9.9.9

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世界を変えたビートルズが、またも世界を賑わせている。
不況のはずの日本で、100万枚もの予約が入っていて
人々が先を争ってCDショップに並ぶ姿がタイのテレビでも映し出されていたそうだ。
ヨメサンがそう伝えてくれた。

でも、ここチェンマイでは何にもそういう世界的な熱狂の影響は見られません。
強いて言えば、そういうギャップに驚く自分の姿でしょうか。
ここで、ビートルズがいなかったら、という仮定をしてみたいと思います。

ビートルズがいなかったら・・・
  英語を好きになった自分はいなかっただろう

ビートルズがいなかったら・・・
  世界平和のために少しでも役に立ちたいという気持ちを抱くこともなかっただろう

ビートルズがいなかったら・・・
  海外に出て働きたいという思いを抱くこともなかっただろう

ビートルズがいなかったら・・・
  音楽の世界を開く扉を自分は開けることはなかったかもしれない

ビートルズがいなかったら・・・
  ドラムを叩いて歌い、ギターを弾いて曲を作る自分はいなかっただろう

ビートルズがいなかったら・・・
  結局のところ、今の自分はいなかっただろう

清志郎も、マイケル・ジャクソンも、ビートルズファンだった。
氷室も、矢沢も、大滝さんも・・・
日本だけではなく、世界的に、こんなに長い間、そしてこれほどたくさんの
アーティストに影響を与えたミュージシャンは他にはいない。
これからも、恐らく出てこないだろう。

時代が彼らを作り、時代を彼らが作った
人類の共有財産、潜在的に全てのものに影響を及ぼしている無意識の存在
それほどまでに思えてしまう。

ぞろめの神様、ありがとう!
「Number 9」は、ジョンのラッキーナンバーなんだぜ!
知ってるかい?
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歌うドラマーの死

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訃報 : バディ・マイルス死去

マイク・ブルームフィールドとのElectric Flagをはじめ、ジミ・ヘンドリックスのバンド・オブ・ジプシーズや、
サンタナとの共演で知られる名ドラマー、バディ・マイルスが死去。60歳でした。
死因はいまのところ明らかにされていません。

 ウィルソン・ピケットのバック・バンドでキャリアをスタートさせたバディは、
マイク・ブルームフィールドに誘われElectric Flagを結成。
その後ジミ・ヘンドリックスやカルロス・サンタナ、スティーヴィー・サラス、デヴィッド・ボウイ、
スティーヴィー・ワンダーなど、錚々たる顔ぶれと活動したロックの生き証人的ドラマー。
歌も歌いだすワイルドなドラミングは多くの人に愛されました。

(ソース:CDジャーナル


知らない人は全く知らないだろうが、バディ・マイルスはジミ・ヘンドリックスと共に
バンド・オブ・ジプシーズを結成しアルバムを1枚のみ残している。

バンド・オブ・ジプシーズ/ジミ・ヘンドリックス

バディは歌うドラマーであり、ジミヘンのドキュメンタリービデオに登場した時には
当時の曲を演奏するシーンがあった。
彼は首をマイクのある左側に曲げたまま動かさずに鋭いリズムを刻んでいた。
非常にタイトでありながらグルーブあふれる素晴らしいドラマーだ。
ジミヘンの生涯最高のプレイはウッドストックでのアメリカ国家と言われているが、
バンドでの演奏は間違いなくバンド・オブ・ジプシーズによる「Machine Gun」である。
この曲の中でジミヘンは戦争へのレクイエムとも言うべき深みのあるギターを弾いている。
バディ・マイルスはマシンガンの連射を模してスネアを連打する。
それがまさしく鬼気迫るプレイで、ジミの別次元のプレイを誘発している。
今バンドを組んでいるギタリストのPooも、この曲がジミヘンの作品で一番好きだと言う。
しかしあまりに凄すぎて、自分にパワーの無いときには聴けないという。
彼の生演奏は二度と聴けないが、このアルバムは永遠に聴き継がれるであろう。
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BOφWY『GIGS BOX』

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“GIGS”BOX


アメブロで音楽記事を書くようになって久しいが、氷室京介のソロ活動について書くことはあっても
自分がバンドを始めるきっかけになったBOφWYについては意外と書いていない。
そして今回アメブロがスクラップブックを終了させるということで、どうしても終わる前にこのスクラップ
ブック「BOφWY」に記事を書いておきたいと思う。その理由の1つは、このブックを立ち上げた
hiderock さんの存在である。彼はいつも自分の書く氷室記事に「Good!」を下さる。
それがどれだけ励みになっていることか。
自分もスクラップブックのBOφWY記事をよく拝見している。
でもなぜか遠慮してコメントを書いたりGood!したりということからは遠ざかっていた。
その自分の心の壁を破って今回は思いっきり書いてみたい。
ネタバレが相当あるので、読む方はそのつもりで。


