空気の意見 

過去の規制緩和による捻れた競争社会に、公正な競争を導入し、不当な競争から労働者を保護しよう! 介護福祉は国営化。国が労働者管理機構をつくり、労使へのアクセスとバックアップ、フィードバックを強化し、労働者達へのセーフティーネット強化の土台をつくろう。


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 結論から話しますと、刃物は簡単に改造できます。
この世の中、旋盤なんかを持ち出して自作拳銃をつくってしまう驚くべき人もいるのですから。
ダガーではない刃物をダガーと同形状にするのはできない話ではありません。
少なくとも銃をつくるよりはもっと手軽にできてしまいます。
ということで実は「ダガー規制」とか「刃物規制」とか、
さいきん聞く言葉を使いますと、ただの劇場型政治のパフォーマンスでしかないうえに、
抑止効果は皆無であり犯罪防止への実効性も乏しいものです。

 しかし、犯人がコンビニ弁当を買うように凶器となった刃物を購入して何人も死傷させた、
つまり、刃物により、12人死傷の内で4名が亡くなられ、8人が重軽傷を負ってしまった。
ここらへんの衝撃と事情がダガーの殺傷能力を裏付けているという・・・・・・。本当にそうなのだろうか。

犯行時の被害者状況

犯行状況


『軍用ナイフと一般家庭用包丁は同じ硬度とみられる』

 ところが、仮定として犯人の使用した軍用S&Wのナイフの鋼材は440C辺りだと推測する、
そして調べてみたこのブーツナイフの硬度は440Cであるとすると実用硬度はHRC57~59になる、
一般家庭用包丁も同様の硬さとなるようで大体は同じHRC57~59の硬度だという。
 補足しますと、硬度は安価な包丁だともう少し下回る。
ブーツナイフには刺した後に抜き易いように中心に溝を掘り込んだタイプもある。
あとは軍用ですから握りも良いはずです。
でも同程度の硬度であれば硬さによる殺傷能力はお互い似た性能を持ちえているはずでしょう。

『被害の拡大の原因は、殺傷能力か、犯行の状況か』

@凶器

 鋭器の片刃と両刃、どちらの突きのほうが殺傷能力が高いのだろう。
刃物殺人は刺したことによる、つまりは日本刀でもない限り突きがほとんどだと考えられます。
突き、さらに抉れば、体の傷口が拡がりやすいのは直感的にいって両刃でしょう。
けれども片刃の刃物でもほとんど似通った殺傷能力を持っていますし、
あとは使用者の刺し方次第でもありますし、
なにより使用されたブーツナイフの硬度はさきほどの推測が正しければ一般刃物に対して差はないはずです。

 ブーツナイフで襲われた被害者の傷口の状況をみるとほとんどの方について、
「刺創」とあるので傷跡は先の尖った部位でできていたと考えられ、
なかには「切創」というケースもあったようですが、
防いだときに右腕をブーツナイフで切りつけられたのでしょう、この方は軽症とのことです。

 刺されて死亡された4名の方は、
それぞれ、左背面、左腹部、腹部、右胸部を刺されています。
他の方も正面から腕で防御した男性以外は重症ということは、
ほとんどの被害者が無防備な態勢で襲われたということではないでしょうか。

@行為 

 ブーツナイフの一突き、そして、使用者の使用法、体当たりするように刺したり、
意図的か自然かともかくブーツナイフで傷口を抉る行為。
これだけでも致死率はかなり上昇したのではないかと考えられます。
犯罪者の「つぎつぎ刺さないといけない」という焦りの行動が、結果的に関係したのでは。

