(記事前半は語りです。飛ばしてよいです)


前回のANGEL記事で過分な評価をいただいた。
そしてアクセス数がぐんと伸びていたのでおかしいなと思い、
ひさびさに2ちゃんねるの氷室スレを覗くと、やはりアドレスが張られていた。
そこにはねらーの皆さんのいろいろな反応があった。


賛辞を送ってくださる方もいたし、批判をしてくださる方もいた。

批判の中には、既出のネタを都合よくつなぎ合わせただけ
独自の視点に欠けているという指摘があった。
氷室マンセーのヲタ(氷室を称えるオタク)、はっきり言って痛いという
刺激的な表現もあった。


どれも「当たり」である。


一連のANGEL記事を書き始めたのは、ANGELという曲がほとんどのライブで
欠かさず演奏されていることと、歌詞を変えたりしていることから、この曲をたどって
氷室の活動を振り返ってみようと思ったからだ。
で、書いているうちにだんだん欲が出てきて、氷室の行動やインタビュー記事、
さらにはその当時の背景などを盛り込んでみようと思い、今のような形になった。
自分の知っていることは何でも入れてやろうと思った。


既出ネタと指摘する人たちに、自分はとても親近感が沸く。
ああ、この人も氷室のこと詳しいんだなあ・・・と。
痛い記事だと言ってくれる人もありがたい。
自分の記事を振り返ることができたたし、
正直、記事への賛辞にちょっと高くなっていた自分の鼻を折ることができた。


客観性と独自性の両立は大変難しいのだと、記事を書き続けて思った。
そして何より、全ての人が満足するようなものは作れないと悟った。
一方、最近も自分のアルバム評が2ちゃんに引用されたりして、何となくくすぐったいような、
ちょっと薄ら寒いような感覚を持った。


自分の発したものが、自分の知らないところで一人歩きしているという、事実。


頭の中では理解していたものの、こうして実際に反応を見ることで、実感できた。
以前自分の記事になかなかコメントがつかないことに寂しさを覚えていたのが、
これほど読まれるようになると、慎重に書かざるを得なくなる。
自分が作ったものが世に出て、どんな反応があるのかとても気になるのである。
そして新しい記事を書くことに、だんだん臆病になっていく。


だが、いろいろ考えていると結局自分の書きたいことを書くしかないというところに落ち着く。
誰に強いられて書いている訳でもないし、いろいろな見方があって当然。
自分とは違った見方をする人がいれば、それはそれでいいことだ。
自分の思いに揺らぐものが無ければ、どう批判されてもたじろぐことはないだろう。
そう考えてこれからも記事を書いていこうと思う。
幸いなのは、自分の記事に共感して賛辞を送ってくれる人が結構いることだ。
それが新たなモチベーションを生む。


これはアーティストの心理と似ている気がする。また得意のこじつけだがw
人気のあるアーティスト、熱狂的なファンの多いアーティストほど
批判の矢面にさらされることも多い。
新しいことにチャレンジしなければ進歩が無い。
しかしファンの求めるものにはある程度応えていかないといけない。
彼らのプレッシャーはいかばかりのものか。
だからこそ、気持ちが揺れてシングル「Sweet Revolution」を出すのにためらい、
Easy Love」に差し替えたりするのだ。


最近の氷室に対する批判は相当なものだ。公式サイトのBBSは今は見ることは無いが、
特にGLAYとのコラボについては相当な批判の書き込みがあったという。
氷室もそうした批判は重々承知の上だろう。
しかし彼がやりたいことを止められるはずもない。


これ以上は前回のループになるので、そろそろANGEL記事の続きに入りたいと思う。
が、ここで大きな問題がある。
何しろ1994年のクリスマス以来氷室がステージに立つまでに約3年半を要するのだ。
この時期の氷室は実際には「ANGELで見る」ことができないが、

都合上タイトルはこのまま行かせてもらう。
記事を都合のいいようにまとめさせてもらうついでに、だw


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

氷室は95年10月に東芝EMIからポリドールに移籍し、自身のレーベル「Beatnix」を設立した。
その第一弾として同月リリースされたのがシングル「魂を抱いてくれ」である。
氷室としてはひさびさのバラードのシングル。

イントロなしで歌から始まり途中でフル演奏となる構成は2ndシングル「Dear Algernon」と同様

であったが、サウンド面では大きな違いがあった。
ギターの弾き語りではじまったDear~に対し、魂~ではピアノ。


歌詞にも大きな違いがある。
ダニエル・キース作の小説「アルジャーノンに花束を」にインスピレーションを得て
氷室自身が手がけたDear~に対し、いつもの松井五郎ではなく
松本隆氏に依頼した魂~。
青臭さを感じさせる前者に比べ、後者は年輪を重ねた男の心境を語るものであった。


魂を抱いてくれ むき出しの両手で
カッコなどつけてない 真実のこの俺を
魂を抱いてくれ 自分だけを愛して
生きてきたわがままな俺の 背中を抱いて


魂を抱いてくれ」は95年10月にリリース、約70万枚の大ヒットとなった。
翌年6月には「STAY」、8月には「SQUALL」と2枚のシングルを立て続けにヒットさせ、
9月には待望のアルバム『Missing Piece』をリリース。

