空気の意見 

過去の規制緩和による捻れた競争社会に、公正な競争を導入し、不当な競争から労働者を保護しよう! 介護福祉は国営化。国が労働者管理機構をつくり、労使へのアクセスとバックアップ、フィードバックを強化し、労働者達へのセーフティーネット強化の土台をつくろう。


テーマ:
 ホームレス襲撃動画。
事件が創作にしろ、実際にホームレス襲撃が発生している現状を考えると、
作り物であれ社会的に許されない、 実際にあったなら絶対に許されるべきではない。

創作といっても傷害事件のモノマネと社会的弱者を笑い者にする創作は許さない。

K大とP社の対応を待ちたい。 事件が確かめられたなら、P社には抗議メールを送る。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
 リンデン選手も問題児らしいが
「親の顔が見てみたい」のあとに「親は何してるんだ」とか言ったら
慣用句表現の意図が言葉そのままの意味に理解されちゃうだろ。

 野村監督がリンデン選手の家族を侮辱したと思われても仕方がないんじゃないの?
外国人に日本の暗喩をすぐに理解しろとか、
事前に慣用句を知らないと無理に決まってるがなあ。
それに上記の慣用句のあとに「親は何してるんだ」って追加の言葉はよく聞くが、
慣用表現使いながらこの言葉を追加するなら、
相手の親を侮辱してるのとほぼ同じことになるぜ。

 親を侮辱してる表現じゃないなら「親は何してるんだ?」なんて言葉を追加する必要がない。
だってこの慣用句は暗喩を使っているとされていて、
親のことをどうこうと問う慣用表現じゃないんだから。

この一連の言葉の流れを使ってる野村監督本人自身が、
慣用句の使い方をそもそもちょっとミスってるんじゃないの?
それかもともと他人を嘲笑するニュアンスの慣用句に、
本当に親を間接的に責めるような言質を挟むという、相手を侮辱するための悪質な手口だよなあ。

まあ、親をどうこう言うものじゃない、
定まった慣用句に改めて「親は何してるんだ?」と追加して話しても、
こちらは慣用表現ではないし、暗喩と解釈するのは難しい言葉だ。
「君は何してるんだ?」といって自分じゃなくて他の(抽象的な)存在の話をしなきゃ、
ってなんて普通は思わないし。
好意的に、追加の言葉を、暗喩の連鎖と解釈するにしてもけっこう苦しい気がする。

だから野村監督限らず、
この一連の流れを使う人間は、
定型の慣用句を使用しながら慣用表現の誤用とも捉えうる言葉を後に追加してるわけだ。
つまり「親の顔がみたい」と慣用句を言っておいて
「(あなたの)親は~」と直接に親の話をし始める説教人間は、
慣用句の誤用誤認をしていると思ってほぼ間違いないとは思うけれどもどうかな。
慣用表現をつくる一部の語を抜き出して慣用表現そのものではなく、
慣用表現の暗喩とつながりのある語を暗喩的指示するのが「親は何してるんだ?」という文だけれども、
とはいえもとにあった慣用表現とは離れてしまっている以上はいくら暗喩的とはいえ、
そして暗喩が連鎖しているとしても、その暗喩指示は意味が不確定になっている。
非常識な若者は何してるんだ? などという意味が感覚的に成立しているとは考えにくい。
現実に対応する存在がなければともかくも、そこに現実に存在する親という語があると、
現実の存在を指していると考えられても仕方ないだろう。

(*あとは雑文)

だいいち慣用句での定型があるからこそ慣用表現の暗喩が成り立っているわけだし、
定型からの暗喩を持っていない「親は何してるんだ?」の言葉に暗喩連鎖としての機能があるとすると、
慣用句と連続していなければならないという条件が出てくる。
このとき慣用句と連続していない場合に暗喩ではないのは明らかだとして。
慣用句でもない文に慣用句でもない定型していない文に、
別の意味の暗喩ならともかくまったく同じ意味での暗喩を認めなくてはならないのは不合理だ。
もちろんそれは作り出せないこともないが慣用句としての成立とは別だ。
だいいち慣用句の本来指している表現よりも、
単純に慣用句をそのまま読みとったような意味合いを表現している文に、
先の暗喩の同じものが機能していると論じるのは無理がある。
慣用句からの連続的な暗喩連鎖だとしたときに、
さっきの問題の文をAとBに分けるとして、
ABにはそれぞれに独立した暗喩を成立させる機能が個別に必要だ。
Aは定型文慣用句としてそれを満たしていると判断できても、
Bには独立した暗喩を指す機能がまったくない。それはBが疑問文としても成立しているからだ。