まずはこの『GIGS BOX』に対するファンの反応について。
以前からBOφWYの未発表映像についてはネットに流出していたり、海賊盤が出回っていたりして
ファンの間では正式なリリースを求める気持ちが強かった。
そして元BOφWYのマネージャー土屋浩氏らスタッフの力もあり、今回のBOXセットの発売が
決定した。ファンは当然のごとく上記のような映像の多くが収められると思い、期待は高まった。
しかし詳細が明らかになるにつれ、既存の映像も多く含まれ、貴重な映像の多くは含まれない
ことがわかると、ファンからの厳しい意見が多く聞かれるようになった。そしてそれは、過剰だった。
土屋氏のブログにはBOφWYとは関係ない記事にも荒らしのように抗議や誹謗中傷のコメントが
連日寄せられたのである。そして土屋氏は、ブログを閉じた。

確かにこのBOXセットについては、自分も不満はある。内容の割りに値段も高い。
豪華なパッケージングを削ってでも値段を下げて多くの人が手に入れやすいようにするべきだったと
思う。また貴重なライブの多くが完全収録されていないことも不満の1つである。
噂によると、BOφWYとして最後に行われたライブ『LAST GIGS』の完全版がこの4月に発売される
可能性があるという。この『LAST GIGS』は2001年に初めてDVD化され、国内の解散したバンド
としては異例の大ヒットを飛ばした。しかしそれは1988年にリリースされたCDの曲順、つまり
完全版ではなくダイジェストだったのだ。自分は『LAST GIGS』を大学時代に後輩から借りて
見ていたし、ネットでも手に入れていた。最終日の全曲が収録された完全版だ。
アンコールで氷室が涙声でMCするところも、メンバー一人ひとりに花束を捧げるところも、
全部知っている。日本のロック史上に残る名ライブ。ただ単純にBOφWYの映像としてだけではなく
後世まで伝えるべき歴史としてこのライブは完全版として正式にリリースされるべきものである。
解散宣言の『1224』と同様に。

8枚組BOXの8枚目に、BOφWYのブレイク前の貴重なライブ映像が収録されている。
新宿ロフトでのパンキッシュな時代のライブ。ジミ・ヘンドリックスらが出演したあのロンドン
マーキークラブでのライブ。それらがダイジェストで収められている。
この8枚目は非常に出来が悪い。というのは、スタッフ側の思い入れが大きすぎて、過剰な演出・
編集がされているからである。BOφWYの本当の姿を伝えたければ、余計な虚飾をはずして
生のライブを見せるのが一番である。彼らがかつてステージでそうしてきたように。
そしてエンディングロールの最後に、1986年の武道館公演など今回収録されていない貴重映像が
ほんの少し出てくる。いかにも「まだまだネタはありますよ」と言わんばかりに。
いずれそれらの映像もDVD化、またはブルーレイ化して(東芝の流れがあるからHD DVD化?)
リリースされることであろう。
そうした切り売り商法が、ファンの批判の対象になっている。

しかし自分から言わせてもらうと、ずいぶん贅沢な批判である。
なぜなら海外ではLED ZEPPELINといういい(悪い?)例を知っているからである。
ハードロック史上最強のバンドである彼らの活動は1968~80年の12年間。
メンバーの死により解散を余儀なくされたのだが、解散後のリリースは徹底的に残ったメンバー
によりコントロールされた。彼らの残した音源・映像は無数の海賊盤として出回っているが、
公式にリリースされたのはBBCラジオのライブ音源、初期のアメリカツアーの音源、そして
2枚組のDVD。それも1枚目はフルレングスのライブだが2枚目は貴重なライブのダイジェスト。
それでも世界中のファンを狂喜させた。これまで待ちに待っていた映像だからだ。
しかもその内容は期待を裏切るどころか、伝説を裏打ちする凄まじい演奏であった。
こうしたリリース・コントロールによって彼らの神話は今も保たれているのである。
そして昨年12月には再結成ライブを行い、素晴らしいパフォーマンスで神話を守った。
まあZEPの場合ベスト盤は多く出すぎだけど、その時代時代で新たなファンを生み出すためには
必要なのかもしれない。

同じく海外の例になるが、ジミ・ヘンドリックスは全く逆である。
生前残した音源が多くオフィシャルとしてリリースされているが、質が悪く手に入れるだけ金の無駄、
マニア向けの海賊盤まがいのものばかりである。それは彼が黒人だったことも関係している。
生前彼にむらがる白人たちが彼をドラッグ漬けにし、不利な契約を次々と結んでいったのである。
その結果、遺族がコントロールできないまでに彼の作品は溢れ、かえって本当の彼の姿を伝える
のを難しくしているのだ。質のいいライブ作品もあるが、彼の残した音楽界への貢献に比べれば
その評価はむしろ小さすぎると言っても過言ではない。

BOφWYについても、いろいろな批判はあれど、一応のリリースコントロールがされているのは
評価されるべきだろう。BOφWYから影響を受けた日本のミュージシャンは数知れず、その存在
自体が伝説あるいは神話となっている。それはメンバー自身の想像以上のものだ。
そして昨今のレコード業界の不況。デジタルコンテンツへの移行もまだまだ時間のかかる現状で
既存の販売形態の範ちゅうでいかにレコード会社ならびに著作者の権利および利益を守りつつ
伝説を伝えていくかという難しい瀬戸際で、このBOXはとにかく日の目を見ることができた。
それだけでもありがたいというものである。

