ザ・ビートルズ
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

さてと、この記事を書くのには気合が要る。

Pet Soundsに続いて紹介するのはやはりこのアルバム。

ビートルズ、特にポール・マッカートニーはビーチ・ボーイズの66年のアルバム

Pet Sounds」を聴いて衝撃を受けた。

イギリスのバンドとしてアメリカを席巻したビートルズに対し、徐々にアーティストとしての自我を出していったビーチ・ボーイズ・・・というよりは作曲家・編曲家ブライアン・ウィルソン。

彼の作り出したサウンドは今までの大衆音楽であるポップスの概念を軽く超えていた。


そしてビートルズはワールドツアーの合間にこのアルバムの布石となる「Revolver」を発表。

実験的なサウンドは、今までのレコーディングの概念を打ち破るアイデアに富んでいた。

しかしまだまだレコーディングに集中する時間的余裕が無かったため、それらはまだまだ荒削りなものであった。


66年のアメリカツアーが終了した後、ジョージ・ハリソンは一人チャーター機でアメリカを後にした。

機中で彼が思ったのは 「ああ、これでビートルの一人ではなくなったんだ」 ということ。

彼に限らず全てのメンバーは、今までの超メガヒット・アイドルであるビートルズの仮面をかぶり続けることに飽き飽きしていたのだ。

現在のようにPAシステムも確立されおらず、ステージにはモニタースピーカーも無く、会場にも十分届く音量が確保されていなかった。

リンゴにいたっては、自分が曲のどこのパートを演奏しているか、他のメンバーの動作を見て確認していたという。

これは演奏家にとっては信じがたい条件だ。


私もドラムをやっていたのだが、他のメンバーの出す音に反応してノリが出たりフレーズをあわせてみたりするのが楽しいのであって、それができないということは想像以上にストレスなのだ。

ただ首振ってりゃいいのか」とビートルズが思っていたとしても無理は無い。

しかしショーマンシップあふれるポールだけは、コンサート活動への未練はあったようだ。


そこでポールが考えたこと。それはレコード上で架空のコンサートを開くというものであった。

しかもそれはビートルズというバンドではなく、架空のバンドのもの。

当時長い名前のバンドが人気を博していた時代であったことを反映して、Sgt.Pepper's~というバンド名がつけられている。

ちなみに、日本の伝説的ロックバンドであるBOOWYの最後のツアータイトルは「Dr. Feelman's Psychopathic Hearts Club Band」である。

言うまでも無くこのアルバムからつけられた名前である。


このアルバムに収録されてはいないが、重要な曲がある。

それは、ツアーを止めたビートルズのソングライター2人が偶然にも生まれ故郷であるリバプールにちなんで作曲したものだ。


その2人とはジョン・レノンとポール・マッカートニー。

その2曲とは「Strawberry Fields Forever」と「Penny Lane」。

ジョンは両親から離れて叔母さんに育てられていた時代に遊びに行った孤児院の名前を、ポールはリバプールのありふれた通りの名前を冠した曲を書いたのである。

歌詞の内容も、Strawberry~はジョンのサイケデリックな世界観を表現したもの、一方Penny~はポールが見たリバプールの何気ない庶民の生活を描写したもの。

これほど2人の個性を対照的に表した曲は無いのではないだろうか。


この2曲はアルバムには収録されず、両A面シングルとしてリリースされた。

現在でも名曲として多くの人々の心に残る両曲であるが、どちらも両A 面にしたせいで票を分け合い、チャートの1位を飾ることは無かった。

そのため、数年前に発売されたベスト盤「1」には収録されていない。

私はこの点でこのベスト盤を全く評価していない

なぜならビートルズはこの2曲がトップ1にならなかったことでアイドルとしての重荷を下ろし、結果として音楽家としての才能を開花させることとなったからである。


このシングル発売まで、デビュー曲の「Love Me Do」を除く全ての曲をイギリスでトップ1に送り込んでいたビートルズであるが、それはレノン・マッカートニーのコンビにとってプレッシャー以外の何物でもなかった。

