「 大乗仏教の煩悩 」

http://forkn.jp/book/9772/
「大乗仏教の煩悩設定」
http://forkn.jp/book/9482/

「 諸行無常 」
http://forkn.jp/book/9165/

「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」
http://forkn.jp/book/9094/

「 無明 (むみょう ) 」
http://forkn.jp/book/9030/

「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」
http://forkn.jp/book/8913/

「 新 ・ 般若心経の内容 」
http://forkn.jp/book/8924/

「 飽食の時代が終わる可能性 」
http://forkn.jp/book/8968/

「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」

http://forkn.jp/book/8401/

「 無常の制約 」

http://forkn.jp/book/8507/

「 般若心経の内容 」
「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」
http://forkn.jp/book/8878/

「 釈迦が提示する愛の起源 」
http://forkn.jp/book/8426/
 ( 私の著書 )


これを読んだらどんな喜びの触れ合いも悲しい別れも、只の石像群になってしまうだろう。



※ このブログは 西田夕夏 を名乗る者が著作権を持っています。


大乗仏教の煩悩 2017.3.8.
  • 21 Oct
    • なう  ( 定期的に文字数が増えるページです )

      2017.11.23. ゴミクズの自由の範囲。2017.11.22. ゴミの分別をすると清々しい気分になる。2017.11.21. 「 穀潰し」 と言われない人になろう。2017.11.19. ツイッターには知ったかぶりが湧く。2017.11.19. ドキュメンタリー番組かなっと思ったら、違ったってやつでしょ2017.11.18. サラダにハムという余計なものを入れないで欲しい。老化するし、それほど美味しくもない。猫にやろう。2017.11.15. 汚水を垂れ流すだけの人はダメ!2017.11.15. 無駄飯食らい。と言われない人になろう。2017.11.13. 生活保護を打ち切られた猫の飼い主は、猫を家から出すと思います。おとなしくない猫は保健所行き。2017.11.13. 年金制度問題や生活保護受給問題の他に障害年金問題もある。この制度も大幅な見直しがなされるのも時間の問題だと感じています。受給者の中にはえげつない人々もかなりいるようですので。突然車椅子生活初めて、だけど難聴ということで障害者手帳もらった人が身近にいます。案外簡単に行政ってだまだまされるんだ~と思いました。その人私と普通に会話したんだけどね(もちろん補聴器つけてない状態で)今メンタルクリニックに通って手帳を貰おうとしてる人々が大勢いるようなので、私はあまり働かないようにして、税金を少ししか収めないようにしようと思います。野菜なども自分で作って消費税の支出を抑えたい。2017.11.13. 生活保護受給者が増え続けているというニュースを見ました。でもこの制度は、或る日突然終わりそうな気がしています。この制度が打ち切られたら生活保護受給者の自殺者が増えそう。だけど日本の自殺率は世界の中でそれほど突出して高いわけではないという情報もあるので大丈夫だと思います。一番気になるのは年金制度が崩壊すると言われている問題。私は生活保護なんか実はどうでもいいのである。2017.11.12. ペットをめぐる様々な虐待事件が後を絶たない。ソレに猫や犬の殺処分問題もある。殺処分には税金が遣われているのである。もうペット禁止にしたら良いと思います。数年後から罰金徴収も視野に入れていきましょう。2017.11.12. 最近猫が可愛くない。それは室内で飼っているせいでしょう。室内が土足禁止の家で猫を飼うのは不向きである。猫には哀れみしか感じない。猫の生きる生活圏は狭まるのに猫の魂は生まれようとし続けている。全てのあぶれた猫達に安寧を与えたい。彼等を何処かの無人島で好き放題に生きさせたい。我々はソレを時々ドローンなどを使って見守っていきましょう。2017.11.9. 室内で猫飼うこと出来ない人が多い。ソレは猫の糞尿処理の世話が大変だから。するとペットショップのケージの中の子猫はどんどん成長するので、ペットショップの経費の問題でゴミの日に出される。どのような処理の仕方をするのかはそれぞれの店舗で異なる。2017.11.8. 雨とアスファルトの匂いが混ざる。するとアキラ2巻を見たくなる。もう、始まっているのかな? 「アキラは只の形骸」アキラに該当するパワーとは何か?ソレを早く見つけなければならない。2017.11.8. 若々しさと健康を謳歌しています。2017.11.7. 税金を紡ぎ上げずにムダに税金を消費する人に捕食された家畜と云う存在がこの世には存在する。この出来事にわれわれ人類はもっと関心を持たなければならない。2017.11.7. 日本の猫は人間の家屋で生きるかペットショップのケージの中か保健所でしか生きることが出来ないかわいそうな生き物。 だけど、キャットフードにされている生き物の方がもっと可愛そうな生き物である。2017.11.6. なう 終了  メデタシメデタシhttp://now.ameba.jp/thefrail/

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      テーマ:
  • 25 Sep
    • 超 合理的な宗教 

      「 どうせ死ぬのだから、もう生きない 」コレが元の仏教の考え方なのだ。超 合理的な宗教。ソレが仏教である。仏教の知識を持ち、「 なるほど 」などと感心し、涅槃の必要性も知っていながらソレを実行する事は困難である。人間とは非合理な生き物なのだ。仏教の目的とは苦の排除である。そのためには手段を選ばない。なので、「喜び」すらをも手放してしまうのだ。( 仏教とは完璧な入滅。単なる自殺ではないので誤解のないように。又、この考えの集団はカルト集団に発展しにくい性格をもっている。逆にカルトに発展しやすい集団とは「他者を救うと自分の魂が向上する」という考えの集団である。前者の集団には「 他者を救ったら自分の魂が向上する 」などという考えをもつはずがないのだ。 )©  西田夕夏  2017.9.25.このブログの文章を無断で使用することを禁ずる。

