時間のある時に、皆さんのFBの投稿とコメントを見ています。一部の方は芸術のことを深く考えられています。その中に1つの観点を見つけました。その観点は、「いつも同じ演奏はつまらない」、「演奏のパターン化は芸術じゃない」などです。

この観点は正しいか、間違いかは言えません。人は芸術を求める段階によって理解が違います。

この世の中には、絶対的な自由はありません。「芸術は思いのままに表現する」という考えは必ずしも正しいとは言えないと思います。奏者は曲にある、演奏の規則によって曲を組み立て、自分の感情を表現します。決まりがないと、何事もうまく行きません。


前の記事に紹介したプロとアマチュアの違いがあります。プロ奏者は一音一音を刻みます。つまり、一音一音の弾き方を探りながら、最適な処理方法を選び出します。最適な処理方法を選んだら、それを簡単に変更はしません。そのように演奏技術や表現をパターン化します。その演奏パターンは奏者がたどり着いた最終結果です。演奏パターンがないのは、まだ途中段階ということです。


劉長福先生のレッスンでも、張尊連先生のレッスンでも、先生独自の演奏パターンを教えていただきました。例えば、この音は3回のトリルを入れ、次の音は少し遅れめのビブラートを入れ、次の運弓は半分の弓しか使わないなどです。とても細かいです。


去年は孫凰先生(実力の凄さをご自分で調べてくださいね)の講座のビデオを見ました。孫凰先生は、「コンクールの前に地獄のような練習をして、左手を機械化した。」と言いました。つまり、左手は「ロボット」になりました。どんなことがあっても、左手は自分の設定したシステムの通りに動かすということですね。これも演奏をパターン化することではありませんか。


皆さんからはきっと「こうしたら、人間っぽくなくて、演奏は面白くならないじゃないですか」という疑問が出ると思います。まず、演奏のパターン化は無感情な演奏ではありません。逆に、演奏のパターン化は安定している演奏で、奏者は感情を投入しやすいです。次に、演奏をパターン化しても毎回全く同じ演奏になりません。奏者は演奏環境、テンションなどの原因で、演奏の完成度が少し違います。


ルール、法律なども時代に合わせて修正するべきですが、演奏のパターンも同じです。奏者も年代、年齢が変わると、演奏の解釈が変わって自分の演奏パターンを修正します。

演奏パターンを構築するのはとても時間がかかりますが、演奏パターンを修正するのも時間がかかります。

奏者が演奏パターンを修正するのはいつですか。曲に新しい理解があった時ですね。

先日は、ある曲の劉長福先生の最近の楽譜を見て、前に教えていただいた演奏処理方法が少し違っていて、演奏パターンを修正する必要があると深く感じました。

もし演奏パターンを構築するのが種の誕生とすると、演奏パターンを修正するのは種の進化と言えるでしょう。

皆さんはまず種の誕生を頑張ってくださいね。笑