歌のかけら

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ただいま作曲中の曲の歌詞の一部を先行公開!



好きな歌を自分のものにすることなんて できないから

せめて ひととき 語り尽くそう


好きな人を自分のものにすることなんて できないから

せめて ささやかに 幸せ祈ろう


打ち寄せてくる波の音

たそがれてる君のあと

追いかけてくる蜃気楼

空に The Moon



乞うご期待!!


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前回の記事でコメントゼロ自己記録を更新しているタイマイです。(LOHはのぞく)
さて今回も読み手を圧倒しコメントしようと思っても考えているうちにしづらくさせてしまうような

記事を書けたでしょうか!

答えは記事の中・・・

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トータルアルバムを発表し、その後のステージで見事コンセプト・イメージを具現化した氷室。
その達成感は相当なものだったであろう。
そしてステージでは強力なメンバーのバックアップを得られ、その音作りに自信を深めた。
氷室が向かった次の方向は、自分をプロデュースすることでソロ歌手として魅力を深めた1stとも、
コンセプトに沿った作品づくりでアーティストとしてメッセージを伝えた2ndとも違った。
自己を超えた存在、自己でありながらそれ以上の大きな存在を表す『Higher Self』。
これが次作のタイトルとなった。


氷室京介
Higher Self
(1991/4/6 リリース)

氷室は当時シャーリー・マクレーンのチャネリング本などを愛読書に挙げていたが、
それらに描かれた精神世界の影響を感じさせるものだった。

「ハイヤーセルフ」のチャネリング入門での意味はこちら→クリック


曲作りもレコーディングも前回とは180度異なり、SP≒EEDのメンバーと共に進められた。
特に大きかったのがギターの友森昭一の存在。
友森は、BOØWY時代に布袋寅泰も在籍した、ジュネ率いるAUTO-MOD にも関わった。
AUTO-MODはいろんな意味で伝説のバンドで、現在氷室のサポートを務める本田毅が

パーソンズ結成前に所属したこともある。
ついでに言えば本田は布袋が恐らく喧嘩して腕を痛めた際にBOØWYのサポートを行ったこともある。
当時のバンド人脈は様々につながっていたのだ。

なんと最近の友森の活動 をネットで検索しているとこんなものに行き当たった。

「冷凍みかん」のプロデュース

なんと!あの静岡が生んだ名作を手がけているではないか!!

浜松あたりでチャリンコ爆走中のあの人 も知らなかったのではないだろうか。


友森はバンド色の強いこのアルバムで、ギターリフを中心とする楽曲に貢献した。

Psychic Baby, Wild At Night・・・
特にWild~は現在でもライブの定番曲としておなじみだ。友森がいなければこの曲はありえなかった。

ドラムの永井もレコーディングで初めて起用され、確かな腕を披露している。
この後永井が起用されるのはVirgin Beat1曲のみ。

アルバムFollow The Wind制作時に一時はドラムトラックをレコーディングしたが、

結局国内で録られた一連の楽曲はSacrificeを除きボツとされ、
そのSacrificeもLAで全て録り直しされたため、永井のドラムトラックが使われることはなかった。
それを受けてか、CDLのメンバー紹介MCで氷室は「こんどレコーディングしようか?」

みたいなことを発言していた。
意外と気を遣っている氷室。でも結局言うだけ番長なので後でがっかりさせられる。
SSBツアー福岡公演で発言したKS限定ハロウィンパーティ@LAも結局幻に終わったし・・・。



話をそろそろ元に戻そう。
Higher Selfで氷室はBOØWYとはまた異なったバンドサウンドを実現した。
従来のボーカル・スタイルから外れたビートへの挑戦もこのアルバムから見られる。
ファンの間でも好き嫌いのはっきり分かれる楽曲、Climax, Cabaret in Heavenで氷室は
ねちっこく歌い、素っ頓狂な声色を使ってみせた。
そしてバラードへのこだわりを強めたのもこのアルバムからである。
言わずと知れたLover's Dayをはじめ、Velvet Rose, Moonの楽曲では、