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      テーマ:
  • 23 Sep
    • 仏教の目的の話からまさかの話に発展

      https://twitter.com/nishidayuuka/status/898140430444802048仏教の目的とは苦から開放されることである。それは「楽しい時を過ごす事を目的にしている」わけではなく、あくまでも「苦からの開放」なのだ。釈迦は輪廻転生することに悩み、その後輪廻転生から解決される方法を見出し、死ぬまでの間を布教活動にあてた。その死ぬ直前釈迦は毒キノコを食べたと伝え聞くけど、ソレはわざと食べたと思います。何故そう思うかと言うと、不意に死んだら涅槃が失敗する恐れがあると思うからです。涅槃とは人為的に不自然に輪廻転生を止める行為なので、意識的に行う必要があるのである。意識を消すのに意識的だなんて矛盾に思われるかもしれませんが。その涅槃は「楽しい」と感じることそのものをも否定する。人々のささやかな喜びや、些細な痒みすらをも否定する。(痒みだけでなく、風を感じる感覚、ぬるいと感じる感覚すらも邪魔になります。それがあるということは、苦の根源、そして、感情の根源が残っているということになるからである。)「輪廻転生」を拒絶した人物がそれの解決策としたのが涅槃である。この経緯からこの考えの方向性は明らかである。つまり、来世のことなど考えていないのである。すると自動的に、涅槃を人にすすめる人物が「因果応報」について語る事に違和感を覚えるはずである。「因果応報」が事実かそうでないかは涅槃する人物にとってはどうでもいいことなはずであるから。なので、涅槃を選択しない人に托鉢してもらうためであると単純に考えるのが最も自然なのである。すると、釈迦はすべての人々を今すぐ救うという考えは無かったと予想されます。(今直ぐ涅槃しない人々も遠い未来の何度か輪廻を繰り返した末に、自分の言い残した言葉を伝え聞いて何時か涅槃するかも~と思っていたに違いない )所で、涅槃するためには「些細な痒みすら否定しなければならない」 のですが、ここで引っかる人があると思います。それを否定しなければ輪廻転生してしまうということは・・行き着く考えは今生涅槃を選択しない場合、 屠殺方法を苦痛のないものに変えないとまずいのではないか? となるのである。( 更にこの考えで行くと、微生物や植物、菌類に至るまで配慮しなければならないと云う考えに至ります。  )この考えに至る経緯は「動物愛護」というよりも、「自己愛」から来ている考えなので、あまり褒められた話ではないですが。「痒みすすらも否定しないと輪廻してしまう」というのから苦痛のある家畜の飼育や屠殺を量産すると、人口調節が盛んに起こるのではないかと云う懸念が算出される。一見因果応報の話のように聞こえるかもしれませんが、違います。この地上に平和が訪れないのは人類の食事のせいであった。生きるための行為が生きるのを邪魔しているなんて。。でも、できるだけ他の生き物に苦痛を与えないようにすれば、人口調節が活発になされないと私は予想しています。© 西田夕夏  2017.9.23.このブログの文章を無断で使用することを禁ずる。

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      テーマ:
  • 03 Jul
    • 自然の摂理

      『 帰依するスタイルの仏教が日本の主流になっている。このスタイルの仏教は日本国内の他宗教施設を容認することはない。現段階での日本は宗教熱心な国ではないから容認されているだけ。 』( ※今回のブログは「釈迦の懸念してたこと」というテーマとはずれます。むしろ関係ないですけど、宗教がらみということでこのテーマの中に入れています。 ) 仏教には大きく分けて涅槃することを最優先する仏教と、ソレ以外の2つに分けられる。涅槃する事を最優先する仏教は言い替えると「入滅教」ともいえます。そしてソレ以外は「入滅しない集団」と言えます。そしてこの入滅しない集団は「帰依スタイル」を取り入れているのが大半です。「帰依(きえ)」とは崇める対象を持つこと。この「帰依スタイル」は異教徒を改宗させることが自然の流れとなる。むしろ改宗させなかったら不自然で、改宗させない場合は怠けたと判断されてしまうのです。なので要約すると現段階での日本は宗教熱心ではないと言えます。© 西田夕夏

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      テーマ:
  • 18 Jun
    • 続 語ってはいけないこと

      前回のブログ 「語ってはいけないこと」の続編を書きました。前回のブログ→http://ameblo.jp/thefrail/entry-12262355687.htmlこのブログでは大乗仏教の矛盾点を指摘し、なおかつソレは仕方のない結果であると捉えている。大乗仏教の矛盾点とは大乗仏教が「 無常 」「 輪廻転生に悩んだ釈迦 」を無視して語る場面を指している。そしてそれを「しょうがない結果」とはまたどういうことかと言いますと、仏教が目指す涅槃(ねはん)があまりにも悲しい結論だからである。大乗仏教は最初の仏教徒が目指した涅槃とは別の方向を向いているのだ。 大乗仏教でも座禅などが行われ、最初の仏教徒と似た修行を行っているのだが、その目的は人生を生きるため、人生の様々な悩みや辛いことに対する耐性をつけるためであり、本来の目的とはかけ離れたものである。コレは私の印象ですけど、涅槃を本気で信じている人は嘲笑の対象になってしまうような雰囲気も漂わせている。そして涅槃とは現世での人生をいがみ合うことなく生きることであるかのような語り口が存在している。