CROSSOVER 05-06 2nd STAGE

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今、EASY LOVEのプロモーションビデオが流れている。

本日のWOWOWの氷室京介 COUNT DOWN LIVE CROSSOVER 05-06 2nd STAGEはこれで終了。

ちなみにこのPVは1stと2ndでのライブ映像を混合して作成している。

公式サイトの視聴では画像が荒かったが、今回見て衣装が違うことがわかった。


さて、今回のライブ映像を見て思ったのは、まずこれをDVDにしないことはないだろうということ。

なぜなら、今までで一番氷室が鬼気迫る気を発しているからである。

数々の氷室のライブ映像を観てきたが、画面から本人の気がここまで伝わってきたことはなかった。

おそらく1st STAGEの出来に納得できなかったからであろう。

2nd STAGEにすべてをぶつけている。

凄まじい。ただひたすら凄まじい。

生で体験しているにも関わらず、そのスリルに胸が引き裂かれそうになり、思わず拳を上げていた。


crossover 2nd


氷室が壊れた。メンバーも壊れた。オーディエンスも壊れた。

特にはじめの怒涛のビートナンバーの連続には、本当にこれが今年46歳を迎える男の姿なのかと疑った。

最近彼の影響を強く受けたバンドのライブ映像を観る機会があったのだが、完全に氷室が凌駕している。

声量、リズムと一体化した歌とアクション、ステージでの存在感・・・


氷室の発する「気」は、バンドの演奏をぐいぐいと引っ張っている。

恐らくメンバーは実力の100%以上の力を発揮したことだろう。

バンドをやったことのある人間ならわかるだろうが、本当にメンバー同士のコミュニケーションが良くとれていて、技術的にも優れている場合に、自分が自分でないような凄いプレイが出来る時がある。

その状態ではなかったか。


今回の放送はMCをほとんど入れず矢継ぎ早に曲をつなげており、観客の声もあまり入っていないのだが、それによりかえってこの時の氷室とバンドの状態がわかる。


細かい点はまた追記するとして、ともかく放送を観た感想として最後に一言残しておく。



DVDにしなかったら暴動が起こる。

それぐらい凄いライブだった。


以上。

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LED ZEP never fade

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いつかは書かなければならないと思っていた。

ロックを語る上で欠かせないバンドの一つである「Led Zeppelin」。

このバンド、聴くにも観るにもパワーを必要とする。

そして語るにも。

今回はいただいたパワーを使って、思う存分書き記したいと思う。

 

 

①Zeppelinの魅力

  これは語りつくせない。ただ言えるのは、彼らのサウンドを再現できるのは彼らだけであるということ。

  4人のうち誰が欠けても成り立たない。それぞれがZeppelinの翼であり、エンジンであり、操縦桿だったのだ。その独特なサウンドを味わえるのはやはりライブ。彼らのライブ音源を聴くと、原曲を大きく逸脱したアレンジをしたり、メドレーを織り交ぜたり、激しいパッセージの応酬が続くと思えば一気にクールダウンして細やかな音世界を演出したりと、常に飽きさせない。

 こんなことができるのも、メンバーのバックグラウンドに根付くブルース・ミュージックへの傾倒と、技術と経験に裏打ちされた超人的演奏力があったからである。

 ジミーがリフを弾くと、ボンゾが、ジョンジーがそれに続き、プラントが人間業と思えないスクリームで応える。かと思えばブルースのスタンダードのメロディをプラントが歌い、ジミーほか楽器陣がそれをバッキングする。そして誰からともなく、Zeppelinオリジナルの楽曲に戻り、音の旅を締めくくる。

 彼らはその場に居合わせたオーディエンスのみならず、聴く者すべてをその大きなサウンドに乗せて自由自在に飛行する。

 とてつもなくヘビーでありながら、とてつもなく、飛翔する。

 我々は彼らに今も幻惑されつづけている。



②Zeppelinの好きなアルバム

 異論はあるだろうが、彼らの活動時期は大きく分けて初期(I~III)、中期(IV~Physical Grafiti)、後期(Presence~In Through The Outdoor)になると思う。

 それぞれの時代を紐解くとこうなる。


 <初期>

 Zeppelinサウンドの基本となるエッセンスを様々な形で提示したみずみずしい時期。

 

 「I」で既にそのサウンドの根幹はしっかりと形成されていたことがわかる。まさに驚異的な音圧。

 現在のエセ・ヘビーミュージックがかすんで飛んでいくほどの破壊力を今も保つ。

 