ぶっちゃけ、ソロ活動が順調な氷室と布袋はともかく、インディーズに下った松井常松とDe+Lax
を再結成したりしてドラムを叩き続けている高橋まことは、BOφWYの印税がかなりの助けに
なっていることだろう。ベスト盤や『LAST GIGS』に「Dramatic? Drastic!」が収録されているのが
象徴的である。なぜならこの曲は高橋まことが唯一作詞を手がけた作品で、正直この曲以上に
BOφWYにとって重要かつ人気のある曲があるにもかかわらず収録されている。
彼に印税を落とすためだと考えざるを得ないだろう。BOXに先駆けてリリースされた2枚組のベスト
のタイトルもこの曲から取られていた。このベスト盤は、自分にとっては全く意味の無いものだった。
BOφWYの音の変遷を全く無視した選曲、リマスターで少しばかり音を良くしただけのもの。
しかもBOXの発売を直後に控えながらもそれを公表する前のリリース。BOXの存在を知ったら
買い控えたであろうファンは大勢いるだろう。これに関しては全く弁護の余地が無い。
これを許可したメンバーはカッコ悪い。まぁ契約に入っているのであれば仕方ないが、
このリリースがBOXに対するファンの過剰な反応の遠因になったのではないか。
それぐらい納得のいかないベスト盤である。「THIS BOφWY」だけでベストは十分だ。

では、BOXの内容に移ろう。
1~3枚目は1987年夏に行われた「CASE of BOφWY」というスペシャルライブの完全版である。
正確に言うと、このライブは2箇所で2回にわたって行われているので、「完全」ではない。
しかしとにもかくにも未発表であった曲が収録され、このライブの全貌が明らかになった。
特に「16」「Oh My Jully Part 2」など初期の隠れた名曲が発表されたことは大きい。
1987年は彼らが解散を既に決めていた時期で、このライブも記録的な意味合いが強かった。
メンバーも当初はなぜ昔の曲をやるのかと異論があったという。それを説得したのも土屋氏である。
このライブが当時4本組のビデオでリリースされ、それぞれが安価であったことがファンの手に
BOφWYの姿を届きやすくしたのは言うまでもない。この販売戦略は非常に効果的で、自分も
このビデオでファンになった一人である。彼らの生の魅力がパッケージングされた素晴らしい内容
である。
上記の初期作品を、すでにバンドサウンドが熟成した87年に演奏したのも大きい。
タイトで、洗練されていて、今聴いてもフレッシュな印象を与える。この作品がきっと後々にも
新たなファンを生むことになるだろう。
しかしそれならBOXじゃなくて別リリースでもいいのではと思う。まあ以前に中途半端に2枚出した
からしょうがないけど。この「完全版」はCDでもリリースされ、3枚組である。DVDもそのCDに
合わせてなのか、3枚目。しかしこれはちょっとどうか。なぜなら2枚目以外片面1層で、しかも
3枚目などはアンコール分、約20分しか収録されていない。このスペースに未発表の映像など
入れられるはずである。これでは単なる枚数かせぎと批判されても仕方が無い。
またMCのほとんどがカットされているのは納得できない。時間は余ってるだろうが!!
おまえらライブでMCを楽しみにしたことはないのか!?
いかんいかん、結局批判してしまってるw

4枚目は同じく87年に行われた「BEAT CHILD」というイベントへの出演時の映像である。
このライブこそ、伝説のライブと言える代物。自分は雑誌でこのライブのレビューを読んでいたが、
今回初めてそのライブの全貌がクリアな映像で明らかになり、その凄まじさに息を飲んだ。
8月の終わり、熊本の阿蘇で行われたこのイベントは台風の接近による雨にたたられた。
BOφWYが出演時にそれは豪雨と化した。1曲目のイメージ・ダウンでまず氷室がいきなり
マイクスタンドからマイクを奪い去ろうとしてマイクがすっぽ抜ける。
立てた髪の毛は3分でへたんとなり、氷室はそれなりに見れるが布袋はただの落ち武者と化す。
布袋がギターソロで足を滑らせステージ上で転倒する。それでもギターは弾いたまま。
雨の影響でワイアレス電波が届かずギターの音が途切れ途切れになる。
ベースの松井は雨の中微動だにせずダウンを刻み続ける。
ドラムのまこっちゃんはPAの不調かスネアの音がキンキン鳴りながらもパワフルに叩き続ける。
氷室は雨の中息が苦しそうになりながらも、完璧な音程を維持する。
それどころか、雨を利用してマイクをスライディングしながら取ったり、MCでは「大丈夫か?」
「足元はぐちょぐちょだろうけど・・・」「(機材の不調に)悪いな」と、全く悪条件を言い訳にしない
すさまじいパフォーマンスを繰り広げる。布袋らメンバーも触発されたのか、キレにキレた演奏。

