John Lennon's 67th Birthday

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今日はジョン・レノンの67歳の誕生日。

生きていれば、という枕詞は何の意味も無い。


今日は自分にとって大きな買い物をした。

車だ。

今まで乗っていた車が走行距離20万キロを越え既に限界を迎え、

エンジンのかかりがすさまじく悪くなっていた。

そして意を決して新車を購入。

初めてカーステレオでかける曲は既に決めていた。


「(Just Like) Starting Over」

ほぼ引退状態だったジョンが、息子ショーンの「パパはビートルズだったの?」という

言葉をきっかけに音楽活動を再開した際のシングルだ。

皮肉なことにこの曲で再出発したジョンは12月に凶弾に倒れた。

彼の命は無きものになってしまったのか。

いや、この曲とアルバム『Double Fantasy』の輝きを残し逝ってしまった彼のオーラは

この先も消えることは無いだろう。


実はこの1年間、今日までジョンの曲をほとんど聴いていなかった。

自分にとってすでに血や肉の一部となってしまったジョンの存在。

それを確かめるのは1年に1度で十分なのだと思う。

そしてこの曲を聴くたびに、人生はいつでももう一度スタートを切れるんだと

教えられている。

何度目なのか、歳を重ねるごとにわからなくなってくるが、ともかく今日は

自分にとって一番新しい「Starting Over」である。


おかげで貯金はスッカラカンだが、マイナスになったわけじゃない。

ゼロから始めればいいじゃないか。

君も、僕も。

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Happy Birthday To Him

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Happy Birthday To You, Mr. Kyosuke Himuro


今日は氷室京介の48歳の誕生日です。

48,・・・あと2つで50。

今年のツアー映像を観ながら書いていますが、年齢を全く感じさせない

パフォーマンスに改めて「うまいな~」と思い知らされています。


氷室京介と言うと一般的には女性のファンが多いような印象がありますが、

男性ファンだって多いはずです。

この場を借りて男性ファンから見た彼の魅力を少し。


・歌唱力

 ライブでも決して乱れることの無い音程。ハイトーンでごり押しするタイプでは無いが

 中低音域でしっかりしたメロディを抜群のリズム感で歌いきる。

 カラオケで歌ってみるとよくわかるが、節の取り方が本当に独特。

 普通にのっぺり歌うとあの味が出ない。


・作品

 自分のボーカルスタイルを生かす曲作りは他の追随を許さない。

 楽曲の音づくりの良さは秀逸。ハイレベルな音は日本人の製作するロック・ミュージックでは

 出色のものであろう。


・ルックス

 女性ファンから見てのかっこよさと男性から見たそれは違うかもしれません。

 しかし男から見てもカッコいいものはカッコいいのです。

 ボウイ時代は明らかに意識的にカッコつけていましたが、けっして媚びているような

 カッコつけ方ではなく、自分が一番カッコいいと信じてオーディエンスを攻めまくっている。

 その前のめりの姿勢が男どもをもひきつけてやまない。

 50に手の届く今でも20代のスタイルを維持しているのは奇跡的だ。

 その徹底的な節制振りが伺える。


・生き様

 全盛期にすべてをぶち壊し、新たな地平線に旅立つ。

 常に攻めの姿勢を崩さないその生き様に、男として学ぶべきところは大きい。

 既存のシステムに飲み込まれず自分のポジションを自分で獲得しているところに

 したたかさとたくましさを感じる。


 氷室京介にはさまざまな影響を受け続けている。

 そして何を隠そう上で歌っている息子も、彼の名前を少しいただいてもじってつけている。

 息子は母親のおなかの中にいる時に氷室のライブに2度参加している。

 おかげで歌が大好きな子供に育っている。リズム感も良い。

 願わくば氷室のように自分を曲げずにしたたかに生きていってもらいたいものだ。

 そして、私と同じく氷室京介というアーティストを好きになってもらいたいものだ。

 いつか、息子と二人で氷室のライブに足を運ぶのが夢だ。

 実現できるまで、何とか現役を続けていってほしい。

 最低あと12年、還暦までは。


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前回ご紹介したBitches Brewに続いて私がハマったのが、
『Kind of Blue』である。


Kind of Blue/Miles Davis


マイルスをAmazonで検索すると真っ先に出てくるのがこの作品である。
1959年、Bitches Brewから遡ること10年前に発表された。
ジャズにはいろいろなスタイルがあるが、この作品は「モード」と言われる手法を用いている。
モード・ジャズとは自分もよくわからないが、それ以前の「ハード・バップ」というスタイルとは違い、