 「II」ではハードロックのお手本ともいうべきWhole Lotta LoveからポップなLiving Loving Maidまで、楽曲の幅とエンターテイメント性を見せ付けた力作。ツアーで各地を転々としながら録音したためか、それぞれの曲が同じサウンドではない。

 

 「III」はうって変わってハードロック色を後退させる。と言うより、トラッドやフォークをもサウンドに取り入れられるというバンドの懐の深さを示している。評論家の中では評価が低いが、初期では最も重要なアルバムであると私は思う。


 私が初期のアルバムで一番好きなのは、「III」である。


 

 <中期>

 ビッグネームとして世界的な地位を確立し、王者としての風格を漂わせ順風満帆に飛行を続ける時期。

 この時期のアルバムはどれも名作ぞろいである。

 

 「IV」

 それまで拡散させてきたサウンドを一つの塊として集約したものである。ファンから絶大なる評価を受け、また評論家も認めざるを得なかった名作。しかし自分はこのアルバムは名作が故に好きではない。彼らのサウンドの魅力である「自由奔放な飛行」の色合いが薄く感じるからである。


 「Houses of the Holy」

 ジミーはそれまで積み重ねてきた音作りを発展させ、IVで自信をつけたプラントも歌詞にも神話的要素をさらに盛り込み、まさに円熟した音を聴かせてくれる。しかも遊びの要素もスパイス的に盛り込むという、もはや他には真似のできないオリジナルなZeppelinの飛行を表現している。


 「Physical Grafiti」

 2枚組のアルバムながら、すべての曲が個性的でハズレが無い。アルバムとしての統一性やずば抜けた名曲には欠けるものの、円熟味を増したサウンドはメンバーそれぞれの余裕と自信を感じさせる。一番聴いていて安心できるアルバム。気がつけば一番よく聴いている。


 私が中期のアルバムで一番好きなのは、「Physical Grafiti」である。

 

 

 <後期>

 メンバー同士や周囲に緊張関係をはらんでいた時期。巨大化しすぎたバンドが、様々なトラブルに見舞われ飛行がおぼつかない事態になりつつあった。

 そんな中でも、彼らは飛行を続けた。

 ある日突然、エンジンがもぎ取られるまでは。


 「Presence」

 当初ジャケットにも描かれている「Obelisk(オベリスク)」というタイトルになる予定であったアルバム。しかしある評論家がZeppelinサウンドを評し「彼らのサウンドは音そのものが一つの“存在”となっている」と語ったことから現在のタイトルになったと記憶している。

 プラントが自動車事故の後遺症で椅子に座ったままほとんどを録音し、急遽スタジオを取ったため時間的余裕が無く、ほとんど不眠不休で鬼気迫るギターオーケストレーションを仕上げたジミー。

 余談だがそのスタジオ(スイスのモントルーにある)はローリング・ストーンズが次に予約を入れており、ジミーはストーンズに「2日間の延長」を依頼する。するとストーンズ側は「たったの2日でいいのか?」と逆に驚いて聞き返したという伝説がある。

  ジミーが自身のベスト・アルバムとして挙げるほど、彼の貢献度は高い。しかし彼が舵取り役を担ったのは、ここまでだった。これ以降、飛行船は急降下を辿ることとなる。


 「The Song Remains The Same-Original Sound Track」

 オリジナル・アルバムではないが、73年のツアーを収めた記録映画のサウンドトラック。随所にジミーはオーバーダブを織り込んでいるため純粋なライブ演奏とは言い難いが、非常に貴重な音源である。

 ただ、演奏そのものはブートレグなどで聴く事の出来る名演とは程遠いもの。

 映像作品としての評価はできるが、音だけの評価はし辛いものがある。

 それでも最近まで公式のライブ音源はこれしかなく、一般のファンはこれがZeppelinのライブの実力と思っていたことであろう。

 あるいは伝説を追って、私のようにブートレグに走ったことだろう。


 「In Through The Outdoor」

 驚くほど評価が低いアルバム。個人的にもそれほど聴き込む機会はなかった。

 空中分解寸前のZeppelinの状態がサウンドにもあらわれている。前作を受けての全米ツアー中にプラントが息子の病死という悲劇に遭い、引退さえ考えたという最悪の事態にバンドは襲われる。その後バンドがレコーディングにこぎつけるまで、2年もの歳月を必要とした。