では最初の仏教では涅槃をどのように捉えていたのか?それは 下記に記載する私の著書「新 般若心経の内容 」をどうぞ。般若心経は現在大乗仏の真言宗で重要視されていますが、般若心経の内容は南伝の仏教(上座部仏教)と涅槃するのに邪魔なモノの記述がかぶります。真言宗の方向性とはずれていると思います。般若心経とは自力で涅槃を目指すための指南書であり、その内容は「 無常」「 輪廻転生に悩んだ釈迦 」を無視していない内容が記述されている。そこに記述されている涅槃の記述をみたら、大乗仏教が涅槃を避ける理由が解る。大乗仏教は涅槃とは何かを何時迄も議論し続ける。そして涅槃とは何かを把握してしまうのを避けている。涅槃とは何かを把握したら涅槃を目指すか涅槃を否定するかの2択を迫られる。もしかしたらその状況を避けているのではないか? 大乗仏教は涅槃を避けている。 そして最初の仏教と大きく内容変更された大乗仏教があたかも最初の仏教からの系譜を引き継いでいるかのような語り口を私は疑問視する。最初の仏教が指し示した涅槃とは違う内容を「涅槃」と語っている。また、「涅槃」を語らない仏教集団も存在している。( 涅槃を否定、もしくは無視したらアンチ仏教だと私は考えています。だが、彼等も仏教徒を名乗っている。やんわり回避しているのは浄土真宗。彼等は最終的には涅槃することを決意している。そしてそれは遠い未来のこととしている。だけどここでも最初の仏教で語られた涅槃は隠されている。 )「最初の仏教では涅槃とはこのようなものだと語られていますがあなたは本当に涅槃しますか?それとも涅槃を回避しますか? 」と選択肢を示すべきだと思います。「 いずれ涅槃をするけど、今はまだ 」とかの選択肢もありだと思います。この選択肢は涅槃の内容を知った上での選択ということです。何を持って「知った」と述べているかというと「無常」や「輪廻転生に悩んだ釈迦の解決策」という点で矛盾しない内容であるか否か。そしてコレに合致しているのが般若心経である。なので、般若心経を判断の要とする。ここでは般若心経が正しい事を前提にしています。もし「 般若心経が間違いである 」と語るなら、ソレは仏教の否定である。そして「 般若心経が間違いである 」と云う証拠が出たらその時仏教徒は解散することになり、新たな指針を探すことになるでしょう。現在、大乗仏教の国では涅槃とは「死後に行く良い方の世界」ぐらいのぼんやりしたものでしかない。浄土真宗では最初の仏教とは方向性が違うことが記され、しかもそれが最初の仏教からの系譜を引き継いでいる様な記載のしかただから、多くに誤解を与えている。そこを問題点として私は語っています。前置きが長引いてしまいました。前回のブログ「 語ってはいけないこと 」の続編ですが、前回のブログでは「 ※因果応報 」について語りました。「因果応報」を不確かで曖昧なモノであると語りました。「因果応報」は社会秩序を守る戒めにもなる素晴らしいものだからソレを否定するのはナンセンスだという事を思う方がいるかとお思いますが、「因果応報」という考えがなくても社会秩序を保つのに役立つモノが仏教の中に紛れていてソレを前回のブログで紹介しました。※ 因果応報 :いんがおうほう ( 下した行いが自分に下される )その前回のブログの補足ですが、因果応報とはこういう発端で発生したのではないかということです。→https://twitter.com/nishidayuuka/status/870621994974195713仏教徒の多くは因果応報を重用視して日々を過ごしているはずである。だが涅槃を目指すなら、因果応報なんてことはどうでもいいはずだ。因果応報を重要視する仏教徒は矛盾した存在なのです。©  西田夕夏「大乗仏教の煩悩 」2017.3.8.http://forkn.jp/book/9772/「かつて仏教は涅槃を目指していた 」http://forkn.jp/book/9707/「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/「 諸行無常 」http://forkn.jp/book/9165/「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」http://forkn.jp/book/9094/「 無明 (むみょう ) 」http://forkn.jp/book/9030/「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/ 「 新 ・ 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8924/ 「 飽食の時代が終わる可能性 」http://forkn.jp/book/8968/ 「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」 http://forkn.jp/book/8401/ 「 無常の制約 」http://forkn.jp/book/8507/ 「 仏教の戒律 」http://forkn.jp/book/8448/ 「 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8519/ 「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」http://forkn.jp/book/8878/ 「 釈迦が提示する愛の起源 」http://forkn.jp/book/8426/ 「 アメブロ 」http://ameblo.jp/thefrail 「 Twitter 」https://twitter.com/nishidayuuka  ©  西田夕夏 ここの文章を無断で使用することを禁ずる。 