BOØWY時代では表現できなかった深みのあるボーカルを聴かせてくれる。


特にMoonでは歌詞に初めて「僕ら」という呼称を使った。
そのMoon、このアルバムで重要な役割を担っていることに気づいた人がどれだけいるだろう。
歌詞をご覧いただきたい。


   Moonlight 僕らに間違いが無く
   Moonlight 涙が嘘つきじゃなく
   何もかも 一つになれるまで
   Wow ずっと見つめて欲しい


記事の冒頭にも書いたが、氷室はこの時期自己を超えた存在について意識するようになっていた。
それは前作Neo Fascioで作り上げたコンセプトがあまりにも時代とリンクしていて、ベルリンの壁
崩壊など予期せぬ出来事を目の当たりにしたことが関係しているのではないか。
自分の感じるままに作品を作っていった中で起こった、世界の大きな動きとの強い結びつき。
氷室は何か大きな存在に導かれて、自分がメッセージを発したのではないかと思ったのではないか。


Moonで言う「僕ら」とは氷室自身およびそれに関わる全ての人々のこと。
その僕らが一つになれるまで、共に真摯に生きていこう、時にはそうして生きるゆえに、

自分に絶対嘘をつかないがために、涙を流すこともあるだろう、そう呼びかける氷室。
そんな僕らを見つめてくれる大きな存在を感じながら・・・


1991年当時、1960年10月生まれの氷室は30歳。
BOØWY時代=青少年期とは比べ物にならないほど成熟をみせる氷室の精神世界を感じさせる。
大きな存在を感じ、それに導かれる過程として、氷室はステージを位置づけた。

 

思えば氷室はソロになってから、様々な導きを得ている。
吉田建との出会い、チャーリーセクストンとの出会い、そして意外な人物に、泉谷しげる。
70年代にフォークシンガーとして名作を世に送り出した泉谷は、80年代には過激な言動で知られる

テレビタレントとなっていたが、80年代終わりに久々に作品を発表し、

世に泉谷ありを再び印象付けていた。
その泉谷に歌詞を依頼した作品が、1stアルバムのラストに収録された「独りファシズム」。
この曲がヒントとなって2ndアルバムのコンセプトがファシズムとなった。
この一連の流れに、大きな存在の導きを感じたとしても不思議なことではない。

 
そしインタビューでも「(ファンの皆を)導きたい」という発言をしている。
氷室が導きたい方向とは何だろう。
それは決して70年代にジョン・レノンが体ごと突っ込んでいったような政治的な方向ではなかった。


氷室はNEO FASCIOツアーと前後して各種のイベントライブに出演している。
その中に’89年の広島平和記念コンサートがある。
映像を観たことがあるが、今渦中のハウンドドッグや白井貴子など懐かしい面々とともに
「上を向いて歩こう」を歌う氷室の姿には、思わず笑ってしまった。
本人も決まり悪そうに、ちょっと茶化した歌い方をしている。
CDLの1stに参加した人は分かると思うが、本田毅のバースデーソングを歌ったときの声に似ている。
音楽と平和とをゆるく結びつけるこのイベントに氷室がどんな思いを抱いたのか。
氷室はインタビューで、氷室京介として政治的な発言やメッセージを発するのはちょっと違うと思う、
と述べている。


その通り、氷室はHigher Selfを受けたツアーOVER SOUL MATRIXいわゆる

冠つき(スポンサーつき)で行っている。

そこには政治的メッセージもなければ、大仰なコンセプトもなかった。


氷室曰く「コンセプトがないことがコンセプト」というこのツアー。
何と驚いたことにあれだけ信頼を寄せ、レコーディングも全面的に参加したバンドの

メンバーが交代している。
しかも交代したのは中心メンバーであるギターの友森と、ベースの春山だったのだ。
友森が自身のバンドを結成し、その活動に重きをおくことが交代の一因だったと思われるが、
氷室は後任の人選に迫られた。ここで氷室は何とも「らしい」人選をする。