氷室京介
MISSING PIECE

これだけを見ると、氷室の活動が順調なように思えるが、実際は違っていた。
ビート系シンガーとしての不動の地位を確立した氷室だったが、
この時期非常にフラストレーションがたまっていたという。

またこれまでにも増して音へのこだわりは強まっていき、どんどん自分を追い込んでいった。

ついには氷室は自律神経失調症を患い、歌入れの最中に「天井が回りだした」と語っている。


自分もかつてストレスから同様の症状に見舞われたことがある。
自分との戦いで感じるストレスとは異なる種類のストレス、人間関係のストレスによるものだった。

氷室にもこれは当てはまる。


最近のインタビューでは「もともとインディペンデントな人」だと自身について語る氷室。
日本を拠点にしていた最後の時期はいわゆる「スター」として周りに気を遣われ、
自分が指示さえすれば周りの誰かが代わりに準備をしてくれるという環境が耐えられなかったという。

その「日本にいた最後の時期」とは、この『Missing Piece』製作時であろう。


レコーディングには思いのほか時間を要した。
氷室の迷いは大きく、アルバムラストの「Naked King On The Blind Horse
に至っては絞りきれず、2つのアレンジ違いが収録された。


この時期に、氷室には第3子となる次男が誕生している。
年齢もすでに30代なかばにさしかかり、これまでに達成してきたものを考えれば
普通は安住の地をわざわざ捨てることは無い。


だが氷室は違った。
LAに活動拠点を移したのだ。

きっかけはプロモーションビデオの製作をアメリカで行ったことである。
PROPAGANDA」なるグループを起用したのだが、その際の仕事の進め方が合理的かつ
レベルの高いものであったことが、氷室に決断を即したと思われる。


いいものはいい、悪いものは悪い。
その道のプロには余計な気遣いなど必要ない。
気に入らないものはその場で決断して違う選択肢を選ぶ。
そうしたアメリカ式のやり方・考え方が、この時の氷室には必要だった。

日本式とアメリカ式の違いについて、98年のインタビューで氷室本人はこう語っている。


「日本の音楽業界は遅れてるんだよね。

本当にいい音楽を作るための一番合理的なスタイルじゃなくて、

本来は不必要なところばっかりに時間や神経を使う。

偽者をきらびやかに見せるためのシステムみたいな無駄なものが用意されてて・・・


アメリカはもっと合理的だよ。偽者が成功するような安易なレールはないから。
だから成功している人はみんなにリスペクトされるのが当然だし、
みんな自身を持ってやってるじゃない。
俺は今までそんなふうに考えられなくて、逆に

成功の代償にストイックに生きなくちゃいけないんだってずっと思ってた。
それがアメリカに来て変わったよね。もっとシンプルに考えていいんだって、とっても楽になった。」


さらに、活動についてこう語っている。


「こういう環境でやりたいことがいっぱいある。その、いっぱいあるっていう状態が一番、理想型なんだよ。
BOφWYを始めた頃もそうだったし。ソロに入ってからも最初のうちはそうだったんだけど、
何年かするうちにだんだん守りに入っていっちゃったんだよね。
氷室京介っていうステータスを守るためには今度は何をしなくちゃいけない、っていう、そういう発想で
動くようになっちゃって。でも、(渡米した)今は全然違う。今は楽しくてしょうがない。」


こうしていよいよ氷室は30代半ばにして、新たな活動の水平線に立った。
自分が感銘するのが、氷室が本当に一人で行ってしまったことである。
正確に言えば、奥さんがプライベート・オフィスの社長となり、スタジオの予約からミュージシャンの
セッティングなどを二人三脚で行っていったのだ。

元暴走族でろくに勉強していないはずの氷室だが、LAでは英語を使えわざるを得ない。

言葉の壁、文化の壁、いろいろな障害が氷室を襲ったに違いない。

彼は家族と共に、それを一見軽々と乗り切っていった。

しかし実際はかなり困難に直面したことだろう。


今の自分には、氷室の大変さが少しわかる。
今年は春にタイから嫁さんと子供を日本に連れて来たが、結局タイ赴任となり舞い戻り。
日本にしばらくいると踏んでいた自分はタイ語をサボっていた。
で、来てみるとやはり言葉の壁は厚い。特に仕事を進める上では身振り手振りでは
はっきり言って使い物にならない。

氷室と違って自分の意思でというより会社の意向に沿った自分の選択だっただけに、
事前にしっかり準備していたわけではなかった・・・という言い訳も通用しない。


最初の3ヶ月はきつかった。で、4ヶ月目に入った今、やっとこちらのスタッフにもいろいろと
指示をしたり意見を求めたり伝えたりすることができるようになってきた。
だんだん自分が根を張ってきているのを感じる。


その中で感じるのが家族のありがたさである。
家には信頼できる嫁さんと、かわいく無邪気な子供が待っている。
その存在が自分を支えてくれる。


氷室も家族を、何より生まれたばかりの子供の存在を支えに、アメリカでの新たな生活に
望んだことだろう。
98年のHeyx3出演時には「一番下の子はほとんど英語しかしゃべらない」と発言したり、
最近ではその末っ子は「日本語で伝えようとするけどなかなかうまく伝えられないことが
もどかしいようだ
」という。


