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「鉄」とはなんだろう?

テーマ:地球文明と鉄
2008年02月12日

先日のシンポジュウムでは「鉄、鉄と言っているうちはこの分野ではシンポがない」などと高言している論者が登場したが、噴飯ものだった。


自分でも気をつけなくちゃ、ああなっちまうんだなーと思わされた。


現在日本の鉄の規格はJISで決められており、JISのハンドブック、鉄だけは分厚い2冊になっている。


数えたことは無いが、鉄の種類は32000種類が掲載されているという。



そんな状態なのに、鉄と言わずに鋼(はがね)と言い換えたからとしても、なにかがどうにかなりわけではない


まあ、大学講師というのはこういうがんばりをするしかないのだろう。



私たちの活動の基本中の基本は「自分でやってみる」ことなので、言葉の空論などは一番避けたいことだ。


なんぼしゃべっても、実際にやってる人には意味を持たない。


ことばの繰り返しで「鉄」でも「はがね」でも造れるのなら、魔法使いというしかないだろう。



純鉄(Fe)をつくるのは非常に難しい。


世界記録でシックスナインくらいだろう。


鉄には、いろんなものがとけ込みやすい。

金属の水というところか。



とけ込ませるのは簡単だが、溶けているものを取り出すのは困難なのは、砂糖水を造るのは簡単だが、砂糖水から砂糖を取り出すのは非常に困難であることとにている。


しかし、鉄は宇宙に特異的に多量に存在する金属であり、したがって地球にもたくさんある。


そうした元素の存在比から発想していくと、鋼などということばは出てこず、鉄という用語になるのはまったく自然なことだ。



まあ、聴衆がばかばっかりで、むずかしいことを言って煙に巻いてやろう方式の「先生」がこれほど生息しているとはちょっと驚きで、私の長かった大学生活のなかでもここまでひどい面々に出会ったことはなかった。気づかなかったが、自分は結構まともな教授たちと働いていたのかもしれないと、少しこころを改めたものだ。



どうやったらうまくつたえられるか。


それには、まず一番最初に、聴衆に感謝を感じることだ。


そのことができない演者は、何も伝えることができないだろう。


肝に命じた。


貴重な体験をすることができたと思う。



矢田浩先生の「鉄理論」

テーマ:地球文明と鉄
2008年01月04日

ちょっと見て、すごい本だと思って買ったのがこの本だ。


講談社現代新書1778 2005年3月


ところが、買ったはいいが、読めなかった。


目次に目が引かれても、内容を理解するには自分の頭が足りなかった。



この正月に再び目を通したら、やっとこすっとこなんとか分かるようになっていた。


まあ、こういうこともあるんだね。



内容というのは、「生命誕生は鉄のおかげ」「地球温暖化は鉄で解決できる」というだけでなく、ほかにもいっぱい書いてあるが、その中身は難しい。


この本の内容を少しずつ解説していこうと思う。



デジカメを買った

テーマ:地球文明と鉄
2007年08月31日

 地球文明と鉄に何の関係があるのかというと、昔は、カメラは鉄でできており、カメラは現代文明に不可欠のツールだった、ということと(むりやり)言いたい。


 亡くなった父は、趣味と言えばカメラで(シャイなむかしの人は、カメラが趣味というのが多かった)、納屋を暗室に代えて、現像していたこともあった。

 あのころ、父は燃えて生きてたんだと思う。


 それも、いつの間にか止めてしまい(お金がかかるからなかな?)、石垣を積むのだけが生き甲斐だった時期がながかった。

 それから、私は家を出て、関西や関東で働いたのでよくわからない。


 ときどき実家にもどると、りっぱなカメラを購入していたり、写真をとって額にかざったりしていた。


 そういうカメラは、みなフイルムに焼き付けるカメラで、鉄でできていて、重いのだった。



 その間、カメラはデジタル化が進み、軽いのがいいと言う時代になり、材質はプラスチックになってきた。


 今日買ったのもデジタルで、フィルムはいらず、自分でプリントでき、Webに利用するに便利だ。


 デジカメは3台目。

 ビデオは5台目くらいか。ハイビジョン。


 なんでかというと、やはり表現力だ。


 画素数が多いほど、絵に力がある。


 Webと書いたが、これは200万画素の携帯のカメラでちょうどいいのだ。


 デジカメでは、データ量が多すぎ、加工しないとアップできない。


 まだ、電池を充電中で使っていないが、明日の講座からさっそく利用するつもりだ。

 

 楽しみだ。

いたるところにある砂鉄?