ギター 香川誠、ベース 西山史晃(ふみあき 当時は文明)。二人とも当時活動休止をしていたバンド
ROGUE のメンバーだった。ROGUEを知っている人はどれくらいいるだろう?
ROGUEは群馬県出身のメンバーで構成されたロックバンド。BOØWYが下地を作ったバンドシーンに
BUCK-TICKともども、氷室・布袋・松井の出身地である群馬から出てきたバンドであった。


氷室はROGUEの二人に何を見たのか。それは、懐かしさとかそういう感傷的なものではなかった。
そして優れたテクニックやミュージシャンとしての実績でもなかった。
それは前のメンバーで十分手に入れていたのだ。
ROGUEの二人に求めたもの。それは彼らの放つハングリーなエネルギーそのものではなかったか


バンドマンが成功するのはとてつもなく難しいことだ。
ROGUEはバンドブームの中で雨後の竹の子のように乱出してきたバンドたちに埋もれてしまった。
香川と西山は、何とかミュージシャンで食っていこうとハングリーな姿勢を持ち続けていた。
氷室は、そんな彼らの姿勢に賭けたのだ。


人選の際、スタッフに氷室はこう尋ねたそうだ「ROGUEのやつらはどうしてる?」と。

氷室は地元の若いやつらを微笑ましく温かく見ていたのであろう。
特に西山に対しては、氷室はこんなアブナイ発言もしている。
自分が女だったら惚れてる」。
身長が高く寡黙な西山。このツアーより、長年氷室をサポートしていくこととなる。
二人の間に何があったかは・・・知らないw


香川は90年代後半ESP音楽学校でギターを教えるのだが、自分の知人が香川に学んだことがあった。
氷室ファンでもあるその知人が当時のエピソードを聞いた。
氷室はこのツアーで「おい、次この曲いくぞ」と突然セットリストを変えることもしばしばあったという。
香川の氷室評は、「とにかく豪快な人」だという。


OVER SOUL MATRIXツアーは、氷室の豪快さ、ロック魂をまざまざと見せつける内容だった。
余分な装飾を一切廃したステージセット。

ヤンキー時代に戻ったかのような革ジャンにリーゼントのスタイル。
E.YAZAWAを髣髴とさせるバスタオル。
氷室がロックの原点に返ったかのような、そんなステージだった。
ROUGEの二人に求めたものが、確実に引き出されていた。
それはロックの初期衝動、簡単に言うと「勢い一発!」のノリだ。
コンセプトに縛られず、ごちゃごちゃ言わずに圧倒的な勢いとノリでオーディエンスを圧倒する氷室。
一つ一つのしぐさ、身のこなし、歌いまわし、客の煽り、メンバーとの自然発生的な絡み・・・
氷室京介という一人の男が、会場全体を大きな一つに飲み込んでしまったかのような、そんなステージ。


臆病で裸だった男が、皮ジャンに身を包み、より大きな存在となっていった。
まさに、OVER SOUL MATRIX。その名の通りに。


Higher Self


そして、ANGEL
このツアーでのANGELはテンポも速く(というか、ビート系は全部テンポが速い)、最もノリが良い。
アンコール最後に、オーディエンスとの一体感を最も如実にあらわした曲として、ANGELが君臨した。
ここから、ANGELは氷室とオーディエンスが一つになるためのアンセムとして位置づけられたのだ。
このツアーで氷室はBOØWYの残像をある意味消し去ったのではないか


そして氷室は、はっきりとBOØWYの残像を消し去るがため、戦いのステージを一段高いところに持っていった。
それは、数字=セールス面でBOØWYを抜くこと。
Higher Selfの初回盤に収められたアート集には、狼に模された氷室のイラストがあった。