 しかしジミーはドラッグに溺れ、スタジオにひょろひょろと現れてはヘロヘロのソロを弾くという状態だったという。必然的に、プラントとジョンジーの共作が増え、キーボードをフューチャーした「らしくない」サウンドに仕上がってしまった。実験的な作品ではあるが、そこにマジックは無かった。

 パンク世代の台頭により、過去のものとされつつあったZeppelinだが、アルバム発売と時を同じくして行われた1979年 8月4日,11日のネブワース公演では10万人以上の観客にZeppelinの存在感を見せつけ、浮上の兆しを見せた。しかしこの時の2公演(4日、11日) が結果的にイギリス最後のステージとなる。


 私が後期のアルバムで一番好きなのは、「Presence」である。


 

<解散後>

 1980年 9月25日 ジョン・ボーナム、泥酔の末、死亡。

             バークシャー州ウィンザーにあるジミー・ペイジ宅のベッドで発見。

 1980年 12月4日 解散を表明。

 

 突如、飛行船はエンジンを停止した。

 ある意味、時代の必然だったのかもしれない。

 奔放なロックンローラー的生活が許された時代の終焉。

 70年代ロックの象徴的存在だったZeppelinの幕引きは、何とも象徴的なものになってしまった。

 そして解散のわずか4日後、60年代から70年代にかけてロック界の孤高の存在であったジョン・レノンが銃殺された。

 この時代に今の私がいたならば、絶望で息も出来なかったことだろう。


 1982年 11月 レッド・ツェッペリン10枚目のアルバム 「CODA」 をスワン・ソングからリリース。


「CODA」

 まさに活動に終止符を打った飛行船。収録された未発表曲の中には、ジミーが息を吹き返し、パンクをも飲み込もうとしていたZeppelinの新たなサウンドが垣間見れる「Wearing & Tearing」が含まれていた。

 この曲は後に1990年のネブワースで行われたロック・フェスティバルでプラントとジミーが共演した際に取り上げられている。

 ジミーとしては、この頃からプラントとZeppelinのその後の姿を何とか実現させたいという気持ちが強かったのではないか。プラントは当時その気は全く無かったのだが。

 

 

 90年代、Zeppelinの幻影が世界を席巻した。


 1990年 10月29日
 デジタル・リマスタリングされ、54曲を収録したボックス・セット「LED ZEPPELIN」、世界中でリリース。

 この頃、タイマイもCDを入手し、Zeppelinの存在を知る。 


 1993年 9月
 「LED ZEPPELIN BOX SET 2」リリース。

 上記のボックス・セットに収録されなかった曲+未発表曲で構成された。いわゆる有名曲はあまり入っていないものの、不思議とまとまりのあるセットである。曲順の妙。そして付録のブックレットが秀逸。Zeppelinの貴重な写真が収録されている。

 未発表曲では、「I」のレコーディングセッションで録音された「Baby Come On Home」が素晴らしい。

 なぜ収録されなかったのか理解に苦しむほどの出来栄え。お得なボックスセットである。

 Zeppelinがただのうるさいバンドだと思っているような人にお聴かせしたい。



 1993年 ジミーはプラントが「デビッド・カバーバージョンだ」と揶揄するほど自身に似通ったスタイルを持つデビッド・カバーデイルとユニット「Coverdale Page」を結成。アルバム発表、日本での1回のライブのみで解散。

 おそらくこのユニットを組む時点で既にジミーがプラントに何らかの接触を取っていて、プラントに断られてわざとプラントの嫌いなカバーデイルを選んで刺激したものと思われる。

プラントとしては、カバーバージョンに本家を脅かされるのは納得行かなかったのだろう。ジミーはその点をうまくついたもんだ。そしてプラントがZeppelinを歌う理由付けとして、新解釈でのサウンド作りという妙案?が出されたのであろう。

 

 1994年

 MTV「unplugged」にてPage&Plantがインド/モロッコ/アラブのミュージシャンをバックにゼップ・

 クラシックをセルフ・カヴァー。「No Quarter」のタイトルでアルバム・映像作品を製作。

 翌年世界ツアー。

 95年のツアーでは大阪城公演を観た。席を立たない往年のロックファンに囲まれ、静かに鑑賞。アンコールのRock'n'Rollでジミーが輪島功一のようなジャンプ・・・幻影は静かに消え去った。


