ライブ告知

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速報です。

今から約2時間後、チェンマイで初ステージを踏みます。

つーかベースのタイ人勝手に決めるなよな。

今日しんどいっちゅうねん。


どっかに飛び入りっぽく演奏するようです。

たぶん3曲。

ジミヘンとZEPをやる予定です。

録音と写真撮影はできるかも?


つーかどこでやるか知らんw

まあその辺で。

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氷室京介がANGELを歌わなくなった。

そのニュースをネットで知って、やはり驚いた。

昔からのファンにとって、ANGELは無くてはならない曲だからである。

 

自分は氷室のデビュー時にはまだファンになっていなかった。

しかし姉に録画を頼まれた東京ドーム公演の映像を見て、当時洋楽ファンであった自分は

「なかなかクオリティの高い音楽をやっているな」と思ったものだった。

そしてほんの少し後追いでファンになることができた。

それまではビートルズが一番好きで、彼らが解散していること、そしてメンバーがすでに一人

亡くなっていることにショックを受けていた。

それがリアルタイムで活動を知ることができ、ライブを見に行ける可能性が高い日本人アーティストを

好きになることができた。その事実に自分自身驚いた。

 

そして時は流れ、自分の目で氷室を見ることができ、ブログなんぞを始め、氷室の活動がいったん

お休みしている間にその活動を振り返るためにANGELを取り上げた。

なぜなら彼が最も大事にしている曲がANGELであり、彼のライブには欠かせないものであったからだ。

ファンもその状況に慣れてしまい、ライブ本編終了時もしくはアンコールにANGELがあるのは

予定調和であった。


しかしそのことが、氷室にとってのANGELの位置づけを変えることになったのである。


今回のツアーに先立ってのインタビューで、氷室はこんな趣旨のことを語っている。

「(現在の音楽シーンの中で)消えてしまうなら潔く消えるべし。しかしそうはならないと確信している」

LAに渡った際にも、アメリカに居ながらもあくまでも日本に向けた音楽を作り続けるという趣旨の

発言をしている。

その一つの答えが、スティーヴ・スティーヴンスと組んだアルバム「I・DE・A」であり、

ツアーOne Night Standであった。


次に書く予定のANGEL記事ではこのあたりをもっとつめて書く予定だから割愛するが、氷室はアメリカの

ロックに影響を受け、そのエッセンスを氷室テイストに仕上げて日本のファンに「どうだ」と見せ付けたのである。


LAに渡ってからの氷室の音楽は変化を続ける。内省的になったり、マニアックなビートを試みたり。

しかしライブではいつも「最後に俺が10数年間大事にしてきた8ビートのロックンロールを贈ります」と言って

ANGELを歌う。

そのことが昔からのファンに「氷室はやはり自分たちと共にいる」という安心感を与えていたと言っても

過言ではないだろう。

しかし、今回いろいろな人が書く「ANGELと私」を読むと、若いファンが持つANGELに対する気持ちと

昔からのファンとの気持ちに少なからず温度差があることに気づいた。

そしてそれは、ファンではないごく一般の人たちに取っては限りなく大きな隔たりではないのだろうか。

 

例えばニューアルバムやGLAYとのコラボで氷室を知った10代の人が初めてライブに行ったとする。

そこで本編最後に「ANGEL」が持って来られ、「10何年間大事に~」というMCを聞かされたとする。

どういう印象を与えるだろうか?

恐らく、この氷室っていう人はやっぱり大御所で、昔からのファンががっちりいて、まぁ何というか現役感の

無い人、昔のスター様という感じを与えるのではないだろうか。

 

氷室自身、日本で得たポジションに違和感を覚えLAに移住した経緯から考えると、そうした何というか

「氷室京介といえば元ボウイのボーカルで、ANGELでデビューして、ビート系の音楽の人」

と位置づけられ、そこに居座ることにこだわっているとは思えない。

逆に、そういうところから逃れよう、もっと違うステージに行こうとするに違いない。

その象徴が、今回のANGEL外しなのだと思う。


LAの豪邸で好きな音楽に集中して、日本に帰れば昔からのファンに迎えられて、

ANGEL歌ってライブ終わって、ちょっとアンコールでサービスしちゃったりして・・・

みたいなお決まりのスタンスになり掛けているのを

一番本人が察知して決断したのだろう。そしてあくまでも「今」の音にこだわるんだという意志を表明したい。

そう思っての決断だろう。


それをどう受け止めるかは、私たちそれぞれの心次第。


そして氷室は、

デビュー当時臆病な自分をANGELに見守ってもらい、

10年経って臆病者にはなりたくないと叫び

20年となる今、ANGELはそばにいなくてもやっていける、やっていくんだという強さを身につけている。



氷室は私たちにこう尋ねているのではないか。

 

「おまえらANGEL無しでも俺についてくるのか?」と。

 

「昔の曲でご機嫌を取ることはしないけれど、それでもいいか?」と。

 

「俺はこれからも自分の信じる音楽を勝手気ままにやり続けるが、おまえらはどうなんだ?」と。

 

「ANGELはやらなくても、今までこの曲で確かめてきたお前らとの絆は消えないっていうことが

わかるだろ?」と。


 

そしてANGEL。そばにいなくてもきっと遠くから見守っているであろう存在。

その存在を感じていられるかどうか。

それが試されているのかもしれない。

 

あなたは、そして私は、どう感じるのだろう。 





 

書いているうちになにやら怪しい感じになってきてしまった。また痛いファンとか言われるかなぁ?

