空気の意見 

過去の規制緩和による捻れた競争社会に、公正な競争を導入し、不当な競争から労働者を保護しよう! 介護福祉は国営化。国が労働者管理機構をつくり、労使へのアクセスとバックアップ、フィードバックを強化し、労働者達へのセーフティーネット強化の土台をつくろう。


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*追記

 揉めた原因は右翼活動者らしき人間から中国人がなにかをひったくったことが原因でした。
それからとび蹴りがあったのですが、中国人側から人が飛び出して警察官を背後から傘で叩いており、
まあナショナリスト同士の騒動ですが、片方の日本人だけをニュースにする、
という偏向した報道のあり方がはっきりとわかりました。
↓は中国人側からの動画のアップロードです。

中国人が男達からなにかをひったくりそして警察官を傘で叩いた動画


 下の動画は、韓国にて、中国人達が抗議活動を行ったチベット人を追跡し捕まえ、
一人のチベット人を集団で取り囲み、
今まさに暴行を加えようとしている場面から始まる動画です。

Chinese Violence to Tibet People in Seoul

 たぶんマス・メディアは中国人聖女なら紙面に載せるのでしょうが、
抗議をしたチベット人への、この過激な行動を、
トーチを奪う行動以上に危険な状態に追い込まれた彼をニュースにすることはないのでしょう。

 長野では、警察は中国側の統制役を極力遠ざけたんじゃないかな、という気がします。
その一方で中国人達の行動を注意する通訳の存在もたいして用意していなかったのか、
一部の中国人が危ない意思表示行為を行っても注意できず現場は見逃すだけしかできなかった。
 お役所仕事の悪いところがでたようです。
 警察官達を公然と罵るのもちょっと違うように思えますね。
動画に顔がでたり、罵られている画面があったりと、いまの時代の抗議の特徴的なところがでてました。
 マスコミだなんだと言われてましたが、これからは多数の個人の撮影動画が拡大していって、
マスコミの大衆的な側面もある程度の役割を譲り渡していくか弱まっていくんじゃないでしょうか。

 まあでもあれだけ厳重に警備したのですから中国側は感謝しているかもしれません。
しかし日本と中国でかなり水面下の交渉があったんじゃないか、と。
うーん、もしかしたら中国側の私服公安でもうろちょろしてたのかも、
現段階でも韓国だとかなり混乱して暴走してしまった部分があったようですし、
中国人ナショナリスト達が、ですね。

 在独中国大使館で抗議があったときは、中国国旗が奪われたのち引き裂かれたりしてましたから。
けっこう、欧州では抗議活動が激しかったみたいでして、
こういった事件を眺めていくと、政治経済について大手報道が伝えてくれるような情報は、
ほんとうに情報のちいさな断片だけなのだ、ということを改めて確認できましたね。

 あとは、善光寺での法要と説法の一場面を覗きましたがすばらしいお話でした。
チベット人と中国人、両方の被害者を供養した善光寺の行動に深く感謝したいです。

ドイツ人有志達によるチベット弾圧抗議の署名運動へのリンク

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『作文の義務、つまりは更生というのは心の問題』

 僕は光市母子殺害事件の犯人が死刑になったとしても正しいと考えます。
しかし死刑が廃止されてもよいとも考えもないこともないですが、
けれども犯人の更生を社会と被害者に確認させることができない、
いまの安直な死刑廃止論には懐疑的な思いがかなり強くてですね、
もしも死刑という要求を放棄しろというならば、
犯人にでも年一回でも警察署なんかで作文でもしてもらおうじゃないかと、
当然、減刑といういわば誰かが請求権を放棄するような行為をするのですから、
代償として作文でもしてもらって犯人の更生具合をこちらに確認させてもらいたいわけです。


『自助努力だけで更生できるという可能性は少ない、社会がある程度はコミットしたほうがよい』

 二つ良いところがあると考えられまして、
一つ目は、作文公開によって犯人は更生した自身の心境を社会に示せるでしょうし、
二つ目としては、犯罪者差別による窮状を訴えることもできます。
三つ目は、我々がある犯罪者ひとりひとりの、
重なる年ごとの心境の変化を追うことができるということ。

