April 30, 2008 14:54:34

原美術館

テーマ:diary
原美術館に行って来た。
泣けた。
作者の意図を「解釈」するのが近代以前のアートだとすれば、
コンテンポラリーは、作者の心に直に触れるんだと思った。

ことばにならないものを、
ことばにならないまま、
表している芸術の前に、

ことばにならないものを沢山抱えたまま、
ことばしか信じられず、
右往左往している現代人の自分を、

発見した。

立体的なリアルな耳が並んだ、
正方形のメタルの作品の前で、

本当は誰かに、
ことばにできないことも、
ことばにならないことも、
全て、
聞いて欲しいと思っている自分を、

発見した。

それは、まるで小さな嘆きの壁だった。
ユダヤ人が祈るように私もそこで祈りたかった。

作者の心に共鳴する自分の心を発見して、
泣けた。

共鳴したいだけなのだった。

誰かの何かになりたいのではなく、
理解したいのでも、されたいのでもなく。

生きて共鳴してその余韻を残して終わる。

そんな単純さを許さない現実の重荷を、
ひしひしと感じながら、

その日読んだばかりの聖書の箇所を思い出していた。

「 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」

コリント人への第一の手紙13章





April 05, 2008 18:09:46

『茶の味』

テーマ:diary
もう随分前に見たのだけど、今風な日本情緒溢れていて、
しかもばかばかしくて(つまり今風な日本がばかばかしい、ということでもあるかもしれないけど)、
とにかくすごく気に入った映画です。
この映画の中に、いつも背景に浮かぶ「大きな自分」に悩まされている、小学校2年生くらいの女の子が出てきます。この女の子、ものすごくかわいいのだけど、それは置いておいて。

逆上がりに成功した途端、女の子が「大きな自分」から開放されるシーンに突如合点がいきました。
何かに到達した時に、自分自身になれる、ということではないかと。
そして到達するものは、別に「大きな自分」ではなくて、
「目の前の目標を達成するフツウの大きさの自分」
なのではないかと。

目の前の目標をなかなかクリアできなくて苦しんでいるけど、
クリアしたら本当の自分が取り戻せるんだと思って、たんたんとがんばろう。

と、突然思いました。
できることをコツコツと。

四月の目標。

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