常にNo.1の売れ線を期待され、それに応えていかなければならないという重圧。

史上最高のアイドル・グループとしての責務。

それらの重荷を下ろすことができたのがこのシングルであったのだ。


ジョン・レノンとポール・マッカートニーという最高のソングライターを要するビートルズは、自由を手に入れた。

同時にそれは、「第3の男」とされたジョージ・ハリソンにとっても、自分の信じる世界観・価値観・宗教観・音楽観を追及する第一歩となった。

そしてプロデューサーのジョージ・マーティンはビートルズの要求する音世界を再現するために、彼がもともと得意としてた実験的なレコーディング技術に集中して取り組むことができたのであった。


そして、5ヶ月という当時としては考えられないほどの長期間を要して制作されたこのアルバムは、ポップ・ロックの金字塔として現在まで最高の評価を得続けている。


その陰に、ブライアン・ウィルソンの苦悩は増すばかりであった。

これほど強力なアルバムの存在を前にして、独りでビーチ・ボーイズの音世界を切り開く役割を担わされていた彼は、そのプレッシャーに押しつぶされるとともに、ビートルズの才能開花に大きな役割を担ったLSDなどのドラッグが彼に深刻な悪影響を及ぼし始めていた。


フラワー・ムーブメント、ヒッピー・ムーブメントを照らした光と影。


この2つのバンド、いや4人と1人の生き様に私は多大な関心を寄せている。


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奇跡の名盤

テーマ:
ザ・ビーチ・ボーイズ
ペット・サウンズ

でっかいジャケットですみません。

記念すべき1枚目の名盤シリーズはザ・ビーチ・ボーイズの「Pet Sound」。

ビーチ・ボーイズといえば、「Surfin' USA」などのサーフ・ミュージックで有名なコーラス・グループという印象である。

しかし彼らには最高のソング・ライターがいた。


ブライアン・ウィルソン


ザ・ビーチ・ボーイズの初期作品のほとんどを作曲した彼の才能は天賦のもので、レコーディングする前から完成した曲の構成・サウンドが自分の頭の中にあったという。

しかしビーチ・ボーイズは61年のデビュー当初から、サーフィンやアメ車を愛する当時のアメリカ西海岸の若者像を具現化する曲を求められていた。

(もともとバンド名そのものもレコード会社が勝手に決めた)

サーフ・ブームが数年しか持たないことを予見していたレコード会社は年間3枚のアルバム制作(!)という厳しいノルマを与え、ブライアンはその要求に応えるべく、プレッシャーの中で次々と売れ線ながら非凡な曲を生み続けていた。


しかし彼に転機が訪れる。それはビートルズの出現である。

64年にアメリカで大ブレイク、ヒットチャートのトップ5すべてをビートルズのシングルが飾るという史上空前の異常な人気を博した彼らの存在は脅威であり、ブライアンは一人で対抗しようとしたのだった。

あのレノン=マッカートニーに一人で、である。


ブライアンは敬愛していたプロデューサー、フィル・スペクターの多重録音+エコーによる「Wall of Sound(音の壁)」をサウンドを取り入れ、65年のシングル「Help Me, Ronda」の頃にはそれを自分のものとして消化していた。

しかしビートルズは、強力なアルバムを発表した。


「Rubber Soul」(1965)

 In My Life, Michelle, Girlなどロック・バンドとしての枠を超えた極上のポップ・スタンダードナンバーを収録したビートルズ中期の名作。

 

ブライアンはこのアルバムに衝撃を受け、ついにビーチ・ボーイズのツアーに参加せずスタジオに篭って作品作りに集中した。

そして出来上がったのが、「Pet Sounds」。

レコーディングはほとんどを、フィル・スペクターも使っていたスタジオ・ミュージシャンを起用して行われた。

そしてビーチ・ボーイズは最後にコーラスやボーカルを入れたのみであったという。


ブライアンのレコーディング方法はやはり天才的で、メンバーならびにそれぞれのミュージシャンは曲の完成形を知らずブライアンに言われるまま曲の断片を演奏していたそうだ。

