今日は「日本最古の○○巡り」のコーナーをさせてください。
今回はタイトルの通りですが、こちらに行ってまいりました。
「旧真田山陸軍墓地」
説明:日本最古の陸軍墓地
年月:1871年設置
所在地:大阪府大阪市
撮影時期:2014年11月26日
場所は、真田幸村が大坂の陣で戦った古戦場跡となっています。
明治4年(1871年)、兵部省が大阪に陸軍を創設するその一環としてこの地に陸軍墓地を設置しました。
これにより日本で初めて陸軍墓地が造られました。
徴兵令施行以前、西南戦争以前、西南戦争、
日清戦争・台湾領有戦争、日露戦争、満州事変、
第1次大戦、太平洋戦争に至るまでの戦没者が埋葬されています。
遺骨は約4万3000余柱、墓標は4800柱にのぼります。
日本初であり、日本最古であり、日本最大の陸軍墓地となっています。
これが陸軍墓地最古の墓。
この下田織之助は明治3年大阪の兵学寮に入学したものの、同年25歳で病死したらしい。
彼の死がキッカケでこの陸軍墓地を創設することになったと考えられているようです。
ちなみに、明治7年に陸軍が墓碑の規格を全て頭部が尖がっているものに制定しました。
つまり、上記を見ても分かると思いますが、明治7年以前の墓碑には尖がっていないというところが特徴となっています。
墓地最大の墓。陸軍少将今井兼利(鹿児島出身、戊辰戦争・西南戦争従軍)の墓碑です。
高さ4m、重さ16トンの花崗岩でできた巨大な墓碑です。
かなり大きく間近で見ると圧倒されます。ほんとにでかかったです。
ちなみに、墓碑にはこのように階級ごとに大きさや石の種類が変わっています。
最初に載せた墓碑は小さな軍役夫や兵卒などの墓となっています。
大きな墓碑は他にもありました。
階級ごとに墓が分けられています。
日露戦争では、死者が膨大となったため個人的な墓碑の建立が中止されたそうです。
ビタミンの存在が知られていない中で、兵士などの脚気に麦食が効果的であることを確認し、推進させた偉人だそうです。
兵卒リードリヒクラフトの墓。
興味深いことに第1次大戦にて亡くなったドイツ人兵士の墓も建立されています。
建立当時は異なる場所に設置されており、日本式の墓碑と十字架が組み合わされた墓だったことが資料より確認されているそうです。
また、「俘虜」という文字が消されていることも確認できます。
これに関しては理由不明なのかな。
清国俘虜兵士の墓も6基あります。
ドイツ人兵士も同様ですが、病院で亡くなっているそうです。
こちらも「俘虜」という字が消されています。
陸軍墓地に外国人のお墓もあるというのは意外でした。
当時は厳重に管理されていたみたいです。
日本最古巡りゆえの面白さといいますか、歴史の厚さといいますか、感じるものは非常に多かったです。
まず、多くの墓碑に圧倒されました。
そして、そこに刻まれた文字を読むと一人一人の人生を読み取ることができる大変興味深い場所でありました。
まさに、戦争の悲惨さを感じる場所でした。
戦争を起こした日本の負の遺産をぜひ皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。
場所はJR玉造駅または地下鉄玉造駅から歩いて数分でした。
真田幸村ゆかりの地ということもあり、三光神社など訪れるところがたくさんありました。
ぜひ。おわり。
「過去の日本最古の○○リスト
」
№1「日本最古のダム・狭山池」
№2「日本最古の鉄道可動橋・和田旋回橋」
№3「日本最古の石碑・宇治橋断碑」
№4「日本最古の神社建築・宇治上神社本殿覆屋」
№5「日本最古の陸軍墓地・旧真田山陸軍墓地」
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神戸の日本最古が色々あるので、その辺行きたいですね。
みなさんはどうですか?