ただの臆病なファンの一人になにとぞANGELな励ましを・・・


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Memory Almost Full

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最近記事を書いていない。面倒なのだ。ふつふつと書きたいという気持ちが沸いてこない。

だがいろんな方面からけし掛けられているので、そろそろ何か書こうかなぁと思う。

いつもは構成を考えたり、昔のデータを引っ張り出してきて確認したりして相当時間をかけているが、

今回は思いつくまま書いてみたいと思う。


ということで今回はリリースされたばかりのポールマッカートニーの新譜について。

Paul McCartney
Memory Almost Full

今回のアルバムは初めてデジタルデータ配信されたポールのアルバム。

同時に過去作も配信されるようになった。

しかも今回驚いたのが長年在籍したEMIからいつの間にか移籍していたことだ。

それも新興レーベル。

スターバックスと何とかという知らない会社が組んで始めたレーベルだ。

ポールのアルバムはスターバックスの店頭でも購入できるらしい。

旧レーベルのEMIともうまい話し合いが出来たのか、デジタル配信を同時に開始することで

相乗効果を狙っている。どれほど売り上げを上げることができるかはわからないが、

少なくとも話題性は豊富だ。

先日デジタルコンテンツについて記事を書いたが、氷室京介に続いてポールマッカートニーという

ベテランが先導を切っていることが非常に面白い。

特にポールに関しては大御所中の大御所。その彼がこんなにアクティブだというのが嬉しいと思う。

決して今の地位に安住しないという意志が感じられる。

もう今月の18日で65歳になるが魂は老いぼれていない。


音源も聴いたが、一言で言うと「古くて新しい」アルバムだ。

しょっぱなからポールならではのスタンダード性を感じるメロディと進行。

マンドリンやムーグオルガンなどを効果的に使い、何となくノスタルジックな音となっている。

これで昔からのポールファンは「ウイングスだ!」ということになるのか。

バンドっぽい音作りからもウイングスを連想されるのであろう。

ポール自身インタビューの中で、前作のレコーディング前にツアーメンバーとレコーディングに望んだ

音源を聴き返してみて悪くなかったので作品としてまとめ上げたと語っている。

しかもその中ではっきり「ドラムだけ入れ替えた」と言明している。


自分は「やはり」と思った。

なぜなら自分は以前からポールの今のバックバンドのドラマーは気に入らなかったからである。

グラミー賞やLIVE8、Back In The U.Sなどのライブを見るたびに、ドラマーは叩きすぎで曲の解釈を

間違っていると思っていた。アップテンポの曲は問題ない。パワフルで、盛り上げるいいドラムだと思う。

アクションも派手でちょっとゴリラっぽいが見てて面白い。しかしミディアムテンポやバラード、

特にビートルズの曲になるとどうしようもない違和感をかもし出していた。

微妙な曲のニュアンスやデリケートな感情を一つも表現できていないのだ。

こいつホンマのゴリラちゃうんかと思うほどであった。

ライブでは通用するが、スタジオでレコーディングしてみるとはっきりとダメだとポールもわかったのだろう。

結局ドラムだけ入れ替えたということだ。誰が入れ替えで叩いたのかはわからないが、重すぎず軽すぎず

ポールの曲に合う演奏になっている。もしかしてポール本人なのかもしれない。


ポールのドラムはビートルズ時代から優れたものだった。リンゴが一時脱退した際に叩いた

「Back In The U.S.S.R」「Dear Prudence」(どちらもホワイトアルバム)は名演である。

特に後者はドラマチックな展開に合わせた素晴らしいフィルインとリズムチェンジである。


さてアルバム評価に戻ると、最近のポールの作品にありがちだった捨て曲(要するにつまらない曲)や

中だるみを感じず、良い仕上がりである。 2作前の『Driving Rain』を聴いた時には、

そのあまりの粗雑なプロダクションと曲のつまらなさ、演奏のつたなさ、ボーカルの荒さに愕然とし

CDを売り飛ばしたものだが、今回はそういうこともなさそうだ。

そもそもCD買ってないけどw


「Only Mama Knows」はアルバム中最もアグレッシブな曲だが、決して粗雑なプロダクションではない。

コントロールされた荒さとでも言えばいいか、とにかくサウンドの意図したところが明確で成功している。

アマゾンのレビューには声の衰えがどうのこうのという意見が多かったが、正直言って

今回のボーカルには驚いた。

声質は確かに枯れているが、それを生かした曲作りをしているし、歌いまわしそのものはますます

上手くなっている感じがする。特に「Gratitude」のボーカルは若い奴らには真似できない出来だ。

アルバムの後半はメドレー的になっているが、そこでも素晴らしいボーカルを聴かせてくれている。

「That Was Me」の後半は力づくではない円熟味のあるシャウトでさすが、と思わせる。


ポールは長いキャリアの中で様々な音楽的実験をしているが、今回のアルバムではそれらのエッセンスを

うまく楽曲に取り入れている。「House of Wax」のメロディと音作りは、クラシックの雰囲気を漂わせる。

ただのポップ・ロック作品とは大きく一線を画す作風だ。

「終わりの終わり。それはより良い場所への旅の始まり」という死を意識したような歌詞がぐっと来る

「End of the End」

これで終われば「ポールも老いたな」となるのだが、その後に「俺を本当に愛してるなら言うこときけ!」

と歌うヘザーへのあてつけとも取れる「Nod Your Head」を持ってきたのも、まだまだ枯れてないという

ポールの意思表示が感じられる。

ヘザーと別れて逆にエネルギーが出たのだろうかw?

枯れるどころか現役感がむしろ増した気がする。


ライブではビートルズ時代を含めた昔の曲でファンを喜ばせるのだが、新作を聴く限り

隠居も引退も似合わない。

40年に亘り作品を発表し続けるポール・マッカートニー。

彼の何度目かのキャリアのピークを迎えつつあることは間違いない。