途中、さすがの氷室もこの悪条件で肉体的に弱ったか、思わず本心を明らかにする場面がある。
それは「Dreamin'」のMCの際。「4人それぞれも成長して考えることもあって、何が夢なのか
正直わからない」という、解散を意識しているとしか考えられない発言をしている。
そう、すでに87年はBOφWYは解散を決めていた時期で、氷室はツアーを続けながらも
オーディエンスに「また来るぜ」とウソをつかなければならないことを悩んでいたという。
自分の心に正直であるためにバンドを結成し、そして解散させる。つかんだはずの夢が
崩れ落ちていく刹那。そのギリギリの中で歌い、演奏し続けたBOφWY。
彼らの美学がこのディスクにつまっている。このライブが見られただけでも、BOXを手に入れた
価値がある。そしてこのライブ単体でのパッケージングではリリースは難しいということも容易に
想像できる。このライブの発掘についてはスタッフに大いに拍手を贈りたい。

5枚目はロックステージ新宿。現在の東京都庁のある土地で行われたライブイベント。
これも雨にたたられながらの素晴らしいパフォーマンスである。逆境に強いバンド、BOφWYの
面目躍如である。しかしながらこれも完全収録ではない。
吉川晃司を迎えた「1994-Label of Complex」も無いし、山下久美子らのバックをBOφWYが
務めた映像も収録されていない。まあ、高橋まことの著書「スネア」によればBOφWYの解散の
真相は布袋が山下久美子のツアーバンドに松井とまこっちゃんと迎え、氷室抜きのBOφWYに
しようとしていたためだったことを考えれば、収録されるわけは無いか。

6枚目は2001年にNHK BSで放送された「BOφWY PERFECT LIVE~FINAL伝説」そのまんま。
この番組には貴重なライブ映像が収められており、これが全て完全版で見られることをファンは
期待していたのだ。しかしそれがこういう結果になったことを嘆く気持ちはわからないでもない。
日比谷野音でのライブで氷室が歌詞を間違え自分の頭をポコポコ叩くシーンとか、
初めての渋谷公会堂でのライブで花火とともにヤンキーくずれの氷室がジャンプして登場する
シーンとか、いわばダサい場面が多く、そのためメンバーが公開を許可しなかったのかもしれない。
しかし、そうだとしたら自分は中指を彼らに立てたい。
もともとパンクなんだろ?と小一時間問い詰めたい。守るものなんて何もないじゃん。
もしかしてLAの豪邸かい?今のイメージかい?自分の誤解であることを祈る。

7枚目はこれまた87年の北海道と86年と87年の仙台のイベント出演時の映像。
北海道の方は、正直あまり大したパフォーマンスではない。氷室は必要以上にテンションを
上げようとしてから回りしている。すでに解散に向けてひた走っていたバンドの状態を表すように
なにやらギクシャクしたような印象を画面から受ける。
最後、氷室は「また来るぜ!」ではなく「また来たいと思います」と発言してステージを終わる。
解散と言う言葉が現実を帯びてきたことに、気持ちの面が整理できていなかったのではないか。

仙台の方はまず86年。客が寿司詰めになっているのが印象的。
上半身裸で汗だくになって拳を振り上げる男性ファンが濃い。女性ファンも相当気合が入っている。
しばしば客席が大写しになるのだが、誰もかれも皆ロック好きのちょっとイカレた奴らに見える。
87年はナレーターによる紹介からステージに登場するまで舞台裏で待機するメンバーの貴重な
姿が納められている。それにしてもこのナレーターのつるっぱげぶりには驚く。
BOφWYを「ビー、オー、オー、ダブリュー、ワイ BOφWY~!!」と気合たっぷりに紹介するが、
おっさん間違い。「φ=ファイ」と読むんでっせ。
INTRODUCTION~IMAGE DOWNの黄金パターンでの登場。猛獣のような氷室が登場するシーン
には震えが来る。しかしその後黄色い声で合唱する観客に、86年との大きな質の違いを感じる。
すなわち、全国的にブレイクした後のBOφWYには、新たなオーディエンス層の開拓に成功した
ものの、いわばアイドルを見るような目で彼らを見ていたファンが多く出てきたのではないか。
そう感じさせるシーンである。しかしながらBOφWY自身のパフォーマンスはキレている。
ステージから客席に伸びた花道で氷室と布袋が交差するように絡むパフォーマンスは、燃える。

ただこれらも完全収録ではない。またもともとの映像を編集し無理にアップにしている箇所が多く、
画像のアラが目立つ。もっと生っぽくても誰も怒らないぞ。

8枚目は前述の通り。スタッフによる「BOφWYの思ひで物語」と化していて、ウザい。
感動の無理強いは白ける。「そして彼らは、生きながら伝説となった」なんてテロップ出されても…。
宗教じゃないんだからw
BOφWYってそんなに神様みたいな存在?たしかに彼らの業績は凄い。彼らの成功が日本に
ロックを根付かせたのは間違いない。しかしそれまでの土台を築き上げたのはそれ以前のバンド
CAROLやRCサクセションなどであり、BOφWYは一種のブレイクスルーであったに過ぎない。
またビジュアル系と言われる、ファッション性のみを強調した亜流を生んでしまったことは彼らの
功罪の罪とも言える。もっとも彼ら自身にはそういう自覚は全く無かったわけだが。
補足するが、ビジュアル系と括られるバンドの中にも素晴らしいものはたくさんある。
しかし消えていった多くのビジュアル系バンドの多くが中身が乏しく見た目重視だったのも事実だ。
AURAとかクスクスとか・・・。
8枚目の目玉は何と言ってもロンドン・マーキークラブでのライブである。BOφWYを全く知らない
聴衆が徐々に彼らの演奏に飲まれていく様は快感である。まだノリの悪い観客に向かって
You Are Young?」と皮肉っぽく控えめに煽るヤンキー氷室が最高におかしいw

