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July 25, 2005 07:13:33

今週のニュース(05/07/24)

テーマ:news

■Stem cells key to development of neck (7/24 The Guardian )
▼ねずみを使った幹細胞の研究で首と肩の生成のしくみがわかった。それによれば、通常思われているように骨に肉がつくのではなく、骨が肉につくことがわかった。


コメント:これだけ読むと「だから?」という感じですが、研究の重要さは一概には量れません。


■What's the big idea?(7/24 The Guardian
▼遺伝子解析者Craig VenterからU2のBONOまで、あらゆる世界のトップが世界の問題を論じるTEDという集いがイギリスではじめて開催された。Craig Ventre自身の記事も21日に掲載されました。


コメント:はっきり言って、怪しすぎる団体です。詳しくはTED のHPで。


Anti-abortion lobby will grow unless law is debated, says MP (7/20 The Guardian )
▼16年ぶりに行われている中絶に関する議会の討論初日、中絶について国会で話し合われない限り、国は中絶反対論者が力を得ることを許すことになるとの警告があった。


コメント:今イギリスは中絶に揺れています。


The Arrogant Adventurer (7/21 The Guardian )
▼2002年に自分の遺伝子を使って遺伝子解析に成功したCraig Venterへのインタビューをもとにした記事。遺伝子を使って新しい生命の製造を計画し、反対者からは「ヒットラー」とも呼ばれる彼の「尊大な」人となりに迫っている。


コメント:IQ140でもおかしな人はおかしい。でもIQ140あると何でもできてしまうこの世界。なんだか怖い。


Science:The Genius Factory by David Plotz (7/17 The Times )
▼Simon & Schusterより6月に出版された『The Genius Factory』の書評。これは、1980年から1999年までカリフォルニアに存在したRepository for Germinal Choiceというノーベル賞受賞者の精子で受精できることを売りにした会社について、起業したRobert Grahamに焦点をあてて描いたノンフィクション。

●本の情報 : Amazon
●その他の情報: MSN News


■Michael J. Fox makes stem cell plea (7/14 The Register )
▼マイケル・J・フォックスが、ブッシュ大統領に対し、ヒト胚幹細胞の研究への反対をやめるよう請願。


コメント:切実な問題はひとそれぞれ。それをイデオロギーや宗教を理由に無視するのはおかしい。ただ、切実だからというだけで邁進して言いわけでもないとも思う。切実さへの答えは一つではないはず。

July 23, 2005 06:30:06

久しぶりの曇り空

テーマ:短歌

曇り空 熱した町を さらりと冷やし

心もしんと 平らかにする   
 

今日は曇りだねと言ったら、お散歩には調度いいわねと答えた、

イギリスの人。

それまでの残念な気分が吹き飛んで、本当にそうだなと思った。
悪いことなど何もない。
雨も曇りも調度いい。
だからもう何も心配しないでいい。

July 21, 2005 23:34:15

西行法師

テーマ:perspective

なにごとの おわしますかは しらねども                              
かたじけなさに なみだこぼるる


最近いきなりはじめる浄土真宗 で紹介されていた西行法師のこのうたを、音読してくれた人がいて、私はそれを聞いてポンと膝を打った。
「そうそう、それだったんだよ。」


私は、大学に入りたての頃、何があったと言うわけでもないのに、なぜだかこんなにも幸せでいいのかと思うほど幸せな気持ちで、そのことをなにかに無償に感謝したくなった。

涙がこぼれそうなほど。
あの感じを、西行法師のうたはずばり表していると思った。


今振り返れば、感謝するべき対象は両親なんじゃないか?と思うのだけど、どちらかと言うと親元から離れてこその幸せという勘違いをしていた、あの頃の私には、そんな考えが浮かばなかった。

それでも、何かに感謝したいと思った。


もしそこに仏像がたっていれば、間違いなく仏像に祈り、花の一つも供えていただろう程の、それは強い感覚だった。何もなければ、もしかすると、東京にはめずらしく広い空だとか、新緑を芽吹き始めていた桜の木にでも、祈っていたかもしれない。


でもたまたま私の目の前には教会があった。


毎朝毎夕、自転車でその前を行ったり来たり。自然、祈りの場はそこに定まった。
あれから、もう6年。

人が期待するような人格の大変革は、私には、残念ながら訪れていない。

相変わらず我ままだし、悩みもなくならない。「もう、十分ですから」ってほど自分に疲れたりする。そして、これからもずっとそうだろうと思う。これでいいと思っているわけではないにせよ。


そもそもそういう目的は持っていなかったのに、ただ祈りたかっただけなのに、なぜか宗教という枠組みの中で、かわれない自分に、むやみに自信喪失している時もあった。でも、西行法師のうたを聞いて、原点はここにあるのだということを思い出し、ちょっぴり嬉しくなった。


