千囃連のブログ

神輿・祭りを主に日々の出来事を書き込んでいきます
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続いての日野七福神巡りは延命寺です

多摩八十八箇所霊場でも有ります

 

延命寺は

真言宗 智山派寺院で本尊は運慶作の延命地蔵菩薩で、

本尊は秘仏として厨子内に安置され、住僧一代一度の開扉がしきたりで、俗に枕返し地蔵と呼ばれていました。
 境内に隣接して日枝神社があり、この神社は明治時代神仏分離令により延命寺が別当を務めていた山王社が、この辺り、延命寺がある堀之内村の村社となったものです。日枝神社本殿の裏にそびえるムクの木は日野市の天然記念物に指定されています。
 開基は不明ですが、南北朝時代とも、新田義貞の鎌倉攻めで落武者の内藤一族が帰農し戦死者や先祖を弔うため堂宇を建立したとも、伝えられています

 

 

 

 

 

 

幹線道路より

 

 

本堂

 

 

梅と本堂

 

 

寿老人

 

 

 

御朱印  (多摩八十八箇所霊場)

 

 

 

 

 

         ・・・写真集はこちら・・・

 

 

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日野七福神 次に訪問したのは 善生寺です

 

善生寺は前回訪れた大澤山宗印寺より北の場所に有ります

日野市で唯一の法華宗のお寺で、正保2年(1645)、豊田村の領主であった旗本大久保勘三郎忠良が、前年22歳で亡くした息女善生院殿妙蓮の追福のために、大久保一族が信仰していた法華宗総本山本成寺(新潟県三条市)の末寺として開創しました。寺域690坪余は当地の有力者、山口氏が建立の際、寄進したものであるといわれています

 

祀られている七福神は大黒天

大黒天はインド出身の神様で、仏様の教えを戴き布教しながら人々をお守りする神様です。黒く粗末な姿は休みなく布教する姿。福徳円満な姿は仏織のお心を表したお姿です。必しむ眼で働けば、小槌から福が無量に得られることを示しています

 

七福神御朱印は1月1日~7日ですヨ

 

 

お寺入り口

 

 

石門

 

 

 

本堂

 

 

 

七福神像

 

 

 

大黒堂

 

 

 

大黒様

 

 

境内に大仏さまが・・・

 

 

 

 

 

 

 

釈迦大仏の手

 

 

御朱印

 

敷地内は素晴らしく整備されていました

 

 

 

 

 

 

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慶安5年(1652)、豊田村の領主であった旗本大久保勘三郎忠良が創立し、江戸時代には隣接する善生寺が別当を務めていました。
 本殿に安置されている御神像は束帯姿の石の座像です。
 参集殿の前には寛政9年(1797)に奉納された狛犬があります。この神社は古来より子供の守り神と崇められています。
 初詣には参拝客を迎える篝火や甘酒が振舞われ、豊田商店会、豊田若宮神興会の人達の協力で、毎年賑やかに行われています。
 祭礼時の宵宮には近在の大勢の子供達が集まり、専用の土俵で奉納子供相撲大会が開かれています。
 本宮には神輿渡御などが行われ、神楽殿では2日間お囃子を奏しお新楽を舞います。
 また、夕刻には和太鼓の演技があり、夜には盆踊り大会(宵宮)、カラオケ大会(本宮)などがあり、祭礼の2日間終日賑わいます

 

祭 神    仁徳天皇(にんとくてんのう)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)   神社由緒より

 

 

 

鳥居

 

 

階段を登った先は

広い境内がお目見えです

 

 

 

梅の花と拝殿

 

 

 

 

参集殿

 

豊田若宮神社境内社

 

 

手水舎

 

 

 

土俵が有りました

祭りに合わせて子供相撲の奉納も行われています

 

御朱印

 

 

 

 

 

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場所を日野市に移り 日野七福神を巡ってみました

 

まず初めに 大澤山宗印寺に参拝です 七福神めぐりは元旦~7日ですが・・・

 

宗印寺境内はそのむかし安行寺無量院のあったところといわれている。平山季重公の時代からあったものとすれば、大福寺(季重公菩提寺)よりもむしろこの境内こそ平山氏菩提寺として由緒ある土地です

 

曹洞宗、由木(八王子市)金峰山永林寺末、本尊は聖観世音菩薩です。境内は昔、安行寺無量院のあったところといわれています。縁起によれば、裏手に当たる地に一体の聖観世音菩薩像が安置されていました。無量院の廃庵内ではなかったかといわれています。その菩薩は人々の求めには必ず応え、願いの叶えられぬことはなかった、といいます。そこで当時、平山の地頭だった中山照守は永林寺の傑秀禅師に頼んで、一庵を建てその像を安置したのが始まりであったといいます。慶長4年(1599) のことでした。この本尊聖観世音菩薩は本堂内陣の中央に安置してあり、武相観音霊場の第四十四番札所となっています

 

平山季重の墓があり

もとは大福寺にあったものが併合により、宗印禅寺に移されました。高さ1.8mの五輪塔で台石は季重25世の孫松本藩士平山季良が建てたとあり、また鎌倉中期承久元年年(1219)2月19日卒とあり、これが季重の没した年ともいわれています

 

 

石標と山門

 

 

 

 

 

本堂内部

 

 

 

 

 

 

平山季重の墓(東京都旧跡)

 

 

 

 

林 丈太郎の墓碑(日野市史跡)

 

 

 

日野七福神 布袋様

 

 

 

御朱印

 

 

 

 

 

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2月19日二軒目は斟珠寺

 

宗  派 臨済宗 南禅寺派
御本尊 弥勒菩薩
寺  宝 地蔵講板碑(文安二年、一四四五)
開  基 長井広房(斟珠庵殿一翁宗徹大居士)
開創年 応永十六年(一四〇九)