録音されたそれらの断片は、最後につなぎ合わされて一つの曲として完成。

そのサウンドはもはやサーフ・ミュージックとは似ても似つかないものであった。

また歌詞の内容も、サーフィンや車などの大衆的なものは全く盛り込まれず、ブライアンの悩める心情を赤裸々に反映したものであった。


「I Just Wasn't Made For These Times(邦題:だめな僕)」

 この時代に生まれるべきじゃなかったのだ、という厭世的な歌詞。

 プレッシャーに苛まれ、周りから理解されない当時のブライアンの状況がうかがえる。


「Caroline No」

 かつて思いを寄せていた女性への儚い思いを切々と歌い上げる。エンディングには汽笛を鳴らしながら通り過ぎる列車の音と、吠え続ける犬の鳴き声が不気味に響き渡る。

 美しくも儚い絶望感を漂わせる音作り。


完成した作品を聴いたメンバーは理解できず、「犬にでも聴かせるのか」と吐いて捨てた。

そこからこのアルバムのタイトル「Pet Sounds」が生まれたと言われる。


世間の、またレコード会社の望むビーチ・ボーイズ像からかけ離れたこの作品が、チャートを賑わすことはなかった。

一方ビーチ・ボーイズは世界を股に掛けるライブ・ツアーで確実にティーン・エイジャーの人気をつかみ、その頃ツアーから撤退したビートルズを抜いてついにイギリスの権威ある音楽誌で「最も人気のあるグループ」に投票選出される。

この頃からブライアンは世間と自分とのバランスが取れなくなり、精神を病んでしまう。


その原因の一端には、ビートルズがこの「Pet Sounds」の影響を受け67年に発表した「Sgt. Pepper's Loney Hearts Club Band」がある。

ロック史上に燦然と輝く金字塔として世界中の支持を集めたこのアルバムに、ブライアンは衝撃を受けた。

これまでのロック・ポップといった大衆音楽の概念の根底から覆すこの作品に対抗するべく、ブライアンはさらに自らを外部から隔離し異常なまでに音楽にのめりこんでしまう。


Pet Soundsの手法をさらに推し進めたレコーディングは、曲の断片を限りなく増やしていった。

しかしブライアンはこの頃LSDなどのドラッグの過剰摂取により、自己をコントロールできなくなっていた。

そのため発売日も決まっていたアルバム「Smile」は未完成となり、曲の断片を拾い上げてとりあえず発表された「Smily Smile」は惨憺たる出来であった。


私が中学生の頃、このPet SoundsがCD化された。

ライナーノーツはあの山下達郎が書いており、その入れ込みようは若き音楽少年だった私の記憶に深く入り込んだ。

当時はこのアルバムを真に理解することは出来なかったが、最近またよく聴くようになりそのすごさに感動している。

トータル・アルバムとしては「Sgt.Pepper~」を超えると思う。


全編に流れる繊細で美しく儚い音のつづれ織りは、永遠に私を虜にする。


このアルバムを聴かないことには、音楽がどれだけの可能性を秘めているか、わからない。

そんなアルバムである。

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ワーナーミュージック・ジャパン
コンサート・フォー・ジョージ

舎弟であるwakuwakuさんのブログ では先週1週間、ジョージ・ハリソンの特集でした。

我輩は師匠として一人偉そうに知識をひけらかして悦に入っておった。

そしたらららさんのブログ でジョージのトリビュートコンサートのことが書いてあった。

うぬぬ!!このコンサートDVDを嫁さんから去年の誕生日プレゼントにもらった(ちゅうか、ねだった)師匠としては捨て置けぬ!!

早速紹介じゃ。


このコンサートはジョージが亡くなった翌年の2002年に盟友エリック・クラプトンの呼びかけで実現したもので、ジョージゆかりのアーティストが勢ぞろい。

欠けているのはボブ・ディランぐらいだろう。

ビートルズのメンバー、ポールとリンゴも出演し、ジョージの作曲したビートルズ時代の曲を演奏したりしている。

中でもポールがジョージの家に遊びに行ったときのことを語りながらウクレレで演奏し始める「Something」、ビートルズ時代のレコーディングにも参加したエリック・クラプトンとほぼデュエットで歌う「While My Gently Weeps」は秀逸。


またビートルズのアルバム「Let It Be」セッションにも招かれたビリー・プレストンが歌う「My Sweet Lord」も味があって最高だ。

実はこの曲、ジョージがビリーに「ゴスペルってどう書くんだ?」とたずねた際にビリーがアドリブで歌ったフレーズを元にして作ったそうだ。

ジョージ自身はゴスペルの名曲「Oh Happy Days」風に作ったつもりだったが、シフォンズというグループが1963年に発表しNo.1ヒットとなった「He's So Fine」によく似ていた。