狼のごとく、氷室は次の狙いを定め、牙を研いでいった・・・

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お久しぶりです。

さあみんながコメントしづらい記事を書いて書いて書きまくるぞ~!!
・・・と妙な開き直り方をしてしまうタイマイです。
というか、書ききっている記事にはそれ自体で完成されたものという印象を受け、

なかなかコメントしづらいのは自分にも経験があります。
ま、みんな読んでくれてるでしょう。
いつも溜めて溜めてからたっぷり出すのでとても濃いですけど、

全部こぼさず舐めるように読んでください。ヽ(゜▽、゜)ノ
(こんなことを書くからコメントも減る)

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ソロとバンドの境目を超えていった氷室。次の活動は意表をつくものだった。
それは「コンセプトアルバム」の発表。

氷室京介
NEO FASCIO(ネオ・ファッショ)
1989年9月27日リリース

女性のアンドロイドが描かれたその奇妙なアルバムジャケットと硬質な音。
1stアルバムが世間に氷室京介がポップでキャッチーなロックを歌える歌手であることを

認めさせたものとすると、NEO FASCIOは全くその逆をいくものだった。
先行シングルとして発表されたSUMMER GAMEのみが、1stからの流れを汲んだものだと言える。
その他は、いわゆるコンセプトに沿った楽曲であった。

そのコンセプトには、当時の世界情勢が大きく反映されていた。
1989年当時、世界は大きく変わろうとしていた。

東欧諸国の自由化と中国の民主化運動に象徴されるように、
これまで鉄のカーテンで東西に分け隔てられていた世界が、一気に構造を変えようとしていた。
80年代終わりから90年代初頭にかけて、戦後50年の世界史で最も重要な時期が訪れようとしていた。


氷室としては、この流れを全く素通りすることはできなかったのだろう。
というのも、ボウイがブレイクするきっかけとなったアルバムを制作した場所が、

東西冷戦の象徴であるベルリンだったのだ。
レコーディングの合間にBOØWYのメンバーはベルリンの壁を見に行った。
そこで何を感じたかは当時のインタビューからほんの少ししかうかがい知れないのだが、

「世界」を肌で感じたことは想像に難くない。

そんな氷室だからこそ、この世界の大きな流れから感じるものを表現したい欲求に駆られたのだろう。

(注:ただし、ベルリンの壁崩壊はアルバム発表後。偶然ではあるが、タイミングがよすぎる。)


ソロとなって一応の成功を収めた氷室だったが、本人はとうてい納得していたとは思えない。
むしろBOØWYの波を自分に引き寄せただけ、と思っていたのかもしれない。
そしてやはりバンドのボーカリストが解散後注目されてセールスにも結びつくことはそれほど

難しいことではない、と思われても仕方が無い。(実際はそんなことないのだが。)
それは氷室本人が一番感じていたことだと思う。
BOØWYの影に、氷室は立ち向かわなければならなかった。

そこで氷室はBOØWYがベルリンでレコーディングした際にプロデューサーを務めた佐久間正英 氏に

再びプロデュースを依頼する。
この人選にも氷室のBOØWYへの対抗意識が感じられる。
受け取ったデモテープを耳にした佐久間氏は驚愕したという。
このまま発表してもいいのでは?というほどのクオリティだったというのだ。

自分はある方法でそのデモテープ音源を聴いたことがあるのだが、そこにはポップというよりは

マニアックな音が詰まっていた。
BOØWYで手に入れたビートを否定するかのような複雑なリズム。
キャッチーなメロディを避けるかのごときメロディライン。
それらを一人で仕上げた氷室の鬼気迫る思いを感じた。
デモテープを受け取った一流のセッションドラマーとして知られる そうる透(後に黒夢などをサポート)は、
レコーディングまでに相当の練習を重ねなければならなかったという。
音楽を始めたころはドラマーだったという氷室のこだわりを感じるエピソードだ。