 さらに突き詰めますと、あることに対応できるのではないかと思います。
それは更生やなにかへの反省、後悔は人生を最大に活用しないと、
犯人のなかに発生するかどうかわからない、必ず誰もが更生するわけではないでしょうけど
非常に長い期間、あるいは巨視的に設定しないと、
よほどのことがない限りは、留置され刑務所で過ごしたとしても更生は見込めないでしょう。
それに心境の変化は自身の死を目前にしないと
なかなか起こらないとたいてい一般論的には信じられているはずであり、そんなわけで、 
刑務所を出れるなり、生涯刑務所のなかで過ごすなり、
犯人にはこういった作文義務が社会から求められても良いと思います。

 重犯罪者は死刑を回避できる代わりに生涯において死ぬまで、その更生を、
彼の心理を覗けるような作業を求められるべきです。
なぜなら「更生」と口を酸っぱくして大声で叫ばれながら、
いままではあまりにもそれを確認させるような手段の提示がなかったように思えますし、
すなわち死刑廃止論者の提案には、
まるで彼ら自身が犯罪者の更生を信じてはいないかのような部分が見受けられたわけです。
 更生するという者には責任の設定が必要でしょうから、
我々が死刑を放棄した代わりに年一回もよりの警察署で、
彼が死ぬまで作文することを要求しても罰は当たらないでしょう。

(更生というのはやはりそれとして認められなければ、
 つまり社会にそれを認めるなんらかの機会が与えられないなら、
 更生できる可能性は甚だしく低いということを考えています。
 更生とは本人だけではなく、彼を観察した第三者も同様にその発露を認めてこそのものでしょう。
 現在、そこに関わる人々は非常にほんの少数の人々だけなのです)


『死刑廃止に効果があるのか? 
 善的立場がただ強勢を誇って権利を奪取しようとするなら信用はない』


 つまりは、一番皆が気にしているのは死刑を廃止して効果があるのかないのかですね。
これは死刑が役に立つの立たないのかといった話と同じものでしょう。
たぶん死刑が不能なら死刑廃止も不能でしょう。
トートロジーみたいですみませんが、
なぜかというと裁判では死刑はそんなに多くもないですし、
死刑が決まっても直ちに刑が執行されてきたわけでもありません。
何年も経っても執行を見送らされたケースは結構あるのです。
単に死刑といってもその幅は実際は広いのであり、
すぐに死刑執行されるのはよほどの凶悪事件でない限りは稀なほうなのです。

 死刑廃止論者は各種の刑罰そのものは認めているわけでしょうから、
それらに一定の効果を認めているのでしょう。それならば死刑に効果がないといえるのか?
でも彼らはそこで安直に訴える道具として「人道」と「少年である」とか、これらを持ち出すのでしょうが、
現実において死刑という量刑がなくなっても、そこには当然、
死刑に値すると認めてきた凶悪性がまるで放牧されるように存在するわけですから、
これに対しての一定の解決を答えられない限り死刑は廃止されないでしょうし、
人々を犯罪者の更生というプロセスに関与させない限りただの制度の取替え戦争に過ぎなくなる。

 また死刑についても、その厳粛な行為のために、
僕達は社会のなかに生きる限りは間接的に「殺人」を行っているのだ、
と改めて認識する機会をぜひとも設けるべきでしょう。
 結果的に自分に直接関わりのない裁判と法律について、
多くの人がこれまで以上に関心を持つようになり、話し合うことをいままでよりは期待できるでしょう。

 『次の判断へ』
 我々が生きているからといって全てを判断するのは拙速かもしれませんから、
作文というような材料、こういった判断を引き出す資料を、
次の世代に残して彼らの仕事として判断してもらうのも悪くはありません。

 後の人々がある事件を検討したときに、作文がうまくいくかは分かりませんが、
犯罪者の書いた作文のなかに「更生」が見られると、誤魔化しとかではなく、
彼の出所後の人生を眺めるにおいて確かにここには、人間が更生したような痕跡、
あるいは更生できなかった痕跡、
そして被害者と加害者、検察と弁護士と裁判官といった人々の動向を、
今生きている人よりは冷静な段階で観察することができるなら、
時代時代のどこかで起きた不幸と過誤を未来の人たちにより、
事件の判例とともに更生の件が参考にされ、再検討してもらえる文化が先に見えるならばですが、
死刑廃止に僕はそんなにも反対でもないですね。
 現状の死刑に関する話が単に感情的でしかないように見えることがもっとも残念なことかもしれません。
 今回の件は、高裁と少年の弁護団が、もっと手続き自体を慎重に検討していれば、
死刑として差し戻されたかどうかわからなかったと思います。