 そして、切るのと、突くのでは、殺傷能力に大幅の違いがでます、
人間を何人か切って切れ味が鈍らない刃物は存在しないでしょう。
ですが、突く行為は何人を突いても突き味はある程度保てます。
なぜなら、先端がある程度尖っていれば、皮膚を突き裂いてしまうことは可能だからです。
 アイスピックや錐や傘の先、クギとペン先など。画鋲だって皮膚を突き裂いて刺さります。
直線的な形状の刃物は、いわば錐のようなもともと突けて裂ける物に、
片刃か両刃、エッジを付けていって、突きの威力と耐久性を向上させたような考えのものだと思われ、
たぶん、ここらへんの事情が刀より槍の方が軍事用として優れている理由のひとつでしょう。
突くだけなら使用者の技量もほとんど必要ありません。
 こういった事情により、果物ナイフだとか、他の刃物でも、
たいていは突き刺されたことにより失血死までに至るようです。
切って失血死させるにはよっぽど急所を狙わないと無理でしょうし、
イメージとしてはよくグリーンベレーが背後から敵の首を掻き切るとか映画でありますけど・・・・・・、
ブーツナイフで襲われて唯一の軽傷となった男性は腕を切られただけで済んでいるようですし、
なによりも突かれる前にとっさに腕で防いだ判断がよかったのでしょう。

@被害者数と場所

 あなたが休日を電気街で過ごしていると、
目の前の歩行者天国にトラックが突っ込み、人が撥ねられてゆき、
一旦、車が視界の外に消えて行きます。
周囲はある程度人が集まっており、事故のせいで足が止まり、人ごみで見通しも悪くなり、
あなたの死角にはいった向こうの事故を起こしたトラックからは、
犯人が目立たない軍用ナイフを持って歩行者天国に近づいて来る。
ここでトラックの背後に居た三人の被害者のうち二人が失血死され、もう一人は重傷となりました。
彼は歩行者天国でさらに襲い続け、ここにおいて比較的外側に居た方が死亡され、
犯人は逃げ惑う人たちを追いながら道を進んだところで、
最後に死亡された方が右胸部を肺まで貫通するほど刺されてしまわれ、
加えて二人重傷にしたあとで拳銃を抜いた警察官に促されブーツナイフを捨て、捕まった。

@早急な手当てに関わらず被害がでた

 だいたい人間は、血が三分の一も流れれば重篤状態になります。
あなたが刺されたとして応急手当を受けながら救急車が到着して搬送されていくまでに10~20分、
どういった形状の刃物であっても、体重をかけて刺突され、傷を乱暴に抉られてしまえば、
応急手当を受けても、病院の万全の治療を受ける前に、すでに重篤になる可能性は高いと思われます。
 あとは、普段意識している視界はだいたい120度くらいでは?
混んでいる繁華街を歩いているとさらに視界は狭くなり、急に襲ってきた人間への対応も遅れてしまうかと。
当然、犯人が選んだ場所が悪かった。

 被害者数がこれだけになったのは、殺傷能力が高いブーツナイフのせいでしょうか。
 刃の形状と握りが殺傷能力を高めているのは間違いないでしょうけれども、
他の片刃のブレードのナイフや包丁で、あるいは改造刃物で同様の結果がでないわけではないでしょう。
 最初に書いたように、刃物の改造なんて簡単です、というと僕が危ない人に思えるやもしれませんが、
これは料理を自分でしたりして、ステンレスなり、モリブデンとかなり、白鋼なり、の包丁類を扱っていれば、
メンテナンスとして、自分で砥いで刃自体を付けることは簡単なのはお分かりになられるでしょうし、
突くための補助に刃を拵えるくらいのものなら硬度も刃の切れ味もそんなに必要ないですし。

 家庭用100円ステンレスペティナイフも若干硬度が落ちるブーツナイフに改造するのは容易です。
というよりすべての刃物はそういうことがある程度容易に素人でもできます。
ですから、ダガーナイフ規制とやら自粛とやら、たいした防止効果は期待できないわけでありまして、
それぐらい実は刃物は身近であり、過去に戦争用に使われていた槍の刃先も再現しやすい、
それが本物と劣化した質であっても、突きと形状と使用法で、
殺傷能力は一般家庭包丁からであっても格段に高くできてしまう。