ある定型が慣用句として認識されるにしても、
その文の元が疑問文であるとそのような慣用表現への移行は難しいと考えられる。
なぜなら疑問文は表面的な言質の意味を固定することで機能しているからだ。
疑問文は語のなかの多義的な混乱を含むのは仕方ないとしても、
暗喩を含んだ機能として働くとすると、
疑問文の内容を予め別のことについての内容への疑問であると、
事前に解釈して使わなければならなくなるからだ。
例を出すと

「東京駅とは何ですか?」 (Bとして機能する文)
「電車が止まるところですよ」
「いえ、あなたの非礼を僕をは責めてるんです」(Aが指示する真の内容)
「??????」
のように、もしも、上記のように、Bが暗喩を持つとして使用し、
次にAを披露したとすると、混乱が起こった。

「あの事件を解決させるために捜査令状なしでいってみるか」
「危ない橋を渡るんですね、橋は何してるんですか?」 AとB 
「橋は何もしねえ。俺達でヤツのマンションに忍び込むんだ」 ここで疑問文と解釈
「兄貴、橋は何してるってのは、危ない橋を渡るってことでさ」
「うるせえ、二度も同じことをいうんじゃねえ」
「兄貴、危ない橋を渡ると橋は何してるってのは同じだけど違いますぜ」
「じゃあ、橋は危ない橋を渡る橋だな。危ない橋を渡る橋は橋だ」

このときに橋の擬人化に注意する。
さらに問題のAとBのAは「親の顔が見てみたい」だが、
Aでは実際に親を問題にしている意図はない。つまり、行動においても親に言及する意図はない。

次は暗喩を巡る会話。
「ははは、こいつはクレイジーだぜ。短パンのポケットに手も入れるし、反抗的な目もしちゃうぜ」
「親の顔を見てみたいわ。親は何してるんだ?」 AとB (若年の人間の、非常識を責める)
「親は何もしねえ。あんたの親も何もしてねえだろ」
「反省をしている態度じゃないな。俺の親の話をしてどうする」
「おいおい、待ってくれよ。俺はあんたの親の話なんてしてないぜ」
「いましただろうが。お前、まさか俺が本当にお前の親を侮辱したと思っているのか?」
「いや、してない。あんたこそ俺があんたの親を侮辱したと思ってるようだが、それは違うぜ」
「俺の親が何もしてないって言っただろうが」
「え? あんたの、親は何もしてるんだ、ってのは親の話じゃないだろ?
 俺の話だってあんたの親についての話じゃねえよ」
「お前がそういう態度だから、親の顔が見たい、って言ったんだ」
「へえ、あの采配もあんたの親の顔が見たいって言ってるぜ」

このときAは現実の親を話題にしているわけではなく暗喩を指示する。
しかし問題なのは現実の存在が慣用表現とは別に存在してる場合である。
これがそのケースであって、前述の橋を巡るおかしな会話は、
現実の存在がないからあれで済んだわけだ。
危ない橋を渡る橋は擬人化されているとはいえ存在しない。
けれども最初から人間について言及するときには擬人化は機能しない。
「おい、危ない橋を渡っているぞ。橋は何をしているんだ?」といえばジョークになるかもしれない。

 暗喩に使った語を使って暗喩を指示し合う会話になる。
もしかしたらリンデン選手のように激怒したほうがまだ楽だったかもしれない。
相手が暗喩指示的にこのように言い返してきたら実際は堪らないだろうからだ。
(そういえば洋画にはたまにこういうセリフ回しが見られる)

幾何学入門〈上〉 (ちくま学芸文庫)/H.S.M. コクセター
¥1,680
Amazon.co.jp
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
「謝罪文張れ!」セブンイレブンにモンスタークレーマー  ZAKZAK

 クレームを受けて謝罪文掲示。
ネットに晒した人間を責める声もあるけど、
衆目に晒された掲示物を第三者が公開して悪いかどうかは難しいですね。

とにかくクレームがつこうと個人的な謝罪文を書く義務はないから謝罪の言葉で済ませるべき。
どうしてもというならお客様に氏名と住所をお伺いして、
会社として文書を後日に御渡しいたしますといえばいいし。
直筆とか個人で書くとかは絶対に断る。