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  • 03 Apr
    • 仏教 語ってはいけないこと 因果応報

      仏教で「 語ってはいけないこと 」と言われていることについて。この「 語ってはいけないこと 」とは実は 「 真実を語るな 」と云う意味でもあるようだ。「 それを語ることによって、平和が乱される 」という意味だ。それは「 因果応報 ( いんがおうほう ) 」のことか、もしくは「 極楽浄土 」についてだろう。この「 因果応報 」ですが、これは日本の文化の中に広く蔓延している。この教えが無かったら、日本は今よりも犯罪が多かっただろう。( だが、仏教にはこの因果応報よりも更に犯罪抑止に効果的な教えがあります。それは後ほど )因果応報について知らない人のためにおさらいしていきますと、因果応報とは、自分が他者にした行為は、後ほどそれをした当事者に同じ行為がなされる。という意味です。なので、他者を殺したら、今度は殺される側になる。ということになる。この考えは大乗仏教で取り上げられている。大乗仏教についてはこのブログでよく書いてますが、大乗仏教の浄土真宗では 「 今生が終われば再び次の来世で又生きる 」と考えているはずなので、因果応報の考えは重要視される。つまり涅槃( ねはん )を今直ぐしないので因果応報の考えは嫌でも重要視されるのだ。( ※ 涅槃とは何かについては下記の著書を参照下さい。)ここで、大乗仏教の根本的な考え方を垣間見る事ができる。大乗仏教では、生き物を食べる行為は因果応報の法則外と考えている。そして、存在するだけで足元の微生物や昆虫を踏み殺してしまっているが、それも因果応報の法則外であると考えている事がわかる。「 生きる為 」と、「 わざとじゃない 」場合は因果応報の法則は適用されないと考えている事がわかる。大乗仏教の考える煩悩設定がその証拠。( 煩悩とは消すべき項目のこと )大乗仏教では釈迦の化身が人類の霊的進化を見守っていると考えている。なので、霊的進化のために生き、行動するときに犠牲となる生き物は許容範囲であると考えていて、それを見守ってくれる存在が許してくれるという考えを持っていることが解る。 他者 とは 人間 だけを指しているのだ。だから、大乗仏教とは「 人間は家畜を食べたので、来世は家畜になって食べられる 」とは考えない。家畜は生きるために食べたのだから仕方がないので因果応報は適用されない。と考えていることが解る。そんな事を指摘したら、「 食べないと生きられないじゃないか 」と言って怒る人が出てくるかも。それを私に言われても困るけど。 その時はその人に「 涅槃すれば ? 」と逆ギレして言おう。だけど、因果応報を素直に解釈すると人類は家畜の豚や牛を食べているので、来世は人類が豚か牛になって食べられる側になる。だがそんなことは起きないだろうと私は予測する。何故なら人類は人類の考えで生きているので、牛や豚の考えを持たない。なので牛や豚の憑り代に人類の魂が入ることはないと予想しています。( この予想が外れたら悲惨ですね。 )人類が人類よりも高度な知的生命体の家畜になって食べられる可能性はあるかも。 「 因果応報 」はないと私は考えている。輪廻転生のメカニズムははっきりしてるけど、これははっきりしてない。石ころを蹴ったら蹴られる事になるという理由は今だに分からない。因果応報とは呪いの類と類似した考えから出てきたものではないかと予想しています。なので、 「 因果応報 」というものはない 。だけど、因果応報に近い考え方で、平和的秩序効果もある考えが「 般若心経 」 ( はんにゃしんぎょう )から副産物的に出てきた。※ 般若心経 については下記の 私の著書をどうぞ 。 「 般若心経 」とは涅槃するための指南書ですが、ココに書いてある事を実践して涅槃するのだとしたら。。と話を発展させると我々は根無し草の可能性が出てきてしまう。つまり、「 生きるためだから 」と 「 わざとじゃないから罪ではない 」というジャッジをしてくれる存在の信憑性が薄らいでくる。そして、家畜の牛や豚なども自らに都合の良い状態を望んでいる事が人類の境遇を危ういものにする可能性を秘めていることも副産物的に考えられる。家畜だけでなくもちろん人類も自らに都合の良い状態を望んでいるので、他人の都合の良い境遇を阻害する行為は損であるという考えに至り、その結果、平和的秩序が保たれる。だけど、他人に親切にする行為の中に「 食物 」をあげる行為は良いか悪いかは判定が難しい。「 食物 」をあげる行為は 親族か恋人、親友までにとどめておいたほうが無難かも。この「食物」問題を緩和させるには家畜の屠殺方法や飼育方法をできるだけ苦痛のないモノにするに限る。( なので動物愛護団体 は重宝すべき存在である 。 )次に 「 極楽浄土 」についてですが、これはだいたい予想できると思うのでこの辺で切り上げます。© 西田夕夏  ここの文章をあなたかあなたの関係者が書いたように裝って他所で使用しないように。私の著書紹介「大乗仏教の煩悩 」2017.3.8.http://forkn.jp/book/9772/「かつて仏教は涅槃を目指していた 」http://forkn.jp/book/9707/「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/「 諸行無常 」http://forkn.jp/book/9165/「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」http://forkn.jp/book/9094/「 無明 (むみょう ) 」http://forkn.jp/book/9030/「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/ 「 新 ・ 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8924/ 「 飽食の時代が終わる可能性 」http://forkn.jp/book/8968/ 「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」 http://forkn.jp/book/8401/ 「 無常の制約 」http://forkn.jp/book/8507/ 「 仏教の戒律 」http://forkn.jp/book/8448/ 「 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8519/ 「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」http://forkn.jp/book/8878/ 「 釈迦が提示する愛の起源 」http://forkn.jp/book/8426/ 「 アメブロ 」http://ameblo.jp/thefrail 「 Twitter 」https://twitter.com/nishidayuuka 「 FC2ブログ 」http://nishidayuuka.blog.fc2.com/ 「 Face Book 」https://www.facebook.com/yuuka.nishida.581  (c)   西田夕夏