 今回の規制騒動は、アメリカで過去にあったテロリストが調べたり利用する可能性があるからといって、
核爆弾に関する情報を載せないよう削除しようとした、といった過剰反応に似ている。
核、戦車、銃、刃物、は古くて単純なものですから、
それなりの形でも、手間と材料と機械があれば造れてしまう。
一線級に届かなくても人を殺せてしまうところが厄介です。
一時期話題になった改造ガンなんて車の窓ガラスをあっさり割る威力でした。

 つまりたくさんの人が喧伝している「殺傷能力」というのはいか様にでもすぐに向上できるものなのです。
しかし状況が違えば、もしも、犯罪者の存在する派遣業の待遇が、日雇いが規制されたようですが、
もっと社会保障的に充実していれば彼は怒りをこんな形で社会にぶつけなかったかもしれない。
福祉であれ製造であれ、派遣業のなかでも特にきつい環境の人たちは社会保障が薄い。
それか繁華街でなければ。

 派遣を海外の安価な人材で補おうという目論見もあるようですが、
国外でなら彼らの賃金水準もわかりますが、
国内で日本人と同様の仕事をさせながら低めの賃金というのは、
女性の男性の賃金格差の現実のように、ただの差別待遇にしか他ならないでしょう。
 あるいは学歴差別、名目的差別。しかし同じ労働をこなしているのなら、
経歴に関わらず同額の給与を支払う要求とケースは欧米でも当然の流れとなりつつある。
 クラスター爆弾廃止、死刑廃止、だけでなくこういった男女間の給与格差、
あるいは雇用形態による給与差別と社会保障差別を今より取り入れないといけない。
誰かと同じ分だけ働いた人は給与を同じ程度の要求を求めるのは当たり前であり、
それに派遣業者による中間搾取など厳しく取り締まるべきでしょう。

そもそも留学してきた外国人を研修名目で、無賃金、低賃金で労働させ、
他の国の人間たちに批判されていたのが日本の企業の状態でした。
都合の良い「国際競争力」だけでなく「移民格差」まで企業は自分のために日本に創りだそうとしている。
そういったしわ寄せは地域社会と学校なんかに押し付けるわけです。
このしわ寄せの状況から、いつか、誰かが凶行に及んだとしても不思議ではないのでは?
そして殺傷能力のある凶器はそこらじゅうに存在しているのです。
単純に制度や規制のあるなしではなく、
社会保障のあり方がいっこうに更新されない現状に責任があるのではないでしょうか。

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 秋葉原で通り魔殺人。いろいろ、過去の死刑要求型犯罪者を思い出す手口でした。
 関係ないと言われそうですが、回復する可能性がゼロではない植物人間と扱われる人間でさえ、
死へ向かわされる御時世に、「凶悪犯達は人道的に死刑回避したい」ということを考えると、
まったくどんな人間でも目覚めて起きていれば、
最低限尊重してもらえるという社会のありがたみを感じます。
 こういった人間としての市民扱いを振り払って、
運命論的厭世観から社会に得体の知れぬ報復や凶行をもたらす人間達をどうしたものか。


 結局、自分という人間の死と社会的立場といったものは虚飾にしか過ぎないでしょう。
観測できない自分の死を社会的状況の混乱に寄りかかり、
たしかに把握したかのように死を認識していこう、あるいは、そこに繋がる不幸、すなわち運命と宿命、
そういったものを、社会のなかのネガティブなイメージに依存することで観測めいたものを実現する。

 彼ら曰く、社会は不正である、個人的な結婚などの契約も不毛である・・・・・・。それに・・・・・・。

かくして彼らにとっての悲観論を証明する道具立てはそこらじゅうに転がっていて、
うまくそれを利用するのに、さらに幸福そうな人々まで攻撃対象を広げ、
幸福を演技している者達、それか、他人の悲劇のうえで充足する、
「仮面をかぶった人間」という支配者像が生まれる。
彼にとってこういった人々が偽なる存在なのは当然でしょう。
なぜなら、個人と社会、に幸福が存在していないのに人々は満たされていると考えているわけですから。