光市母子殺害事件 差し戻し判決文(PDF)

1強姦の計画性の認定
 ・蘇生の可能性を消失させる拘束と放置(*1
  および当初の目的をあくまでも遂げたために起こった姦淫による致死

2被害児への殺意の認定
 ・被害児への暴行および泣き声を止めるための絞殺

3遺体の隠蔽行為
 ・稚拙ではあるが遺体の隠蔽を試みた

4窃盗
 ・犯行後さらに被害者宅を物色し金銭を盗んだ

5反省と遺族への配慮の欠如
 ・被害を受けた遺族を逆に責めるような事件後の裁判の舞台における加害印象も問題に

 *1(首吊り自殺と絞殺は一見助からないように思えてしまい、
   発見しても救助を呼ばないというケースも多いのですが、
   その行為の後に、保護の責任を与えられる者が、すみやかに治療を施すように、
   とりはかれば蘇生する可能性も捨てきれないために、
   被害者女性が蘇生しても動けないようにする一連の処置は極めて悪質な犯行でしょう。
   これにより、被害者女性はすでに死んでいたのだから、死姦は儀式的だ、なんだのは、
   まったく無責任な言動でしかないことがわかります。
    問題とされるべきところは当初からの強姦という目的のために、
   少年が保護責任を放棄したことにより、必然として被害者の死が避けられなかった点では)

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 対日暴動の時もそうでしたが、中国人の抗議と暴動は民主的な趣もあるとして
「愛国無罪」なるものの本質が反政府運動であると主張していた人たちは
今回の中国各地の対仏抗議と暴動をどう考えるのか。
カルフールの中国現地のデパートではレジが破壊され一部の店員も殴られたそうで、
こうなってくるとただのナショナリズムでしかないでしょう。

 このような都市部での中国人の抗議活動の、本質は反政府運動だ、という考えもまったく疑わしい。
中国農民が行っている明確な政府に向けた抗議と暴動とそれがかけ離れているものだからです。
結果的に中国政府に不利なることと政治運動の意義を混ぜこぜに考えて主張してもしょうがない。
 本来、対立した勢力への異議申し立てという抵抗活動を、
兵法的な観点から中国政府への悪影響だけを重要視して運動を反政府運動に還元していくならば、
結局は全てが反政府運動であるという可能性を含んでしまいもはや訳が分からなくなる。

 さらに多くの抗議が反政府運動にも関わらず、
チベット暴動と抗議が天安門事件のように明確な反体制運動だと考えられて弾圧を受け、
今現在もチベットでは拘束が続いているという体制側の行動を説明しきれない。
「なるほどどちらも問題ではあるが片方は反体制運動ではない」
といった認識が中国当局に働いているのは間違いないでしょう。

 同じ活動でも中国農民とチベットの暴動は厳しく処分されるということは
中国の階級社会から発生する非民主的体制の過失を世界により見せつけてしまっている。
 中国人は海外では自由と人権を満喫しながらデモ活動をナショナリズムの発露として利用し、
自国内では階級差の上位にいる都市部住民が経済発展の恩恵を受け、
さらには暴動と抗議を起こしても見逃されやすく、
すなわち彼らは中央からの支配統制を選別的に緩和してもらっているわけです。

 しかし、「中国は正しい、海外報道は歪曲だ」などという彼らのデモ行為自体が、
チベット人達の拘束と比較されてしまって、西側マス・メディアにおいて、
中国に対して否定的である一段と厳しい状況を世界的な広がりで持たせつつある可能性があります。

なぜチベット人は同じような抗議と暴動を起こしても反体制だとして処分されるのか?
彼らと中国人のグローバル・ナショナリズムを混同して反政府運動などと一概に括るのは無理な話でしょう。
実際、その隣には体制側政府側からによる、
真に反体制として考えられて弾圧と拘束を受ける抗議者達がいるのですから。


ドイツ人有志達によるチベット弾圧抗議の署名運動へのリンク
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