テーマ:地球文明と鉄
2007年07月13日

 自分の生活範囲の中では、砂鉄はいたるところにある。


 ある場所では、砂鉄だけが1-2センチの層になって胚胎している。


 ところが、海外での砂鉄については一度も聞いたことがない。

 質問しても、知らない、というばかりだ。

 それは、砂鉄になど何の関心も持たない連中ばかりだったからなのかもしれない。


 自分が行ったわずかの海外でも、砂鉄は目にすることはなかった。


 それも、オーストラリアを除いては、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、パリなど、土も見えないところばかりなのだからしょうがない。


 で、オーストラリアはどうかというと、砂は多かったが、砂鉄は見なかった。

 海岸にも行ったが、なかった。


 もしかしたら、海外では意外と砂鉄は少ないのかもしれない。


 気になるところだ。


 

地球温暖化キャンペーンの裏で動いているもの

テーマ:地球文明と鉄
2007年07月05日

地上に人類が増え、豊かな生活を願ってエネルギーを消費すれば、かならず温暖化は促進される。


効率がよくなっても、発熱の「量」は必ず増える。



温暖化防止運動というのは、結局は長期的視野の人口抑制(減少)キャンペーンにつながっていくのかもしれない。


白人が8割で、他の人種は2割まで、とか。


そういう(世界的合意)が成立しているとかなんとか言うのではないか。


都市に原爆を落としたら、都市住民は絶滅する。

そんなこと、わかるだろう。

それでも、やった。

しかたないなんていう問題ではない。


その後60年

必死になって正当性を唱え続ける。


まったくわかっていない。


そういう連中が、地球温暖化を唱えるとき、絶対に違う目的があると思わざるをえない。

まちがいなく、ある。


アメリカの悪事に対する批判を避けるため、新しいテーマを与えているだけとか。


鶏にえさを与えると、とりあえず目先のえさをつつきはじめる。


そういう、えさのひとつにすぎないような気がする。


では、いったい何から目先をそらそうとしているのか。


アメリカの弱体化か。


原爆を2発も落として、未だに戦争を止めない国家が、何をはじめたのだろう?

文明は、なぜ多様化を否定するのか

テーマ:地球文明と鉄
2007年07月03日

 温暖化やら砂漠化などが騒がれている。


 自分としては基本的に地球は温暖化しないほうがいいし(寒冷化したほうがまだましだ)、砂漠化が進んでほしくない。


 しかし、朝から庭の草むしりをしていて、自分がやっていることが要するに庭の生態の単純化であることに気づいた。


 自分の望む植物だけを大きく育て、その他の植物はむしりとって排除する。


 自分たちの望む国家のありようだけを歓迎し、荘でない国家は武力で排除する。


 地球の現実は多様なのに、なぜ一神教が登場してくるのか。


 なぜ、多様なものを多様なまま受け入れられないのか。


 

 インドの多神教、日本の多神教は有名だ。


 多神教だから、神話も複雑だ。


 この複雑性を理解したくないので、考えなくてもわかる一神教に収斂されて行くのか。


 

 むかつく面も多いけど、この日本の多神教的日常を続ける。そこに人類が永続する道が残されているようなきがしてならない。

 核の力を背景に、おどかし合いながら持続させる文明というのは、続かない。

 必ず、破綻がくる。


 

 元素の多様性(90もある)、素粒子の多様性などが、文明の多様性の正当性を担保してくれるような気がする。


 たったひとつのものから、世の中が成立しているのではない。


 ビックバン説など、あまりにも一神教的すぎて(創世記にそっくりだ)、信用できない。そのうち、破られるだろう。


 

 鉄が、さまざまな形でこの世に存在しているように、他の元素もさまざまな形で存在している。

 その複雑さをそのまま認めることが地球を守ることなのではないか。


 火星を地球化して移住するなど、多神教の発想からは出てこない発想だ。



 日本の、多様なものを平気で受け入れる精神構造。

 それを大切にしたい。


 庭の雑草

 どうあつかったらいいのか、考えなくてはならない。

 それまで、草むしりは、中止だ。


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