 しかし、人間の生死も他者によって観測されないと存在し得ないわけです。
他者が彼を観測でき、考え予測できる状況がなければ、いったい誰がその当事者の彼に気づくのか。

 運命論に付帯しがちな楽園的ユートピア、つまりアダムとイヴの二人か、自分ひとりの楽園観。
自然状況の活動のなかでなら生死なども社会とは違い充足しうるのではないか、
といった前提と懐疑を運命論は自動的に含んでいる、と見做せるでしょう。
けれども視覚や触覚などで触れた彼の自然というものは、自然であるからには生態系を持ち、
いわば生態ピラミッドにより成された弱肉強食の世界と必ずなってしまう。

 ここにこれほど人間の活動と似通った、貧者と富者、強者と弱者、の世界があるにも関わらず、
自然世界に、それがあって当然ならば、
ただ彼は善悪のない世界に逃げ込むか理想的な引き合いとしてユートピアと現実社会を比べている。
でもこのような事実を認めながらにしてなぜ彼は現実社会を攻撃するのでしょうか。

 そこで当然、善悪とか正義、について戻って考えることになるでしょう。

ですがこういった社会的判断の結合を必要としているものを個人だけでどうやって充足するのか。
ここで運命論者の攻撃していたものが「弱肉強食の世界」というよりも、
実はもっぱら、社会的判断の結合、すなわち、善悪、法律に道徳に倫理に、正義であったことが分かる。
それ故、彼の立場は、必然として社会への攻撃をしなくてはならない訳です。

 しかし、社会的判断の結合、それらを記した著作物と知識の存在との関係はいわば間接的であり、
誰もが生まれながら獲得しているわけでもなく、読んだとしても完全に行えるわけでもなく、また、
理解のなかに誤謬が生まれ得ないわけでもないし、
それを人が認めるも認めないも最終的にその人の勝手であるでしょう。

 彼は、極めて社会的判断を気にしつつ、それからは自由であると社会契約を意識しない人として、
日々、両面的な生活を営んでいるのではないでしょうか。

 ですが人は社会的に保護されずには生まれてはこない。
なるほど、道に捨て子が捨てられていたとして、赤子を救う社会と無視して死なせる社会、
あるいは、殺す親と守る親が存在しています。

 子どもを無視して死なせる社会は社会に見えて、社会ではない。
これは後進とか進歩とか関係なく、そこに社会はつまり契約による社会は存在していないと見受けられます。
ただそこにあるのは自然のユートピア的状況であり、理想郷のなかの赤子のユートピアによる死のみ。

 人間は契約があろうとも勝手に振舞える故に、このような状況と結果は人間社会にいつでも起こりうる、
そういったことは決して排除できない。
しかしそれほどまでも厳格に厳しくこの適用を社会や現実に求めるなら、
社会を憎む人間は何ゆえ自己においてだけそれほどまでに勝手に社会に対して放縦に無責任に、
烙印を押すことができるのだろうか。彼にはなんらかの社会に対する理解が必要だったのではないか。
まさに彼が社会の不正を最大限において問うたごとく、彼のなかの彼の意識も最大限に。

 ・・・・・・自己の内で悩むだけが最大限の努力ならば、もはや全てのひとが悩めるひとであり、
あの精神科学の悪癖を鑑みれば、人間ではあるが一時期に不意に責任を(つまり人間性を)剥奪すべき、
いわば非社会的人間、換言すれば人間ではない人間存在。
それでも動物的人ではない、あくまでも社会契約のなかの人間であり、
しかしながら一時期はとある要因によりそうではなかった人間という、ひと。

