20091107 |

20091107

 自民党が突っ込み、民主党がしのぐ国会論戦。攻守交代の光景を、筑紫哲也さんならどう論じただろう。立冬の昼下がり、希代のジャーナリストが逝って早いもので1年になる▼当方、あこがれて入社した世代ながら、ほどなく、あちらは雑誌を経てテレビに移られた。じっくりお話しできなかったのが悔やまれるが、天上のその人は、別の意味で歯ぎしりしているはずだ▼「オバマのたたかいや、日本の政治状況の激変ぶりを筑紫さんが見られなかったのをつくづく残念に思う。さぞかし面白がっていただろうな、と」。「NEWS23」のデスクだった金平茂紀TBSアメリカ総局長の無念を、新刊の『筑紫哲也』(朝日新聞出版)から引いた▼30年近く交遊した歌手、井上陽水さんが同書で語る。「自分が演じるのではなく、演じている誰かを見たり、世の中に紹介したりするという意味で、観察者のプロだった」。最高のほめ言葉だろう▼ご本人は記者たる条件を、取材、分析、表現の力と述べている。十二分に観察、消化、発信して、なお自由人の余裕をたたえていた。異見や珍説に耳を傾け、談論風発を楽しむ。心のアソビが世の中全体から消えつつある時代に、その不在は日増しに大きい▼プロのやじ馬なら、この変わり目にこそ居合わせてほしかった。「いちばん大切な時に、なんでいないのよ」とは、歌手加藤登紀子さんの嘆きである。せめてもう1年。73歳は天命だったにしても、筑紫さんの沈黙は早すぎた。彼に問うてみたいこと、彼が語るべきものは尽きない。