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  • 25 Mar
    • 般若心経は大乗仏教ではない

      ( 二日前Twitterに書き込んだことの続き。 )「序文 : 副産物的に出てきた治安維持方法。因果応報のような方便はもう捨ててしまおう。 」 般若心経(はんにゃしんぎょう)に書かれていることを実践して涅槃(ねはん)するのだとしたら、我々の魂は根無し草の可能性が出てくる。「 可能性 」としましたのは、般若心経には煩悩の始まりの事は書いてあるけど、その始まりがどうして起きたのかが書かれていないから。( だから大乗仏教にもまだ威厳を保つチャンスが残されている。私も多くの大乗仏教徒と同様に涅槃以外の救済を探していたりして。 )大乗仏教でこの般若心経が読経されたり写経されたりしているが、大乗仏教と般若心経では方向性がまるで違う。そして後ほど記載していますが、大乗仏教が抱いている、煩悩(涅槃するのに邪魔なもの)と般若心経から解る涅槃するのに邪魔なものは全く違う。この一点で目指す方向性が180度違ってしまう。般若心経に書かれている救済の方法論は「無常」を突きつめて考えた末の結論である。つまり涅槃するための指南書。だが、大乗仏教で「 無常 」を語ればツジツマが合わなくなってしまうのだ。なので、大乗仏教で語られる涅槃は般若心経の涅槃とは別物、或いは同じにしても大乗仏教では今生が終わってもまだ涅槃しない方針をとっている。くわしくは下記に記した私の著書をどうぞ。そして・・般若心経に書かれていることを実践して涅槃するのだとしたら、煩悩( ぼんのう )が万物を創造した可能性が出てくる。(「可能性」としましたのは先ほど書いた煩悩がどうして出来たのかの発端がわかっていないので)この地上も空も、煩悩の為になされた可能性が考えられる。煩悩がこの地上や空、人体を創造する前からそれらを視野に入れていたというより、煩悩の望む状態にするために、地上や空や様々な具体的な物事が現在の形にオートマチックに形成された。と言いたい。つまり現在のこの形が一番都合の良い形、或いは妥協された形なのだという可能性。どうして妥協した形かというと、煩悩を発しているのは一つではないからだ。例えば我々人類の発する煩悩と、我々人類が踏みつけている様々な生き物が発する煩悩とがある。煩悩とは涅槃するのに邪魔なもののことですが、大乗仏教では煩悩とはどのようなものだと聞いているだろうか?大乗仏教の聖職者の説法から判断するに「強すぎる欲望」「人類の平和を乱す邪心」等ではないでしょうか?( 大乗仏教の経文の中にははっきり書いてないものがあります。他力によって涅槃するので書く必要がないのかもしれません般若心経では涅槃するのに邪魔なものをそのような表現では書かれていない。般若心経からわかるのは人類の食材となっている生き物などにも煩悩があることが解る。(もしよければ下記の私の著書をどうぞ )(※ こちらはお勧め著書「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/  )植物も選り好んでいるので煩悩がある。隣り合う苔ですら生存競争を巡って争っているのだ。植物も輪廻転生していると私は予想している。そして、般若心経を読み解いていくと、人類やその他の生き物は特別な存在によって一から創造された存在ではないと予測できる。このことを一つの可能性として私は視野に入れる。(般若心経は正しいかもしれない証拠: 般若心経に書いて有ることが荒唐無稽なことのように文明人は感じるだろう。だけど般若心経を実践して有余涅槃と呼ばれる状態に至った人に実際にその状態に入ってもらい、その人に脳波測定器を取り付け、その状態でその人の皮膚をつねっても脳波測定器は全く反応を示さないのだ。 )そして、このことが「 動物愛護活動をしなければならない 」という強迫観念を私に引き起こしている。それはどういうことかというと、我々は自ら湧いて出た可能性があり、現在の肉体は我々が望んだ丁度都合の良いフォルムである可能性がある。つまり望んだからそうなったと言えてしまう。それがどうして私が動物愛誤活動をしなければならない心境になってしまうのかというと、その「望んでいる」存在は人類の家畜なども含まれているから。望んだようになるなら。。「何故人生は常に快適ではなく、病や老いや死があるのか? 」という疑問に至るが、その後すぐに「この地上で何かを望んでいるのは人類だけではないからだ 」という解答がオートマチックに出てくる。以前私は、この地上は人類の魂の進化の為に用意された場であるという考えを持っていた。だが、だとしたら人類の食材に神経がない方が都合が良いはずなのに、実際はそうではない。ならばこの地上は人類の魂の成長のために用意された場ではないと考えたほうが自然だ。家畜も神経を持ち選り好みをしている。これは煩悩がある証拠となる。人類の食材である神経を持った生き物は人類がいない方が都合が良いはずである。※家畜等の飼育環境や屠殺方法をyou-tubuなどで見れば解ります。(申し訳ないけど見たい場合はご自分で検索をかけて見て下さい。毛皮の作り方などはあまりにも衝撃的な内容なのでここにその画像等を貼りたくないのです。これでは動物愛護家失格ですが。 )人類が死ぬ様々な原因はもしかしたら彼等に不都合な時を与えているのが人類だから?それが遠因となって老いたくなくて、死にたくない人類が老いて死ぬのだろう。などと想像してしまいます。人類は他の生き物を食べなければ生きていけないが、食べられる側は食べられるのを望んでいない。ということである。両者はそれぞれに都合の良い状態を望んでいる。だからそれぞれが望む最も都合のいい状態になるには様々な障害が起きてくる。人類全てが毎日3食満足に食べ、そして病気もせずに不老不死となったなら、食べられる側は都合が悪いのだ。( 植物にも煩悩がある。植物も自らに都合の良い状態を選り好んでいるのがその証拠  )これが原因で常に人口調節がオートマチックに引き起こされるだろう。家畜等は具体的に人類が死ぬための計画を立てることは出来ないが、それを望んでいる。人類をが減るのを望んでいるというよりも、「痛い状況」「自分の子供が連れて行かれて会えなくなる状況 」「しんどい状況」などを遠ざけたいと感じているだけだと思います。その状況の多くを生み出しているのが人類だから、その状況が減る状態は人類が減る状態。人体を形成したのが煩悩ならばその望みは叶ってしまう可能性がある。そこで人類が減る状態を作り出す前に家畜が「嫌な状態」であると感じているものを除去するという発想を持つべきだと思います。食物連鎖の図は正三角形。人類は食物連鎖の頂点にいる。そのスペースは狭いのだ。このスペースを広げる方法は家畜の不満を緩和することで可能であると私は断言する。この地上に世界平和が訪れさせたとしても、人類が減ってほしいと願っている奴等に配慮しなければ、間も無くその平和は終了する。この地上から人類の脅威を抹殺し、この地上の人類全てに平和が訪れたなら、空から脅威が降ってくるだろう。この地上が常に殺伐としているのは、様々な存在の煩悩が衝突し合っているという原因があるからだ。宗教、人種の差異、国境等は人口調節機能を兼ね備えた自然の摂理現象であると私は考えている。そして、戦争では毎回残虐なことが起きている。コレは次なる人口調節の原動力を保つために仕組まれた自然の摂理だろう。大乗仏教の問題点は、親切な行いをすれば、来世でもまた食物連鎖の頂点の座が保証されると安易に考えている点だ。大乗仏教( 浄土真宗 )では今生(こんじょう)が終われば来世があると考えているはずである。今生で涅槃を考えている人はいない。いたとしたらそれは浄土真宗の信徒ではない。( ※ 大乗仏教の宗派は多々ありますが共通するのは涅槃を目指さない点である。涅槃を目指していてると語っているが、彼等の語る煩悩を消しても又その煩悩は復活する。 )大乗仏教は来世でも食物連鎖の頂点の座を目指す宗教と言えるだろう。だがそれは常に戦いを強いられるものとなる。この緩和策には人類の食材となっている様々な生き物の苦痛をできるだけ軽減することが望ましい。人間にばかり親切にするのではなく、全ての煩悩を発している存在にも関心を向ける必要がある。そして、あまりムダに食べないことである。ここの文章をあなたか、あなたの関係者が書いたように裝って他で使用しないように。© 西田夕夏  2017.3.25.私の著書紹介「大乗仏教の煩悩 」2017.3.8.http://forkn.jp/book/9772/「かつて仏教は涅槃を目指していた 」http://forkn.jp/book/9707/「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/「 諸行無常 」http://forkn.jp/book/9165/「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」http://forkn.jp/book/9094/「 無明 (むみょう ) 」http://forkn.jp/book/9030/「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/ 「 新 ・ 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8924/ 「 飽食の時代が終わる可能性 」http://forkn.jp/book/8968/ 「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」 http://forkn.jp/book/8401/ 「 無常の制約 」http://forkn.jp/book/8507/ 「 仏教の戒律 」http://forkn.jp/book/8448/ 「 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8519/ 「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」http://forkn.jp/book/8878/ 「 釈迦が提示する愛の起源 」http://forkn.jp/book/8426/ 「 アメブロ 」http://ameblo.jp/thefrail 「 Twitter 」https://twitter.com/nishidayuuka 「 FC2ブログ 」http://nishidayuuka.blog.fc2.com/ 「 Face Book 」https://www.facebook.com/yuuka.nishida.581  (c)   西田夕夏

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  • 09 Mar
    • 大乗仏教徒の考える煩悩