自分も子供には日本語とタイ語を自在に話せるように教育しようとしている。
まずまず順調に進んでいるが、まだこれから。
ぶっちゃけ両方の言葉が中途半端になるリスクもある。


氷室一家もいろいろとリスクを抱えながら渡米したんだろうな・・・
そう考えると、自分も負けてはいられないと思う。
リスクを恐れていては、結果は得られない。
氷室が新たな拠点で成功したように、自分もやりたいし、やれると信じている。


すっかりANGEL記事とは程遠い内容になってしまったが、構わない。
今日という日に自分が感じたこと、思ったことを記録しておきたい。
氷室が大事にしてきたこのクリスマスの日に。


Merry Xmas, Himuro and His Family
   also to My Family
and LOH member's Family...

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在庫状況(詳しくはこちら ): 在庫あり。 この商品は、RAM RECORDSが販売、発送します。地方発送も承ります(送料別途)

  • CD (2006/12/1)
  • ディスク枚数: 1
  • レーベル: RAM RECORDS
  • ASIN: ZAPPA60SAI
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  • Amezon.co.jp ランキング: ジャンル未詳のためランキングに反映されません

    商品の説明
    内容(「今はまだ人生を語らず 」データベースより)

    優しさと楽しさに癒される感じ、かな。

    「いつまでもそこに浸っていたい」と思わせてくれる曲調と演奏。

    夜とも、朝ともつかない時間がゆっくりと心地よく流れていくのが、躰を通じて感じられるようです。




    曲目リスト

    1.LOVE or SOMETHING

    2.遊びにおいで

    3.うみのこども

    4.南の島で

    5.Christmas Night

    6.Love or Something (reprise)


    カスタマーレビュー

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    IN THE MOOD

    テーマ:
    とうとう、やってしまった。
    IN THE MOODをダウンロードしてしまった。
    やばい、めちゃ感激してる。
    実は今回、タイからはApple Storeで購入できないため、日本の友人に代わりに
    やってもらった(もちろんお支払いは自分)のだが、はじめは非常にあせった。
    なぜならApple Storeでオンライン購入したファイルはiTunesを通して認証
    されなければ再生できないのだ。
    急いで友人にパスワードを聴いて、先ほど再生に成功!

    感激のあまり震えている。

    この感激をこの記事に書き留めておきたいので、普段とは全く違う書き方になって
    しまうだろうが、とにかく最速レビューをしてみたいと思う。

    以下、ネタバレ注意!!



    氷室京介
    IN THE MOOD (初回限定盤)(DVD付)




    1.Easy Love “IN THE MOOD EDITION”
     ラップ入りと聴いて想像していた通りの仕上がりだった。
     特にラップが入っていなくてもかまわないんだけど、氷室からのサービス
     と考えておこう。

    2.Ignition
     やばい、この曲。
     今までの氷室にありそうでなかったリズムパターン。
     そこにのるメロディと歌詞をあのヴェルヴェットのような声で奏でられると
     震えることを抑えられない。
     氷室が息子から相談を受けたことを素材にした曲とのことだが、
     氷室の遺伝子が次の世代へと引き継がれていく、まさにIgnitionとなる
     曲でもあり、GLAYらBOØWY以降の世代に引き継がれていくだろう
     新たなビートの境地を垣間見せてくれる。

    3.Bitch As Witch "Album Mix"
     シングルとは全く違ったミキシングで、めちゃくちゃカッコいい音に
     仕上がってる。
     ドラムはまるっきり生のサウンドだ。オレ好み。
     曲の魅力がぐんとアップした。
     みんな、ライブでBitchになれ!!

    4.Wild Romance "Album Mix"
     これもシングルと全く異なる音作り。かなりローファイになっている。
     ハイハットがクリーンな音からジャラジャラしたノイジーな音に、
     ギターはさらに歪みを強調された音になっている。
     ボーカルは少し引っ込んでオケが前面に出て、よりロック色を強めている。

    5.Harvest
     この歌いだしを聴いて泣かない氷室ファンはいないだろう。
     間違いなく氷室の新境地を開く、ミディアム・バラードの名作。
     過去のどの作品にも似ていないメロディとサウンド。
     氷室はなぜこんなに素晴らしい曲を、素晴らしい歌を作れるのだろう?
     彼の生きている時代に共に生まれたことに感謝させられた。

    6.Say something
     話題のGLAYとのコラボ曲。
     正直言うと、イントロのギターの音色でがっくりさせられた。
     しょ、しょぼい。か、軽い。
     氷室の重厚なギターサウンドに慣れてしまった自分には、そう聴こえた。
     ところどころで布袋っぽいピッキングハーモニクスが聴こえる。
     TAKUROが意識的に入れたのか?
     ただ、リズム隊はやはり永井のドラム、そして自分は密かに高く評価している
     JIROのベースのコンビが素晴らしいグルーブを繰り出している。
     TERUのコーラスはほとんど目立たない。
     アルバム収録に関して賛否両論はあるだろうが、GLAYが演奏しなければ
     確実に今回の発売にはレコーディングが間に合わなかったであろう。
     また、出来上がっていなかった詞も、TAKUROの早い仕事っぷりの
     おかげで、なかなかのものが出来ているのではないだろうか。
     いずれにせよ、アルバムの売り上げには大いに貢献してくれることだろう。

    7.In The Nude ~Even not in the mood~
     やはりこのギターサウンドの迫力には圧倒される。
     シングルよりアルバムで生きる曲だ。
     歌詞について自分は酷評したが、アルバムだとあんまり気にならないのは
     氷室マジック??