アドリブの自由度が増し、演奏者の手腕がより明確になるものであるらしい。

詳しくはこちら

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA


こんなお題目を聞いてもなんのこっちゃわからないが、とにかくこの作品は尋常じゃない。
何が尋常じゃ無いかというと、その緊張感溢れるサウンドである。

1曲目からレコーディング・スタジオ内の張り詰めた空気が伝わってくる。
このアルバムのレコーディングは、ほとんど1発録りで行われたという。
モードという新しい演奏スタイル、しかもミスの許されない状況。
曲そのものも、わずかな時間を使ってマイルス自身がモチーフとなるフレーズとモードの
設定を決めて作られたもの。事前のリハーサルなど皆無に近かったという。
 
そんな中、マイルス・バンドのミュージシャンは見事な演奏をしてのける。
皆凄腕のミュージシャンであるが、まさに全員が「Play The Song」している。
すなわち、ミュージシャンとしての腕を見せびらかすようなエゴイスティックな演奏ではなく、
曲そのものを生かすためのプレイに徹しているのだ。
ジョン・コルトレーンの生真面目さあふれるプレイ、

ビル・エヴァンスの華麗かつツボを抑えたピアノ。
そしてジミー・コブの堅実で決して目立たない、シンプルに徹したドラムプレイ・・・
結果、スタジオ内でこれ以上無い化学反応が起こり、二度と再現できない名演が収録された。
 
このアルバムは今なおジャズの古典としてゆるぎない地位にあり、他の追随を許さない。
時の試練に耐えうる、人類の残した無形の文化財とも言える素晴らしい作品だ。
 
並のミュージシャンであれば、ここまで手放しで各方面から迎えられる作品を作ってしまうと、
その後に作る作品がこれを超えられるかどうかと悩み、結局超えられないまま
過去の栄光にぶら下がってしまうのが関の山である。
 
しかしマイルスは違った。 「Kind of Blueは失敗作だ」とまで言い放ち、
新たな方向性を模索し前進し続けていったのである。
そこに私は「ロック」を感じる。
この10年後に全く異なる方向性でありながら名盤として確固たる地位を築く
Bitches Brewを生み出したという事実も感慨深い。
そしてこの2枚の名盤に浸っていると、ある共通性に気づく。
それは、作品を包むオーラである。
トランペットを吹いていない時でも、マイルスのオーラが常に感じられる。

 

Kind of Blueの緊張感、Bitches Brewの高揚感は、
クールに全体を見渡す「目」あってこそ実現したものである。
ミュージシャンのエゴをコントロールする指揮官、マイルスの目である。

最近Youtubeでマイルスのライブ映像をよく見るのだが、トレードマークの大きなサングラス越しに
ミュージシャンのプレイをじっと見守るマイルスの姿が常にある。
バンドはマイルスのその目によって、あらぬ方向に行くことが無い。
軟体動物のように形を変えながらも、「Play The Song」し続けるのだ。

 
晩年マイルスは、とりわけ「余計な音を出さないこと」をメンバーに留意させていたという。
どれだけ技巧のあるミュージシャンでも、エゴイスティックなプレーは曲を壊してしまう。
数限りないセッションやライブをこなしてきたマイルスだからこそ、その点に重きを置いたのだろう。
 
実際、マイルスのソロは技巧を見せ付けるプレーはさほど無い。
もちろん上手いし、おたまじゃくしを小節内にたっぷり振りまくこともできる。
しかしあえてその方向には行かず、ここしかないという場面でシンプルだが印象的なフレーズを
プスッと吹く。
マイルスをコピーしたトランペット奏者によると、ペットを吹ける人なら誰でも吹けるフレーズが
マイルスにはよくあるという。
しかしそのフレーズを生み出す能力、楽曲に対する深い理解力、
ミュージシャンが出す音を的確に見極める能力。
それが万人が真似できないマイルスの力なのである。
マイルスの能力はある種オーケストラの指揮者的なものであり、プロデューサー的なものでもある。
そして幾多の試練を乗り越え、スタイルをものの見事に変貌させながらも優れた作品を
産み続けてきたその生き様が、カリスマ的なオーラを彼にまとわせたのだ。

彼の周りには、優秀なミュージシャンが集う。


ドラムのトニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット、

キーボードのチック・コリア、キース・ジャレット
ギターのジョン・スコフィールド、マイク・スターン、

ベース兼コンポーザーのマーカス・ミラー。


いずれもその後の音楽シーンを席巻する凄腕のミュージシャン揃いである。
しかし彼らがマイルスのバンドに所属しなかったら、これほどまで後世に名を残すミュージシャンに

なれただろうか。
それはマイルス・バンドにいたという事実がいわゆる「ハクをつけた」という訳だろうか。
早弾きなどのエキセントリックなテクニックに優れていたからだけであろうか。
私はそうは思わない。