Page&Plantが組まれたことで、Zeppelinの未発表音源も日の目を見ることとなった。

ジミーの商才が優れていたという説もあるが、何にせよファンにとっては嬉しい限りだ。


1997年 11月
「BBC SESSIONS」リリース。

DISC2 1曲目の「Immigrant Song」はぶっ飛んだ!ものすごい音圧!!これは凄いとしか言いようが無い。

この1曲だけでも聴く価値がある。


2003年5月 

「DVD」リリース。

ロイヤル・アルバート・ホール(1970年)、アールズ・コート(1975年)やネブワース(1979年)の映像を収めた、究極のZEP映像作品。時代とともに変遷した飛行船の軌跡が描かれている。

ファンなら涙なしでは観られない。特にネブワースのエンディングでプラントがこう話すところ。

「何て言っていいかわからないけど・・・11年間ありがとう。」

2003年11月

「How The West Was Won」リリース。

72年6月25日のLAフォーラム、同27日のロング・ビーチ・アリーナの公演を収録した3枚組。

圧倒的な演奏力とテンションで西海岸を制圧したZeppelinの生の迫力を伝える名盤。

 

私が解散後のアルバムで一番好きなのは「LED ZEPPELIN BOX SET 2」である。

映像作品では「DVD」である。というか、それしかない(苦笑)

 

 

③好きな曲ベスト

 Zeppelinの曲はバラエティに富み、一つの基準でいい曲というものを選べない。

 と言うことは、聴く者それぞれが自分の基準で決める自由さがあるということだ。

 そしてその基準というのは、気分しだいで変わるものであり、ここに書くのは今日この時点での自分の気分を反映するものである。

 

 1. Achilles Last Stand

   この曲のテンションは、どんなに上手いバンドがカバーしても再現できない。

   Dream Theaterのカバーバージョンを聴いてそう確信した。


 2. How Many More Times

   この曲をカバーした時の気持ちよさったらなかった。

   「Oh, Rosie Oh Girl~」と叫びながらドラムを叩き、「They call me the hunter~」と歌いながら

   マーチング・リズムを刻んだことを思い出すだけで鳥肌が立つ。


 3. The Song Remains The Same ~ The Rain Song

   この曲は、2つで1つと換算したほうが良いだろう。それほど、最高のつながりをしている。

   表現力を増したバンドの力量が味わえる。それまでとは異なる音世界を飛行している。


 4. Bron-Y-Aur Stomp

   DVDを観て初めて、ボンゾがコーラスを取っていたと知った!ライブバージョンのノリは最高。

   ボンゾがただのパワーヒッターではなく、パーカッションそのものに長けていたということが

   わかる名演。


 5. In My Time Of Dying

   邦題「死にかけて」(笑)

   Zeppelinの楽器隊に負けじと絡むプラントの喉が渋い!DVDのバージョンは人間業じゃない。



④私にとってそれぞれのメンバーのここは凄いと思うこと


  ロバート・プラント

   人間離れしたハイトーン・ボーカルを喉の手術で失ってからもその秘めた才能を開花させ、

   素晴らしい歌詞を残してくれたこと。


  ジミー・ペイジ

   個性豊か過ぎる面々を集め、見事に自分のやりたい音楽を具現化したこと。

   ミスピッキングが多くても名ギタリストとして認められていること。

   まだ生きてギターを弾いていること。そのうちまたポール・ロジャースと組みそうなこと。


  ジョン・ポール・ジョーンズ

   あの狂乱のツアー生活の中でも鮫事件などに関わらず自分の世界を守ったこと。

   いろんな楽器をステージで弾いたこと。しかもそれらが全部達人級の腕前だったこと。

   そのくせPage&Plantには参加できず電話くらいよこしてくれよと子供のようにすねたこと。


  ジョン・ボーナム

   産まれてくれて、ありがとう。




以上、この記事を書き始めた時間   20:40

           書き終えた時間   23:18

           修正を終えた時間  23:40



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氷室京介がアルバム「Flowers For Algernon」を引っさげて行ったツアー「King of Rock Show」。

BOφWYの解散後いち早くソロ活動を開始した氷室。

彼のもとにはBOφWYの主要なスタッフがついてきたという。

そのことが、布袋をCOMPLEXの結成に向かわせたという説もある。

つまり、氷室はそのカリスマ性ゆえに多くの人を惹きつけていたのだ。

ツアーの模様を収録したビデオ作品にはインタビューも収録されており、その中で本人がこう言っている。


「チェスではキングを守るために周りの駒が動く。しかしキングそのものは大した動きができない」


彼自身は自分がキングだという尊大さではなく、キングでいられるのは周りの優秀なスタッフに支えられているからだという謙虚さを素直な語り口で表現している。

それはすなわち、「ANGEL」で彼が歌った内容に合致する。

 

いつでも優しさを弱さと笑われて 弱さを優しさにすりかえてきたけど

臆病な俺を見つめなよ ANGEL 今飾りを捨てるから

裸の俺をみつめなよ ANGEL...