    8.Sweet Revolution
     シングルとは逆の順番で、新鮮に聴ける。
     この強力な曲をしょっぱなでなくこの位置に持ってこれること自体が、
     アルバムの充実ぶりを語っている。

    9.Shadow Of Your Smile
     この曲はアルバムのどの位置に持ってくるか、悩んだことだろう。
     可も無く不可も無い曲だが、最後の歌詞に不覚にもいつも泣かされてしまう。

    10.Pain
      ひさびさのカバー。自分の記憶が正しければ、エルビス・コステロの
      「Accident Will Happen」をSummer Gameのカップリングに収録して以来か?
      特に感想は無い。氷室のサービスと思っている。

    11.Miss Murder
      これもカバー。どこかで聴いたことがある。
      曲調は非常に異色だ。ノリノリというわけでもないし、ポップさが全く
      無いわけでもない。ある種、ひねくれたロックという感じだ。

    12.Stand Alone
      アルバムのラストを飾る曲。
      「炎の化石」を連想させるカウンターメロディとリズムトラックだが、
      よりヒューマンなテイストを感じさせるグルーブにあふれている。
      スティーヴ・スティーヴンスをパートナーにしていた頃には想像
      できなかった音である。
      これもHarvest同様、氷室の新境地を感じさせる楽曲である。
      枯れるわけでもなく、老成するわけでもない、氷室の不思議な
      歳の取り方をそのまま音にしたような仕上がりだ。
      じっくり聴かせてもらおう。

    13.Snow-White Moonlight (限定トラック)
      タイトルから、クリスマスソングかと思っていたら何と何と、
      ストレートでパンキッシュな、アップテンポでアップライトな曲だった。
      限定トラックにしてしまったのがとても残念。
      多くの氷室ファンに聴いて欲しい。
      なぜか結局アルバム単位でなくて楽曲単位でも購入できるように
      直前になって変わったため、より手に入りやすくなった。
      Appleに騙されたような気持ちにもなったがw


    <あとがき>
     テクノロジーの進歩に今回ほど感謝したことは無い。
     それと同時に、その中でも変わらず大切なものが
     ヒューマン・コミュニケーション、つまり人と人との
     つながりであるということが本当に身にしみて理解できた。
     氷室の音楽に魅了されるのも、彼が決してカッコつけている
     だけのロックンローラーではなく、彼自身のヒューマニズムを
     独特な表現で楽曲に叩き込んでいることにある。
     GLAYとのコラボも、彼のヒューマニズムの表現であると
     自分は理解している。いいものをありがとう。
     海を越えていつもそこにいる、氷室京介
     そして、愛する友よ。




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    ごめんなさい ジョン

    テーマ:
    ごめんなさい ジョン

    ごめんなさい ジョン あなたの命日というのに氷室と山下達郎ばっかり聴いてて
    ごめんなさい ジョン あなたの1965年当時のビデオを見て太ってると突っ込みを入れて
    ごめんなさい ジョン 正直言うとそのビデオ海賊盤です
    ごめんなさい ジョン チェンマイのデパートで180バーツで売ってました
    ごめんなさい ジョン 日本円で540円です
    ごめんなさい ジョン LOVEを聴いたけどいまいちです
    ごめんなさい ジョン 特にストロベリーフィールズは終盤最低だと思っちゃいました
    ごめんなさい ジョン デモからオフィシャルバージョンに発展していくところは良かったんですけど
    ごめんなさい ジョン ハローグッバイとつなげられて 曲の精神性を失っています
    ごめんなさい ジョン ジョージ・マーティンの最後っ屁は臭かったです
    ごめんなさい ジョン ポールが離婚で泥沼にはまってます
    ごめんなさい ジョン もうWhen I'm Sixty fourを涙なしでは聴けません
    ごめんなさい ジョン ジョージの誕生日 最近まで2月25日だと思ってました
    ごめんなさい ジョン ジョージの誕生日 ホントは2月24日だったんですね
    ごめんなさい ジョン なんで1日サバ読んだのかわけわかりません
    ごめんなさい ジョン リンゴが一番長生きしそうです
    ごめんなさい ジョン なんでよりによってリンゴやねん と正直思う自分がいます

    ごめんなさい ジョン 最近素直な気持ちでIMAGINE聴けません
    ごめんなさい ジョン あなたがいなくなってから愛と平和が安っぽくなってしまいました
    ごめんなさい ジョン ホワイトバンドもただのイカリング
    ごめんなさい ジョン 何もできない自分 それでも人生は続いています