      大乗仏教が考え至った煩悩設定の経緯について。大乗仏教で考える煩悩とは強すぎる欲望、又は平和に生きるのに邪魔な感情であると考えられている。だけどそれをを消しても又その大乗仏教で考える煩悩は復活します。煩悩とは涅槃するのに邪魔なもののことですが、大乗仏教が設定する煩悩では、それを消したとしても涅槃出来ない。では何故そのような煩悩を設定するに至ったのか?コレを考え進めるとただ単に涅槃(ねはん)したくなかったからではないか?と邪推したくなってしまう。或いは。。人々は 釈迦が涅槃者になった後も托鉢( たくはつ :物乞い )しながら慈悲的行動( 布教活動 )をしていたのを傍からみて、 「 涅槃者も食べるんだな~ 」と思ったに違いない。そして、「 感情や生理的現象もあるんだ~ 」と思ったに違いない。托鉢とは働く時間を惜しんで修行するための行為である。すると、托鉢時に恵んでくれる人々は働いているのでどうするんだろう?という素朴な疑問が浮かぶ。( それよりも、釈迦はなんと言って人々に食物を恵んでもらったのだろうか? 、ココで方便を発動させたのではないか? そしてそれが大乗仏教の基礎部分になってしまった可能性も否定できない )大乗仏教の考える煩悩を見ると、そのように考えられる。また、大乗仏教では、愛と喜びと快感だけを抽出しようとしているかのような人を見かけます。それはその人の「そうであってほしいな。」という願望を話していたのかもしれない。大乗仏教が設定する煩悩は、涅槃者になった後も釈迦が托鉢をして食べてたのを傍から見ていたからで、直接釈迦から聞いた内容ではないのではないか?私が何故そう考えているかというと、繰り返しになりますが、大乗仏教で設定する煩悩(ぼんのう:涅槃するのに邪魔なもの )を消しても、大乗仏教で設定する煩悩は又復活する余地が残されてしまうからです。そして、般若心経の内容と一致しない。大乗仏教の一部では般若心経は未熟な経文であるとさえ語られている。あたかも成長するための初歩段階のステップに必要な経文だから、採用していると言ったことも云われている。とにかく内容は異なっているのは確かで、般若心経が正しいと語ったら大乗仏教は正しくないと言えてしまう。般若心経には涅槃する為の方法が書いてあります。(修行内容までは書いていないものの。)それを見ていくと般若心経で考える煩悩は大乗仏教の考える煩悩とは大きく違う。般若心経で設定されている煩悩を見ると、煩悩の誕生の発端はほんの些細な願望であった事がわかる。その最初の小さな発端が魂の始まりであるといえる。すると、我々人類を見守ってくれているはずの大きな存在がその発端を作り出したのではない可能性が出て来る。でも般若心経には煩悩の最初の発端の原因は書いてあるけど、その原因が誕生した原因が書いていないので、我々を見守ってくれている大きな存在を否定するのはまだ早いですが。このことを分りやすく新たに書きました。試し読み1ページ有りhttp://forkn.jp/book/9772/本書では「有余涅槃」について詳しく書いてあります。何故托鉢していたのかが解ります。又、釈迦は修行を完成させた後も瞑想をしていた。これを「更に上を目指した 」と云う発言をするものがありますが、違います。釈迦はもう完成したのですから。釈迦は最高の救済方法を見つけたと確信した後に人々に布教活動をしていたのだ。仮に般若心経に書いて有ること涅槃についての記述が正しいとしたら「更に上を目指した」ワケがない。では何故修行が完成した後も瞑想していたのかというと、「無余涅槃」を失敗することがないように鍛錬していたわけです。無余涅槃が失敗する可能性はありえますので。 くわしくはこちらをどうぞ。⇒ http://forkn.jp/book/9772/又、煩悩について考え進めると、副産物的に動物も輪廻転生地獄の中で生きているとなる。そして植物も同様だといえる。その証拠に「 日光の当たりやすい場所を選り好んでいる 」まさか、植物にも感情があるのかも?・・・・・・煩悩を持ったまま死ぬと、煩悩による希求は次の肉体が必要になってくる。煩悩の欲求を叶えるための必要な手段として。コレが輪廻転生の原動力である。輪廻転生は苦だけど、我々、或いは暖かい部屋で生きる猫はそのことに気が付かない。逆に、輪廻転生することが喜びであると考えている人もいるでしょう。コレは釈迦の求めていた方向とは真逆である。でも、 「 それで良いんだ 」と考えるのが大乗仏教徒である。大乗仏教では無常を語ると、ツジツマが合わなくなるはずだけど、彼等はメゲない。彼等は苦を受け入れるのだ。確かに「無常」であるがゆえに喜びが存在するのだから。© 西田夕夏無断でココの文章を使用することを禁ずる。ココの文章は著作権で守られています。私の著書紹介「大乗仏教の煩悩 」2017.3.8.http://forkn.jp/book/9772/「かつて仏教は涅槃を目指していた 」http://forkn.jp/book/9707/「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/「 諸行無常 」http://forkn.jp/book/9165/「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」http://forkn.jp/book/9094/「 無明 (むみょう ) 」http://forkn.jp/book/9030/「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/ 「 新 ・ 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8924/ 「 飽食の時代が終わる可能性 」http://forkn.jp/book/8968/ 「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」 http://forkn.jp/book/8401/ 「 無常の制約 」http://forkn.jp/book/8507/ 「 仏教の戒律 」http://forkn.jp/book/8448/ 「 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8519/ 「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」http://forkn.jp/book/8878/ 「 釈迦が提示する愛の起源 」http://forkn.jp/book/8426/  (c)   西田夕夏

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  • 05 Mar
    • 永遠の猫 ~ 釈迦に見捨てられた生き物たち