 社会のなかの悪性ユートピアに被害を受けているのだから、
人間として人為的にこの隠れた状況を暴いてやろうと、運命論者が考えあるいは行動するのは当然でしょう。

 考えにおいては人間の過ちと不正をまたは自分自身を問い、行動としては社会から逸脱して、
道端においては悪性ユートピア(人間社会のユートピアはそれだけで悪である、
なぜなら弱者が鞭打たれるのだから)を再現もしくは実現させてやろうと企てそれをつくり出す。


 心理学に精神分析、もし人間に人間ならざる責任性を剥奪すべき乖離状態があるなら、
もはやすべて病める人間でありながら反社会的行動が起きるまでは放置もしくは観察しておくという、
科学による素晴らしい良性のユートピア創造というわけでしょう。
もちろんそれ以前の人間を檻に閉じ込めるような古いやり方を賛美しているわけでもありませんけれど。

 しかしこういった夢判断ならぬ人間判断により、
人間は産まれ落ちた瞬間に人間として社会的に認識されながら責任性を剥奪されることが起こり得る。
悲しむべき運命の障害があったというわけです。
 けれどもその彼を守り愛しているだろう親と社会が付き添っていながら彼は責任性を剥奪されかねないとは、
人間社会の契約と科学の与えるものがいかに、心あるいは身体なるものにおいて、少ないか。
また彼は環境に恵まれず同時に反社会的なのかもしれない。

 だが結局は彼らの考えと行動は、結実しない、と考える。

ひとはどこかの過去に向かえるかもしれないが、もう一度どこかの過去に生まれなおすことはできない。

 悪性のユートピアに入り込むことは良性方面にも入ることでもあるのだから。
どちらにしても社会的保障の要求の傾向がある。
しかも最大限の、迅速な、局所極大関わらない、要求であり、
要求がここまで肥大化するとこれはもはや要求とはいえまい。
僕には一種の非難宣言か宣戦布告でしかないように感じられる。
 なぜなら社会と他者の人間が、すでに彼にとっては、役立たないか虚飾であるからであって、
相談したり交渉したりする余地などもはや存在しないどこにもなくなってしまっているからであり、
あとは運命論者である彼の審判がどこかで下されるのを待っている状態でしかないのだ。
その審判はことあるごとに下され、審判の延長線に「存在の否定」のために、
あらゆる類の武力行使が潜んでいる限り、いつかはそこに辿りついてしまうものなのである。
つまり、考えのなかで否定するか、暴力により否定するか、において。

 このような凶行事件は、社会契約と保障と科学について攻撃したものであり、
死刑や終身だとかの制度を変えたところで解決できるようなものではないように思えます。
生涯の大半に渡る投獄が非人道的でないといえるでしょうか。死刑よりはマシだ、というだけでしょう。
しかし、人間から科学手術によって人間責任を剥奪する社会に、人道など本当に存在しているのでしょうか。
科学判断だけならまだしも、その判断はいかなる真実性をもっているのか、
そこで社会的要求を満たすために確定できない領域に踏み込んでいる。

 科学ならば当然に不確実、不確定なるものを認めることができるだろうというと、
心理と精神科学は、自分のそういった部分を悪戯に消去しようとしていないか。
また現実に不用意に一般に、利用され、利用している。
そこで、この人間の世界は、劣等感、性欲、精神的外傷など、で病んでいるというわけだ。
そのうえ精神鑑定まで提供して、一時期ないしは長期的に、責任性は存在しなかったと判断してくれる。
つまりそれは人間科学の権威による判断である。

 つまるところ、その生来的に病んだ人間による精神鑑定が常に精査される機会がなければ、
いったい宗教とどう違うといえるのだろうか。
あとに学んだ人たちにより学問は確かめられたり、正され直したりするのが常でしょう。
ある学問の天才が生まれて基準を変えてくれるまで祈らなければならないのなら、
皆、生来、病んでいるうえにさまよえる羊である。


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