さあ、書き残したことは無いか自分?w
最後に、BOφWYの残した財産はやはり多くの人に親しんで欲しいし、ポップでありながらロックの
真髄を確かに持っていたバンドの姿を、後世にちゃんとした姿で伝えてもらいたいものである。
87年の洗練された姿ばかりじゃ、ブレイク前および直後のBOφWYの姿はわからない。
ダサダサなところも、あっていいじゃないか。裏GIGS BOX的なもののリリースを強く望む。

あと、リリース情報は早めに出してねEMI。Amazonで注文して日本の口座から引き落としている
自分にとっては、残高とのにらめっこは大変なのである。
以上。
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速報!BOφWY関連書籍発売

テーマ:
 
B-PASS SPECIAL EDITION BOOWY 1986-1988
¥2,520
Amazon.co.jp
シンコーミュージック・サイト より抜粋

1986年5月号から、LAST GIGSの記事を掲載した1988年6月号までの約2年間、B-PASSは

BOOWYを追いかけ、BOOWYと向き合い、鬩ぎあい、イマジネイション溢れるページを作りました。

そのすべてを当時のデザインのまま一冊の形にまとめあげたものが本書です。
パーソナル・インタビュー、スタジオでの撮り下ろし写真、海外特写、ライヴ密着レポート、ヒストリー・・・。
走り続けたBOOWYのすべてがこの一冊に記録されています。



すごい!この本欲しい・・・


当時を知る人にとっては懐かしの、そうでない人には資料となるでしょう。


誰かお歳暮に・・・



SMiLE

テーマ:

タイに来て2週間経った。

最近の自分の音楽生活に欠かせないものを紹介しよう。

いや、これからの人生にも欠かせない宝物を紹介しよう。


ブライアン・ウィルソン
スマイル


1967年当時未完成のままお蔵入りし、なんと37年経った2004年にブライアン・ウィルソン名義で

発表された作品。

当時はThe Beach Boysの作品としてレコーディングが進んでいたが、同グループの方向性と著しく異なる

作品であったためか、メンバーが参加を拒否したいわくつきの作品である。


ブライアンは以前からThe Beach Boysの楽曲のほとんどを作曲・編曲しさらにはレコーディングまで

スタジオ・ミュージシャンを使って行っていた。

メンバーはツアーから帰ってくると歌入れに参加するという状態であった。

その結果、66年には名作Pet Soundsが生まれた。

以前の記事にも書いたが、この作品はビートルズのアルバム"Rubber Soul

に影響を受けたブライアンが、それを凌ぐ作品として作ったものである。

これに刺激されて、ビートルズは"Revolver”でさらに実験的な作品作りに

のめり込み、“Sgt.Pepper's~”に至るわけである。


さてブライアンというと、様々なプレッシャーに押しつぶされてしまった。

何しろ当時のリリース・ペースは現在と全く異なる。

シングル月1枚ペースといっても過言ではないペースで作品を作らなければならなかった。

アルバムはまだシングルの寄せ集めという考え方が主流で、年2枚はざらだった。

その時代に、ブライアンはいた。

レコード会社は1967年初頭までには「SMiLE」を発売する予定で、すでに40万枚のジャケット刷りを終え、

当時としては画期的なテレビCMを打つなど、大々的な宣伝を行っており、

後は作品の完成を待つばかりだった。


しかしブライアンは、「あと1年はかかる」と思っていた。

なぜならば、この「SMiLE」の楽曲群はいわばサウンド・コラージュのような形でバラバラにレコーディングされており、

これらをつなぎ合わせる作業が必要だったからである。


モジュラー・レコーディングと呼ばれるその手法は、66年発表のシングル‘Good Vibration'で初めて

取り入れられたが、プログレッシブかつポップなサウンドが大衆にも高く評価され、見事全米No.1に輝いている。


ブライアンはそれを発展させ、1枚のアルバムまるごとその手法で作ろうとしていた。

しかしそれは当時の技術では途方も無い労力と時間を要するものであった。

そしてその時間は、ブライアンには与えられなかった。

しかもメンバーは、ブライアンの音源に難色を示した。

あまりにも実験的過ぎて、今までのThe Beach Boysとして作り上げてきたイメージと

異なる内容だと思ったのである。

それも無理はない。世界中をまわって疲れ果ててやっとつかんだNo.1グループの座。

事実、66年にはイギリスの音楽誌アンケートでビートルズを抜き、人気投票で第1位となっていたのだ。

それを守ろうとするメンバーの気持ちはわからなくもない。


そしてブライアンは悩み、苦しみ、精神が崩壊した。


ドラッグの影響もあり廃人同様になったブライアンは、1988年にソロアルバムを発表するまで

ほとんど表舞台に顔を出さず、The Beach Boysの単発的なライブイベントに参加したり、

アルバムに楽曲を少し提供するなどにとどまっていた。



そんな彼が、37年の月日を越えてついに完成させた"SMiLE”。

ブライアンはなんとアルバムより先にライブで演奏してしまった。

その模様が収められたのがこのDVD。

2枚組で、1枚目にはブライアンがバンドメンバーに見守られながら、当時の傷を思い出させる

Smileの音源と向き合い、立ち向かっていく姿が収められている。

2枚目にはSMiLEのフル演奏が収録されている。バンドの驚異的な演奏も見逃せない。

ワーナーミュージック・ジャパン
スマイル DVD

ブライアンが、自分の精神を崩壊させる原因となったこの作品。

テクノロジーの進歩と、メンバーの励ましのおかげで、ブライアンはみるみるうちに

それらのコラージュ群をひとつのポップ・シンフォニーに作り上げてしまった。

これはまさに、当時ブライアンがすでにこの音像を頭に描いていたという証明ではないか。

一聴していただければわかるが、一つ一つのコラージュは美しく素晴らしいメロディーに

満ち溢れている。

それらをひとつにまとめることがどんなに難しいことか。

ブライアンは、当時の自分が描いていた音像をなぞった。

しかも過去のトラウマと向き合いながら。

ブライアンは、その戦いに勝った。

自分との戦いに、勝った。

なんという才気。そして精気。


そして、本当の意味で彼に"SMiLE”が戻った。


smile

自分は毎朝、SMiLEを聴きながら仕事に行く。

すがすがしい朝日とともに、神々しいメロディが私を包み込んでくれる。

「お前は許されているんだよ」と、神が語りかけてくる。

ブライアン、あなたは過去の呪縛から解き放たれた。

自分も、過去の自分とは決別できた。

この作品は、人類が生み出したポップ・ミュージックの最高峰である。

数々の作品を聴いてきたが、これを超える作品はまだないと、断言できる。

それは音楽的な意味ももちろんであるが、それよりも人間的な面から言える事である。

一人の人間が、生命の危機から立ち直り、自分を苦しめ追い詰めた原因に立ち向かい、

見事それを克服した。

その刻印が、この作品である。

Pet Soundsは前座だった。

Sgt.Pepper's~も比較にならない。

100年に一度あるかないか、そういう作品である。

ベートーベンやモーツァルトの交響曲と肩を並べる、人類の財産である。

聴かずに暮らす人生と、聴いて暮らす人生は、全く違う。

そこまで思わせる作品である。

ビートルズの公式作品は全て聴いてきたが、有名ではないもののかなり通好みのいい曲がある。

今回はそれらを少し取り上げてみることとする。


・Happiness Is A Warm Gun

 通称ホワイト・アルバムに収録されているジョンの作品。

 ジョンの死を考えると何とも複雑な思いを抱いてしまうタイトルだが、ジョンはテレビCMか何かでこの

 タイトルのフレーズが使われているを見てインスパイアされたとのこと。

 内容はドラッグ体験が暗喩的に語られているもの。めまぐるしく変わる曲展開はハマれば中毒性がある。

 この曲は何と言ってもジョンのボーカルが最高。

 イントロは語りかけるように静かに、そして曲の展開と共に徐々に熱を帯びてくる。

 「I need a fix 'cause I'm going down~」の部分ではまさに底を這いずるような低音ボーカル。

 そしてサビでは狂気をはらんだような絶叫。これがジョン流のブルースだ。

 クライマックスでは、恐らくジョンが生涯残したすべての音源で一番のハイトーンを出している。

 ただ単なるこれ見よがしなハイトーンではなく、魂の底から全てをさらけ出すような叫びを伴った肉声。

 これはジョンのベスト・ボーカル・パフォーマンスである。


・Taxman

 アルバム『Revolver』収録。

 ジョージの曲が初めてかつ唯一、アルバムのオープニングを飾った記念すべき曲。
 ジョージらしい皮肉を交えた歌詞、そしてハードロックの要素もはらんだギターのリフとサウンド。

 ポールがまたいいベースを弾いている。

 諸説によると、ジョージの曲になるとポールは自分が上の立場だと主張したいからなのか、

 いつもより良いプレーになっているという。

 真偽のほどはわからないが、この曲のベースは専門誌でも良く取り上げられるほどカッコいい。

 また、この曲のギターソロはポールが弾いている。

 やはりポールはジョージに対して意地悪なのだろうか?