    2006年12月5日付Good!ランキング
    みなさんおはようございます。
    日曜日の深夜にアップしたANGEL記事ですが、Good!をたくさんいただきました。
    おかげさまで本日のみんなのテーマGood記事ランキングの第5位に輝きました。

    今日(12/5)ならまだ見れるよ。「こちら

    今まで長文のANGEL記事をなぜか必死に書いてきましたが、ここまで反応があったのは初めて。
    氷室への関心が高まっている証拠だと思います。
    みなさんに氷室のことをもっと知って欲しいと思いますので、今までセコセコ書き記してきた
    過去記事を書きにまとめたいと思います。
    だんだん長文になっていく様がなかなか面白いですな。
    さあ、どこまで続くやら・・・
    でも頑張って書こうと思います。
    このまま行くぞ!

    ANGELで見る氷室京介の変遷<1>
    ANGELで見る氷室京介の変遷<2>
    ANGELで見る氷室京介の変遷<3> TURNING POINT 88-89
    ANGELで見る氷室京介の変遷<4> ~ソロとバンドの境目~
    ANGELで見る氷室京介の変遷<5> ~NEO FASCIO~
    ANGELで見る氷室京介の変遷<6> OVER SOUL MATRIX 魂を超えた存在
    ANGELで見る氷室京介の変遷<7> 真のL'EGOISTE
    ANGELで見る氷室京介の変遷<8>-破壊の美学

    シーマン
    氷室シーマンも読んでます!

    さてかなり間が開いてしまったANGEL記事。

    なぜこんなに開いてしまったかというと、山下達郎にハマっていたからである。
    今まで邦楽はロックしか聴いてこなかったが、山下達郎の音楽は邦楽・洋楽の垣根を越えた

    素晴らしいポップスだった。
    SWEET REVOLUTIONの記事で書いたが、氷室の目指すロックは最新鋭のサウンドに

    日本的なメロディというもの。
    やっている音楽こそ違えど、その精神性は共通するものがある。
    サウンドへのこだわりは両者とも並外れたものがあり、そのせいか近年発表する作品の間隔が

    開いてしまっている。
    ファンとしては痛し痒し、というところか。


    で、この記事。最後の方で今回のGLAYとの絡みに対するファンの反応について書いている。
    自分の意見がどのように解釈されるかどうか分からないが、自分の気持ちには嘘がつけないので

    誰にも媚びることなく書いた。
    気分を害する人もいるかもしれないが、自分の真意をぜひ分かって欲しいと思っている。


    さて話を氷室に戻そう。
    前回はアルバム『Memories of Blue』およびL'EGOISTEツアーについて書いた。
    この大成功を受け、氷室は日本のロックの頂点を極めた。
    BOφWYのボーカリストという肩書きをつけなくても、一般に知られる大御所となったのである。
    氷室本人もそのことを実感していた。
    風邪で納得のできる歌を歌えなかったために振替公演として設けられたツアー最終日には

    「今BOφWYを超えた実感を感じている」とMCで語っている。
    BOφWYを超えた氷室の前には、新たな地平線が広がっているはずだった。
    しかしそこには新たな苦しみが待っていた。


    本人曰く、『Memories of Blue』が出来て、あれがあそこまで評価された時点で、俺の中で

    やっとBOφWYが終わったんだよね。ここからがまた大変だよ。自分との闘いになるわけだから。」



    「プレッシャーの在り方っていうのが、今まではBOφWYを越えなければっていうところにあったんだけど、

    今回はもう違ったわけだから。BOφWYは俺の中で完全に過去のものになってて、今回初めて

    自分に対する新たな挑戦というのを経験したわけで、それはものすごいプレッシャーだったよね。」


    この頃からである。氷室のアルバムリリースの間隔が開きだしたのは。
    それには理由がある。
    まずは上記で氷室が語っているように、過去の作品を超えるために、アルバム作りに費やす

    エネルギーがより多く必要となったため。

    理想とするサウンドに近づくため妥協を許さない氷室は、当然制作時間が延びてしまう。


    また『Shake The Fake』で氷室が目指したのは「出来るだけいろんなパターンの曲を書いて、

    自分の曲作りの力を世の中にアピールする」というものだった。
    しかしそれは、タイプの異なる楽曲をアルバムとしての統一性を出しながら仕上げるという難問を

    氷室につきつけることとなった。
    結果的に3人のアレンジャー、西平彰ホッピー神山佐橋佳幸を起用して作られたこのアルバム。
    1993年5月12日にツアー終了、同年9月にアルバムのプリ・プロ入り。

    それからほぼ1年をかけて完成を見ている。
    確かにバラエティの富んだ楽曲が収録されているアルバムだ。
    しかし自分はこのアルバムに対してはあまり評価をしていない。


    一つは疑惑の残る楽曲があること。
    アルバムタイトルにもなった「Shake The Fake」がそれ。

    ハノイ・ロックスのボーカリスト、マイケル・モンローのソロアルバムに収録されていた

    「Dead Jail Rock'n'Roll」のカバーと言っても過言ではないほど、曲の構成からメロディから

    掛け合いから、全てが似通っているのだ。
    当時バンド仲間からは、「パクリじゃんw」と指摘されたが何にも言い返すことが出来なかった。


    しかもこの曲、デモの段階では「スティーヴ・スティーヴンスがいなけりゃただの人」という

    仮タイトルが付けられていた。
    その「ただの人」が誰かということが問題だが、洋楽をかじったことのある人のほとんどが

    ビリー・アイドル」を連想することだろう。

     

