December 21, 2007 17:58:22
自転車の記憶
テーマ:diary
なかなか自転車に乗れるようにならない子どもだった。
補助輪を外してから多分一年くらい、ちっとも乗れるようにならなかった。
親はたいそう心配し、一時期我が家の話題は、私が自転車に乗れるようにならないということばかりだった気がする。はじめての子どもだったから、私の成長過程のひとつひとつが、親にとっては大きな心配事だったに違いない。(そして最後の子どもだったから、今でも私は親の唯一最大の心配事だ。)
でも私はちっとも怖くなかった。
毎日自転車に乗る練習をしては挫折した。団地の垣根に突っ込み、バンパーで転んだ。
でも泣いた記憶がない。残念に思った記憶も。
どちらかと言うと、親の方が日々挫折と焦燥にかられているのを感じつつ、本人はいたってのほほんと構えていた。乗れなくても、毎日自転車で出かけた。足で道路を蹴って。自転車が、好きだったのだ。
時々、心配する親を、
「今日は乗れる気がするの。自転車に乗ってる夢を見たの。」
などと言って、なぐさめたりした。
自転車に乗れないことなんて、ちっとも怖くなかった。
いつか乗れるようになる、と思っていた記憶もないけれど、絶対に乗れない、と思った記憶もない。
乗れなくてだめだ、とめげた記憶もないし、自転車なんて乗れなくったっていいのさ、とひねくれた記憶もない。
ただ毎日自転車で出かけた。
帰ると夕飯をもりもり食べ、渋々お風呂に入り、歯を磨いて眠った。
寝る前に、父と母が交代で「チポリーノの冒険」を読んでくれた。
そしてある日、その瞬間は訪れた。
向かいに住む、健ちゃんと健ちゃんのお母さんに会って、ちょっとしたこつを教えてもらった、その帰り。いつも通りのトライアル。ペダルをぐっと踏む。
あれ?
あれれ?
私を乗せた自転車がすいすいと進むではないか。
わ!
わ、わ、わ!
そんな感じ。とりあえず私は一生懸命ペダルを漕いだ。距離にして多分100m位。
止まったのはそこに垣根があったから。なければもっと進んでいたはず。
その時一緒にいた母は、
「健ちゃんが自転車に乗っていたから悔しかったんでしょ。ほんと負けん気が強いのね。」
と、評したけれど、違うな、と内心私は思っていた。
だって、私は健ちゃんのことが好きだったから。
好きな人相手に悔しいなんて感情は湧かないよ。6歳の子どもでも。
ともかく。
今でも不思議なのは、どうしてあんなに怖くなかったのだろう、ということだ。
どうして、みんなが自転車に乗れるようになる中、自分だけちっとも乗れるようにならないことに、焦らなかったんだろう。どうして嫌にならなかったんだろう。やめちゃいたいと思わなかったんだろう。
不思議だけれど、それはそれとして、ちょっといいぞ、と思う。
できないことを、怖がったり、焦ったり、嫌になったりしない自分が。
できないことがあっても、怖がらなくていい。
周囲が心配するからと言って、一緒に心配なんてしなくていい。
できないことがあっても日々はちゃんと過ぎていく。
ある日、自分にも分からない理由で、ふと、できるようになることがある。
そんなことを、6歳の記憶が教えてくれる。
大人になったら怖いものばかりだ。
心配事ばかりだ。
やめちゃいたいと思うことばかりだ。
でも、自転車の記憶が、私を励ましてくれる。
できないことだらけでも、私は「ちゃんと」生きてられるもん、と。
小さな自転車で、健ちゃんと正樹君を従えて団地を疾走する、6歳の自分の後ろ姿を、今、頼もしく見ている。
補助輪を外してから多分一年くらい、ちっとも乗れるようにならなかった。
親はたいそう心配し、一時期我が家の話題は、私が自転車に乗れるようにならないということばかりだった気がする。はじめての子どもだったから、私の成長過程のひとつひとつが、親にとっては大きな心配事だったに違いない。(そして最後の子どもだったから、今でも私は親の唯一最大の心配事だ。)
でも私はちっとも怖くなかった。
毎日自転車に乗る練習をしては挫折した。団地の垣根に突っ込み、バンパーで転んだ。
でも泣いた記憶がない。残念に思った記憶も。
どちらかと言うと、親の方が日々挫折と焦燥にかられているのを感じつつ、本人はいたってのほほんと構えていた。乗れなくても、毎日自転車で出かけた。足で道路を蹴って。自転車が、好きだったのだ。
時々、心配する親を、
「今日は乗れる気がするの。自転車に乗ってる夢を見たの。」
などと言って、なぐさめたりした。
自転車に乗れないことなんて、ちっとも怖くなかった。
いつか乗れるようになる、と思っていた記憶もないけれど、絶対に乗れない、と思った記憶もない。
乗れなくてだめだ、とめげた記憶もないし、自転車なんて乗れなくったっていいのさ、とひねくれた記憶もない。
ただ毎日自転車で出かけた。
帰ると夕飯をもりもり食べ、渋々お風呂に入り、歯を磨いて眠った。
寝る前に、父と母が交代で「チポリーノの冒険」を読んでくれた。
そしてある日、その瞬間は訪れた。
向かいに住む、健ちゃんと健ちゃんのお母さんに会って、ちょっとしたこつを教えてもらった、その帰り。いつも通りのトライアル。ペダルをぐっと踏む。
あれ?
あれれ?
私を乗せた自転車がすいすいと進むではないか。
わ!
わ、わ、わ!
そんな感じ。とりあえず私は一生懸命ペダルを漕いだ。距離にして多分100m位。
止まったのはそこに垣根があったから。なければもっと進んでいたはず。
その時一緒にいた母は、
「健ちゃんが自転車に乗っていたから悔しかったんでしょ。ほんと負けん気が強いのね。」
と、評したけれど、違うな、と内心私は思っていた。
だって、私は健ちゃんのことが好きだったから。
好きな人相手に悔しいなんて感情は湧かないよ。6歳の子どもでも。
ともかく。
今でも不思議なのは、どうしてあんなに怖くなかったのだろう、ということだ。
どうして、みんなが自転車に乗れるようになる中、自分だけちっとも乗れるようにならないことに、焦らなかったんだろう。どうして嫌にならなかったんだろう。やめちゃいたいと思わなかったんだろう。
不思議だけれど、それはそれとして、ちょっといいぞ、と思う。
できないことを、怖がったり、焦ったり、嫌になったりしない自分が。
できないことがあっても、怖がらなくていい。
周囲が心配するからと言って、一緒に心配なんてしなくていい。
できないことがあっても日々はちゃんと過ぎていく。
ある日、自分にも分からない理由で、ふと、できるようになることがある。
そんなことを、6歳の記憶が教えてくれる。
大人になったら怖いものばかりだ。
心配事ばかりだ。
やめちゃいたいと思うことばかりだ。
でも、自転車の記憶が、私を励ましてくれる。
できないことだらけでも、私は「ちゃんと」生きてられるもん、と。
小さな自転車で、健ちゃんと正樹君を従えて団地を疾走する、6歳の自分の後ろ姿を、今、頼もしく見ている。