なにごとの おわしますかは しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる


ちなみに、これは日本人の一般的信仰心を最もよくあらわしたうたと言われているそうな。
こんなにも自然に、私も日本人なのだなあ。仏教徒にはもうなれないと思うけれど。

July 18, 2005 08:25:49

障碍児が生まれることは不幸なのか

テーマ:perspective

学会でちょっとした議論になったことが、

「だって、そういう子が生まれることは実際不幸でしょ。」と

いう意見だった。

私は、これにすぐに反論することができなかった。私の中にも迷いがあるからだ。議論の方法としては、それは失敗だったと思う。けれども、少し言いよどんで、やっぱりここは戦うところだと思ったので、

「だけど、最初はそうだと思っていた家族が、次第に幸せだと思うようになることが多くあるよ」

と答えた。そうしたら、もう一人が

「でもそれは結果論であって、選択できるとしたら、話は違うんじゃない?」

、と言った。私はそれは違うと思った。

まず、そんなこと確かめられないじゃないかと思った。家族が今幸せだと思っていることは確かめられるけど、選択できたらどうかなんて、確かめられないじゃないか。あなたは聞けるのか。

「選択できたら、その子をおろしていましたか?」

なんて。

-だけど、やっぱり選択できたら違うんだろうか、

とも私は思った。そんな考えが頭をぐるぐると駆け巡ってしまった。


言いよどむ私のことを、二人は多分「ナイーブな感情論者」だと思ったと思う。

だけど、そうじゃない。感情論者は私じゃない。彼の言うことは、論理としておかしいもの。

「障碍のある子が生まれることは不幸だ」という論理と、「障碍のある子であっても幸せだ」という論理があって、なぜ前者を「真」だと思い、後者を単なる感情と捉えるのか。

障碍は事実で不幸は価値判断だ。その判断は感情に基づいている。私には、そちらの方がナイーブな意見だと思った。ナイーブに障碍を不幸だと信じている。


私は、そういう考えを持つことを恐れる。なぜなら、私にだっていつの日か障碍者の親になる可能性がある。私が障碍者になる可能性がある。私の愛する人々が障碍者になる可能性がある。その時にそれを不幸だと思いたくない。「不幸」というのは感情論であって、事実ではない。目の前にあるのは、「人と比べるとできないことがある」それだけだ。それでも、生きることに価値があると思いたい。そうでなくて、どうやって生きていくのだろうか。「感情」に流されたくない。事実だけを受け入れて生きたい。これもまた感情論と言われるかもしれない。でも、少なくとも、他人の価値を判断する感情ではなくて、ただ自分と自分の愛する人を判断しないための防御線だ。


これを、わがままだと言う人の論理も、わからないことはない。
だけど、宇宙に一発何億円もかけてロケットを飛ばしておきながら、人間の命を守るための資金がないなどという言葉を、たわごとと言わずしてなんと言うのだろうか。
「今の私たちを、病院で最初にこの子がダウン症だと知らされた時に、窓からのぞくことができたなら、きっとあんなに悲しまなかったでしょうね。」と、ある母親は言った。
「悲劇」も「喜劇」も人間が作り上げるもの。どちらを選ぶか。それが人間に与えられている根源的な選択肢だと思う。
そのことが通じないもどかしさに、心が痛い。


↓じゃあどうして、私たちはこれを見て涙するのだろうか?↓

『マラソン』http://www.marathon-movie.com/


July 17, 2005 05:06:59

帰宅

テーマ:diary

LeedsからBirminghamまでは、とってもスムーズに、安眠してたどりついたのに、

BirminghamからCoventryまでが、地獄のように長い旅だった。

ハイヒールの足に、ずっしりと重い荷物…。

なぜに今日も電車は動かない…。


学会では、日本人の先輩方3人にお会いすることができて、嬉しかった。

AHさん、ASさん、TIさん。

私の発表を、批判してくれる人もいて、嬉しかった。

無反応よりも、批判の方がやはり嬉しい。

自分でも問題と思っていたところへの批判だったので、読むべき本などを教えてもらう。


それにしても、みんな何事にもものすごい批判精神で望んでいる。

「どうでもいいじゃんそんなこと」と、絶対思わない。妥協しない。

それで、議論が成り立っている。

勉強になる。


実は、この学会、ものすごーく行く気が薄れてたんです。

自分の発表だけして帰りたいくらい。

でも、それじゃ失礼だからとがんばって今日まで残ったんです。

それなのに、なんだかとっても充実した二日間。

何より、科学の歴史という世界を知れたことが嬉しい。

来て本当によかった。

たまにある、こんなサプライズが、心地よい。


そういえば、Leedsからの列車の女性車掌さんのアナウンスがとても面白かった。

「みなさま、まもなくバーミンガムに到着いたします。私はここで列車を降ります。みなさまとはここでお別れですが、どうぞみなさまの快適な旅をお続けください。そして、よい週末をお過ごしください。」