 

カッコつけ虚勢を張っていたBOφWY時代のイメージを脱ぎ捨て、「自分は裸なんだ」という生身の人間としての彼の告白を表している。

私が惹かれるのは、そうした自分をさらけ出す勇気を持った人間・氷室京介である。

誰かに裸を暴かれるのではなく、自ら裸になって自分は裸だと言い切れる。

そんな強さを身につけていた、あるいは身につけようともがいていた氷室京介。

 

彼はツアー本編最後にANGELを選んだ。

「俺が一番大事にしてる8ビートのロックンロール」というMCとともに。




1989年1月4日、東京ドームでのツアー最終公演には当時天才少年と言われ音楽界を一斉風靡していたチャーリー・セクストンがゲストギタリストとして参加。

彼はANGELのレコーディングの段階でも参加し、素晴らしいソロを聴かせてくれている。

しかし当時、氷室本人は後に共演・共作することとなるスティーブ・スティーブンスにオファーを出していたという。

後の自分の活動イメージを、氷室は当時から明確に描いていたということであろうか。

いや、氷室はその猛禽類の獣のような鋭い眼でつかむべき未来を見据え、ついに掴んだのではないか。


彼のTURNING POINT。それがこのツアー、シングル、アルバムの成功であった。

 

 

 

1988年暮の日本レコード大賞では、「Flowers For Algernon」は最優秀アルバム賞を獲得。

「ポピュラリティを持ったロック・アルバム」として最高の評価を得た。

授賞式のステージにて、真っ赤なスーツに身を包んだ氷室は名台詞を残す。

 

「この賞はひとえに氷室京介を支えてくれたスタッフ・ミュージシャン、そして何より俺の実力のおかげだと思います」

 

自信に満ち溢れたその眼、そのオーラ。

謙虚さと大胆さを兼ね備えた最強のロック・ミュージシャンがそこにいた。


himuro 1988


授賞式ステージではALISONとANGELを演奏。

わずか2曲の中に、彼のボーカリストとしての幅の広さを見せ付けた。


ALISONは後に本人が言ったように「すごく難しい」バラード。

レンジの広いメロディラインを圧倒的な声量で歌い上げる氷室の額には、玉のような汗が流れる。

ANGELは特別にエンディングソロを短くしたバージョン。全くビートを外さないリズム感、そして何よりその存在感。

彼のソロデビュー元年は、こうして幕を閉じた。


 

そして新たなステージへ

ANGELとともに





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Easy Love / Bitch As Witch

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2005 / 02 / 08 氷室京介のシングル『Easy Love / Bitch As Witch』が発売された。

オフィシャルHPでは、先日行われたカウントダウンライブの1st Stageの模様を収録したライブPV映像が試聴できます。

PVはこちら→<クリック


そして、所属する東芝EMIのアーティストページでは、公式インタビュー記事がアップされていた。

クリック


今日は出張から帰ってきてその足でTSUTAYAに寄って購入しました。

レビューはもうちょっと聴き込んでから書きます。

しばらくお待ちください。


「Thank You For Your Life」

  song by Thaimai

Thank you for your life-complete.mp3
ダウンロード用リンク

 