なぜなら本当に個人の責任であるなら、
別に個人は本人の意思で謝罪しないことを選べるからだよ。
それが個人の責任って意味。
真っ当な会社でそんな対応するのは三流の会社だよな。
顧客はクレームをつけるのはこの会社が一流の対応をするかどうか観察するためでもあるのに。
そもそも、顧客が求めているのも正式な文書かもしれない。
だから会社で対応する。これが鉄則。

 でも氏名と住所を教えてクレームをつける顧客と、
そう言われたらそれは嫌だという客はまったく別の顧客でもあるね。
身分は明かさない、謝罪文直筆しろとゴネられたら、
そういった直筆文は文書として会社の謝罪文にはなりませんから、
といってご説明して絶対に曲げてはいけない。
謝罪文の掲示は自然にそれで免れるとは思うけれども、
それでも謝罪文の掲示を求められたら、本部や上司に相談致しませんと掲示は致しかねますので、
とでもいって最低として保留して頂く。そしてあとでSVあたりが断ればいい。


バイトに個人的な謝罪文をかかせるのは、
まるで社長・店長・オーナー待遇の社会的地位で個人的に謝罪せさてるようなもの。

このバイト君は大変な経験をさせられたが、
問題なのは怒ったり謝罪させたりさせながら、
バイト君をオーナー待遇みたいな感じで社会的責任取らせてる大人達にあるんだ。
クレームをつけたひとはバイト君じゃなくてそういった三流の会社と人間を笑っているのかもしれないし、
もしもそれで満足してしまった顧客も、
相手の会社が三流で不始末を処理できないから個人に流れてしまうのかもしれない。

 顧客はニーズを持っているがそれが本当は自分自身でも何なのかわからないこともある。
それがどれに当たるか対応者が見極める。
こういった件は要求が明確なだけまだ扱いやすいクレームじゃないかな。
相手がただ叫ぶか責め続けるだけで要求がころころ変わるうえに、
相手自身も自分の不満が分からずに長期戦させられるよりずっとマシだろう。


 バイト君は接客に失敗したが一流の謝罪をして失敗を取り返した。
店長達はうまくクレームを潰したかもしれないがこれは三流の仕事もいいところだ。


憶測で他人にどうこういわれようとバイト君は自分で責任を取ったうえに、
社会的にここまでニュースになるほどその仕事ぶりが扱われている。
店長も本部セブンイレブンの社長も同様の仕事をしているかもしれないが、
バイト君のすばらしい仕事ぶりを拝見したあとでは、ただそれは肩書きだけかもしれない、と思える。
それどころか、いまやコンビ二業界で一番の最低企業候補はセブンイレブンかもしれない。
個人のバイト君ですらここまでの責任を取るのに、
いやただの個人にここまで責任を取ってもらうなんて、
それが自社のバイトである個人であろうと、
こんなことでクレームを処理したような顔をしてるなんて、
一企業としてどれだけ節度がないのだろうか……。

店長は個人にこんな謝罪をさせて、
上司の持つ切れ味抜群の伝家の宝刀(謝罪)を竹光にするつもりか?
もしも、顧客が個人の謝罪は済んだ、会社としても責任を取れと要求したらどうするんだろうか。
「個人がこれだけ責任を取る件なのだから会社としてはどうしてくれるんだ?」というわけ。
現実に充分ありうるケースだ。
顧客は個人の謝罪を引き合いに出して、普通の対応では満足しないかもしれない。
個人がここまで謝罪をしているのに、会社が謝罪だけで済むと思っているのか?
会社は私の要求を半分飲んで個人に責任を取らせた。もう半分をいま渡して頂こう!

ということで、 いったい、
セブンイレブンのオーナー達や本部は別の問題が起きたらどのように謝罪するつもりなのか?
こんな個人のバイト君の責任に頼る企業では多くの利用客にとっては心許ない。
これではセブンイレブンの看板を掲げるだけ無駄かもしれない。
バイト君の顔写真を看板に掲げていればいいんだ。

だいいち、社会では、本来、
バイト君の行ったこのような謝罪方法などは限られた社会的責任ある上位の人間だけに限られているもの。

では最後に、

バイト君、気を落とすな、君がセブンイレブンのオーナーだ!


AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。