくならず、逆に福音主義的、非合理性をもった言説が強くなっていく、
という風潮がうまれたようです。
 アメリカは過去「赤狩り」をおこなっています。
マッカーシーの個人的動機による英雄的行動、民衆の不安を煽ったために「赤狩り」。
(もちろん共産圏スパイも実際に入り込んでいたわけですが)
「赤狩り」によって不当な扱いを受けた人もでてしまったぐらい熱を帯びたものでした。
そういった1950年代から1990年代になるとついにソ連崩壊に至り、
共産主義国の内側が世界に知れるにいたり、第二次赤狩りのようなものが世界を襲ったのかも
知れません。
『失敗した神』 The God That Failed
著名な西洋の知識人
「イニャツィオ・シローネ、アンドレ・ジイド、アーサー・ケストラー、スティーヴン・スペンダーなど」が
彼らがモスクワへ、共産主義へと傾斜するにいたったいきさつ、
その後の必然的に生じた共産主義への幻滅、反共産主義への最終的な回帰が語られているそうです。
The Dream That Failed: Reflections on the Soviet Union
「赤狩り」の失敗部分はマッカーシーにある。政治的にみて赤狩りは成功していた。
と、結果を見て言えるかもしれません。
しかし、希望や憧憬、合理性と知識が前時代的な教条的熱狂に打ち砕かれた、
そういった時代の延長に私たちは居るのかもしれません。
アメリカにおいて「ネオコン」とか「福音主義」と批判の声がでるのも、こういった経緯による
福音主義的な行動への反発からなのかもしれません。
米国の性教育事情

日本がこういったながれからの影響をどう受けたかはちょっとよく分かりません。
最近の日本の独自?的な流れにも影響を与えているのかも知れません。
1960年代あたりで止まったままに見えるような状況があるとしたら、
こういったものに目を背けたい衝動からなのかもしれないですね。
けれども、

自分だけの部屋  ヴァージニア・ウルフ
「―女性がペンをとって書こうとすると、男性的価値がすでにいすわってじゃまをする―」

こういった壁に答えないわけにいかない、そう考えてしまう。
さいきん何処かで見た統計では、世界のなかで、日本社会における女性進出が30位台くらい
という結果がでていたようですし、
「何位じゃないと先進国の資格が~」といったことではないですけれどもね。
まぁリベラリズムが一番、自由にやれるようにしたらいいのですが。
働きたくない女性も外で働きたくなければ違った形の活動が ?(おなじみの旦那観察日記!)
とかもあるし、女性に限らず男性にもそれはあるわけですから、
社会や学校、子供たち、知識人は自分たちの思想の道具にしないようにしましょう。
思想実験で被害をこうむるのは誰なのか、よく考えていきましょう。
これだけではなんなので、最後に下のは映画版ですが、原作小説もあります。
未見のかたは休日を利用して、DVDで観賞しませんか?

ハワーズ・エンド   
死の間際、鉛筆を手に取り遺言を書く先妻。
知性とユーモアに溢れ、議論好きな女性(姉)が結婚した途端に旧来の家庭生活の枠に収まる姿。
知性と情熱、博愛主義の女性(妹)が図らずも、予期しなかった愛の形に飛び込んでいく姿。
終盤、強権的な家長として君臨している男性が、腕を顔に押し当て、顔を覆い隠しながら悲しみにくれるとき
「社会的な性」の化粧自体の脆さが表象され、そして「先妻」の予感的な遺言が「社会的な性」や抑圧、
支配力の取り合い、分配、社会的弱者や犠牲者といった存在や議論を超えて、物語を収束させていく。
古い家を去り行く自動車、それにむかい子供たちが手を振った。
紙切れに書かれた遺言、知識を超えて、家族をまもるために飛んで帰ってきたのかもしれない。


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