D-Em-A D-Em-A

D-Em-A-Em-A-D-Dsus4-D

A G D

人生の列車を乗り継いで行く君は

Gm D Em A

ちょっと人より ゆっくりかもしれない

D A G Gm

あの約束の場所へと導くのは

  D G

きっと 僕たちの

Em A

強い 強い 強い絆


だから

D A G D

産まれてくれて ありがとう ぼくらのうちへ

G D Em A

愛という名の魔法を かけてくれたよ

D A

心を込めて ありがとう

G D G D B G
優しい君の 心の温度が手と手を伝い

Gm D-Dsus4-D

僕の 真ん中へ


D-Em-A D-Em-A

D-Em-A-Em-A-D-Dsus4-D

D A G D

人生ってステージのカーテンコールは

Gm D Em A

ちょっと人より 早かったかもしれない

D A G Gm

あの懐かしい歌を 聴くたびに ほら

  D G

きっと 思い出す

Em A

熱い 熱い 熱い鼓動


だから


D A

産まれてくれて ありがとう

G D G D Em A

ぼくらの胸に 愛と勇気とメロディを 伝えてくれたよ

D A

心を込めて ありがとう

G D G D

その歌声が 優しさの空から

B G Gm D
僕たちの 集う この場所へ

(夢を)

Gm D Gm D

あきらめないで 信じることを

Gm D Gm D

あきらめないで 伝えることを

Gm D Gm D

あきらめないで 生き抜くことを

Gm D Gm D A-Asus4-A

あきらめないで 愛することを・・・ (Just One More Try)

 

D-Em-A D-Em-A

D-Em-A-Em-A-D-Dsus4-D

D A G D
産まれてくれて ありがとう 優しい歌よ

Gm D Em A

さみしさも 喜びも ひとつになれる

D A

そして一言 ありがとう

G D Gm D B G
支えてくれた みんなの心の声が聴こえる

Gm

ような 気がしてる

D-Em-A D-Em-A

気のせいじゃない

D-Em-A-Em-A-D-Dsus4-D

君のせいじゃない・・・

さあて<1>の後あまりの反応の薄さに凹んで更新をストップしてしまったが、エネルギー再注入して仕切りなおしじゃ!


氷室を知ってるやつも、あまり知らないやつも、とりあえずついてこーい



・ANGEL ~Don't Knock The Rock ver.

 氷室がファーストシングル「ANGEL」を引っさげて初めて回ったツアー『Don't Knock The Rock』

 7/21にANGEL発売後、7/25奇しくもタイマイの誕生日に真駒内陸上競技場を皮切りにスタートしたミニツアー。アルバムの発表も控えた中、プロモーションツアーとしてというより、本人がとにかくオーディエンスの前に出たくて急遽組まれたツアーに思える。

 というのも、あまりにも会場が普通はライブに使われないようなところばかりなのだ。


 7.25 真駒内陸上競技場

 7.27 浅間高原特設会場

 8.04 京都嵐山 高尾パークウェイ トワイライトシアター

 8.12 秋田御所野ニュータウン 特設野外オンステージ

 8.17 名古屋小牧市民球場


 行く先々で雨にたたられ、そのせいか吉田拓郎の「たどりついたらいつも雨降り」のカバーをレパートリーに加えている。(この曲に関しては、midblueさんの記事 を参照)

 アルバムに収録される予定の曲(ALISONなど)数曲を含めても、とうていセットリストを組めないほどもち曲の少なかったことも、カバー曲を加える要因となったのは間違いない。

 このミニツアーでは、現在まで氷室のお気に入りのドラマーとしてバックを固めている永井利光が参加している。

 しかし永井は始めから参加していたわけではない。

 『TOUR DOCUMENT BOOK 1 KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"』(ソニーマガジンズ刊)を発売当時立ち読みした記憶が正しければ、当初のドラマーがリズムを外してしまい、ミーティングの結果ドラマー交代となったという。そこで当時ちわきまゆみ、CHAGE&ASKAらのバックで叩いていた永井が選ばれたのだ。

 このツアーの映像は、ビデオ作品『88's-89'sTURNING PROCESS~KING OF ROCK SHOW』に収められているが、ANGELは完全なバージョンでは収録されていなかったと思う。

 ビデオ発売前に、NHKで氷室のツアードキュメント番組が放送されたのだが、この中にANGELのフルバージョンが収められていたと記憶している。

 当時まだ氷室京介にはまっていなかったタイマイは、姉に頼まれてこの番組を録画した。そして何気なく見て、外人の派手なアナウンス(プロレスラーの入場のような)で「Kyosuke Himuro~!!!」という雄たけびが響く。

そのとたん、ステージ真ん中からアメ車が飛び出てきて、そこから氷室が下りてくるというド派手な演出だった。

 

 このツアーに参加できたファンは本当に貴重な、氷室のソロアーティストしての慣らし運転を見ることが出来たということだ。

 存在するはずのこのツアーの「ANGEL」フルバージョンの映像化を強く望む。