HIMURO at the 1st Day of 21st Year

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1988/7/21 氷室京介がシングル「Angel」で華々しいデビューを飾った。
2008/7/21 その20周年にあたるこの日、さいたまスーパーアリーナで「Just Movin' On」ツアーの
2日目となる公演が行われた。

この日のライブに合わせて、自分はタイから戻ってきた。
ヒム友の好意で、チケットを一緒に取ってもらい、様々な調整をして臨んだ。
しかしその割りに、ライブ直前までまったくテンションが上がらないままだった。
それは例のベスト盤が原因だった。

新録曲が3曲あったものの、前回のベスト盤からたったの5年、オリジナルアルバムたったの2枚しか
出していない。こんな代物でファンの目先をだまくらかしての20周年なんて・・・と否定的な思いしか
出てこなかった。
自分の思う氷室京介像は、つねに尖がっていて、世の中に対して斜に構えて
長いものには巻かれない男である。
以前記事にも書いたが、自分が男として目標にできる人間であった。

しかし最近の氷室は、あまりにも迎合していると感じる。
2003年のCase of Himuro(COH)からその兆候は表れていた。
モロBOØWYを連想させるタイトル。コンセプトもデビューからの楽曲を、レア曲も交え3時間にわたるライブ。
旧巣EMIへの移籍。
その契約の中で氷室は担当者に「数年度どういう自分でいたいのか」という問いをされたという。
名作『Follow The Wind』の製作にあたり、ひとつアルバム分を没にしてまで臨んだのは、旧巣にもどるという
いわば後ろ向きに見られてもおかしくない選択に対する並々ならぬ氷室のアンチテーゼの表れだった。
確かにその時、氷室は尖っていた。戦いを止めていなかった。
しかし、アルバムを受けて行われるはずのライブの前哨戦として行われたのがこのCOH。
何かが違っていた。

翌年、またもやツアーが行われた。2000年以降何年もツアーを行わなかった氷室にとっては、
異例のことだった。
そしてあの涙のCloudy Heart。
あそこで氷室は自分との戦いを止めたかのようだ。

毎年お祭り的なライブをやるという発表がされたのは、21st~の時だったと記憶している。
ファンサービスとしてのBOØWY曲の披露。
それが定番化した。

そして今回の20周年ツアー。
やはりBOØWY曲を持ってきた。
「季節が君だけを変える」「Funny Boy」など、予想もしていなかった楽曲たちに狂喜する自分。
ステージではニコニコしながら歌う氷室。完全に楽しんでいる。
学ランが似合うオサーン

ソロになってからの楽曲も、前年ツアーをやってきたメンバーで臨んだせいか、素晴らしい出来。
氷室が「2日目にして最終日のような」と言ったのはオーディエンスの盛り上がりだけではなく、
バンドの演奏のレベルについても当てはまっていた。

楽しい、激しい、上手い、完璧
いつもの氷室のライブだった。
気がつくとヘドバン、エイトビートに合わせた80年代風のコブシ上げ。
怒号のような氷室コールをしてしまっていた。

そしてベスト盤に収録されたバージョンの「Lover's Day」。
しっとりと歌い上げる氷室の声、その姿に琴線を揺さぶられた。
このライブに来てよかった。
心底そう思った。

やっぱバケモンだ

実はこのライブを自分は録音しようと思っていた。
過去にもしたことがあるし、仲間にその音源を配ったこともある。
しかし今回はしなかった。できなかった。
ライブ前に、ある男性ファンと出会った。
食事のために立ち寄ったお好み焼き屋で隣にいた男性グループ。
どう見ても氷室ファンだ。
その中に、熱く語っている男がいた。
深夜2時に酔っ払って友人に電話で「Lover's Day」を聞かせるほどのアホで熱いファンだ。
彼が「先輩、あの映像見ましたか?」とネットで落とした映像や音源について語ってくる。
ほとんどのものを持っている自分は、彼とものすごく話があう。
食事をするのを忘れるぐらいに盛り上がっていた。
そして最後に自分は「今日の、実は録音するんだ」と言うと、とたんに彼の表情が変わった。
「それはどうかと・・・」
散々ネットで落としたファイルについて話していたのにどうして・・・?と思いながら会場に向かった。