その他の楽器はすべて佐久間氏が担当したという。
ある種自主制作的ともいえる音作りであった。
バンドでの音作りを否定するように・・・

そして以前から起用していた松井五郎との歌詞も、それまでの甘くきらびやかなフレーズは全く無かった。
FASCIO。つまりファシズムをテーマに挙げた重苦しい内容。
その頃の雑誌のインタビューでは「ヒトラーに興味がある」などと危険な香りの漂うコメントをしている氷室。
アルバム全篇を通し、氷室はあるものを演じている。
氷室が演じたもの。それは端的にいうと「カリスマ」。
人々を扇動する独裁者。ポップさを排除した音づくりがそれを演出していた。
アルバムは再びビッグセールスを挙げたが、一般のファンの反応は複雑なものであった。
当時の音楽誌に載っていたのだが、アルバムを聴いたファンへのアンケートでは

「どんなメッセージなのかよくわからないけれど、メッセージがあるということがカッコいいと思った」

というコメントがあった。
氷室京介という名前に乗せられ盲目的に受け入れてしまうのか、それとも何か答えをみつけるのか、

ファンを試したかのような作品づくり。
それこそが、当時の日本の音楽シーンに対する氷室の挑戦だったのではないか。

ツアーも、ファンの想像する氷室京介像からかけ離れた内容であった。
1stで実現したKING of ROCK SHOW=氷室と全く異なった存在を、氷室は表現した。
セットリスト序盤はアルバムの曲順そのままであり、氷室の衣装もその年の音楽誌でワーストドレッサーに

選ばれたほどゴテゴテした悪趣味なものであった。
アルバムで題材に取り上げたカリスマ=独裁者、それを氷室は表現したのだ。

自分の地元である高知では、コンサートは全く盛り上がらなかったという。
それもそうだ。BOØWY時代にファンが暴れて会場を壊すほどやんちゃな高知の土地柄。

ヤンキー層に絶大な人気を誇っていた氷室。
NEO FASCIOのステージ・コンセプトは、従来の氷室を期待するファンにとっては

理解しがたいものだったのだろう。


ちなみに当時まだチケットの取り方も知らないガキんちょだった自分は、新聞に載っていた

予約の電話番号を予約開始当日の指定時間にダイアルした。
忘れもしない、昔懐かしい黒電話。2,3回かけて通じなかったので諦めた(早っ)。
黒電話を鬼のようにダイアルする気力はなかったし、それほど氷室本人に

魅力を感じていたわけではなかった。まだボウイを聴き始めたばかりだったから。
しかし今思えばもし当時ライブを観たとしても、よくわからなかったのではないかと思う。

当時のバックバンドは、1stツアーから参加しているドラムの永井利光、キーボードの西平彰

ギターの友森昭一に、ベースに春山信吾を迎えたメンバーであった。


特筆すべきなのはベーシストの交代。
1stではアルバムFlowers for Algernonでプロデュースを勤めた吉田建がツアーでも起用されていた。
吉田建 なくしては、ソロとなった氷室の初めの一歩をああした大成功で飾ることはできなかっただろう。
吉田は超一流セッションドラマー村上ポンタ秀一 を迎え、一流のポップ・ロックアルバムに仕上げたのだ。

(後に共に某ジャニーズタレントの番組で毎週バックバンドを勤めるようになる)


セッションベーシストとしても名高い吉田は、続くツアーでも手堅くバックを固めた。

経験豊かな吉田は、ステージングについても氷室にある程度アドバイスをしていたと思われる。
そんな吉田に甘えることを、氷室は良しとしなかったのではないか。

春山信吾。彼は実は氷室がボウイ以前に加入していたスピニッジ・パワーのベーシストだった。
ボウイのオフィシャル本「大きなビートの木の下で」にあるように、氷室はこのバンドに

何の魅力も感じていなかったという。
しかし春山に対しては、ミュージシャンとして尊敬の念を抱いていたのだ。
それまでキャロルやビートルズなどのスタンダード・ロックからの影響が強かった氷室が

ニューロマンティック系とされるアーティストなどマニアックなロックを聴くようになったのも、

春山らに影響されてのことと思われる。
春山の起用も、勘繰ればボウイへの潜在的な対抗意識の表れではないか?
そして、力のある吉田を外したことも、既存の音楽シーンに対し挑戦する氷室の姿勢の表れだったのではないか?