      ※この文章は輪廻転生と涅槃と煩悩を考慮して書かれています。もう随分気候が暖かくなって、更に今日は晴れてたから野良猫が日向ぼっこをしていた。 その猫が自転車に乗った私と目が合うと「撫でて」と寝そべって見せた。。だけど私は時間に間に合いそうに無かったから通り過ぎてしまった。こうして掛け替えのない時間が過ぎていくのだ。私は猫に冷たくしてしまったことを一生後悔するだろう。もしかしたらその猫は昔に出会ったあの懐かしい猫が生まれ変わって私の前に姿を表したものかもしれなかったからだ。猫は猫に生まれたから暖かい部屋で生きるチャンスがある生き物。そのチャンスは人間に飼われなければつかむことが出来ない。そのチャンスを掴み損ねたら殺処分されるか、野良猫になって冬が来る度に凍えて生きる。そのような可哀想な猫を増やさないようにと避妊手術が呼びかけられるが、私はそれが根本的な解決だとは思えない。生まれようとする魂をそのような方法で押さえつけることは出来ないはずである。何らかの要因でこの世に出現する可能性が秘められていて、そのまま放置されているのだ。猫は自分の好きな場所で昼寝する。自らの都合の良い場所を求めている。( 猫に限らずその他の生き物も )猫にとって、不快な場所や物事を避けている。コレは煩悩がある証拠なのです。( 煩悩とは何か 「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/ )煩悩とは輪廻転生を誘発するものである。よって、猫(その他の生き物 )も輪廻転生を繰り返している。仮にもしも猫の種族を絶滅に追い込んだなら、猫に似た新たな種族が誕生するはずだ。猫は猫の考えで生きているので猫のような生き物にしかならないはずである。猫の魂が人間となって生まれてくることは無いと私は考えている。猫の魂がミミズとなって生まれてくることもない。猫は間引かれても生まれようとするのを止めないだろう。と言うか止める方法を知ることがない。この問題の解決策は今のところ解っていない。釈迦は畜生を見棄てて涅槃(ねはん)してしまいました。猫は涅槃するチャンスを持たない。もしも人類が全て涅槃してしまったら、人類に飼われていた猫は人類の魂を探して彷徨うだろう。そしたら人類に似た新たな種族が誕生し、猫を暖かい部屋で飼うことだろう。この涅槃出来ない畜生の問題は大乗仏教(浄土真宗)の言う56億7千万年後迄解決しないのだろうか?人類は今直ぐ涅槃するチャンスがあるのだけど、その機会を喪失している人がほとんどである。或いはあえて56億7千万年後に涅槃しようとしている。(浄土真宗)仮に涅槃する方法を喪失している人々にその事を伝えたとしても「 余計なお世話 」といわれるだろう。それに教えなかったとしても罰があるわけでもない。そう考えると釈迦が偉大な人物に思えてきました。何故涅槃する必要があるのかを懇切丁寧に言い残し、涅槃する方法を見出してから死ぬまでの間、何のメリットもない行動を取り続けたわけだから。涅槃とは何か。。( 「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/  をどうぞ )でも現状、釈迦の布教活動は大方失敗したと見える。大乗仏教徒が涅槃を選択しない理由。。。。。。涅槃とは苦からの開放。だけど涅槃を選択するのは苦なのだ。(くわしくはまたの機会に。それよりも下記の私の著書をどうぞ。)大乗仏教がネハンしない理由 ⇒ http://ameblo.jp/thefrail/entry-12238884684.html写真の猫は親子で、黒猫が子供。この数日後黒猫(オス)は家を出た。他のメスの姉妹猫よりも親猫に何時迄も甘えていて、親猫の方もそれに呼応していました。(その後メス猫には全て避妊手術をしておきました。こうするしか方法が無いのが現状ですね。)※ここの文章を無断転載することを禁ずる。そして、個々の文章を貴方か或いは貴方の関係者が書いたように裝って他で仕様してはならない。私の著書紹介「かつて仏教は涅槃を目指していた 」http://forkn.jp/book/9707/「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/「 諸行無常 」http://forkn.jp/book/9165/「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」http://forkn.jp/book/9094/「 無明 (むみょう ) 」http://forkn.jp/book/9030/「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/ 「 新 ・ 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8924/ 「 飽食の時代が終わる可能性 」http://forkn.jp/book/8968/ 「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」 http://forkn.jp/book/8401/ 「 無常の制約 」http://forkn.jp/book/8507/ 「 仏教の戒律 」http://forkn.jp/book/8448/ 「 般若心経の内容 」 「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」http://forkn.jp/book/8878/ 「 釈迦が提示する愛の起源 」http://forkn.jp/book/8426/ 「 アメブロ 」http://ameblo.jp/thefrail 「 Twitter 」https://twitter.com/nishidayuuka 「 FC2ブログ 」http://nishidayuuka.blog.fc2.com/ 「 Face Book 」https://www.facebook.com/yuuka.nishida.581  (c)西田夕夏

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  • 18 Feb
    • 浄土真宗と般若心経を比較