会場では先に席についていたヒム友の隣。なぜか彼女にも「録音しないですよね?」と言われた。
あいまいな答えの自分。すでにセッティングして会場入りしていたのだった。
しかし、あるミスに気がついた。
録音の入力設定を間違っていたのだった。このままだと音が入らない。
どうしようと思っている間に会場は暗転。オープニングBGMが流れてきた。
今、ここでしゃがんでセッティングを直せば確実に録音ができる。
そうわかっていた。
しかし、できなかった。

二人のファンからの言葉が影響していたのは間違いない。
しかしそれ以上に、自分の脳裏にふと浮かんだ言葉がそれをさせなかったのだ。
「一期一会(One Night Stand)」
ライブというのは文字通りその日限りのもの。その瞬間を楽しまないでどうする?
そういう思いがこみ上げてきた。
氷室のライブはいつも完璧。音を聴きたければCDを聴けばいい。
映像を見たければDVDを見ればいい。
しかしライブのあの雰囲気、あの感動、あの興奮は決して記録に残せるものではない。
それぞれの記憶の中に残すものだ。
本当に大切なものは心の中にだけ残すものだ。

そう氷室から言われている気がした。

メタボって何?


今回、ライブの直前もしくは直後にヒム友たちに会おうと思った。
実際7/20にもライブ参戦しようと思い、チケットを確保しようと頑張った。
しかしいずれの抽選にも外れ、断念した。
するとその日にブログ仲間とのジャムセッションが実現した。
ヒム友はオフ会を企画してくれていたのだが、それは実は自分の予定に合わせてのことだったという。
それはライブ終了後に知った。
そしてライブ直前には自分はジョン・レノン・ミュージアムに行ってグッズを買い込んだため
ヒム友たちが集まっているところに間に合わなかった。

申し訳ない。
おそらく自分の氷室に対しての気持ちが中途半端になっていたからこうしたことが起きたのだと思う。
熱い氷室ファンとの波長の違いが自分の中にあったのだろう。
ライブで再び熱さを取り戻すまでは。

それでも、何人かに会うことができた。
コメントやメッセージでやり取りしたことはあっても、実際に会ったことのない仲間。
COHの時に会ったっきり、ご無沙汰していた仲間。
自分にはこうして会える仲間がいる。それが嬉しかった。
何年先かわからないけど、信じていればきっと会える。
一期一会とは全く反対の思いだが、それもまた真実だろう。


お世話になりました

最後の日、バンコクで1日仕事があったのだが、そこで無くした物がある。

4年前、宮崎にいた頃に買ったクロムハーツのネックレスである。

ブランド物をさりげなく着こなす社長に憧れ、一流の男となろうと気合を込めて買った逸品。
大切にしまっておいたはずなのに、無くなってしまった。
しかし、一緒にライブに参加してくれた友人からこういう言葉をいただいた。

「身につけてる宝石や時計が紛失したり、壊れたりする時は、自分の波動やステージが変わった時」

自分は2年前にタイに仕事で赴任した。
2年間で得たもの。それは自分も気がつかないぐらいの成長。
海外という舞台で必死に毎日を過ごしてきた日々が、自分を思う以上に大きく成長させていた。
それを感じた今回の旅。その中で氷室のステージは自分の人生の中でも輝かしい思い出として
心の印画紙に焼きついている。


氷室は旅を続けてきた。
過去の自分との戦い。過去そのものとの戦い。
20年に亘る戦いの日々。
2008.7.21 あの日に見た氷室は戦いを止めた男には見えなかった。
ボーカリストとしての自分の限界に挑戦するかのごとく、激しいナンバーを並べたセットリスト。
この日彼はデビュー曲の歌詞をこう歌った。

臆病な俺を見つめなよANGEL

臆病者にはなりたくはない と歌詞を変えたANGEL2003ではなく、オリジナルのANGEL。
しかし最後の部分では歌った。

そしてここからはNever Surrender 今全てを変えるのさ


これはANGEL2003の方の歌詞。
氷室の心境はこういうことだろうか。

20年の戦いの中で、過去の自分とはカタをつけた。
しかしこれからの活動は、季節で言うと秋~冬。
確実に訪れる自らの活動への休止符。
どれだけ維持できるかわからないが、変わらず歌い続けること。
それがこれからの氷室京介の戦い。
21年目の最初の日、今一度デビュー当時の臆病だった自分の心境に帰り、
新たな旅へと進んでいこう。

そう、「いつまでも旅は続いていく」のだから。



Very special thanks to everyone who met in my journrey of July 2008





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