 

応永十六年(一四〇九)大江備中守師親(初代片倉城主)の嫡子長井広房の内室、地蔵菩薩を深く信仰し寺有地内、中島と称せる所に安置し当寺第二世明友和尚住居、その後明応元年(一四九二)に至り今の地に本堂を建立地蔵尊を移し而て後、本尊弥勒菩薩、開山春林玄甫和尚を勧請し奉る。慶安二年(一六四九)徳川三代将軍より御代々高五石の御朱印拝領、写し現存す。宝永年間に焼失し、直ちに再建、明治十四年(一八八一)に至り、堂宇大破に及び檀信徒の同心協力、喜捨金により同十五年再建。大正十一年(一九二二)檀信徒の希望により斟珠庵を斟珠寺に改称、昭和六年本堂を瓦葺に庫裡を亜鉛葺き改め平成七年本堂を銅板葺きになったそうです

 

 

石標

 

 

 

本堂

 

 

 

 

休憩所?

 

 

境内からの富士山

 

 

梅の花

 

 

 

 

 

 

 

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八王子2日目の朝は雲龍寺から始めます

 

雲龍寺は、東京都八王子市山田町にある曹洞宗寺院。
なぜかカエル像や招き猫、白雪姫七人の小人像や大砲など、無数の像が置かれていることから、珍スポットとして知られているみたいです

 

曹洞宗(禅宗)に属し、大本山は福井県永平寺町の永平寺と横浜市鶴見区の総持寺と二つあり、 このお寺は正親町天皇より紫衣と勅賜禅師号を賜った勅賜佛國普照禅師が開山(天正八年=1580年5月15日)しました。 本郷村の投込み寺といって、無縁貧困者の無付届寺として建立。明治に至って廃寺同然のところを「三十六世 足利正山」が 再興し、昭和20年第二次世界大戦の空襲で全焼

「三十七世 足利正明」が戦役から帰郷しただちに再建し、 戦災孤児らを寺でお世話をしながら福祉事業に貢献し後に社会福祉法人多摩養育園を設立、 昭和38年東京オリンピックに際し区画整理により八木町から現在の山田町へ移転

 

宗  派 曹洞宗
御本尊 釈迦如来

 

 

 

 

 

高さ46メートルの朱塗りの五重塔

 

 

 

五重塔内に高さ5メートルの大達磨大師の木像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西遊記??

 

 

七福神が・・・

  http://www.riksys.com/eki_kitano/unryuji_7fuku.html

 

 

 

東門にはライオンです

 

 

 

御朱印

 

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     おもしろ情報

 

 

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今日11月23日は神社にとっては新嘗祭です

 

我が地元 「水神社」の新嘗祭へ行って来ました

 

日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があり、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられています

 

稲の収穫を祝い,翌年の豊穣を祈願する古くからの祭儀。天皇が新穀を天神,地祇にすすめ,その恩恵を謝し,また,みずからも食する。宮中のほか,伊勢神宮や出雲大社でも行う。古くは陰暦 11月の下の卯の日に行われたが,明治以降は 11月 23日に固定した。この日を現在は「勤労感謝の日」として国民の祝日に加えている。なお,天皇の即位後に初めて行う新嘗祭を大嘗祭という。

 

 

 

午後一より宮司さん、氏子役員さん準備です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

式典

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              水神社祭礼紀行

 

               ・・・写真集・・

 

 

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横浜線片倉駅にほど近い場所に片倉城跡公園が有ります

 

室町時代に築城された片倉城の城跡と、残された自然環境を守るため、昭和46年度
から整備されたそうです

 

季を通じて様々な自然に親しむことができ、特に早春のカタクリ、初夏のハナショウブが見ごろみたいです

 

また、長崎の平和祈念像で有名な北村西望氏の彫刻をはじめ西望賞を受賞した作品
など、多くの彫刻が展示されており、自然とともに文化に親しむことができます

 

公園の一角(丘の上)には住吉神社が鎮座しています

 

 

 

 

彫刻が展示されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丘を登って行くと・・・

 

 

住吉神社

 

 

 

 

 

・・・公園案内・・

 

八王子散策1日目はここで終了です

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八王子駅北口近くでもう一箇所・・・

 

子安神社が有ります・・って事で訪れました

 

最古の歴史を持ち、今を去る千二百余年、青丹よし奈良の都は天平宝字三年、橘右京少輔なる者、時の帝の皇后の御安産祈願のため草創したと伝えられ、以後安産の神として近郷の崇敬はもとより、古来の武将の尊崇篤く八幡太郎義家奥州下降の砌、戦勝を祈念して欅十八本を奉納、これを船形に植樹した事により、以降この森を船森と称し、鎌倉時代末期には楠正成の居城として、難攻不落とされた赤坂城合戦の折の勇士として太平記の美分に綴られた、人見四郎入道光行寄進の神櫃があり、近世では徳川三大将軍家光以降代々の将軍家より、朱印を受けた事により、三つ葉葵を当社の紋にして使用しております。近くは明治五年、時の政府より村社に列せられ、さらに昭和十八年郷社に昇格せられました。古来、八王子は素より多西郡と呼ばれた多摩川の西側の総鎮守として崇敬を蒐めています

 

 

御祭神   木花開耶姫命 天照大御神 素盞鳴尊 大山咋命  奇稲田姫命 

                                             由緒より

 

 

 

鳥居&愛車

 

 

 

子安神社拝殿

 

 

 

 

手水舎

 

 

 

境内末社 金刀比羅神社

 

 

 

末社

 

 

子安神社御朱印

 

 

金刀比羅神社御朱印

 

 

 

 

 

 

 

     ・・・写真集はこちら・・・

 

 

 

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