 
テクニックをいかに音楽的に生かすのか。

スタイルにこだわらず、いかに音楽的に進歩していけるのか。
そんな優れたミュージシャンシップを、彼らはマイルスのオーラに触れ受け継いだのだ。

 

去る9月28日はマイルスの没後16年目の命日であった。
マイルスの持つオーラは今も、師事したミュージシャンたちにより受け継がれている。
しばらくは私も、そのオーラに浸っていたいと思う。

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マイルスに最近ハマっている。
ロックをほとんど聴いていない。
しかしちっとも物足りなさを感じない。
それはマイルスのたどった音の変遷があまりにも多彩で、一つの枠に収まっていないから。

彼の作品を紐解くごとに、新たな音との出会いがあり、刺激に溢れている。

 
一般的に「ジャズ」というと渋くて大人しい音楽というイメージがある。
そして「ジャズを聴いている」などと言うと、枯れてしまったのではないかと思われたりする。
しかしである。そもそもジャズという言葉は、もともと「セックス」を意味するスラングだというのである。
性的興奮や刺激を感じさせる音楽、もともとジャズはそういう音楽であったのだ。
そして私がマイルスのジャズに感じるのは、まさしく「刺激」そのものである。

マイルスの活動は50年代から90年代まで、実に40年にわたるものである。
そしてマイルスの音はジャズの枠に収まらず、フュージョンから晩年はヒップホップにまで接近した。
そこには新しい時代を切り開いていこうとする貪欲なミュージシャンシップ、そして頑固なまでに
自分の信じる音を追求しようとする姿勢を感じる。
そんなマイルスに私は「ロック」を見る。

 
実際、エレクトリック・マイルスといわれる60年代末~70年代中期のマイルスは、
ロックを導入し、ジャズのイディオムから全く外れた音楽性に走っていた。
60年代後期に彗星のごとく表れたジミ・ヘンドリックスからの影響を隠さないマイルス。
残念ながら予定されていた共作はジミの突然の死により実現しなかったが、
ジョン・マクラフリンというこれまた不世出のギタリストをバンドに迎え入れ、
エレクトリック・ピアノ、シタール、タブラーなどといったジャズとは縁の無かった楽器を導入し、
インプロビゼーションに重きを置いた音楽を奏でていった。
そこでは演奏者が己の持つ個性をぶつけ合い、混沌とした音を発していた。


自分が一番初めにマイルスのエレクトリック作品を聴いたのは、このアルバム


Bitches Brew/Miles Davis

 

このアルバム、知らなかったが名盤中の名盤である。

発売は1969年。まさに60年代から70年代へと猛烈に音楽シーンが動いていた時である。

ビートルズに代表されるポップなロックから、レッド・ツェッペリンなどのインプロを多用する

ハードロックへと、リスナーの趣向はどんどん変化していった時期だ。

そしてクラシカルな「様式」や「形式」にとらわれたジャズは、どんどん時代遅れとなりつつあった。

その例外が、マイルスだった。


とにかく一度このアルバムを聴いてほしい。

発売当時は評論家をして「ジャズは終わった」と言わしめたこの作品。

今聴くととんでもなくアグレッシブでグルーブに溢れていて刺激的である。

「ロック」でもあるし、ミュージシャンたちは「ジャズ」の精神に溢れてもいる。


冒頭で「ジャズ」は「セックス」の隠語だったと書いたが、別の意味もある。

それは「スイングできる、踊れる音楽」という意味である。

聴いて自然に体が動く音楽がジャズである。

このアルバムを聴くと、精神が高揚し、肉体にも影響を及ぼす。

じっとしていられなくなるのだ。

車を運転しながら聴くと、とてつもなくハイになれる。

しかしどこかで覚めた精神を感じられるので、危険な運転にはならない。

自分にとっては特別な音楽である。

ドラッグのように中毒性のある音楽である。


演奏しているミュージシャンも相当ハイな状態にあったに違いない。

もしかしたらドラッグをキメながら演奏したのかもしれない。

それぐらいクル音楽だ。

ロックのみならず、ヒップホップやテクノを聴いている人たちにもぜひ

触れてほしいものである。

きっと「マイルス中毒」への一歩を踏み出せる。