SSBツアーだったか、氷室がこんなMCをしている。
「ソロになって初めてのツアーで吉田さんは『今日は天使が降りてこなかった』とか

言われた日もあったけど、(当時を知る永井に向かって)いつも降りてきてたよな?」
悪く言えば職業ミュージシャンである吉田のスタンスに、バンドとしてどん底から這い上がってきた氷室は

相容れないものを感じたのかもしれない。
音楽をやっている人間ならば、その日の演奏がテクニック的に良かったか悪かったかを

言うことが良くあるとわかると思う。
しかし氷室はそれ以上の何か、つまりテクニックを超えたオーディエンスとの

有機的な結びつきを求めていたのではないか
これはその先の氷室の活動を見れば納得できる。

ともかくこのツアーで氷室はバックのメンバーに対し強い信頼を抱き、

SP≒EEDというバンド名をつけるほどであった。
実際には演奏の調子の波はあったようだが、それもバンド的だと氷室は思ったのだろう。
特にリズム隊は素晴らしい。
そうる透をうならせた複雑なリズムを叩ききる永井(ソバージュが微妙なのはこの際おいといてw)。
機関銃の様に腰にベースを構え、うねるように音符を連射する春山。


それにも増して秀逸なのが、ギターの友森
前回ツアーでファンによる厳しい布袋との比較の目に晒されながらも(個人的な見解です)乗りきった

友森は、このツアーでギタリストとしての真髄を感じさせるプレーをやってのけた。
あのギターが複雑に絡み合う楽曲を、音の薄さを感じさせることなくギター1本でやり抜いたのだ。
自分はギターにそれほど詳しくは無いのだが、エフェクターの使い方は上手いと思う。
布袋のような強烈な個性は無いが、手堅いプレーはバッキングにもソロにも獅子奮迅という感じである。
特にCallingでのディレイを使ったプレーは、正直DAITAと本田のツインギターより迫力があると思う。
前述のスピニッジパワーに不満を持っていた氷室が自身のバンドを結成する際に布袋と共に

ギタリスト候補に挙げていたのが、この友森である。


バンドアンサンブルについては、キーボードの西平彰が助言したに違いない。
後に宇多田ヒカルの1stアルバムの楽曲を手がけることとなる西平は、ステージングにおいても

存在感を見せつけるとともに、バンドとしての骨格を作る役割を担っていた。

NEO FASCIOの音世界を見事に表現しきったバンドは、もっと評価されていい。

そして、ANGEL・・・

と行きたいところだが、このツアーのセットリストでどうしても注目せざるを得ない曲がある。
それは、ANGELに続く2ndシングルとして発表されたDear Algernon
こんな歌詞がある。


   やさしさには出会えたかい
震える闇で何のために叫ぶのさ
ただもう少し愛を感じていたいだけ


それまで暴君のようにオーディエンスを突き放したようなパフォーマンスでカリスマを演じた氷室が、

弾き語りで感情を抑えながら歌うこの曲。
カリスマを演じる者の抱く孤独を表現しているとともに、その空しさを物語っている。
踊らされることの空しさ、躍らせることの空しさ・・・
それは、日本の音楽シーンに対して氷室が抱いていた空しさに共通するものではなかっただろうか。