と、まあ、意訳するとこんな感じのことを、とても丁寧な英語で言っていた。

こんなこと、普通絶対言わない。

列車の添乗員はたいてい、ちょっとすれた感じのお姉さんか青年で、アナウンスも結構どうでもよさげ。

そんな中、これは完成したアートのようだった。

その後の旅は、全然快適じゃなかったけど;

July 16, 2005 05:27:44

テロについて(2)

テーマ:diary

関ったのは、英国育ちの4人。
このニュースが、イギリスを震撼させている。
奇しくも今、彼らが育ったLeedsに来ている。
古さと新しさの混ざり合った、活気ある街だ。
ホテルで見たテレビのニュースは、この事件が、何よりイスラム教社会を、深く傷つけているということを伝えていた。彼らが、苦労して積み上げてきたこの国での信頼が、脅かされている。

今、イスラム教の代表等とキリスト教の代表等が、対話の場を持っているそうだ。


前回の私のテロについての見解は、視野が狭かったように思う。恥ずかしいです。
この事件が、逝ってしまった人たちだけでなく、残された人たちをも、苦しめていることに思いを馳せれば、「敵」はテロそのものなんじゃないか、という気がしてくる。
イスラム教でも、イラクでもないが、西洋でも、近代でもない。
人の命を奪い、人間の人間に対する信頼を傷つける「暴力」こそ、敵なんじゃないか。
けれど、それに立ち向かう手立てが、ない。
多分、絶え間ない対話以外には。
けれど、対話とは、あまりにも脆い作業だ。
薄氷の上を歩くように…。
けれど、歩き続けなければいけない。

そうっと。

誰かのように、バリバリと、氷を踏みつけてはいけない。

氷の下には、新たな「暴力」が影を潜めているから。


誰も彼もを傷つけて、死んで行った4人の若者たち。
目立たず、普通の若者だったと、新聞 は伝えている。
「10日前に、一緒にクリケットをしたばかりだよ。テロリストだなんてありえない。」
と友人は言ったらしい。
目立たず、普通の若者…
目立たず、普通の若者…
そんな風に人を束ねないで欲しい。
暴力でなんて目立たないで欲しい。
もう悲しませないで欲しい。
人間よ。

July 16, 2005 04:53:53

学会発表終了

テーマ:diary

British Society of History of Scienceで発表させてもらった。
『質疑応答』は今後の課題である。本当に。本当に。本当に。
でも、そういえば、英語での学会発表はこれがはじめてだ。
終わってみれば、デビュー戦であった。(早く気づけよ。)
BSHSはそれなりに格調高い学会であるらしく、こんなところで発表させてもらっただけでも、感激だ。
でも、それは、駆け出しのボクサーがヘビー級のリングにあがるようなもの。
内田樹先生の「時間をずらす思考」が役に立つ。


夜は、レセプションに行こうと思っていたのだけど、チェックインのためにホテルに徒歩で戻ったら、三十分もかかって、久しぶりのハイヒールで足が死んだので、あえなく辞退。
かなり残念だけど、明日の方が大切です。
今度は、レセプション用の歩きやすい靴を持ってこよう。
今は、お部屋でで優雅なひと時です。
一番安かったのに、ツインルーム。広い!
でも、頭上でぐるぐる回ってる空気循環器が、今にも飛んできそうなほど揺れているのが怖い。


この学会は、『科学史』の学会なので、私は門外漢。
だけど、面白い。歴史は面白いということがわかった。
今日の私以外の4つの発表では、どのような歴史があったのかを資料に基づいて研究するアプローチと、歴史がどのように語られてきたのかを研究するメタ的なアプローチの、二つがあったように思う。
どちらにせよ、とても地道で緻密な研究を要する学問だということがわかった。
学問は何でもそうなのだろうけど、歴史は特にそうな気がする。
そして、なんだかロマンチックだ。
ああ、私のあこがれる世界…


それにしても、私は一応「教養学部卒」なのだけど、大学で何をやっていたのだろうかと、最近思う。
(ああ、先生方ごめんなさい。)
歴史にも、哲学にも、政治学にも、全く興味がわかず、理系なんてもう地平線の彼方。
頭がふやけていたなあ。というか、浮かれていたというか、勘違いしていたというか。
そこを社会学が救ってくれたわけだけれども。
学問の面白さと厳しさを、かみ締めております。
これって、幸せなことじゃないですか。
凹み過ぎないように、前へ前へと向く夜にしたいと思います。

July 14, 2005 08:34:39

卒業式

テーマ:diary

大学に行ったら、今日が卒業式の日なのだった。
私は卒業式の日の親の顔を見るのが好き。
当の子どもよりも誇らしげで、嬉しげで、子どもに色んなポーズをとらせて写真を撮っている。