    以下、氷室とは遠い話になるが、興味深い話題であり最終的には氷室に

    つながるなので続けて読んで欲しい。

     

    ビリー・アイドルは、80年代のアメリカでロックスターとして確固たる位置を築き上げていた。
    彼のアイドル的な人気とスター性がその要因であったのは間違いないが、

    彼がデビュー以来のパートナーであるギタリストのスティーヴ・スティーヴンスの存在が大きかった。
    大ヒット曲「Mony Mony」のビデオを覚えているが、大興奮の観客を煽るビリーの隣で妖艶に

    ギターをかき鳴らすスティーヴは、ボーカリストを喰うほどのオーラを発していた。
    またビリーのヒット曲には、スティーブの作曲によるものが多い。

     
    氷室はソロデビュー曲「ANGEL」でギタリストのチャーリー・セクストンをゲストとして

    迎えているが、初めに候補に上げたのがスティーヴ・スティーヴンスだったという。
    ではスティーヴとマイケル・モンローとの関連であるが、実は両者はバンドを組んだことがある。
    いや、正確に言うと、二人はバンドを組んだが、デビュー前に袂を別ったのだ。
    そのバンドは「Jerusalem Slim (エルサレム・スリム=イエス・キリストを意味する名前)」という。
    しかしバンドはアルバムのレコーディング終了後、アルバムリリース直前にスティーブが脱退し、

    解散となってしまった。
    そのアルバムは、日本だけでリリースされている。
    スティーブの脱退の原因は、当時モトリー・クルーから脱退していたヴィンス・ニール

    ソロデビューアルバムおよびツアーに参加するからであった。
     

    マイケル・モンローはもちろん、激怒した。
    それはスティーヴがただバンドを脱退したからではなかった。
    相手がヴィンスだったことが大きな問題である。

     

    マイケル・モンローは現在、再結成したハノイ・ロックスのボーカリストである。
    再結成というからには、一度解散しているのは当たり前。
    その原因となったのは、ドラマーの不慮の事故であった。

     
    ハノイ・ロックスのドラマー、ラズルは1984年、なんとそのヴィンス・ニールが運転する車に同乗していて、

    飲酒運転による事故により死去してしまったのだ

    北欧ノルウェーで結成されたバンドはメンバーの結束が強く、それゆえに他のメンバーを入れることを

    断念、解散を余儀なくされた。
    解散ライブでラズルに宛てた曲を涙ながらに歌うマイケルの姿は、とても感動的であった。

     
    ニューヨーク・ドールズの様な妖艶な風貌でキャッチーかつグラマラスなロックを体現していた

    ハノイ・ロックス
    解散していなければ80年代中盤以降のHR/HMブームの先駆者として、モトリー・クルーやボン・ジョビや

    デフ・レパードと肩を並べるぐらいの成功を収めていたに違いない。


    ヴィンスにバンドを解散に追い込まれたあげく、新たなバンドでの仕切りなおしも妨害された

    マイケル・モンローの怨念は如何ばかりのものだったのか、想像を絶する。


    当時HR/HMファンはヴィンス・ニールよりはスティーヴ・スティーヴンスを批判し、マイケルに同情した。
    なぜヴィンスに矛先が行かなかったかというと、ヴィンスは他のメンバーによってモトリーを

    首になっていたからである。
    ヴィンスはモトリーに対抗すべく強力なパートナーを求め、スティーヴに白羽の矢が立った。
    スティーヴはマイケルと袂を別ってヴィンスについた。


    実力のあるスティーヴだからこその話であり、プロとしての決断を下したことはわからなくも無いが、

    彼のことを「金で魂を売ったギタリスト」呼ばわりする者は少なくなかった。

    氷室と組んだ際にもスティーヴは「また金か」と中傷された。
    雑誌のインタビューでもなぜ氷室と組んだのかという質問をされているが、暗にインタビュアーは

    その辺を探ろうとしていた節がある。

     
    ご存知の通りスティーヴと氷室のパートナーシップは素晴らしいケミストリーを生み出し、

    アルバムおよびツアーでファンを納得させる最高のパフォーマンスを実現することで、

    その疑念を払拭させた。
    スティーヴはBeat Haze Odyssey以降氷室のツアーに同行していないが、その理由として、

    スティーヴが氷室のことを「He's My Wallet(氷室は俺の金づるだ)」と言ったためという噂があった。

     
    実際には氷室のソロデビュー15周年記念ライブCase of HIMUROにスティーヴを起用しようとしたが、

    スティーヴはかつての盟友ビリー・アイドルの復活ツアーに参加するためスケジュールが合わず、

    代わりに本田毅の推薦によって起用されたDAITAを氷室が恐ろしく気に入ったためであるが、

    スティーヴのそれまでの渡り鳥的な遍歴がそうした噂の元タネだろう。

     