そのため訴訟問題に発展し、最終的にジョージは「潜在意識による盗作」などという無茶苦茶な理由で敗訴した。

しかしこのコンサートでもわかるように、この曲は間違いなくジョージの曲だ。

彼の精神性・音楽性が詰め込まれた永遠の歌である。


コンサートの話に戻ると、最後の最後まで飽きさせない演出と選曲の妙が素晴らしい。

またシリアスになりすぎることなく、ジョージが生前大好きだモンティ・パイソン を交えるなどして楽しませる。

予断だが、ジョージはモンティ・パイソンのテレビシリーズが早々に打ち切られそうになった際テレビ局に自ら電話して存続を訴えたそうだ。


ちなみにわたしはこのコンサートの中でモンティ・パイソンのパートが一番好きだ。

なぜって・・・見ればわかる(笑)


さて、記念すべき復活第一弾の記事。

ずいぶん前、Livedoorブログのほうに2人の女性読者からほぼ同時に回ってきたMusical Batonです。

魔の手が伸びてきたのでそろそろ書きかけたこの記事をアップしようかね。


このバトンは重かったなぁ・・・。何せ答えづらい問題が多いんだもん。

まあ文句は置いといて、回答です。


Q1:Total volume of music files on my computer

  (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

  タイにおいてあるPC     :60G 

  日本で使っているノートPC :10G

    自分の手持ちのCDのほぼ全てをインポートしてタイに持っていっています。その中で自分のよく聴くやつをノートに入れてます。

  ・・・でもお宝音源や映像ファイルを入れると、軽く100Gは超してしまう。

Q2:Song playing right now (今聞いている曲)

   Hang On To Your Ego / The Beach Boys

    名作「Pet Sounds」のアウトテイク。評価が低いThe Beach Boysですが、この作品は名作です。


Q3:The last CD I bought (最後に買った CD)

   ジョージ・ハリソン「All Thing Must Pass」

    ある企画に乗っかって、欲しくなって買ってしまった。


Q4:Five songs (tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me

  (よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)


VIRUS/氷室京介 

  名曲です。氷室さんは今や生ける伝説と化していますが、この曲ではラップを取り入れるなど実験的な作品作りにも精力的です。 

  彼にしかできない音作りを実現させています。若手の荒削りなロックバンドには出せない重みのあるサウンド。そしてボーカル。 

  昔のアイドル的なイメージで見ている人に一度聴いてほしいですね。 


Here Today/Paul McCartney

 ポールマッカートニーが亡きジョンレノンのことを歌った曲。 歌詞の内容と弾き語り+ジョージ・マーティンのアレンジしたストリングスで泣かせます。

 ポールの曲で一番好きかもしれない。滅多に聴かない、いや聴けないですが。

 聴くと必ず涙してしまいますので。俺の目にも涙。

Love Comes To Everyone/George Harrison

 ジョージ・ハリスンの名曲。歌詞の内容が秀逸。愛を信じられなくなった人はぜひ聴いてみてください。

Bohemian Rhapsody/Queen

 オペラの部分を一人で歌うことを夢見て練習していますが、未だに上手くいきません。

 タイのホテルでバンドがこの曲を完コピしていたのには脱帽というよりあきれてものも言えませんでした。

Plastic Bomb/BOOWY

 生まれてはじめてドラムを叩いた曲。BOOWYが無ければバンドをやっていなかったでしょう。

 そして音楽との出会いも広がらなかったでしょう。

 


Q5:Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)

  シンマイに後は任せた!!

復帰かよ

テーマ:

アメブロ・ユーザーの皆さんからの 魔の手 誘いの手があったので、音楽ネタを書くことでこのブログを復活させようかと思います。

音楽、特に60年代~70年代のロックに関する雑学を交えつつ、バンドでの経験を活かしつつ、趣味の世界に走ります。

ついてこれない人はついてこなくてよし。

ついてきたい人は勝手についておいでやす。


いろいろとこのブログでは実験をしたいと思います。

その一つがAmazonのアフェリエイト。

CDやDVDなどの商品のリンクを張ります。そのリンクから商品を購入した人がいた場合、私に報酬が少し入るようになっているようです。

中にはアフェリエイトで月何十万も稼ぐ人がいるようですが、私はそんなのを目指してはいません。

自分の好きなものを紹介し、それに共感した人がどれだけいるのかという目安になるかと思うのであります。

報酬は簡単に入るものではないようですが、もし入ったらシンマイの育成費用にまわせれば御の字かな。


そんなわけで、ぼちぼちやりますね。