 しかし攻撃的なこのソロは、ジョージの優しいギターでは表現できなかったかもしれない。

 そう思わせるだけの素晴らしい出来である。

 

・Mother Nature's Sun

 ポールの曲は、実在しない人物を凝った名前をつけてストーリー仕立てにすることが多いのであるが、

 それらの曲は私にはあまりピンと来ない。例えばOb-La-Di,Ob-La-DaにはDesmondとMaryという夫婦を

 出演させてみたり、Meter Maidという職名の語呂に合わせてLovely Ritaという女性を創造したり・・・。

 ポール自身は歌詞に登場する人物の名前には相当こだわっているようだが、はっきり言って私には

 どうでもいい。

 しかしそうではないポールの曲には、出色の出来のものが多い。

 Yesterdayは別格であるが、この曲も捨てたものではない。

 ホワイトアルバムに収録されており、ポールが他のメンバーと共にインドで瞑想修行していた際に

 書かれたものである。

 日々の喧騒から離れ穏やかな瞑想の日々を送っていたせいか、ポールはただの音楽好きな大地の子

 (Mother Nature's Sun)に自分をなぞらえている。

 聴いていると少年のような表情をしたポールが屈託無い笑顔でギターを弾いている様子が浮かんでくる。

 余談であるが、ジョージはこの瞑想修行の際にメンバーが作曲をするのを「修行を真面目にしていない」

 と怒ったそうだ。いかに彼が真剣に取り組んでいたかがわかるエピソードである。

・I'm Down

 ポールの魅力の一つに、ロックンローラーとしての一面がある。

 特にリトル・リチャード風の曲を歌わせれば右に出るものはいない。

 この曲はオリジナル曲ではあるが、そのファンキーなボーカルを前面にフューチャーしている。

 ジョンの電子オルガンもかなりイケている。

 65年の世界初のスタジアムコンサートであるニューヨーク・シェイ・スタジアム公演のエンディングでは

 興奮したジョンが肘で鍵盤を弾き、それを見たポールも喜んで一回転、ジョンは終盤自分のプレーで

 オルガンが落ちそうになっている様をジョージを小突いて見させようとしている。

 66年の日本武道館公演でもこの曲はエンディングであったが、ジョンはセッティングされていた電子

 オルガンを弾かなかった。

 たった1年で急速にコンサートへの興味を失ったビートルズの姿を象徴的に表している。

 

 

・You Can't Do That

 アルバム『A Hard Day's Night』収録のジョンの曲。

 このアルバムは初めて全曲Lennon=McCartneyオリジナル作品で固めた初期ビートルズの傑作である。

 中でもジョンの才能が一気に開花しており、リーダーとして名実共に君臨している。

 アルバム収録曲では「If I Fell」というバラードも秀逸なのだが、この曲はジョンのロックンローラーとして

 の力量を存分に見せつけている。

 イントロのリフからして、ジョン独特のリズムが感じられる。エリック・クラプトンはjジョンのギターを高く

 評価しているが、それはその骨も肉も断つ様なエッジの効いたカッティングにある。

 この曲ではギターソロもジョンが弾いているのだが、そのカッティングを交えたフレーズはジョージにも

 ポールにも弾けない何かがある。

 歌詞もこの頃のジョンを象徴するようなマッチョな男っぷりを誇示するような内容で、解散後Imagineを

 書いた同じ人物とは思えない。

 こうした二面性こそ、ジョンの魅力だと思うのだ。


・Good Night

 ホワイト・アルバムの最後に収録された歌。ボーカルはリンゴだが、作曲はジョンである。

 ジョンはこの曲を書いた時、決して自分が歌おうとは思わなかっただろう。

 なぜならその頃はビートルズのリーダーとしてのプライドがまだあり、マッチョなイメージを崩したく

 なかったからである(実質上はポールがリーダーシップを取っていたのではあるが)。

 しかしその実、既にヨーコの影響を受けていたからか、その優しい内面からにじみ出るようにして出来た

 のがこの曲である。

 

 Now It's Time to Say Good Night   Good Night Sleep Tight

 Close Your Eyes and I'll Close Mine Good Night Sleep Tight

 

 歌詞を見てわかるように、これは最初の妻シンシアとの間に産まれたジュリアンへの子守歌として

 書かれたものである。

 後にジョンはヨーコとの間に産まれたショーンに対しても子守歌を書いている。(Beatutiful Boy )

 この曲ではうって変わって、ジョンは自分の声で素直にわが子への愛情を心を込めて歌っている。

 ビートルズのジョンから、ただのジョンへ。

 ジョンの心の底はいつも変わらぬままだった。

 ただ、ビートルという重く厚い「よろいかぶと」を脱ぎ捨てるのにそれだけの時間と経験を要したのである。

 ジョンという人間に感じる魅力は、いくらカッコつけても見え隠れするその優しさにある。

 それは老若男女や国籍・年代を問わず、今でも多くの人々を惹きつけてやまないのである。



 