    ともかく氷室は無意識なのか意識的なのかわからないが、問題のある楽曲を収録してしまった。
    この曲の存在が皮肉にも、当時の氷室のスタンスを如実に表している。
    なんせタイトルが「Shake The Fake=ニセモノをふるいにかけろ」である。
    当時氷室は押しも押されもせぬロックスターとして、まさに日本のロック界に君臨する大御所となっていた。
    しかし氷室自身はそんな自分の置かれた立場に居心地の悪さを感じていたという。

    後にこのアルバム製作時の心境を、氷室はこう語っている。


    「『Memories of Blue』が仕上がった後は作品に対してはすごく自信があったんだけど、

    あの時は次に何をしたらいいのかって不安にもなったんだよね。」


    楽曲のバラエティを富ませたり、アレンジャーを3人も起用したりしたのも、

    そうした不安の表れではなかっただろうか。
    そしてそのアレンジも過剰で、借り物のような印象を与える曲もいくつかある。
    オーケストラを起用した「Forever Rain」。ボブ・ディラン風を狙った「Blow」

    どちらも氷室の音楽として消化しきれていない。


    自分がこのアルバムをあまり評価していない理由の一つは、そうした不安がボーカルにも

    表れていることにある。
    例えば「Lonesome Dummy」。楽曲としてはとてもユニーク。
    氷室ならではの妖しい艶のあるメロディと、キッチュな歌詞。
    ライブビデオ「Live at the Tokyo Dome」ではこの曲を「C'mon Lonesome Dummy!」と紹介した後、

    イントロのギターリフにのせてシャウトし唾を吐くという、ファンにはたまらないパフォーマンスを披露し、

    見事この曲の世界観を歌いきっている氷室。

    しかしアルバムバージョンではあまりにも大人しくメロディを崩さないように歌っていて、不満が残る。


    「Down Town Army」はBOφWY時代から得意とするシャッフル・ビートのポップな楽曲であるが、

    「俺たちのリズムで踊ろうぜ」という歌詞の割にはリズムに乗れていない。
    「ちっぽけにまとまりたくない」という歌詞の割にはBOφWY以上にもならないつまらない楽曲に

    まとまってしまっている。

    楽しい曲調なのに楽しめてない氷室の歌声。
    楽曲に対する不安、自分のロックに対する不安、前作の成功を超えられるかどうかという不安、

    そうしたものが氷室の歌にも影響を与えているように思えてならない。


    「Don't Say Goodbye」「True Believer」などバラードの秀作もあるが、これらの楽曲は後に

    Soul Standing Byツアー、Countdown Live 05-06で披露されるまで、その本当の魅力を

    氷室自信が伝えることが出来なかった。


    アルバム全体を通じて歌のジャッジメントは初めて氷室自身が全て行ったが、

    トータルとして成功しているとは言い難い。

    しかしながら疑惑の楽曲「Shake The Fake」の歌入れには、氷室はなぜか並々ならぬ思いで臨んでいる。
    松井五郎の書いた力強い歌詞に負けぬ強い思いを表現すべく、走り込みをして自分を追い込んで歌ったというのだ。

     
    まさしく、氷室自身がふるいにかけられて残っていけるのか、試しているかのような曲である。
    今の成功、今の地位がFakeじゃないことを、このパクリと言われても仕方のない曲を歌うことで

    逆説的に表現したかったのかもしれない。
    確信犯、という言葉がよぎる。

     

    ソロとして歌うことを余儀なくされたマイケル・モンローに、自分を照らし合わせていたのかもしれない。
    スティーヴ・スティーヴンスがいなけりゃただの人 = マイケル・モンロー

     ≒ スティーヴ・スティーヴンスと組めばもっとすごい作品が作れる = 氷室自身
    という図式が浮かび上がる。
    思いっきりこじつけだが。


    さて、いつになったらANGELに繋がるかというと、もう少し。
    ツアー「Shake The Fake」は、ホールやアリーナクラスの会場で14公演が行われた。
    注目したいのが、その日程。初日は10月12日 横浜アリーナ。そして12月1、2日の

    名古屋レインボーホールで一区切りした後、12月24、25日の東京ドーム公演が行われている。
    その東京ドーム2Daysは、「See you at Tokyo Dome on December 24,25」と書いたうすっぺらい

    真っ白な紙をわざわざアルバムに入れて告知していた。
    氷室がこの2Daysに並々ならぬ想いを込めていたことが容易に想像できる。


    東京ドーム2Daysと言えば、やはりBOφWYのLAST GIGS(1988年4月4、5日)を連想してしまう。
    BOφWY最後のその公演で氷室は、必ずここでもう一度会うとファンに約束している。
    そして氷室はすぐにKING of ROCK SHOW ツアーにて東京ドーム2Daysを実現している

    (1989年1月3、4日)。
    しかしこれと今回のドーム公演とは意味が全く異なる。
    なぜならばそれはBOφWY時代から大切にしていたクリスマスに行われたからだ。