「ほら、そこ立ちなさいよ!」

「え~、またあ?」

そんな風景が、そこここに。
それは、どの国の親も変わらないから、不思議。
生まれたときからの愛を、そこに見る気がする。
ほら、赤ちゃんを前にした親が、もうどうしようもなくバカになって写真を撮りまくる、あれと同じ。
そんな親ばかムードに癒された日だった。

July 13, 2005 07:08:53

テロについて

テーマ:perspective

絶妙のタイミングだったな、というのが、ロンドンでおこったテロについての、私の結局の感想だ。
前日は2012年のオリンピック開催地にロンドンが選ばれ、翌日は勝戦記念の日だった。
喜びと、それを打ち砕く打撃の後、過去の栄光によって高揚するナショナリズム。
特にそれがあって、というわけではなかったのだけれど、日曜日教会に行かなかったのは、今週に限っては正解だったなと思った。きっと、教会でも過去の戦士の「働き」を讃え、「悪」に屈しないことについて語られたのだろうから。そんな話を生で聞くのは耐えられない。もちろん、「敵を愛し、敵のために祈る」という教えもある。だけど、この場合の「敵」とは、誰なのだろうか。私には、それがわからない。
テロはいけない。単純に悪だ。殺された人々、日常を奪われた人々の悲しみは、もう何も埋めることができない。でも、テロをおこしたと言われている「イスラム教過激派」なるものを恨んだところで、テロに打ち勝つことはできないじゃないか。アフガニスタンを攻めても、イラクを攻めても、テロの恐怖はますます増幅するばかりじゃないか。そのことの矛盾。さらに、テロに打ち勝つために国内の監視機能を高めると言う、およそ「民主主義」による勝利には導かれないような方向に向かっていることの矛盾。
私には、わからないことばかりで、もう私には関係のないこととして、田舎で安穏として暮らしていることにしようかと思ったりする。悲しみは、人を麻痺させる。


私は今年はじめて、イギリスが戦争を真に「栄光の歴史」としていることを知って、心底驚き、ショックをうけた。戦争とは人と人が殺しあうことだという事について、この国は無頓着であり続けたのだなと思った。「彼らの働きに感謝しよう」と、国は言う。それはつまり「いっぱい殺してくれてありがとう」ということか。けれど、考えてみれば、それが旧連合国の普通の態度なのだ。その異常さに、背筋が凍えた。
「大切な人をこんなにも奪われるのはもう嫌だから、戦争は二度としないようにしよう」という、単純な人間の思い。それは、戦争を戦った人の死を無意味にしてしまうだろうか?私はそうは思わない。人は、一度も国のために死ぬことなんてない。ありえない。みんな、愛する人の名を呼びながら、死んで言ったに違いない。その無念さは、あがめても祭っても、取り返すことなんてできない。取り返しのつかないことなのだ。私は、私の国が、その取り返しのつかなさを忘れて「普通の国」になってしまうことを恐れる。


テロの話。「今までどおり」の生活を送ることがテロに打ち勝つことだと、ブレアは主張するけれども、現にロンドンっ子はもうバスにも地下鉄にも乗りたくはないので、自転車を使い始めたらしい。人は何かに「負ける」ことなんてない。あるとすれば、それは自分で「負けた」と思った時だ。でも、何かにすがりたがる負けた人たちは、国への忠誠心を高めるので、国としては、負けた人たちがたくさんいた方がいいのかもしれない。それで、必死で「勝つ、勝つ!」と叫んでいる。勝たなくてはいけないのは、一度負けているからじゃないのか。
ああ、これは新しい「恐怖政治」だな、とどこかで聞いたことのあることを、実感として思う。
Not In My Name.
だけど、これだって無責任で愛のない態度じゃないか。
どうすればいいか、わからない。それで私はやっぱり人知れず田舎で、無名の生活を送っている。

ただ、私みたいな人が世界にはたくさんいるということを信じている。

July 12, 2005 17:16:53

美しい心

テーマ:diary
真に心の美しい友達の、美しいことばに、久しぶりに泣かされた。
人を信じることを、いつまでもやめないその健やかさを、ほとんど妬みにも似た感情で、私は愛している。
なぜ彼女は人間の美しさをあのようにどこまでも保つことができるのか。
昔好きだった歌を聞きながら、昔よくそうしたように、泣いたまま祈った。
何を祈っているのかもわからずに。
けれど、そうして祈った祈りだけは、いつかきっと叶えられるということを、今は知っているということに気がついて、少し嬉しくなった。
そういえば、そんなことを、昔祈ったことがあったな、とふと思って、また笑った。
このように揺れながら、それでもその時々の人の美しさに打たれながら、私は生きていくのだと思った。

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