BOØWY解散後、雨後の竹の子のように湧き出てきた数々の軽薄なバンドたち。
バンドは金になると短絡的に考え、ファンを躍らせようと仕掛ける業界人たち。
そして自分の信じる音楽を捨て安易に売れるために魂を売ったバンドマンたち。
アイドルさえバンド形式でロックを歌う現状に対するアンチテーゼ。
「売れる」立場に立っているからこそ、氷室が表現しなければならないものがあった。
大きく揺れ動く世界の中で、ちっぽけな幻想を作り出し、それに踊らされる現状の日本。
FASCIOが最も存在しえる国が日本だと、インタビューでも答えていた氷室。
世界の中の日本という視点を抱いた氷室が作ったのがNEO FASCIOであったのだ。

そして、本編最後のANGEL。
「臆病な俺を見つめなよANGEL」
アンチ・カリスマを宣言するかのように、氷室は歌う。
そしてステージ後方に張りめぐらされていた蜘蛛の巣が、ANGELの終わりと共に爆破で吹き飛ぶ。
カリスマという呪縛から解き放たれたのか、それともBOØWYのボーカリストという呪縛から

解き放たれたいという意志の表れなのか・・・

思えばアルバムからシングルとして発売されたMistyのビデオでも、氷室はカリスマの苦悩を演じていた。
ぬぐってもぬぐっても洗い落とせない血・・・放送禁止になった問題のPVで彼が表現したかったこと。
それはNEO FASCIOの根底に流れるメッセージなのではないだろうか。

そのメッセージとは、アンコールで明確になる。
力強いイントロと共にステージ最後方にはためく「NEO FASCIO」のフラッグ。

ライブ最後はCalling。英語辞典で調べると「お告げ」「訓示」のような意味も含まれたタイトルの曲。


  振り絞る声と 握り締めるその手で
  運命はきっと 変わる時を待っている
  ちっぽけな愛の ささやかな力で
  悲しみはいつも 抱かれるのを待っている
    (注:ライブでは歌いまわしの問題からか、「いつも」をカット)


ツアー最終公演は東京ドーム。そのステージ最後に氷室はささやく。
ビデオで確認しても聴き取りにくいのだが、私にはこう聞こえる。
「愛してる。私たちを・・・」
直後、最後の最後で満面の笑顔を私たちに向けてくれた氷室。
彼の表現したかったものが、そこにある。

NEO FASCIO・・・新しいファシズム
それは何なのか。
それは人類が愛という共通する意識で結ばれた、新たな秩序ある世界ではないだろうか。
崩壊した世界を新たに作るのは、カリスマでも独裁でもない、愛なんだという氷室の力強い表現が、

NEO FASCIOなのではないだろうか。
もっとわかりやすく言うと、氷室は愛を信じている、信じたいということを言いたかったのではないか。


思い出して欲しい。抑え気味に歌っていたDear Algernonで最後の部分だけ叫んだことを。
「I Wanna Feel My Love」と。

氷室は常々屈折した愛の表現をする。
その際たるものがこのアルバムおよびPVおよびツアーなのだ。
その最後を飾る曲が、直接的な愛の表現であるというのが興味深い。

それは「LOVE SONG」


    Ooh Love Song For You 愛しているのさ
   We'll be together run & run
   想いだしてごらん
   心へと はてしないあの空
   We'll be together run & run
   忘れないでほしい
   いつまでも 旅は続いてゆく


どんなに崇められようと、祀り上げられようと、氷室はそこに安住することは無い。
自分自身の中にある、愛を感じるために
私たちとの愛を、感じるために 旅を続けていく

それが氷室京介だ。


この時期、氷室はBOØWYから離れよう、対抗しようと、もがいていた。
あえてバンドサウンドを拒否した作品づくりをしたのも、バンドを愛するがゆえだったのではないかと思う。
それを証明するのが、次作ということになる。
ANGELをめぐる旅も、まだまだ続いていく・・・

p.s.
  私は別ブログというかメインブログで家族のことを書いている。
  タイに来てからジャンルを旅に変更した。
  人生は旅だと思うからである。
  それは単なるTripでもなければTravelでもない。
  まさしく氷室の歌うとおり、Journeyなんだと思う。
  そしてその旅は、まだまだ続いていく・・・


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