      「 浄土真宗 」とは日本で多くの信者を獲得した大乗仏教の一つの宗派である。「 極楽浄土という素晴らしい処へいこう 」とみんなを促している。それは涅槃のことを指しているらしい。そして、それを他力で叶えるとしている。「 他力 」とは如来の力で涅槃することを指している。涅槃を自力で目指すことを促す記述はあるけれど、その方法は自力で探せと言っているようです。( 経文によっては「自力で涅槃を目指すものは愚か者である」としているものもあります。 基本的に浄土真宗では涅槃は他力で行うことを主としています。 )そして、煩悩を消すことを促しているけれど、その具体的な記述はない。何を煩悩であると指しているのかは読み手が想像力を働かせて読み取らなければならない。この経文からは煩悩とは何かを明確に知ることは難しい。浄土真宗の聖職者の説法を聞くに浄土真宗では煩悩を強すぎる欲望であると考えているのが解る。そしてこの無常の世界での過ごし方を彼等は語る。(一方般若心経からは明確に煩悩とは何かを指し示している。)そして浄土真宗の経文は「南無阿弥陀仏」を信じていればいずれ涅槃出来ると書いてある。( それが繰り返されているのだ。 私はその「 いずれ 」というのは56億7千万年先の事であると予測しています。もしよければ下記の私の著書をどうぞ。 )この経文では涅槃とはどのような状態なのかは個々の想像に任せられている。般若心経から想像される「涅槃」よりも想像力が掻き立てられることは間違いないでしょう。仮にもしもみんなが自力で涅槃を目指していたら、日本はどんな経済状態の国になっていただろうか? 日本は物乞いだらけで海外からの援助を受けていただろう。( そして元日本人という魂はなくなりやがてこの地上の人口も減ったと推測する。)そして、この教団の涅槃に関する記述を見ると、最初の仏教徒から直接情報を得たのではないという印象を受ける。この教団が最初の仏教徒から直接情報を受けていたと考えると、この宗派を起こした親鸞は、涅槃よりも人情を優先した人物だと私は想像する。或いは最初の仏教徒に異を唱えている印象を受ける。※ 今回のブログでも「涅槃」を推奨すると云う立場を取らない。以前私は「大乗仏教は涅槃を目指さない教団のことである」とこのブログで書きましたが、それは現在も変わっていない。 ⇒  http://ameblo.jp/thefrail/entry-12238884684.html次に「 般若心経 」ですが、これには涅槃する方法論が大まかに書かれており、「 涅槃こそが素晴らしい解決策 」であると書かれている。「 般若心経 」はあたかも大乗仏教の一部であるかのように認識されているけど、私は違うと確信している。どちらかと言うと上座部仏教(最初から在る仏教)と共通している。(具体的には涅槃に関する記述において。)その理由が今回のブログの主旨です。共通点先ず2つの共通点は先程の繰り返しになりますが、共に「涅槃」を素晴らしいことであると唱えていて、「涅槃を目指そう」と呼びかけている。大乗仏教の宗派の中には「涅槃」が置きざりにされているものも存在している。大乗仏教に共通するのは煩悩の解釈の仕方である。これが最初の仏教と大乗仏教の決定的な違いであり、方向性が180度違うと言える点である。(もちろん浄土真宗も)違い◯ 先程書きましたが「他力」についての記述が在るか無いかの違い。浄土真宗の涅槃する方法は「他力」が必要不可欠となっているのに対し、般若心経では「他力」に関する記述はない。浄土真宗では涅槃に至る方法の具体的な記述が書かれていない。それに関しては般若心経に書かれている「涅槃する方法」の記述とダブるところは無い。( 般若心経の内容は下記の私の著書 「新 般若心経の内容 」を御覧ください。 )浄土真宗では如来の力によって涅槃すると唱えている。如来とは釈迦の化身のことで、釈迦は涅槃したのではなく、我々を実は見守ってくれているのだ。としている。つまり「他力」とは「如来の力」ということである。中には「他力」に「人助け」という意味付けをする者もある。コレは格好のカルト宗教勧誘の口実となってしまっている。(これが日本国内でのカルト教団と呼ばれている教団の特徴でもある)(他力とは人力ではないはずですが、この考えに誘導することが「他力」の始まりであると解釈する場面も見られる。)又、「他力」と「釈迦の慈悲」を混同している者もある。「釈迦の慈悲」とは釈迦が涅槃する方法を発見した時、それを「他の奴等にも教えてやろう!」という親切心のことである。◯ 浄土真宗では現状の我々の状態を「無明」(むみょう)であると語る。コレについては下記の私の著書「無明」と「新 般若心経の内容」を御覧ください。そしてこれは先程記載した大乗仏教全般の共通項と般若心経との方向性が180度違う点である。◯ 浄土真宗の中の涅槃に関する記述は何処か絵空事のような気配が漂っている。涅槃とは何処かの場所であると感じさせるような記述もあり、また、涅槃を目指そうとは書いてあるが、その具体的な記述がない。そして涅槃するのに邪魔な煩悩に関する具体的な記述もない。読み手の想像力に任せられる。更に自力で涅槃出来ない場合の他力コースも勧めている。他力コースの場合は「南無阿弥陀仏」を唱え、信じる事で涅槃可能としている。自力コースはその方法すらも自力で見つけるように促す。般若心経では自力コースのみの記載である。そして、自力で涅槃する方法が具体的に書いてある。ただ、修行方法までは書いてない。その方法は今も現存する上座部仏教の修行方針が般若心経の書いてある内容に沿うものだと私は考えている。何故なら上座部仏教の涅槃するのに邪魔なモノは般若心経と一致するからである。浄土真宗の作者は最初の仏教徒から直接涅槃について聞いていないのではないかと感じている。それとも、涅槃よりももっと良いモノが在るかもしれないと、この経文を書いている時に内心では思っていたのではないかと感じられる。(となるとこの宗派は未完の宗派であると考えなければならないが。)◯ 浄土真宗では涅槃は56億7千万年後にすると語る。コレは般若心経には全く出てこない記述である。(浄土真宗の経文によってはこの記述を削除しているものもあります。)般若心経では涅槃は「 今直ぐするもの 」として語っている。私は浄土真宗は最初の仏教以外の媒体からの影響を受けた教団だろうと推測している。(((( 仏教以外の媒体 :56億7千万年という時間について、ホーキング先生が何かおっしゃっていたような気がするけど。。?話は飛んでしまうかもしれませんが、シュメール文明と浄土真宗には何か関係が在るのかも知れません。と言うのも、法隆寺からの出土品の中に爬虫類型人間の像があるのですが、シュメール遺跡からの出土品の中にもそれとそっくりな爬虫類型の像があるのだ。つまりこの宇宙的な数字が他の惑星から来た人物からもたらされたと私は考えてしまう。その56億7千万年後に起きるイベントが、自力で涅槃を目指さない人々にとっては都合の良いことにつながるからだ。(詳しくは下記に記載してある私の著書をどうぞ。)この説はあくまでも推測です。  「 はやしひろしさんの YOU-TUBE 」を見て下さい。この動画には法隆寺からの出土品と、シュメール遺跡からの出土品の写真が登場します。⇒  https://www.youtube.com/watch?v=h_n-pJ3by5Uそれがどのように関連するのかは涅槃の状態と関連し、ホーキング先生がおっしゃった事と他力の正体が関連してくる。くわしくは下記に記載してある私の著書をどうぞ。 ))))◯ 浄土真宗の経文を書いた人物は人情を非常に重んじた人物だと感じられる。人情を涅槃よりも優先した結果があの経文なのだろう。般若心経は何よりも「涅槃」を優先する。涅槃を何よりも優先した結果があの托鉢(たくはつ)行為である。今回のブログは数日前Twitter で書いた事を詳しく書いたものです。よろしければTwitterの方もフォローして下さいね。https://twitter.com/nishidayuuka© 西田夕夏  ここの文章を貴方、或いは貴方の関係者が書いたように装って使用することを禁ずる。ココの文章を無断仕様禁止。私の著書紹介「かつて仏教は涅槃を目指していた 」http://forkn.jp/book/9707/「大乗仏教の煩悩設定」http://forkn.jp/book/9482/「 諸行無常 」http://forkn.jp/book/9165/「 原初仏教と大乗仏教の違いまとめ 」http://forkn.jp/book/9094/「 無明 (むみょう ) 」http://forkn.jp/book/9030/「 般若心教 で語られる「 空 」とは何か 」http://forkn.jp/book/8913/「 新 ・ 般若心経の内容 」http://forkn.jp/book/8924/「 飽食の時代が終わる可能性 」http://forkn.jp/book/8968/「 般若心経とはただのハウツーにすぎない 」http://forkn.jp/book/8401/「 無常の制約 」http://forkn.jp/book/8507/「 仏教の戒律 」http://forkn.jp/book/8448/「 般若心経の内容 」「 煩悩( ぼんのう ) 大乗仏教と釈迦との葛藤 」http://forkn.jp/book/8878/「 釈迦が提示する愛の起源 」http://forkn.jp/book/8426/「ミンネ」絵画販売ページhttps://minne.com/perfect13「 アメブロ 」http://ameblo.jp/thefrail「 Twitter 」https://twitter.com/nishidayuuka「 FC2ブログ 」http://nishidayuuka.blog.fc2.com/「 Face Book 」https://www.facebook.com/yuuka.nishida.581「 私のアマゾンレヴューページ 」http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A3676ZUHWNRALO/ref=cm_aya_pdp_home「 あかちゃん人 」http://kaiganomise-akachan.com/ (c)   西田夕夏

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「 大乗仏教の煩悩 」 http://forkn.jp/book/9772/ 「大乗仏教...

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