今週のスクラップブックステーションに、私の参加しているThe Beatlesが紹介されている。

ここは参加者の務めとして、記事を投稿させてもらう事とする。


・・・と思ったが、以前かなり気合いを入れて書いたので、今回は時間もないからそれらを紹介。


はずせない曲。Strawberry Fields Forever

 この曲に関する事項を書いている。「クリック


この曲のほかに、ジョンの曲で特別な作品についても以前語っている。「クリック


考えてみたらポールの曲について全く語っていない。

もちろんYesterdayやLet It Be、Hey Judeなどの超名曲については語るまでもない。

普遍的な魅力にあふれるポールの楽曲は時代を超え次の世代に受け継がれるだろう。


ジョンの楽曲は個性にあふれ、楽曲そのものよりジョンという存在そのものが強烈で

普遍的なメッセージを与え続けている。


しかし、この二人はもとからこんな凄い奴らだったわけではない。

ただロックンロールやリズム・アンド・ブルースが好きで、勉強の嫌いなガキだったのだ。

しかし二人が出会う事でその才能を磨きあい、刺激しあった結果、世界を席巻するグループ

としてビートルズが君臨し、名曲の数々が生まれていったのだ。


その触媒として、60年代という時代背景や、リバプールという土地の持つ磁場ともいうべき文化の交わる地点があったのだ。



こうして分析するもよし、単純に好きな曲を挙げるもよし。

ビートルズにはそうした自由さを受け入れる懐の深さがある。

解散後すでに30年を越えているが、こんなバンドは他にはない。

いや、これからも出てこない気がする。

お宝ザクザク

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全ビートルズファン必見のサイト発見!!

これは驚いた。

私もビートルズの映像はほとんど見ているのだが、ここまでまとめて見られる機会はなかった。

イギリスの権威ある番組に出演した際の演奏や、多くのプロモーションビデオが見られます。

だまされたと思ってここを押してください。

         ↓

       「クリック

ビートルズとは?

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ビートルズとは


その答えはいく通りも出てくる。
男女問わず惹きつける元気で楽しくカッコいいアイドルとしてのビートルズ。
今日にもそして恐らくこの先の音楽の歴史にも残る美しいメロディを作ったソングライター集団としてのビートルズ。
激しいビートを叩きつけ、張り裂けんばかりのシャウトで聴く者を脳天から直撃するロックンローラーとしてのビートルズ。
ドラッグの影響下にてそれまでのポップスの概念を根本から覆す歴史的金字塔を打ち立てた革命的芸術家としてのビートルズ。


beatles sgt.pepper

しかしそれらは彼らを周りから見た時に生まれた賛辞なり評価なのである。
あまりにも世間は彼らを中心に廻っていた。
彼らにあてられたそれらの過剰な修飾語は、「虚像」としてのビートルズを作り上げるに至った。
その虚像を虚像と見た芯のある人々が、彼らをあえて敬遠したのであろう。

しかし彼らはただの4人の若者であり、音楽が好きで、才能にちょっと恵まれていて、お互いに刺激しあって、お互いに強い絆で結ばれていたのだ。
まさに彼らこそ「バンド」だったのだ。

彼らは時代の流れに乗っかって「旗振り役」をしていたのだろう。そして彼らの周りを渦巻く台風は大きくなる一方、台風の目の中にいる4人は、あのユーモアにあふれ、屈託の無い4人のまんまだったのだ。


beatles humour


そんな4人の関係に変化が生じたのは、ビートルズ後期、彼らの父親役であったマネージャーのブライアン・エプスタインが死去した後である。
4人は徐々に、ビートルズという台風の目の中から抜け始めていた。

ジョンはヨーコという稀有なパートナーに夢中になり、ポールとのパートナーシップにより得ていたインスピレーションに頼らないようになり、ビートルズのリーダーというポジションから遠ざかっていった。
ポールはジョンの姿をさびしげに見つめながらも、「バンド」であるビートルズを愛しまとめようと力を注いでいった。
しかしそれは時に独善的であったり命令的になってしまったりして、メンバー間の軋轢を生んだ。
リンゴはホワイトアルバムのレコーディング中に、そんな雰囲気に耐えられなくなり一時脱退する。
そしてジョージは宗教的な目覚めからビートルズ全員にインド行きをすすめ新たな境地に導くなど、その独特な感性を磨いていった。その結果、一番年下であるがゆえに常にジョンとポールに従ってきた彼の自我が蜂起し始めていった。
そうした4人の緊張関係をありのままに描いたのが映画「Let It Be」である。

let it be

この映画は恐らくポールが存命中にはDVD化されないだろう。
「バンド」としてのビートルズは、あの映画にはアップル屋上ライブ以外には描かれていない。

レコーディングの中で衝突する姿は、もうあの仲良くユーモアあふれる4人ではなくなったことを証明するものであった。
そんな末期症状の表れていたビートルズであったが、最後に4人で「バンド」として作品を残すことで全員が団結した。

先日手に入れた雑誌「大人のロック 」で一番感動した記事、小森和幸氏の「心の内と人の結びつきを物語る歌声」から引用させていただく。

(4人で最後にレコーディングしたアルバムAbbery Road収録の"Because"のハーモニーについて)
「いろいろなことがあっただろうけど、絶対に心は結ばれている。そうでないと、あのハーモニーはできない。」

彼らはやはり、最後まで「バンド」であった。

abbey road

この世界一有名な横断歩道、私も以前渡った。

ビートルズはAbbey Roadスタジオを一緒に出て行った。

そして二度と4人そろって戻ってくることはなかった。

まばゆいばかりの残像と残響を残して。

 

 

(注:この記事は、The Beatles Bookに参加されているwakuwaku姐さんのブログに書き込んだ私のコメントを若干手直ししたものです。