    BOφWYのクリスマスイブ公演は、渋谷公会堂で行われるのが常だった。
    そのステージで重要な発表を二つ行っている。
    一つは布袋寅泰の山下久美子との結婚。そしてもう一つは言わずと知れたBOφWYの解散宣言である。
    その大切な日に行われる東京ドーム公演。
    何かが起こると思ったファンは少なくなかった。


    ライブの終盤、それは起こった。
    ソロになって2年目以降披露されていなかったBOφWYの楽曲を、氷室は歌ったのである。
    しかも、解散宣言ライブ、ちょうど7年前のその日に着ていた革ジャンを身につけて。
    確か曲は「ハイウェイに乗る前に」「IMAGE DOWN」「NO. N.Y.」だったと思う。
    特筆すべきは、氷室自身の作曲ではない「NO N.Y.」が披露されたこと。

    BOφWY解散以来初めてのことだった。


    なぜ氷室はこれらの曲を歌ったのだろう?
    様々な理由が考えられる。


    一つは、氷室がBOφWYを超えたという意思表示。
    一つは、BOφWYの頃から支えてくれているファンへのサービス。
    一つは、ソロとしてのキャリアの充実を実感していた氷室の原点回帰。


    いくらソロでBOφWYを超えたといっても、BOφWYのことを忘れてしまった訳ではなく、

    むしろ自分の原点がそこにあるということをしっかり認識して活動を続けていくという

    意思表示だと自分は思う。
    そしてBOφWYを全盛期に解散させた、その精神を忘れないという想いがあったのだと思う。
    氷室曰く、「例えばBOφWYを解散した時もそうだったんだけど、全盛期の時にそれをぶっ壊すから

    カッコいいんだと思うよ、俺は。そこから新しいことが始まるんだよ。」



    1994年12月24、25日、氷室はBOφWYを歌い、そしてANGELを歌った。
    そのANGELは、オリジナルの歌詞そのままで歌われる最後のANGELであった。
    「臆病な俺を見つめなよANGEL 今飾りを捨てるから」と歌った最後のステージだったのである。


    氷室は、再び飾りを捨てた。
    レコード会社の移籍。
    BOφWY時代から所属した東芝EMIを去りポリドールへと移籍、同時に自らのレーベル「BeatNix」を設立したのだ。
    それまで築き上げてきた戦略とノウハウで、大成功を収めてきた氷室。
    その座に安住するのではなく、ぶっ壊してしまったのだ。
    それまで慕っていたディレクターがポリドールに移籍したことが遠因であるようだが、それでもこの決断は大きいと言える。
    活動の拠点をLAに置くための第一歩となったからである。


    ―全盛期の時にそれをぶっ壊す、そこから新しいことが始まる-


    氷室の活動の全盛期、それはいつだろう。
    セールス面で言えば、このころ、すなわち『Memories of Blue』から『SHAKE THE FAKE』の頃と

    言って差し支えないだろう。
    音楽的な面では、まだまだ進化を見せる氷室のサウンドにはピークなど見えない。


    ファンとの関係を見ると、やはりHigher Than Heavenツアーの頃が最もファンと氷室が

    向き合っていたのではないだろうか。
    そしてそれは、ファイナルの代々木体育館の伝説のステージでピークを迎える。
    BOφWY時代の名曲をセルフカバーした「Cloudy Heart」前のMCで、それは起こった。


    氷室の涙。BOφWY解散宣言ライブ以降見せたことの無い涙。
    歌声にならない氷室を支える、ファンの合唱。



    ファンと氷室の間には、確固たる絆があった。
    あの日にあの場所にいたファンは、誇りに思っていい。
    我々ファンの代表なのだから。


    しかし氷室はそんな絆にさえ、縛られることは無い。
    いくらファンに批判されようとも、やりたいことを続けていく。
    なぜなら、それが氷室京介だから。


    最近GLAYとのコラボが盛んになり、先日はライブ飛び入りも果たしたという氷室。
    ファンの中にはそんな最近の氷室の活動に疑問を抱く者も少なくない。
    しかし、誰が彼を止めることができようか。
    かえって周りが反対すればするほど、意地でも氷室はやってしまうだろう。
    氷室があまのじゃくだってことを知らないのかい?


    ファンの言う「私の信じる氷室」という幻想が氷室自身を縛ってしまっては本末転倒だ。
    氷室が何をしたいのか、何をやろうとしているのか、それを見届けてやろうじゃないか。
    それがクオリティの低いものに成り下がってしまうのならば、見捨てればいいだけのこと。
    過去の氷室を愛していればいいだけのこと。
    今の氷室が好きなものを無理矢理好きになる必要なんて何も無い


    どうして氷室が12年前に安住の地を捨てたのか。好きなことをするためだろう。
    好きなものが変わっていったって、おかしくない。
    彼は、変わることを恐れていない。
    一方ファンは、どうだろう?


    アルバム出して、ツアーやって、DVD出して・・・

    というルーティーン・ワークにハマった氷室なんて見たくない。
    コラボやって新しいものが生まれるなら見届けてやろうじゃないか。
    氷室の魅力を奪ってしまう愛こそ、本物じゃない。
    ファンのために氷室は存在しない。氷室は氷室のために存在する。
    今こそ、SHAKE THE FAKE